第七節 虚界封神
目の前の女は睨む。
その手に紅い光を纏わせながら、まるで忌むべきもののように、カナタとヨハンに憎悪を向けていた。
エレオノーラのギフトを通してそれは嫌と言うほど伝わってくる。それが抱く憎悪が、呪いとなって纏わりつく。
『ツマラヌ因果。クダラヌ宿縁。断チ切ラレテ然ルベキダト言ウノニ』
「……君の言ってることはよく判らないけど」
極光の剣の切っ先をエレオノーラの中にいる何かに向ける。
心に恐怖はない。今のカナタにとっては、異形の王が放つ呪いなど大したことではない。それよりも強い感情が、胸の内では燃え上がっている。
「エレオノーラ様は返してもらうよ」
何度も何度も、大切な者はその手を摺り抜けて落ちていった。
弱かったから護れなかった、ずっと後悔ばかりが重なり続けてきた。
それでも、カナタは立ち上がる。
前を向いて、歩み続けると決めた。
何よりも、その後ろには背中を押してくれる、大切な人がいるから。
もう負ける気はしない。不可能だって可能にしてくれる、そう信じている。
『ホザクナ! クダラヌ遊戯ノ駒如キガ!』
エレオノーラが手を振ると、紅い光が辺りを薙ぎ払う。
カナタはそれを正面から斬り裂いて、そのまま前進した。
カナタの懐で、何かが小さく脈動する。
「……そうだね、イア」
あれは倒さなければならないもので、この世界に在ってはいけないものだ。
『来ルナ、来ルナ! ソノ光ヲ我ニ向ケルナ!』
「光? セレスティアルが怖いの? でもなんで……?」
『知ラナイ、我ハ、ソノ光ハ知ラナイ。ソレハ天ヨリ与エラレタモノデハナイノカ?』
「そんなの……!」
紅い光が断ち切られる。
カナタの姿は、エレオノーラのすぐ傍にあった。
目を見開いて、エレオノーラの中にいるそれはカナタを睨んでいる。
そこにある感情は、先程までの愉悦ではない。
「消エロ、消エテシマエ!」
巨大な輝きが、エレオノーラの手の中に生まれる。
それをぶつけられれば一たまりもない、全てを破壊する全力の一撃。
「カナタ!」
後ろで叫ぶヨハンに振り向くと、一度だけ頷いて合図をする。
そこに理由はない。あれを防ぎきれる保証なんて何処にもなかった。
にも関わらず、今のカナタに恐怖はなかった。
どのみち、避ければ後ろにいるクラウディア達に当たる。それを受け止める以外の選択肢はない。
『滅ビロ!』
目の前に迫るのは、視界一杯を埋め尽くす深紅の光。
全てを滅ぼすその紅い輝きに、懐のイアが怯えを見せる。
彼女を安心させるように小さく微笑むと、カナタは両手を前に付きだして両足に力を込めた。
「絶対、護って見せる!」
紅い光がカナタを飲み込む。
全身がその中に取り込まれたように見えて、カナタは確かに抵抗していた。
白い極光が、紅い光を立ち割るようにそれを抑え付けている。
その威力は凄まじく、まるで激流のようだった。
カナタ一人がどれだけここで耐えるために力を込めようと、それは僅かな抵抗となってカナタを押し流してしまうだろう。
それでも、逃げることはしない。
これが最後のチャンスだと、本能的に悟っていた。
相手が冷静さを取り戻す前に決着をつけなければ、異形の王は仕切り直すためにこの場を去ってしまうかも知れない。
そうなればエレオノーラを取り戻すのは絶望的になる。
「無茶をする!」
掲げた両手の血管が切れそうなほどの重りが、ほんの少しだけ軽くなった。
呆れたような声で、ヨハンが隣に並んでいる。その両手はカナタと同じように、紅い光の濁流を押し留めるように正面に向けて伸ばされていた。
「ごめん! でもこれしか方法が思いつかなかったから!」
「……判ってる。だから、何も言えずに困ってるんだろう、俺は」
光の圧が増していく。
二人に掛かる重圧もそれに比例するように重くなっていった。
『我ガ負ケルハズガナイ。貴様達二人ハ愚カシクモココデ終ワリダ!』
エレオノーラのもう片方の手にも、同じ光が生み出された。
「カナタ、不味いぞ!」
「判ってるけど……!」
セレスティアルの壁に罅が入る。
それはヨハンの展開する魔法力の結界も同じようで、そこから溢れ出た紅い光が二人の身体を傷つける。
光に冒された場所から肉が裂け、痛みは全身から力を奪う。
