第四節 聖なる大地で待つもの

 エイス・ディオテミスの位置はオル・フェーズより北東に位置する。

 オルタリアの国境を越え、そこからしばらく伸びる街道を進むと、やがて大きな山が見えてくる。

 ファゼルマ山岳地帯。そう名付けられた一帯は、その名の通り険しい山が幾つも聳える厳しい大地となっている。

 だからこそ、神は修練の地としてそこを選んだとも言われているが、真実の程は定かではない。

 まずは馬車でも進めるぐらいの緩やかな山道が続き、そこを丸二日掛けて進んで行く。

 一度山を下ると、その先に見えるのは全てを拒んでいるようにすら見える高く険しい霊峰。それこそがファゼルマ山岳地帯で最も高く、神が降りると言われている山だった。

 その二つの山に挟まれるような場所に、エイス・ディオテミスは建てられている。そのため見た目よりは交通の便は悪くなく、年間多くの人が巡礼や洗礼、死者の冥福を祈るために訪れる。

 オル・フェーズを出てから合計で三日。道中の街で休憩を挟みながら、二人は特に問題もなくエイス・ディオテミスへとやってくることができた。

「……はぇー」

 ヨハンの隣から、カナタの間抜けな声が聞こえてくる。

 それも無理もない。眼前に広がるのは巨大な白金の門。まるで神の護りを体現するような巨大な城壁が、左右に地面を立ち割るように伸びていた。

 そしてその背後、山を背にするように門の向こう側にエイス・ディオテミスの街がある。この世界でそんな蛮行を犯す者はいないと思うが、例え敵に攻められても滅多なことでは陥落することはない、自然の力を利用した要塞となっている。

 目の前に並ぶ巡礼者や街に入ろうとする人々の最後尾に付いて、自分達の順番を待つ。

 一時間ほど経って、ようやく人が捌けてヨハン達の番がやって来た。通行手形の代わりに法王からの手紙を衛兵に差し出すと、驚いた様子で門の中へと戻っていく。

「妙だな」

「そう?」

 カナタは気にしている様子もないが、ヨハンがここに来ることは予め知らされていてもおかしくはないというのに、妙に慌ただしい反応をされたのが気にかかった。

「お待たせいたしました」

 そう声が掛かったのは、それから更に数分ほど待たされた後だった。偶然か否か今日の来訪はヨハン達で最後のようで、後ろには誰もいない。

「一応、警戒はしておいた方がいいな」

 ローブの下の武装を確認する。

 カナタもヨハンに言われた通り先程までの間の抜けた顔とは打って変わって、気合を入れ直していた。

 開かれたままの門を潜り、二人はその奥へと進んで行く。

 一瞬の暗闇の後、空から光が差し込むように視界が開けた。

「止まれ!」

 その先に広がる美しい街並を堪能する間もなく突き付けられたのは幾つもの槍と、男の怒声だった。

「よくもこの地に来れたものだ。穢れを運ぶ背徳の獣が」

 低い男の声がする。

 目の前に立っているのは鎧を身に着けた短髪に、大柄な体格の男だった。年齢はヨハンよりも十以上は上で、一見すれば冷静に見えるが、その目には隠しきれない憎悪の炎が灯っている。

 それは果たしてヨハン個人に対するものなのか、それともヨハンを通してみる他の何かに対してのものなのだろうか。

「俺達は法王であるイザベル・メル・バルテルの招待を受けてこの地にやって来た。彼女を護るべき聖別騎士団がその言葉に逆らうのか?」

 聖別騎士団。ヘルフリートとの戦いでも彼等とは一度矛を交えている。

 自らの死を恐れないエイスナハルの過激派。厳しい修業を積んだ者達のみが入団を許されるということもあって、その練度は非常に高い。

 中でも目の前に立つ男、アーベル・ワーグナーは竜化したイブキと互角の戦いを演じた、相当な実力者だった。

「何かの間違いだろう。神の祝福を最も受けし法王が、貴様達如きをこの地に踏み入れさせるわけもない。エトランゼと言う地上に這う毒虫を増やそうとする貴様等をな」

「だったらどうする? 俺達を力で排除するつもりか?」

「ここで背を向けこの地を後にすれば追いはせぬ。その程度の慈悲はある。だが、もしこれ以上エイス・ディオテミスに踏み入ろうとするならば、その命を対価として支払うことになるぞ」

