第二節 悪魔の進撃

 中央通り、最前線。

 本来ならば多くの人が往来するその広い道は、今となってはこのオル・フェーズで最も激しい戦場と化していた。

 馬車が数台横に並んで通れるほどに広い道にはバリゲートや崩れた建物の瓦礫が転がり、そこに身を隠した兵達が敵側から飛来する矢から身を隠している。

 そんな中、その中央で黒い剣を振るう音が一人。

 埃で薄汚れた金髪を振り乱しながら、彼が剣を一振りするたびに数人の命が纏めて消えていく。

「ったく! 親衛隊とか言うあの化けもんが消えたら今度は次から次へと沸いて来やがる! いったいどこに隠れてやがったんだ!」

「ヴェスター隊長!」

「あん? うおぉ!」

 瓦礫の上に立って戦場を見渡していた彼は、足元から伸びてきた手でその後ろ側に引っ張り込まれた。

 突然の行動に部下の兵士を怒鳴りつける間もなく、先程までヴェスターがいた場所を炎の弾が通過していく。

 それは後方の建物に直撃し、轟音を上げてその一部を破壊した。

 倒壊した建物の傍にいた自軍が巻き込まれ、潰れていく兵士の悲鳴が後方から聞こえてくる。

「なんだありゃ!」

「魔法です! 恐らく、魔導兵かと」

「まだそんなもん隠してやがったか! それが切り札ってところか……?」

 同時にあちこちから炎や氷、稲妻が飛来する。

 狙いを定めてはいないのかろくに当たっていないが、それらが引き起こす二次被害を見過ごすことはできなかった。

「ちっ。一気に飛び出して仕留めるぞ! 連中に魔法があるならこっちにはギフトがあるんだからよ!」

「無理です! 親衛隊との戦いで殆どのエトランゼは負傷中ですよ!」

「情けねえ! うおぉ!」

 目の前の瓦礫が吹き飛んで、思わず悲鳴を上げる。

 開けた視界の先では、ネフシルの悪魔と渾名された男を仕留めようと多くの兵達が進軍してくるのが見えた。

「魔法の援護ってか。……厄介だな」

「ここは一度退いて」

「馬鹿野郎! ここを崩したら一気に攻め込まれんぞ。死ぬ気で護るんだよ!」

 言うが早いが、ヴェスターが飛び出す。

 目の前の兵士数人を即座に斬り捨てて、その勢いのまま人の群れを立ち割るように突き進む。

 その勢いに気圧されたのか、敵の動きに淀みがあった。

 ヴェスターの部隊はその隙を見逃さない。既に何度も死地を経験した男達は、彼に続いて突破を図った。

 魔導兵の姿が見えたところで、足元に黒い渦のようなものが生まれる。

 そこから発生した光る枷が幾本も、ヴェスターの身体に纏わりついて動きを鈍らせる。

「こういうこともできんのかよ!」

「隊長!」

 だがそれは、ヴェスターの動きを完全に抑制するには至らない。

 動きが鈍った状態のまま、前に立つ敵兵を斬り捨てる。

 それを振り払うようにして、魔導兵の目の前に獣が立ちはだかった。

『い、怒れる炎よ!』

「遅せぇ!」

 ローブを来た魔導師が何かを詠唱し、その手の中に生み出された火球が発射されるよりも早く、その首を斬り落とす。

「逃がすなよ! 一気に斬り込め!」

 指示を受けて、後に兵達が続いた。

 先程からヴェスターの後を付いてくる部下の男も、魔導兵達を護ろうと殺到するオルタリアの兵達と切り結んでいる。

 数人の魔導兵を斬り伏せると、その背後に潜んでいた者達の姿が露わになった。

 剣を振り上げて、ヴェスターと部下がそちらに向かう。

 恐怖に声が震えながら呪文を詠唱するその甲高い声を聞いて、思わずその動きが止まってしまう。

「ガキ……?」

 そこにいたのは、まだ年端もいかない少年少女だった。

 ヨハンが着ているような魔法の文様入りの、サイズがあっていないローブを着せられ、健気にも杖のようなものの先をヴェスター達に向けている。

 その小さな唇が詠唱を紡ぎ、魔法が発動する。

 生み出された氷の刃が無数に飛来するが、そんな見え見えの攻撃に当たってやるほど間抜けではない。

「子供だと……!」

 敵兵がその前に滑り込む。

 剣を構え、兜の下の目でヴェスターを睨んでいた。

 そこにある感情は、間違いなく恐怖。

 目の前に現れた黒い剣を振るう悪魔を前に竦みながら、それでもその兵士は少年兵とされた魔導師達を護るために立ちはだかる。

「この子達は……! オルタリアの未来を創るための宝なのだ!」

 低い声が兜の中から響いた。

 それは必死で、懇願しているというよりは自らを奮い立たせるために叫んでるのだろう。

「貴様達なんぞにやらせるか! 外界から奪いに来た侵略者達め!」

「勝手に人を……!」

