第九節 夢の終わり

 後の世に、継承戦争と呼ばれることになる戦いは、終わりを告げた。

 ヘルフリートとその母であるマクシーネは抱き合うように謁見の間で亡骸となっており、その表情は穏やかなものだったと伝えられている。

 大々的な葬儀こそ行われなかったものの、ゲオルクは彼等を手厚く葬った。反対した者もいたが、王家の墓へと眠ることになったらしい。

 それからゲオルクの主導の下に、様々な再建が行われている。その中で重要な事柄の一つに、戦死者たちの弔いがあった。

 家族がいる者は家族の元に返され、そうでないものは特別に作られた記念碑を立ててこの国の未来のために散って言った者達として祀られる。

 英霊達の眠る場所。

 そう名付けられる建設予定地に、ヨハンは一足先に訪れていた。

 手に持った白い花は、この国で死者を弔う際に捧げられる送別の花。ここに来る途中、ルー・シンによって手渡されたものだった。

 オル・フェーズから少し離れた、城がよく見える丘の上。

 これから記念碑が建てられるその場所は、あの夜にイブキと語り合った場所に、よく似ていた。

 時刻は夜。青白い月と、満天に輝く星の下で、ヨハンは何もないその場所に花を置いて、隣に座り込む。

 そうして取り出した酒を盃に注いで、空に掲げた。

 もうここにいない誰かと、盃を合わせるように。

 一口目を口にしたところで、両目が柔らかいものに塞がれる。

「だーれだ?」

 その何処か調子のいい声を、間違えるはずもない。

 彼女と一緒に戦ってくれた、勇気ある少女のものだ。

「ラニーニャ」

「高いお酒を独り占めしようとしている人を見つけたので、ついつい追いかけて来てしまいました」

 そんな調子のいいことを言って、掌を差し出す。

 どうしたものかと思案していたが、ラニーニャは座ったヨハンを見下ろしたまま視線で訴えかけている。

 酒瓶を傾けて彼女の掌に中身を垂らすと、それはギフトによって丸い形を保ったまま、そこに乗っていた。

 それをラニーニャは、小鳥が啄むように口付ける。

「うん、美味しいじゃないですか。こんなものをラニーニャさんに内緒で飲むなんて許されませんよ」

 その姿がヨハンの前から消える。

 すぐ後に、背中に小さな振動と、熱が触れた。

 背中合わせの形になって、ラニーニャはヨハンの後ろに座り込んでいた。

「ラニーニャ」

「なんです?」

「ありがとう。あいつの友人になってくれて」

「はぁ? 友人どころか不倶戴天の敵なんですけどね」

 その明るさで、多くの人に慕われた。

 仲間の尊敬を集めて、困難な旅を続けた。

 それでもひょっとしたら、彼女に友人と呼べる存在はいなかったのかも知れない。

 ヨハン自身が強すぎる力故に、周りを遠ざけていたように。

 全く怖じずに向かってきたラニーニャを、きっとイブキは言葉ほど嫌ってはいなかっただろう。

「嫌いですよ、あの女。結局ラニーニャさんは何の役にも立てませんでした。自分一人で格好付けて、美味しいところを持っていって、いなくなって。知ってます? ラニーニャさん五ヵ年計画では一年後にはラニーニャさんがあの人を越えている計算だったんですよ? そうしたら散々嘲笑ってお酒を奢らせてやるつもりだったんです」