「カナタ、少し後ろに下がれ……!」
無理矢理に前に出たヨハンの両肩から血が噴き出す。
既に両手は血で真っ赤に染まっていた。
「まだ! もっと力を上げれば!」
「これ以上やったら命に関わるぞ!」
「そんなの……!」
判ってる。
でも、ここで退くわけにはいかない。
もう失うのは嫌だから。護れないのは絶対に嫌だから。
「諦めないから、ボクは。絶対、絶対、諦めてたまるもんか!」
こんなところで立ち止まるわけにはいかないのだから。
最後の力を振り絞る。
例えカナタの身体が砕けてもいい。ヨハンが無事でこの紅い光をどうにかすれば、きっと後は彼が何とかしてくれる。
そう信じて、更に前に出た。
「カナタ!」
「ヨハンさん! 後は宜しく……って」
二人の少し後ろ、その間に何かが入り込んでくる。
それは人影だった。二人に護られるような形で、気付かれないようにその背後に近付いていた。
例え目の前の強固な壁があったとしても、下手をすれば余波に焼かれて命を落としていただろう。そして今ここにいても、後一分もしないうちに仲良く死んでしまうかも知れない。
だと言うのに、その人物は全く恐れる様子もなくそこに立っていた。
「サアヤさん!?」
「おはようございます! 二人とも!」
何処か場違いな挨拶と共に、彼女の手からは新緑の輝きが広がっていく。
イグナシオの呪いがあった時ほどではないがそれは、驚くべき速度で傷ついた二人の身体を癒していった。
「死にたいのか、サアヤ!」
「さっきまで死んでたようなものじゃないですか! わたしも手伝いますから!」
「だからと言って……!」
「それにここなら最悪一緒に死ねます! ちょっとロマンチックですよね!」
ヨハンの言葉など聞く耳を持っていない。
サアヤは二人を癒すことしか頭にないようだった。
その言い方が、緊張感のなさがおかしくてカナタは思わず吹き出してしまう。
奇妙なことに、これだけ限界に近い状況で、彼女のその一言が更なる力をくれたような気がした。
「え、なに……?」
イアが熱を持っている。
紅い光に押されていたカナタの極光が、色を変える。
それは以前までの紅い光ではない。
何処か優しげな、青碧の輝きがカナタの両手からは放たれていた。
『ナ、ンダ、ソレハ!』
青碧の極光はエレオノーラの紅い光を押し返し、飲み込むように消失させていく。
「よく判んないけど……! いっけえええぇぇぇぇぇ!」
輝きは収束し、カナタの手の中で光の剣となる。
縦に一人振りされたその閃光は、激流となって三人を飲み込もうとしていた紅い光を切り裂き、エレオノーラへの道を作った。
「……今!」
『ソンナコトガ、我ノ知ラヌ力ガ……!』
異形の王は恐れ戦く。
奇しくもそれは、彼が振りまいた呪詛によって人間達がそうなっている様を逆に見ているようだった。
せめてもの抵抗にと伸ばされた紅い光の剣は、カナタの青碧の光の前に瞬く間に霧散して消えていく。
今のカナタにならばできる。
エレオノーラの中に巣食っているそれだけを斬ることが。
その手に持っている光は、決して暴力的なものではない。カナタの意志によって目覚めた、誰かを救うための輝きだ。
それが判っているから、躊躇いはなかった。
『ヤメ、ロ……!』
胴体を一閃。
エレオノーラの身体を光が擦り抜けていく。
それから、一拍の時を置いて。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
凄まじい絶叫が響き渡った。
直接頭の中に流し込まれるそれは、まるで泥の海を掻き混ぜているかのような音だった。
顔を顰めてそれに耐えていると、やがて声も尽きる。
『オオオオオオォォォォォ。オ、オォ、ォ。ナ、ゼ。ナゼ、我ガ、敗北スルノダ?』
一歩、二歩とエレオノーラの身体が後退る。
その隙をヨハンは見逃さなかった。
逃げようとする彼女に近付いていくと、すぐ傍でその身体の辺りに手を翳す。
「終わりだ」
『キ、サマ。我ハ、認メヌ。我等ハ、コノ世界ニ、降リ立ッタノダ。本来ナラバ、ソノ時ニ、コノ世界ハ、我等ノ……』
ヨハンの手から伸びた解呪の光がエレオノーラの全身を包む。
もう絶叫も聞こえない。異形の王は静かに消滅し、その存在は霧散して消えていった。
