第八節 潰えぬ光
上空で力を失い、地上へと落下していくイグナシオを見ながら、空を見上げる誰もが言葉を失っていた。
力なくその身体が地面に叩きつけられた嫌な音が響き、それを聞いてようやく誰かが口を開く。
「倒した……?」
答える声はない。
ただ、同じように地面へと落ちていったラニーニャが、それを受け止めるために真下に滑り込んだイブキの上で片手を大きく上げていた。
「重い! 退いてよ!」
「失礼な! このスレンダーから身体を見てください。軽いでしょう!」
「はーん。確かにスレンダーだね。うん、出るところが全く出てないもんね」
「言いましたね……。どうやらイグナシオの次は、貴方を血祭りにあげないといけないようですね」
「やれるもんならやってみなよ」
ぽいと身体の上から退かされて、すぐさま立ち上がったラニーニャはイブキと向かいあってくだらない言い合いをしている。
果たして何処から元気が出てくるのか、二人ともまだまだ余裕そうだった。
「勝ったの、ボク達?」
「まだ判らん。イグナシオの死体を確認しないことには」
それに近付こうとすると、ヨハンの姿を傍に認めたイブキとラニーニャが駆け寄ってくる。
両者とも全身傷だらけで、無事な個所を見つける方が難しいと言った有り様だが、その顔に浮かぶ笑顔は溌剌としている。
あれだけの強敵と戦った上にそれを打ち倒したのだから、それも無理はない話だろう。
「見てましたか、よっちゃんさん! このラニーニャさんとクラウディアさんの抜群のコンビネーション! 何処かの蜥蜴女が手柄を奪おうと必死ですがそれは妄言ですので決して聞き入れないように……」
「なに言ってんの! そっちこそ最後に美味しいところを持ってっただけで、全然活躍してないじゃんか! 殆どあたしが戦ってたよ!」
「ふふーん。嫉妬ですか? 格好良く丁度そこにあった踏み台を蹴って奴に止めを刺したこのラニーニャさんに」
「はぁ? 嫉妬ってのは羨ましいからするもんでしょ? 狡賢い横取り女の何処が……」
「狡猾、と言うんですよ、そう言うのは。ま、脳筋蜥蜴には理解できないでしょうけど」
「その辺りにしておけ」
顔を突き合わせて怒鳴りあう二人を両手で退かして、倒れているイグナシオを見る。
その身体が動く気配はない。傷を見れば間違いなく致命傷だった。同じような傷を負ったウァラゼルやアレクサが倒れたことを考えれば、生きているとは思えなかった。
だが、ヨハンの中で奇妙な違和感が拭えない。だから、安心するのはまだ早い。
一歩、イグナシオに近付く。ヨハンを護るようにカナタもその横に並んだ。
「……やっぱり、嫌な予感するよね」
「そうだな。だが、どちらにしても相当な傷を負っているはずだ。例え生きていたとしても……!」
ヨハンの予想は大当たりだった。
イグナシオから伸びた光が、帯のような形を取ってヨハンの横を通り抜けていく。
間一髪、警戒していたから避けられただけで、それは間違いなくヨハンの首を刎ねるための一撃だった。
反撃に拳銃を構えて、倒れたままのイグナシオに引き金を引く。
銃撃音と共に発射された弾丸は、彼女の周囲に展開された見えない光の壁によって阻まれてその身体を傷つけることは叶わない。
「――嗚呼」
そうして、倒れたままの彼女は驚くべきことに両手をついて、何事もなかったかのように立ち上がった。
「……冗談でしょう?」
背後で、ラニーニャが上擦った声を出す。
「あれだけやってまだ立てるって、どんな化け物なの?」
同じようにイブキも、そう呟いていた。
身体に杭が刺さったまま、オブシディアンの刃を突き立てられたまま。
その女は立ち上がる。
身体とは全く別人のものであるかのように、全く乱れていない美しい顔のままで。
銀色の髪を風に流しながら、優美な姿でそこに直立して見せた。
「異形の王の退場、わたくしに対してのこの致命傷。お見事です、本当に、勘当いたしました。それにわたくし、今日は皆様のおかげで一つ知ることができました」
唄うように言葉を紡ぐ。
先程まであれだけの激闘を繰り広げていた者と同一人物とは思えないその声色が、いっそ恐ろしい。