 そう、早口で捲し立てる。

「知るわけないだろう」

「……でしょうね」

 後ろから手が伸びてくる。

 もう飲み切ったのか、どうやらお代わりを所望している様子だった。

 再び酒を垂らすと、今度は四角い形になっていく。

「勝手に命を救われた上に死なれて、本当に迷惑でした」

「……ああ、本当にな」

 ヨハンがイブキに対して、まだ語りたいことがあったように、ラニーニャもまた言いたいことは幾つもあっただろう。

 それでも彼女は逝ってしまった。

 彼女の中にある大切な誰かを護るために、その命を捧げた。

 それは他の誰にでも言えることだが、イブキがいなければここに辿り付くこともできなかっただろう。

「泣いてもいいんですよ? 今なら特別サービスでハグしてあげますから」

「……やめておく。後で料金を請求されたら敵わんからな」

「あらら、残念。振られちゃいましたか」

 彼女が言うと、背中に掛けられていた体重が消えた。

 人の熱が消えたことが、少しだけ寂しく思う。

 後ろを振り返れば、ラニーニャは手の中の酒を飲み干して、立ち上がっていた。

「では、ラニーニャさんは帰ります。クラウディアさんが心配するので」

 こんな短い間に何をしに来たと問うのは野暮だろう。多分、彼女も弔いたかったのだ。短い間とは言え一緒に戦った戦友を。

「色々と、世話になったな」

「お互い様ですよ」

 片目を閉じてウィンクして見せる。

 その閉じられた方の目にはもう、光はない。

「また何かあったら呼んでください。よっちゃんさんのためなら飛んできてあげますから」

「その時は頼む」

「はい。それでは」

 その言葉を最後に、ラニーニャは丘から降りていく。

 その道中、何やら独り言のような喋り声が聞こえてきたが、酒の所為だろうと気にすることはなかった。

 ヨハンも一人酒に戻ろうとしたのだが、再び草を踏みしめる音が聞こえてきて、どうやらそう言うわけにもいかないであろうことを悟る。

「忘れ物でもしたか?」

 顔を上げれば、立っていたのはラニーニャではなかった。

「……カナタ」

 この戦いの最大限の功労者とも言っていい小女が、何故か少しだけ怒ったような顔をしてそこにいた。

「また口説いてる」

「何の誤解だ、それは。あいつが勝手に来たんだ」

 カナタの視線が、足元に置かれた白い花に移った。

 その意味を察して、彼女はヨハンの横に並んで黙祷する。

 無言の時間が流れ、その雰囲気に浸っていると、やがてカナタがヨハンの方を見上げながら口を開いた。

「終わったね」

「そうだな」

「すっごく悲しかった。ヘルフリートもお母さんも、絶対に違う道があったはずなのに、色々な人がいて、誰にだって相談できたはずなのに、どうしてそれができなかったんだろうって」

「剣を取り、争うのが一番簡単な道の場合がある。特に負の感情から生まれたものを上手く片付けるのには、逆に言葉を使うのが一番難しいものだ」

「……ボクには判らない」

「そう言う考え方の奴もいる、と言うことだけ知っていればいい。別にそれを理解する必要はない。ただ、知っていれば今度は止められるかも知れないだろう?」

「……うん」

 カナタの頭の上に手を乗せて撫でてやると、彼女は安心したように目を閉じる。

「よく頑張ったな。免許皆伝だ」

「そう言えるほど教えてもらったつもりもないけど」

 ジト目でカナタはヨハンを見上げる。

「教えることがなかったからな。優秀な弟子過ぎて」

「物は言いようだね」

 呆れたように息を吐いて、カナタはヨハンの目を真っ直ぐに見る。

「でも、まだまだ弟子でいるよ。頼りたいこともあるし」

「弟子であるかどうかは俺の意思じゃないのか?」

「そうだよ? 知らなかったの?」

 考えてみれば、それもカナタが勝手に名乗っていることだった。

「救国の英雄が弟子とは、また偉い身分になったものだ」

 後にゲオルクから話を聞いて知ったことだが、どうやら彼が決戦に駆けつけるに当たってカナタの大きな助力があったという。

 そのため、彼はカナタに爵位を与えたうえで自分の側近にまで召し抱えたいと言ったのだが。

「違うよ。ボクは、ただのカナタでいい」

 当の本人は、それを拒否した。

 失礼なことなのかも知れないが、ゲオルクは特に気にした様子もなかった。心の何処かで、理解していたのかも知れない。

「これはボクが貰った力で、ボクの力じゃないし。自分だけで何かを成し遂げたとは思ってないから」

「謙虚なことだな」

「そう言う状況になって必死で頑張ったからできただけだよ。別にボクじゃなくても同じだっと思う」

「それは違うだろう。お前が、お前だからできたことだ。自分がやったことには胸を張れ」

「あ、うん。……でも、やっぱり英雄って名前は要らないよ。ボクにはちょっと、似合わないから」

「それはまぁ、そうだな」

「……なんかそう簡単に否定されるとそれはそれでムカつくんだけど」

「自分で言ったんだろうに」

「その辺りは複雑なの。ちゃんと理解して」

「……理不尽な」

 呆れかえっていると、カナタは咳ばらいを一回して、話を仕切り直す。

「ヨハンさん、お願いがあるの」

「なんだ?」

「ボクは、ボクの友達に会いに行きたい」

「アシュタの村に現れた魔人、と言う奴のことか?」

 魔人アルスノヴァ。

 そう名乗ったカナタのかつての友人がいるという話は聞いていた。

 あのイグナシオを退けるほどの実力者で、カナタから聞くには彼女がアーデルハイトの身体を持ち去ったという。

「そう。大人になってたけど、絶対にアリスなんだ。ボクの友達の」

「……そいつに会ってどうする? お前が知っている友達とは、別人になってるかも知れないぞ?」

「元気でねって、ボクに言った」

「だから変わってないと?」

「うん」

 確かな確信を込めてカナタは頷く。

 そこに込められた思いを、ヨハンが理解することはできないが、彼女がそう言うのならば信じてみようという気にはさせられた。

「……判った。と言っても大したことはできないが、できる限り協力する」

「うん、ありがと。……くしゅん」

 カナタの小さなくしゃみを聞いて改めてその身体を見ると、もう冬に入りかけているというのに随分と薄着だった。

「そろそろ戻るか」

「……もう、いいの?」

「ああ。もう大丈夫だ」

 そう言って、二人はその場所に背を向けて歩き始める。

 空には二人が出会った時のような、蒼い月と満天の星空がその後ろ姿を見送るように、輝いていた。

 そこから一条の流星が落ちたことに、二人は気付かない。

 夜空を彩るように流れたそれは、もうここにいない誰かが二人を見送っているかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る