ぐらりとエレオノーラの身体が倒れて、ヨハンがそれを抱きとめる。
心臓が動いているのを確認して、カナタ達を法を見て頷いた。
「サアヤ。すまないがエレオノーラ様を頼む。できるだけ安全な場所に」
「は、はい!」
まだ戦いは終わりではない。
今もなお、離れたところでは激闘が繰り広げられていた。
しかし、それもまたカナタ達が異形の王を倒したことで状況に変化が訪れつつあった。
▽
「……異形の王が、敗れた?」
イブキ、ラニーニャの相手をしながらも、イグナシオはその気配を確実に感じ取っていた。
この世界を覆っていた重圧が消えた。吐き気を催すような呪詛が消えて、空気が澄んでいくのが判る。
「どうやら、あたし達の方に事態が転がって来たんじゃないの!」
イブキの放つドラゴン・ブレスを、片手を前に付きだして、そこに展開したセレスティアルの盾で防ぐ。
二つに分かれた光の本流は周囲に拡散し、異形の王の本体から伸びた触手を無差別に焼き払う。
もうそんなものはどうでもいい。彼の者の魂が消滅してしまったのならば、その肉体も時期に形を保っていられなくなって地に還るだろう。
千年以上の時を封印されてきた、異形の王。その終わりとしては何と呆気ないものか。旗色が悪くなったのならば本体に還ればよかったものを。
その入れ物を用意しておきながら、イグナシオは彼の王の愚かさに思わず溜息をついてしまった。
「なかなかどうして、都合よく事態を転がすというのは難しいものですのね」
斬りかかって来たラニーニャの水の剣を、指先で挟むようにして受け止めながらそう言った。
「そりゃ、そうでしょう!」
すぐに水の武器化が解除され、引っ張られる前に回し蹴りが飛んでくる。
距離が離れると今度は上空からイブキが奇襲を仕掛けてきた。
そんな調子で、二人は付け焼刃ながらも意外と息の合った連携を見せて、なかなかイグナシオが付け入る隙を与えてくれない。
思わず、イグナシオは二人から距離を取って拍手していた。
「お見事。本当に、称賛いたします。あの異形の王が倒れるまでの間、よく時間を持たせました。こう見えてもわたくし、殺すつもりで戦っていたのですが。ご友人同士、随分と気が合う様子で」
ラニーニャとイブキが互いを見て、すぐに顔を逸らす。
「冗談。友達だったらぼっちちゃんじゃなくなっちゃうじゃん」
「はっ。男の前でぶりっ子する性悪なんて死んでも御免ですね。後、親友はいますから。ぼっちじゃありませんから」
「やっぱり仲良しにしか見えませんけどね」
「そう見えるのはさ」
イブキが構える。
同じように、ラニーニャも両手に水の剣を出現させた。
「それより嫌いな奴が目の前にいるからじゃないですか?」
「あらあら、それは残念」
再度二人は同時に攻撃を仕掛けてくる。
先手をイブキが攻め、それを捌けば隙を縫ってラニーニャが絶妙なタイミングで斬り込む。
反撃を加えようとすれば再度前に出たイブキがそれを庇い、致命傷を避けながらラニーニャが後ろに回り込んでくる。
「……今日はここまでと致しましょう」
最早、これ以上に戦いを長引かせる理由もない。面白いものが見れるかと思ったが、イグナシオの見込み違いだった。
異形の王、所詮は相容れぬもの。ここで滅びるのならばそれもまたいい。どちらにせよ、イグナシオにとっては取るに足りないものだ。
迫りくるイブキの拳を軽く弾いて、イグナシオはふわりと身体を浮かばせる。
上空にいればイブキはともかく、ラニーニャが手を出すことはできなくなる。そのことに焦ったのか、イブキは翼を広げてイグナシオを追撃しようとした。
「逃がすか!」
「イブキさん! ステイ!」
それを、ラニーニャが呼び止める。
反射的にイブキは動きを止めた。
そのやり取りはイグナシオにとっては何の関心も抱かないもので、むしろ追撃して来なくて命拾いをしたと、そう思える程度の出来事だった。
ならば、このままお暇するとしよう。あっちの二人に挨拶ができなかったのは残念だが、その機会はこれから幾らでも訪れる。
何せまだ、オル・フェーズでの戦いが待っているのだから。そこに介入すれば、きっと面白いことになるだろう。