彼女にとってはそれすらも、息を乱すほどのものではないと言外に語っているようなものだった。
「これが、この感情が苛立ちですか。なるほど、なかなか上手くいかない事態に、わたくしはちょっとこの辺りがぎゅっとなっています」
言いながら、腹の辺りを撫でるように触れる。
「これは貴重な経験です。これが苛立ち、苛々と、落ち着きのない感情が身体の中で渦巻いています。なんだか、ちょっと癖になりますね」
「……何言ってるの?」
既にセレスティアルを展開して、臨戦態勢のままカナタがそう口にする。
その言葉はイグナシオに対して問われたものではなく、それが判っているからこそイグナシオも一人で言葉を続けていた。
「……ですが」
切れ長の目が、ヨハン達を睨んだ。
何かが来る前兆であると予想して、一同は行動を移す。
エレクトラムの弾丸をヨハンが装填し、銃口を向ける。
イブキとラニーニャ、それから少し遅れてカナタが地面を蹴る。
更に後方では、クラウディアがリニアライフルに弾丸の装填を終えてその狙いをイグナシオの中心に定めていた。
「苛立ちを静める必要があります。異形の王も此度のわたくしの計画も、言ってしまえばほんの児戯に等しいこと。リーヴラが何かを企てているのでそれに便乗して楽しもうとしただけに過ぎませんが、だからと言ってやられっぱなしでは悔しいものですね。そう、有り体に言えばこれは八つ当たり」
――戦いと言うものすらも起こらなかった。
イグナシオの纏った光が長い帯のような形になり、彼女の周囲に浮かび上がる。
それはまるで、天女が身に纏う羽衣のようにも見えた。
そして、それが一斉に爆ぜる。
翼のようにイグナシオの背から伸びた帯は巨大化し、無造作に、まるで巨人がその手で掃除でもするかのように辺りを一斉に薙ぎ払う。
それに抵抗できるものは、誰一人としていない。
前の三人が吹き飛ばされ、続いてヨハンの身体もその衝撃に耐えられずに宙を舞う。
上空でどうにか態勢を立て直して銃の先を向けるが、それに気付いたイグナシオは更に数本のセレスティアルをこちらに向けて伸ばしていた。
魔力を編んだローブの護りなど容易く貫通して、ヨハンの身体が吹き飛んで地面を転がる。
一瞬にして生きも絶え絶えにされたままどうにか顔をあげると、辺り一面にあった異形の王の触手は、イグナシオによって薙ぎ払われて消え、イブキ達もヨハンと同じように重傷を負ってその辺りに倒れ込んでいるのが見えた。
それだけではない。イグナシオの光の帯は後方にいたクラウディアや、待機していた兵達にも容赦なく襲い掛かり、部隊は壊滅寸前にまで陥った。
「……こんな馬鹿な話が」
力の桁が違う。
目の前の女は悪性のウァラゼルとも、光炎のアレクサとも、異形の王とも違う。
それらとは全く別次元の力を持った何かだった。
「お恥ずかしいことに、ちょっとだけ苛立ちを覚えてしまったわたくしですが、是非とも聞いていただきたいこともあるのですよ」
ぱんと手を打ち、先程とは打って変わった明るい声色でイグナシオが言う。
「貴方達との戦いはなかなか楽しめました。いいえ、白熱してしまったからこそ熱くなり、苛立ちが募ってしまったとでも言えばいいのでしょうか? 何分、初めての体験でしたので戸惑いが隠せないのです」
照れくさそうに、彼女は頬を両手で挟んだまま身体をくねらせる。
「手加減はしたつもりですので、まだご無事でしょう? もしよろしければ、立ち上がってもう一戦などは如何でしょうか?」
もうこうなってしまっては、勝ち目はない。
少なくともヨハンの全ての手札は尽きた。いや、厳密にはもうどの手札を切ったところで意味がないというのが正しいが。
辺りを見れば、カナタは気を失っているのか倒れたまま動かない。ラニーニャはどうにか立ち上がろうともがいているが、もう身体が言うことを聞いていなかった。
エレオノーラを庇って覆いかぶさるように横たわるサアヤが一応、動いていることから生きていることが確認できた。距離が離れていた上に孤立していたのでイグナシオの攻撃を直撃せずに済んだのが幸いか。
後はもう、イグナシオが気紛れを起こしてこの場から立ち去ることを祈るしかない。
