第四節 辿り付いた場所
息を切らせながら三人は走る。
多くの犠牲者の屍を踏み越えて。
そして今もなお戦い続ける者達を通り越しながら。
無我夢中で広いオル・フェーズを走り、いつの間にかエレオノーラを中心とする三人はオルタリア城の城門前に立っていた。
掴んだままのヨハンの手の中で、お互いの汗が混じりあう。
その大きな手が、エレオノーラには頼もしい。どんなに辛いことがあっても立ち止まらない、ずっとエレオノーラを護って来てくれた手だ。
太陽の光を照り返す、白い壁が目の前に聳えている。
オル・フェーズでオルタリアを護る最後の門。それこそが建設以来一度も打ち破られたことのない白亜の城壁。
その奥にある濠に掛かる橋を越えれば、後は城の中へと入り込むことができる。
唯一の入り口である巨大な門の前で、槍を構える兵士達がいる。
彼等はエレオノーラを見て動揺を隠せない様子だったが、それでも自分達の役目を全うするためにその切っ先を向けて立ちはだかる。
決してこの先は進ませないと、鉄の意思を込めて。
ならば、エレオノーラがやることは一つ。
力では敵わなくても、エレオノーラには信念があり、それを伝えるための声がある。
「下がれ! 妾はこれ以上の流血を望まぬ!」
声高に掲げられた声に、兵士達が怯む。
一歩後退りながら、その中央に立つ壮年の兵士が兜の下で声を張り上げた。
「怯むな! 奴は敵だ! おれ達の王はヘルフリート様だぞ! そしてエレオノーラはこの国の在り方を変えようとするもの、悪だ!」
「兄様のやり方が本当に正しいと思っているのか! だとすれば何故ここまで国が荒れる! どうして同胞同士で殺しあう必要があるのだ!」
「貴方がエトランゼに情けを掛けたからでしょう! ヘルフリート様はそれを悪とした。二人が争う理由はそこにある!」
「そうではない! 兄様に正義があるのならば、何故民は泣いている? どうして妾の元に人が集まった? それらは全て兄様が過ちを犯している証拠ではないか!」
「黙れ!」
中央に立つその兵士が一喝する。
それは王女に捧げるには余りにも不遜な言葉。
事実、彼の声は震えている。この国に暮らす者として、王族とは絶対のもの。決して逆らってはいけない者に今、直接牙を剥いている。
「……もう、遅いのです」
「なにを……!」
「故郷は焼かれ、家族は処刑された。全ては貴方が招いたこと。貴方の抵抗が、ヘルフリート様の狂気を呼び覚ました!」
「それは……!」
全てを違うとは言い切れない。
他者から見れば単なる逆恨みに過ぎない。魔物の襲撃も、ヘルフリートの暴走も、エレオノーラに直接的な罪はない。
ただ、彼にはそうするしかなかったのだろう。
弱くて、従うことしかできなかった目の前の男には。
今ここで述べられた言葉は断罪だ。
我を通し、本来あるべき歴史の流れに逆らったエレオノーラに対する糾弾だった。
ヨハンの手を強く握る。
彼の言葉の全てを否定することはできない。その資格はエレオノーラにはない。
でも、だからと言ってそれを受け入れて立ち止まることなどできるはずがなかった。
エレオノーラはこの国の中心に立つべき、王の血を引いているのだから。
「お前の苦しみはよく判った。辛かっただろう。……だが、妾はそれを踏み越えて征く」
覚悟は既に決まっている。
「そなたのような苦しみを味わうものを少しでも減らすために、妾は決して止まれない!」
剣を抜いて、高らかに掲げる。
それを戦闘開始の合図と受け取ったのか、その兵士は槍を構えて駆けだそうと姿勢を下げた。
同時にヨハンがエレオノーラの手を離して銃を構え、カナタが両手で光の剣を握る。
一触即発の空気が辺りに満ち、兵士がその一歩を踏み出そうとする。
そこに、両側から交差するように槍が重ねられた。
「お、お前達!」
若い兵士二人が、壮年の兵士を留めている。
兜の下にあるその表情は見えないが、視線は真っ直ぐにエレオノーラを見つめていた。
この戦いを終わらせてくれと。
そう、声高に訴えているように見えた。
彼等にとってはどちらが勝ったとしても大した違いはないのかも知れない。
ただ望むのは、同胞同士、同じ人間同士の殺しあいの終焉。
この歪んでしまった国が、どのような形であれ正されるのを望む心だった。
「ヨハン殿、行こう」
再びヨハンの手を取る。
そのまま抑えつけられた兵士を横目に、三人は門を越えて跳ね橋を渡り、城の中へと一直線に足を踏み入れた。
城の外とは逆に、城内に踏み込めば不気味なほどに人の気配がなかった。
今三人が駆けているのは、謁見の間へと続く広々とした廊下だった。