その期待に胸を躍らせて、イグナシオはその場から立ち去ろうとする。
既にその身体は上空にあり、イブキ以外が追い縋れる距離ではない。
「それでは皆々様、御機嫌よう。また機会がありましたら……!」
イグナシオの声が途切れる。
嫌な気配がして、視線はその方向を向いていた。
先程まで異形の王と戦っていたその背後。怯えて逃げていた人の群れの中に、何かがいる。
それは異形の王が消えたことによりいち早く恐慌状態から理性を取り戻し、行動に移していた。
異形の王が消えたのなら、次なる目標があると。
そのために持って来たとっておきの準備を、彼女はしていた。
「……ウァラゼルを葬った玩具ですか」
リニアライフル。
電磁加速によって弾丸を撃ち出すそれは、確かに圧倒的な破壊力を秘めている。
だが、それすらもイグナシオにとっては玩具のような物。こうして察知してしまえば、その弾丸がセレスティアルの盾を貫くことはない。
気だるげに片手を前に付きだして、セレスティアルを展開する。
改めて生み出された極光の盾はカナタの物とは比べ物にならないほど強固で、先程から二人の猛攻を受けても罅一つ入っていなかった。
そこに、一呼吸を置く間もなく弾丸が突き刺さる。
「エレ、クトラム?」
彼女の口から驚愕の声が漏れたのを、地上にいる者達は聞き逃した。
もしそれが耳に届いていたら、あの二人ならば喜んで挑発して来ることだろう。
琥珀金。セレスティアルを浸蝕する金属で作られた弾丸は、瞬く間にイグナシオの盾を溶かし、避ける間もなく杭状の弾丸がイグナシオの胸に突き刺さった。
「がっ……!」
真っ赤な血が飛び散って、地面に落ちた。
まさか、こんなことになるとは思っていなかったイグナシオは、一瞬我を忘れる。
とは言え、それは決して見た目ほどの致命傷ではない。御使いである故に、その耐久力も人間とは比べ物にならないのだから。
だから、その隙を狙って上昇してきたイブキに対しても、別段焦ることなく対処することができた。
伸ばされた彼女の爪を、半壊したセレスティアルで受け止める。
流石に砕かれたが、僅かな時間が稼げればそれで充分だった。純粋な身体能力とて、竜の身体を持つ彼女に劣ってはいない。
「その程度で、わたくしに勝てるとお思いでしたか?」
「やってみないと!」
迫りくる竜の爪を受け止めて、反撃の拳を叩き込む。
一発では怯まない彼女に、二発、三発と。
「なるほど。貴方は囮と」
距離は離れたところで、背後に気配を感じて無造作に裏拳を叩き込んだ。
どうやったのかは知らないが、きっとそこにはラニーニャがいるのだろう。
指先が水に濡れる。
その感触を受けて、イグナシオは背筋に薄ら寒いものを感じた。
そこに彼女はいない。
間違いなくイグナシオはエレクトラムの一撃を受けて焦っていた。
そう、それは自分で判っていたことだ。空を飛べないラニーニャが、そこにいるわけがないのだと。
自由飛行できない彼女がそんなところに移動する術はない。もしいるのだとしたらそれは――。
「せええええぇぇぇぇぇぇのおおぉぉぉぉぉ!」
上空から声が聞こえる。
刹那の隙をついて、彼女はイブキの背を蹴って飛び上がっていた。
イグナシオの視界の外、その更に上空へと。
「これが、本命、です!」
迎撃も回避も間に合わない。
エレクトラムの杭が突き刺さった傷跡に交差するように、ラニーニャの剣がイグナシオの身体に叩きこまれる。
全身を両断するほどの勢いで落ちてきた刃は、イグナシオの胸から腹の辺りまでを切り裂いて止まる。
それは彼女が普段使っている安物の剣でもなく、ギフトによって生み出された水の剣でもない。
異形の王達がもたらしたもの。この世界に在る神聖を穢す忌むべき金属。
オブシディアンを鍛え上げた黒い剣が、イグナシオの身体を切り裂いていた。
「そ、んな……」
空中でイグナシオの身体が揺らぐ。
身体を浮かべるほどの力も失い、内部から灼熱の毒に冒されたその肉体は、事情へと落下していく。
「ざまあみろ、ファッキンシスター。ですよ」
同時に、剣から手を離したラニーニャもそのまま地上へと落ちていった。
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