 二つの剣が打ち合わされる。

 一撃で突破できないことに素直に驚嘆し、ヴェスターは剣を引く。

 腕で言えば大したことはない。幾度かの実戦は経験しているのだろうが、その程度だ。才ある剣とは呼べない。

 それがヴェスターの剣を防いだ。そこに込められた強い感情は魂すら奪い去る魔剣の一振りを弾き返したのだった。

 そこに、今度は背後の魔導師達が生み出した氷の刃が突き刺さった。

「ってぇ! やるじゃねえか!」

「子供達をやらせるわけにはいかん!」

「ふざけんじゃねえぞ! だったらなぁ!」

 上段から振り下ろされた剣は重い。

 並の相手ならば背後で発動した魔法との連携によって命を絶たれていたことだろう。

 目の前にいる男が、ヴェスターであったことが彼等の不運だった。

「ガギを戦場に連れてくるんじゃねえよ! 遠足じゃねえんだぞ!」

「貴様に何が判る!」

 下から上に、剣が跳ね上げられる。

 それは宙を舞い、少年兵達の傍に突き刺さって小さな悲鳴が聞こえてきた。

「もう、後戻りはできんのだ」

 男の腕が伸びる。

 完全に戦意を喪失したと思っていたヴェスターは、その行動に一瞬反応が遅れた。

 両肩を掴んで、ヴェスターの身体を地面へと押しつける。

 振り上げた拳が、ヴェスターの顔面を打った。

「おれ達は選ばなかった! 選べなかった! ……選んでしまった! この道を、ヘルフリート様に付いて行く今この時を!」

 その叫びは悲壮で、戦場で上げていいような声ではない。

 だが、きっと彼の限界なのだろう。

 兵として、王の命を聞いて戦場に出る。それは当たり前のことだ。

 そこに、まさか子供を武器として使えと言う命令が付いてくるとは夢にも思わなかったはずだ。

「王の命には逆らえぬ! 反逆することもできぬ、その果てにあるのがこれだ! おれ達に残された道は貴様達を殺して、この国の未来を護ることだけだ!」

「――そりゃそうだろうよ」

 振りかかる拳を、ヴェスターが握り返す。

 そのまま男の身体を押し返すように、身体を起こした。

「選ばなきゃ、失う。足掻かなきゃ手に入らねえ。そう言う世界だろうがよ、ここは!」

 彼の境遇に同情する者もあるのかも知れない。その言葉は確かに重く、誰かの心に響くに足るものだったのだろう。

 だが、ヴェスターは悪魔だ。そう呼ばれた男であり、常に現実を剣一本で切り開いてきた過去がある。

 エトランゼにとってここはそう言う世界だった。常にギリギリのところで足掻いて、選び続けなければならない場所だ。

 選ばなかったものはいない? それは違う、選べなかった奴が死んでいっただけの話。

 呪いを振るう獣にとっては、たったそれだけの話で、悲劇でも何でもない。誰にでも訪れることだ。

 黒い剣が一閃。

 男の両手から先が空に跳ねた。

 だが、それでも彼は止まらない。

 身体を前に倒し、一瞬でヴェスターの視界から消えると、頭から腹目がけて突っ込んできた。

「やれええぇぇぇぇぇぇぇ! おれごと、この悪魔を殺せぇ!」

 息を呑む声がする。

 大半はそれに対して動くことはできなかった。

 ただ一人、ローブを来た少年は、ずっと杖を前に向けて差し出していた。

 名も知らぬ少年兵はきっと、この男の覚悟をずっと感じ続けていたのだろう。

『怒れる炎よ、逆巻く渦となって我が敵を焼き払え!』

 軌跡を残して、炎の弾が放たれた。

 咄嗟にそこに杖を掲げて魔力を注いだ者達のおかげで、それは彼一人で生み出したものよりも大きく強力に。

 轟音が爆ぜた。

 赤い炎は炸裂し、巨大な爆発となって一区画を覆い尽くす。

 辺りで戦っていた兵達が何人も吹き飛び、建物が倒壊する音が一斉に響き渡った。

 結界を張って自分達の方向を護りながら、少年兵達は杖を掲げたまま呆然と立ち尽くしている。

 仲間を殺してしまった痛み。

 大勢の人を巻き込んだ恐怖。

 自らが操る魔法と呼ばれる力がそれほどの破壊力を秘めていることに、改めて彼等は驚愕していた。

 そして、彼等は次の瞬間より恐ろしいものを見ることになる。

 悪魔は、あの程度では死なないということを。

「あっぶねえな……」

 黒焦げになった何かを放り投げながら、ヴェスターは瓦礫の山を退かして立ち上がった。

 それが自分達が焼き殺した先程の兵士であると知った少年兵達の中の一人から、甲高い悲鳴のような声が上がる。

 当たりを見渡せば、敵も味方も大半が吹き飛び、死んだか重傷で動けなくなっている。

 転がる、身体の一部が炭化した人の形から、呻き声の合唱が上がった。