「……正気か?」

 ヨハンの問いにアーベルは答えず、臨戦態勢のままそこに鎮座している。

「……ヨハンさん」

 横に立つカナタが、不安げな声をあげる。

 聖別騎士団全員を相手にするのは戦力的に不可能であるし、何よりも相手の膝元で揉め事を起こすわけにはいかない。

 そう判断してヨハンが撤退を宣言しようとした瞬間に、相手側から飛び出す白い影があった。

「いざ救いを与えよ、神よ。嗚呼、天より見下ろす我等に慈悲と光明を。我等は哀れなる子羊であり、愛すべき神々の子」

 抑揚のない声で紡がれる讃美歌。

 それとは裏腹に、物凄い速度でヨハンに向けて飛びかかって来たのは、アストリット・ワーグナー。

 白い髪に蒼色の瞳、短い髪をした、小柄ながら見惚れてしまうほどに美麗な容姿。

 一本の剣を手に、飛びかかるようにヨハンの前に姿を現した。

「早いっ!」

 弾かれるようにカナタが飛び出して、アストリットに対応する。

「野辺を走れ、救いの光。歌となりて森へと木霊せよ。全ては待ちわびている、待ち望んでいる、その輝きが世界を満たす時を。神の息吹が救いをもたらすその時を」

「この子……!」

 カナタの持つ極光の剣で一度アストリットを弾いたのはいいが、すぐに側面に回り込まれる。

 またそれをセレスティアルの盾で防いでも、今度は背後、正面と、アストリットの素早過ぎる動きは、とてもカナタに捉えられるものではなかった。

「ここでは銃が……!」

 入り口とは言えここは街中だ。下手をすれば、一般市民に被害が出る銃を撃つことはできない。

 どうにか狭い範囲を攻撃できる符を使ってアストリットを攻撃するが、素早く動き回る彼女に当てることはできなかった。

 そうしている間に一瞬の隙を縫って、アストリットがカナタの目の前に立つ。

「っ、来た……!」

 避けられない距離、何とか身を引いて被害を抑えようとするが、アストリットの速度はそれを許さない。

 両手に握った剣が、カナタの目の前に迫る。

 助けに入ろうとするヨハンも一歩及ばない。

 絶体絶命のその状況を救ったのは、聖別騎士団の背後から放たれた柔らかいがよく通る、女性の声だった。

「そこまでです、アストリット・ワーグナー! 神は、神の代行者としての私はこの地での流血を望みません!」

 ぴたりと、アストリットの動きが制止する。

 その剣はカナタの鼻先にまで迫っていて、切っ先に触れていた前髪が数本、はらりと舞って落ちた。

 一瞬の静寂の後、聖別騎士団が作っていた囲いが割れる。

 全身を覆うような法衣を来た神官達を引き連れてそこに現れたのは、五、六十歳ほどの老年に差し掛かった一人の女性だった。

 背は低く、年齢の所為もあって髪は白くなっているが、背筋はしっかりと伸びており、所々に金をあしらった豪華な法衣を纏ったその姿は威厳を放っている。

 事実、彼女が来たことで聖別騎士団達は膝を折り、アーベルですらも頭を下げて彼女の登場を受け入れていた。

「アストリット、下がりなさい」

 剣を収め、アストリットが下がって行く。

「そう。いい子ね」

 それを見届けて、イザベルは満足そうに頷いてから、悲しげな表情をしてヨハン達の傍へと近付いてくる。

「ごめんなさいね、貴方達。私が呼びつけたというのに、とんだ歓迎になってしまったわね。そちらも、怪我はない?」

「あ、はい。大丈夫、です」

 突然目の前に法王が現れた事実に混乱しているのか、カナタは片言でそう返事をすると、その場で固まってしまう。

「さて、皆さん。此度の件は全て私の手落ちとなります。どんな事情があろうとお招きした客人に刃を向けたこと、到底許されることではありません」

「……イザベル様」

「ですが、私の処遇は全てが終わった後としてもらいたいのです。聖別騎士団のこともその際に」

 その一言にもアーベルは顔色を変える様子はない。ただ、そうなることがもう判っていたかのように。

「今は、貴方達に伝えなければならない、最も大切なことがあるのです」

「……判りました。ですが、俺達がここに滞在している間の聖別騎士団の処遇だけでも教えてもらいたい」

「それはもう。聖別騎士団は謹慎とします。例えどのような事態が起ころうと、武器を握ることを許しません」

 その言葉を聞いて、傍に控えていた神官達が動きだす。

 聖別騎士団の武装した兵を、手に持っていた錫杖で追い立てるようにその場から解散させていった。

「アストリット。貴方は私と一緒に」

 イザベルに言われて、去っていこうとしていたアストリットが立ち止まる。

 言われるままにイザベルの傍に立つと、相変わらずの無表情のまま、正面を見つめて立ち尽くす。

「それではご案内いたしましょう。聖都の奥にある聖地へと」

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