第二節 力の行く先

 紅蓮の炎が土を焦がし、地面を這うように目標へと邁進する。

 炎を放つと同時にトウヤは地面を蹴って、燃え盛る火炎を目晦ましにしながら敵へと接近していった。

「はぁっ!」

 炎の奥で閃光が瞬く。光は盾になって、トウヤの炎を完璧に遮断した。

 勿論、トウヤに取ってそんなことは織り込み済みだ。真正面からその防御を突破することが並大抵でないことぐらい。

「これなら、どうだ!」

 叩きつけた剣は、瞬時に姿を変えた光の剣で受け止められた。

 対峙する相手、カナタは年齢もあってトウヤよりも遥かに小柄だ。近くでの打ち合いならこちらが遥かに有利となる。

 相手もそれは理解しているようで、どうにか身を引いてトウヤから距離を取ろうとする。

 それを逃すまいと、先程打ち消された炎に意識を集中する。

 霧散した炎はそれにより勢いを取り戻して、彼女の背後から襲い掛かった。

 これで相手は剣ではなく、壁にして全身を防御するしかない。

 その時がトウヤにとっての絶好の機会。一ヵ所の防御が薄くなった隙をついて、その一点を突破する。

 そうすれば彼女の極光とて、トウヤの炎で破ることができる。

 その時に備えて、力を集中する。

 剣に炎を纏わせて、その出力を最大限に。

 瞬間、彼女と目が合った。

 トウヤの考えた奇襲に、全く驚いた素振を見せない。トウヤの知っているカナタと言う少女なら、混乱してすぐに防御行動を取るはずなのに。

 ざりっと、土が擦れる音がした。

 それはカナタが一歩踏み込んだ音。

 その小さな体躯を生かし、トウヤの懐に潜り込んでいた。

「嘘、だろ?」

「この距離!」

 光が強くなる。

 伸びた極光の剣が下から上に、トウヤの持っている剣を弾き飛ばす。

 纏いかけていた炎は消えて、それから数秒後、呆然とするトウヤの背後の地面に真っ直ぐに突き刺さった。

「そこまで!」

 背後から声が響いて、緊張していた空気が弛緩する。

 すぐ傍にいるカナタもそれに応えるように、手の中の極光を掻き消して、トウヤを見上げて微笑みかけた。

 その笑顔が眩しくて、思わず距離を取ってしまう。

「っかぁー! 情けねえ! 格好悪い! だせぇ! 弱えぇ!」

 背後からそんな声を上げて近付いてきたのは金髪に長身の男、ヴェスターだった。トウヤの頭を鷲掴みにすると、まるでレバーのようにぐりぐりと揺り動かす。

 いつもなら悪態と共に振りほどくところだが、彼の言う通り今のトウヤは格好悪い敗者なのでされるがままになるしかない。

「そう言ってやるなよ、ヴェスター殿。英雄の嬢ちゃんは強いんだ、健闘した方さ」

 そうやってフォローしてくれたのは髭を生やした中年の騎士、ラウレンツだった。

 今彼等がいるのは、オル・フェーズの外れにある兵士達の訓練所。競技用のグラウンドのように広く縁取られたそこでは、大勢の兵達が教官の指示の下に訓練を行っている。

 その一角で、トウヤ達の戦いは行われていた。休憩中の兵達が飲料水を片手に囃したてていたが、戦いが終わった今では勝手に行われていた賭けの配当が行われている。

「そう言う話じゃねえだろ! お前の方が弱くてどうすんだよ? それで、何かあった時に誰がこいつを護ってやるんだって話だ!」

「そ、それは……」

 ヴェスターにしては珍しくまともな言葉を叩きつけられて、二の句が継げなかった。

 実際、一対一の訓練はトウヤで三人目で。その前に戦ったヴェスターも、ラウレンツもカナタには勝利していた。

 ヴェスターは力で押し切り、ラウレンツは防御に徹した上でカナタが疲労するのを待ってからの勝利。どちらもお互いの得意を生かした戦いを見せている。

 その後に続いての敗北は流石に心に響くものがある。

「いや、別にボクは大丈夫だけど」

「そりゃ口では幾らでも言えるだろうよ。でもな、お前だって女なんだから自分を護ってくれる騎士様が欲しいとは思わねえのか?」