 地の底から響く呪詛の声よりも重い、今まさに死に絶える者達の必死の呻き。そこに意味などはなく、ただ本能的に生にしがみつく哀れな声。

 次の魔法を詠唱されるよりも早く、ヴェスターはその一団に突っ込んで、先頭で杖を掲げていた少年の足元に魔剣を突きさした。

 上擦った声が、少年から上がる。

 既に彼等に抵抗の意思はなく、中には杖を取り落としている者もいた。

「武器を捨てろ。少しでもおかしな動きをしたら全員殺す。一人でも何かすれば、全員だ」

 目の前に立つ利発そうな少年が、杖を放り投げる。

 それに従うように少年兵達は次々と持っている杖や魔道具の類を地面に放り投げた。

 最初の一人が隠し持っていた道具を捨てた時、それを止めるような素振をした者がいたが、それもヴェスターに睨まれるとすぐに抵抗をやめた。

「ガキが戦場に出てくんじゃねえよ。ロクなことにならねえ。てめぇらを護ってくれたお仲間を纏めてぶっ殺した気分はどうだ?」

 誰も答えない。一言も言葉を発することなく、崩れ落ちる姿もあった。

「覚悟もできてねえのに無理するからそうなるんだ。さっさと……」

 嫌な気配がして、ヴェスターはその方向を振り返る。

 建物の上から、何かがこちらを狙っていた。

 黒い鎧を身に纏った、何者かが。

「魔装兵か? 今更そんなもんで……」

 突き出された手に、火球が生み出される。

 魔導師が呪文を詠唱するよりも早く確実に、その炎はヴェスター達に向けて発射された。

「くそっ! 逃げろ、ガキども!」

 反射的に叫んでから、己を顧みる。

 今、何をした?

 自分ともあろう者が、よりにもよって敵の子供を庇うだと。

 敵対すればそれが子供であろうよ容赦なく殺してきた男が。

 だが、それに気付いた時にはもう遅い。

 火球は身を投げ出したヴェスターに直撃し、その身体を上空に打ち上げる。

 崩れた瓦礫の影から再びヴェスターの身体は表通りに転がりだされた。

 威力は先程の少年兵達が生み出したものほどではないことが幸いして、すぐに起き上がることができた。

 表通りでまだ戦っていた兵達に向かって叫ぶ。

「気を付けろ! 魔装兵が来るぞ!」

 叫んでいる間に、すぐ傍で地響きがした。

 そこに立ちはだかった、所々に赤い魔法の文様が入った漆黒の鎧が、同じく黒い剣を振り上げてヴェスターに迫る。

 それを手に持った魔剣で受け止めて、二度三度と打ち合ってから気が付く。

 その手に持っているのはヴェスターが扱うものと同じ、魔剣と呼ばれる呪われた刃だった。

 あの黒い尖兵達と同じように、目の前の魔装兵は魔剣を手にしている。

「くそっ、早ええ!」

 幾ら魔装兵を纏っているとは言え、その動きも力も並の戦士とは全くレベルが違う。

 迫りくる刃を打ち返しながら、ヴェスターは黒い兜の下を睨みつける。

「……あん?」

 その中には虚空が広がっていた。

 目の部分に見えた輝きは兜の奥に刻まれた紅い文様の光で、その中は空洞だった。

 しかし、その中にいる何者かの気配は感じる。その剣捌きは自動的に動くものではない、間違いなく人間だ。

 だとすれば。

 ヴェスターの知らない技術で、恐らくは人間を材料にして動くように作られているのだろう、その人形は。

 道理で、並の人間が持てば様々な代償を支払う魔剣を持って戦えるわけだ。肉体も魂すらもないのならば、支払う対価も存在しない。

 正確には、もう既に支払いを終えていると言った方が正しいのだろうが。

 当然、それはヴェスターに取って手を抜く理由にはならない。相手の剣を打ち返し、その隙をついて一気に距離を詰める。

 頭に当たる部分を兜ごと叩き潰すと、流石に中身が死んだことでエネルギーの供給が止まったのか、数歩動いてから魔装兵は動きを止めて崩れ落ちた。

「……ちっ。そう言うことかよ」

 無数の足音が響く。

 意思無き機械のような動きでこちらに近付いてくるのは、大量の漆黒の影。

 味方の兵達から、絶望の嘆きが漏れた。

 それを伴い、オルタリアの兵達の増援も現れる。

 あの魔装兵は一騎ではない。

「本当の切り札はこいつってことか」

 目の前に立つ数十体を超える魔装兵を見据えながら、ヴェスターが呟く。

 戦いはまだ終わらない。まだまだ楽しめる。

 ならばせめてそれをできる限り味わおう。

 死ぬにしても生きるにしても、これほどの戦場に巡り合えることはそうはないのだから。

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