ヨハンがそう思った矢先に、立ち上がる姿があった。
それを見て、イグナシオは笑う。
慌てて彼女を止めようとするが、立ち上がろうとしたところを再びイグナシオの光が、撫でるように薙ぎ払ってヨハンの身体を吹き飛ばす。
「嗚呼、やはり。やはり立ち上がっていただけましたか。貴方は別格、その力は唯一無二にして至高のギフトの一つ」
「――まだやりたりないなら、相手になるよ」
「ええ、ええ! わたくし貴方が大好きです。何度打ちのめされても立ち上がる貴方が! 覚えていますか? あの時も貴方は最後まで諦めなかった、仲間達を鼓舞して必死でわたくしに抗った。その結果として多くのものを失ったわけですが、それはまぁ、些細なことでしょう」
「……些細なこと?」
「はい。大事なのは貴方が立ち上がり、わたくしに挑んでくれるということ。わたくしの感情を刺激して昂らせてくれることが何よりの命題でしょう?」
「……些細なこと、ね。あたしが集めて、一緒に冒険して、みんなで笑ったり泣いたりして、一緒に旅の終わりを見届けようとした仲間が」
イブキが一瞬、ヨハンを見る。
彼女はその先に、違う人達を見ていた。
一緒に旅をした仲間達。目の前の女によって奪われた命。
「何処まで……。何処まで人を馬鹿にすれば気が済むのよ、アンタは!」
竜の翼が広がる。
それは普段よりも巨大化し、有り余る魔力を推進力に変換してイブキの身体を一気に加速させる。
地面を削るように進みながら、イブキがイグナシオに拳を振りかぶる。
「まあ」
イグナシオが驚きに目を見開く。
その力は先程までのイブキを越えていた。果たしてそれが怒りによるものか、はたまた異なる要因によるものかは判らないが、彼女のギフトは進化していた。
身体のより多くの部位が鱗に覆われている。
頭から生えた角は更に増えて合計四本。
既に人のものからは大分遠ざかった拳が、イグナシオに叩きつけられれた。
その衝撃が、振るわれた風圧が辺りに広がっていく。
それはその余波だけで一軍を薙ぎ払えるほどの破壊力を秘めていた。
地面に伝番した力は大地を罅割れさせ、イグナシオが立つ地面はその力を受け止めきることができずに陥没する。
しかし、その中心に在ってさえ、イグナシオは片手を前に掲げたまま涼しげな表情でイブキの顔を見つめていた。
どれだけ力を込めても、その光の壁を突破することができない。先程イブキが戦っていた時とは別物の強固な障壁がそこには立ち塞がっていた。
「ぐっ、がああぁぁぁぁぁぁ!」
竜の咆哮が響く。
魔力を伴ったそれは、本来ならばそれだけで生命を奪うだけの威力を秘めている。
「手加減してたってこと? アンタは、あたし達が必死で戦ってるのを見て、ずっと嘲笑ってたってことかああぁぁぁぁぁ!」
イブキの全霊を受けてなお、イグナシオの態度に変化はない。
少女のように小首を傾げて、一言。
「はい。滑稽なもので、なかなか楽しかったですよ」
イブキの身体が、下から上に打ち上げられる。
イグナシオが伸ばしたセレスティアルの帯が、そうさせていた。
「嗚呼、でも誤解はしないでくださいね」
上空にあるイブキの身体を、弄ぶように幾本もの帯達が追撃する。
翼を広げてそこから逃れようとするが、全方位から伸びてくるそれを回避しきることができずに、真横から打ち付けられてイブキの身体が立ち尽くしたままの異形の王の本体に叩きつけられた。
「オブシディアンの剣はなかなか痛かったですよ? もう少し傷が深ければ、遊んだまま死んでしまっていたかも知れません」
身体に刺さったままのオブシディアンの剣、その柄の部分を撫でながらそう言った。
そうして伸ばされた光は、イブキを異形の王の身体に貼り付けにするように何本も突き刺すように叩きつけられる。
瞬く間にその羽は穴だらけになり、イブキ自身も元の姿を確認するのが不可能なほどにぼろぼろにされていった。
ヨハン達はそれをただ見ていることしかできない。もう、ほんの僅かな抵抗をする力すらも奪い去られてしまっていた。
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