「……なぁ、ヴェスター殿よ」

 ご高説を垂れ始めたヴェスターに、ラウレンツの横槍が入った。

「あん?」

「幾らお前さんがトウヤに賭けて負けたからって、怒って誤魔化そうとするのはよくねえなぁ。ほれ」

 そう言って手を差し出す。どうやらラウレンツはカナタに賭けていたらしい。

「くそっ! 持ってけ! 堅実に狙ったらこれだよ!」

 ぐしゃりと、懐から金を取り出してラウレンツに手渡す。

「へへっ。ありがとさん。……嬢ちゃん、そんな目で見ないでくれよ」

「あ、いえ、なんとなく、貴族の人ってお金持ちなのに賭け事するのなぁーって思って」

「女房に財布の紐を握られててなぁ。これも呑み代を稼ぐための涙ぐましい努力ってやつさ」

 そう言って、上機嫌でラウレンツは部下達の元に去っていく。

「とんだ不良貴族もいたもんだ」

 どの口が言うのか、呆れたようにそう言ってヴェスターが見送る。

「でもな、俺の言ったことは半分は本心だぞ? いざという時、お前がカナタを護って」

「あ、それなら大丈夫だよ。他に頼れる人は幾らでもいるから。ボクのためにトウヤ君に危険な目にあってほしくないし」

「……だとよ」

 カナタのその一言で流石のヴェスターもトウヤのことを不憫に思ったのか、視線に同情の色が交じった。

「それじゃあ、ボクはそろそろ行くね。二人とも、訓練の合間に付き合ってくれてありがとう」

「いや、俺は別に……」

「気にすんな。俺も訓練なんざ真面目にやってねえし。こっちの方が楽しかったからよ」

「訓練は真面目にやりなよ。……本当はラニーニャさんかトゥラベカさんのところに行こうと思ったんだけど、どっちも帰っちゃったから」

「ああ。ハゲ女と胸が薄いねーちゃんか」

「なんでそう言う言い方するかな」

 咎めるように言ってから、カナタは二人に背を向ける。

 きちんとラウレンツのところにも礼を言いに行って、小走りで訓練場から出ていった。

 その姿を見送るトウヤの肩にヴェスターの手が置かれる。もう嫌な予感しかなかった。

「で、好きな女に負けた気分だどうだね、トウヤ君?」

「最悪だよ!」

 振り返って、ヴェスターの手を振りほどく。

 ヴェスターに言われたことも相まって、最悪の気分だった。

「……つってもな。俺は実際、お前が勝つと思ったからそっちに賭けたんだぜ?」

「それって、俺が余りにも弱すぎるって言いたいのか?」

「そうじゃねえよ。……いや、まぁ、それもあるけどよ。何よりカナタが強くなったことに驚いてんだ」

 カナタは訓練にこそ参加していないが、暇を見つけてはこうして訓練場に現れてヴェスター達と手合わせを行っている。

 最初は兵士達が相手をしていたのだが、すぐに彼等では相手にならず、結果として賭け事に興じることになっていた。

 ギフトの恩恵があるとはいえ、腕利きのエトランゼすらも軽々と倒すカナタの相手ができるのは、今やその三人ぐらいしかいない。

 果たして何処でどんな訓練を受けてきたのか。いや、どんな意思があれば、短期間でそれだけ強くなれるのか。

「散々煽った俺が言うのもなんだが、あんまり気にしても仕方ねえがな。あいつのギフトは見るからに特別だろうしな」

「特別って……。それじゃあ、なんでお前は勝てるんだよ?」

「そりゃ、俺も特別だからだよ。あっちのオッサンは経験値の違いが尋常じゃねえしな」

 長年を戦場で過ごしてきたラウレンツもまた、今のカナタならば経験と技術でどうにかいなすことができる。しかし、後数年後どうなっているかは判らない。

「言っても無駄だと思うが、あんま焦んねえ方がいいと思うぞ?」

「焦るなって……」

 ルー・シンの謀反から始まるオル・フェーズでの戦い。

 その中でトウヤが果たした役割は大きい。一瞬とは言え英雄として持て囃されるほどだったが、戦いが終われば誰もトウヤの名を覚えていない。