大理石の柱が幾つも並び、天井からは豪奢なシャンデリアが照らしつける。
床に敷かれた絨毯はまるで血のように真っ赤だが、所々くすんでいてる。
「……父上の調度品が消えている」
そう呟く。
ここには客人を持て成すために父王が選び抜いた自慢の品々が並べられていたはずだった。
花瓶やら壺やら、果ては用途の判らない物まで様々な品があったのだが、今はそれが影も形もなくなっている。
「恐らくは、軍備拡張の資金にしたんだろう」
「あの大量の魔装兵はそう言うことか」
「ヘルフリートの居場所に心当たりは?」
「……この城は広大だ。もし隠れられていれば探しようもないが」
そうなれば、城下の戦いが一段落するのを待って人海戦術で捜索するしかない。
もしその間に逃げられてしまえば、恐らくヘルフリートは何らかの手段で再び旗を上げるだろう。
それだけは避けなければならない事態だった。もうこれ以上、この国を分裂させるわけにはいかない。
「だが、兄上は謁見の間にいる。妾の知る限りではそう言うお人だ」
元々は長兄ゲオルクの下でこの国の武門を護るために位置付けられていたのだ。
結果的にここまで追い詰められたが、彼は決して逃げるような臆病者ではない。
「なら、奥だね」
カナタが頷き返して、先頭を走る。
エレオノーラ一人では足が遅く、ヨハンに手を引かれる形になってしまうためにどうしても彼女に先頭を頼むことになってしまっていた。
それが、今は幸運に働いた。
轟音が響き、三人が慌てて立ち止る。
ヨハンが咄嗟にエレオノーラを庇って、カナタが光の盾でその場の全員を護る。
進行方向とは関係のない、横側にある壁が崩れてそこから何かが現れた。
それらは三人の進行方向に立ちはだかり、石壁が崩れた煙が舞い上がり、視界を覆い隠す。
「なんだ!」
口元を抑えながらエレオノーラが叫ぶ。
ヨハンが銃を構え、砂煙の中に向けて発砲する。
何度か硬質な音が響き、弾丸が絨毯の上に転がった。
何かが、そこから姿を現す。
真紅の鎧。
まるで血のように真っ赤に染まった魔装兵が、三人の前に立ちはだかっていた。
その目に当たる部分は狂気に満ちたかのように紅い輝きを放っている。
そこから縦に伸びる魔力線は、まるでそれが涙を流しているようにも見えた。
ギギギと、鎧が駆動する。
背中には剣を背負い、手には槍を持ったそれが、一直線にエレオノーラに向けて突進してきた。
「早いっ!」
カナタのセレスティアルと、深紅の槍が激突する。
魔力を帯びた槍はセレスティアルの剣にも耐え、ぶつかり合う。
そうなれば体格で劣るカナタが不利となる。
すぐさまカナタは剣を引いて、ヨハン達のすぐ傍に退避した。
「ただの魔装兵じゃない……!」
ヨハンが弾倉を入れ替える。
拳銃から放たれた弾丸が魔装兵に直撃し、辺りに重力が発生して床ごと凹ませていくが、それはそんなものを無視するかのように飛び上がってそれを回避した。
真紅の鎧が目の前に着地して、大槍を振るう。
ヨハンとエレオノーラを纏めて吹き飛ばそうと振るわれた槍を、咄嗟にカナタが光の盾で受け止めに入る。
「この人……、強い!」
ぐいとエレオノーラの身体が引かれる。
ヨハンがその手を掴んで、その場から急いで退避させるためにそうしていた。
逃げながら放った銃弾は衝撃波を生み出して魔装兵を吹き飛ばすが、全く傷を与えたようには見えない。
その紅い涙の流れる目の奥で、何かがエレオノーラを睨みつけていた。
「狙いはエレオノーラか!」
「だったら!」
前進した魔装兵の光の大剣が横合いから吹き飛ばす。
カナタは二人を護るように立ちはだかって、振り向かないまま叫んだ。
「ここはボクが!」
「しかし……!」
戸惑うエレオノーラよりも、ヨハンの判断が早かった。
「行くぞ」
一瞬その場に残ろうとしたエレオノーラを半ば無理矢理に引っ張って、ヨハンは廊下の奥へと駆け出す。
何かを言おうとして、このままここに残っていては自分自身が足手まといになることに気付いて、エレオノーラは口を噤んだ。
それよりも優先すべきはヘルフリートと会い、この戦いを終えること。
もう勝ち目がないと判断すれば、ヘルフリートは降伏し、あの紅い魔装兵も動きを止めるかも知れない。
「……カナタを、信頼しているのだな」
それとは別に、全く迷いなくそうしたヨハンに対して、場違いな感想が出てしまう。
その意図を察したのかは判らないが、ヨハンは一度だけエレオノーラを振り返ってから答えた。
「ああ。エレオノーラのこともな。この戦いを終わらせるためには、お前の声が必要だ」
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