一緒に戦った戦友達はその力を認めてくれたが、人々が見ているのは帰還した王や王女、そして真の英雄である彼等だった。

 それは別にいい。トウヤは英雄になりたかったわけではないのだから。

「……イブキさんが、死んだんだろ?」

 当人と殆ど面識があるわけではないが、その名前はトウヤの耳にも届いていた。

 エトランゼの英雄として多くの人を救おうとした彼女は、御使いと相討ちになる形で命を落とした。

 それだけでなく、オル・フェーズでの戦いは熾烈を極めるものだった。見たこともない兵器が出回り、多くの命が散っていく。

 王城に乗り込んだカナタやヨハンですら、戦いの終わりには傷だらけになっていたほどだ。

 その中でトウヤが果たした役割は、本人の中では余りにも小さい。彼等を送り届けることしかできなかった。

「そうだな。最期にやりあいたかったが……。ま、仕方ねえさ」

「そんな強い人でも死んじゃうような戦いがあったんだ。これからも、そう言うことがあるかも知れない。その時、俺は足手まといになりたくない」

「別にいいじゃねえか。御使いだのなんだのの化けもんと戦う時なんざ、九割の奴が邪魔にしかなんねえ。別にそこで弱くてもお前が悪いわけじゃねえよ」

「お前は……。ヴェスターはその一割りの側だからそう言うことが言えるんだろ!」

「そうだぞ? まー、言っても説得力はねえがな」

 一切の毒気なく、ヴェスターは頷いて見せる。

 彼自身は御使いとの戦いはウァラゼルとしか経験はしていない。その時の結果は傷を与えることすらもできなかったが、最初の時点でその苛烈な攻撃からヨハンを助けて生き残ることに成功している。

 そしてギフトが新たな段階に至った今、ヴェスターと御使いとの戦いにおいてどちらが勝つかを予想するのは難しいだろう。

「……こんなこと言うのは柄じゃねえが、お前本当にそっち側に入りてえのか?」

「……そうじゃないと、護りたいものも護れない」

「人間辞めてでもか?」

「どういうことだよ?」

「言った通りの意味だよ。過剰な力を持った奴は本当に人間か? 一人で百人も殺す奴を、世間様は人間扱いできるのか?」

 目の前に立つ、百人を殺す人間はそう問いかけた。

 彼は悪魔と呼ばれた。

 誰よりも活躍して、誰よりも殺した彼を、英雄と呼ぶものはいない。

 別段、そのことを深く気にするような男でもないはずなのに、何故だかその目は何処か遠くを見ているように思えた。

 ギフトを授かって、それを研ぎ澄ませた。

 その結果として普通の人間では辿り付かないような領域の力を手に入れた代償。

 果たしてそれだけの力を振るう自分は人間なのか、いや。

 いったいいつまで、人の社会にいることが許容されるのだろうか。

「今んところはどうとでもなるだろうがな。そのうち色々と厄介なことになる。人間は、自分が制御でない力が怖いからな」

 それは、この国の民がエトランゼに対してそうしたように。

 下手をすればエトランゼ同士の間でも、その力を疎んじる者達が出てくる可能性がある。

 そうなれば彼等に待っているのは、恐らく本当の孤独だろう。

 勿論、それが絶対にそうなるとは限らない。誰にだって理解者はいるし、この世界は危険も多い。人々が彼等を必要としている限り弾かれる心配もないのだろう。

 それと、本人の中にある恐怖はまた別の話になるだろうが。

「何事も程々が一番ってことだよ。別にお前一人で勝てなくても、他の奴等と力を合わせれば道が見えてくることもあるだろ?」

「……でも」

「何でも一人でできるようになっちまった奴の末路なんざ、大抵ろくなもんじゃねえさ」

 そう言って、ヴェスターはトウヤの背中を軽く叩いてから、訓練場の中央へと歩き去っていく。

 彼の言葉を反芻しながら、トウヤはその背中をしばらく見ていることしかできなかった。

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