第六節 舞い降りた希望

 サアヤと対峙したヨハンは、辺りの泥の異形達を蹴散らしながら、その準備を進めていく。

 戦いながら魔力が編みこんだルーンが刻まれたダガーを放り投げて、サアヤの周囲を囲むようにして地面に付き刺していく。

 幸いにもサアヤの意識は完全に自動人形のようになっているらしく、倒れた泥の異形達を再生させることしかせずに、自分の周りで起こっていることには何の興味もないようだった。

 伸びてきた黒い泥が、肩口を掠める。

 防御魔法が施されたローブを一撃で貫通するそれに顔を顰めなながら、片手に握った拳銃を発砲してその頭部を撃ち抜く。

 続けて二匹仕留めたところで、サアヤの周囲から伸びる光がそれらを包み、瞬く間に元の形へと再生させてしまう。

 その準備にはまだ足りない。

 まさかサアヤを傷つけるわけにはいかないし、前方では激しい光を撒き散らしながらエレオノーラとぶつかり合うカナタに援護は期待できない。

 同じく少し離れたところではイブキとラニーニャがイグナシオの足止めをしている。一見互角の戦いだが、相手の手のうちがまだ未知数であることを思えば、これ以上時間を掛けることもできない。

「三つめ」

 サアヤの足元にダガーが突き刺さる。

 淡い光を放つそれから線が伸びて、先に刺さっていたダガーと結び合ってサアヤを囲むように淡い光を放つ。

「後二つ……!」

 目の前に立ちはだかる泥の異形に、体当たりをして無理矢理道を抉じ開ける。

 倒れたそれは両腕を伸ばすようにしてヨハンを足止めしようとするが、それは空を切った。

 その腹を踏みつけて、生まれた一瞬の隙に、拳銃の弾倉を取り換える。

 通常の弾丸から、魔法弾へと。

「これならどうだ!」

 撃ち込まれた弾丸から爆ぜるように魔法が広がっていく。

 込められていたのは氷の魔法。一瞬にして泥の異形は凍り付いて、その動きを止めた。

 サアヤの癒しの光も、青い氷に阻まれてそれを動かすには至らない。

 効果的であることを確認したヨハンは、立て続けに周囲の泥の異形達にそれを打ち込んで動きを止めていく。

 そうして全ての動きを停止させたところで、サアヤの足元に残る二本のダガーを放り投げた。

 それぞれを頂点として、線が引かれる。

 その中央に立つサアヤはやはり無関心で、まるでそれだけを行うロボットのように凍り付いた泥の異形に癒しの光を放っている。

 その姿は何処か痛々しくて、見ていられるものではない。

「杜撰な……!」

 圧倒的な力故の慢心。イグナシオもあの異形の王も、人間がここまでの抵抗をするとは思ってもみないのだろう。

 一刻も早く解放するために、準備が整ったヨハンは拳銃をしまって代わりにローブから取り出した一本の短い剣の先端をサアヤへと向けた。

 それは剣の形をしているが、武器ではない。

 以前イブキから齎された竜の要素を凝縮した最高レベルの魔法の杖だ。

 魔導師達が持つそれは、魔力を増幅させて魔法の効果を高める性質を持つ。

 アーデルハイトが持っていた短槍も、杖の一種だった。

 だが、今のヨハンには魔力がない。イグナシオの呪いによって、魔力を外に出すことができない。

 だから、代わりにローブに編み込んだ竜の血を、力の源とする。

 イブキが今現在も振るっている、全てを滅ぼさんばかりの破壊の力を制御して、そのエネルギーを魔力へと変換する。

 それだけの仕込みをしてきた。そのために準備の時間を費やしてきた。

「解呪!」

 その声に呼応して、ダガーが光を放つ。

 そこに刻印された幾つかの魔法の内、呪いに打ち克つための魔法が発動して、サアヤを中心にして光の柱が伸びた。

「ぐっ……!」

 びしりと、身体から嫌な音がする。

 服の下で肌が裂けて、赤い血が流れた。

 伸ばした手からも浮き上がった血管が破れて、溢れだした血が地面へと落ちていく。

 やはり、身体を介した魔法の行使には無理があった。

 イブキに掛けられたイグナシオの呪いを解除する。

 それは単なるその効力を持った道具を使えばいいと言うものではなく、自身を介して魔力を練り、適した形へと変換させる必要があった。

 そのために急遽方法を切り替えたのだが、その反動は内と外の両方からヨハンを蝕み始めていた。

 ぎりぎりと身体の内側が締め付けられる。

 恐らくそれは、魂に当たる場所だ。

 ギフトが刻まれたその場所が、イグナシオの呪いによって締め上げられ、鎖が食い込むような鈍い痛みが込み上げる。

「……やはり、無茶か……!」

 何処かが弾けた。

 真っ赤な血が飛び散って辺りを濡らす。

「……だからと言って、諦められるか!」

 サアヤの顔を見る。

 目から流れ出た血が視界を塞ぎ、どうにも目の前はぼやけているが。

 正面に立つ彼女は、ヨハンのことを見つめていた。

 そこに表情はなく、その目は虚ろで、いつものサアヤとはほど遠い。

 それでも何故か、助けを求めているように見えた。

 言葉もなく、彼女は待っている。

 ヨハンのことを信じて、きっと救ってくれるのだろうと。

 ならば、その期待に応えなくてはならない。

 そのぐらいの意地も通せなくてはここに来た意味はない。

 サアヤを助けて、エレオノーラを助けて、そうしてオル・フェーズに行く。

「そうだ。全てを終わらせて、みんなで帰るんだ!」

 光が強まる。

 肉体の損傷はますます広がっていくが、流れ出る魔力の制御には成功している。

 サアヤの口が動いた。

 声こそなかったが、彼女は多分、ヨハンの名前を読んだ。

 そう思ったのはただの自惚れかも知れないが、それでも抗おうとするサアヤの意思は更なる力となる。

「これで……!」

 一層強まる光。

 後一歩。時間にして十秒でもあればいい。

 成功の兆しはある。事実、サアヤは確かにヨハンを見ている。

 必要なのは、たったそれだけの時間。

『クダラン事ヲ企ムモノダ』

 声が交じる。

 闇の中から響く怨霊のような声に、ヨハンは顔を上げてその方向を見た。

 何かに気付いたカナタが、剣を振り上げてエレオノーラに斬りかかっていく。

 だが、間に合わない。

 カナタに過失はない。それは隙にしてほんの一瞬のこと。事実、エレオノーラがそれをしたことによって彼女には大きな隙が生まれ、カナタは容易くその懐に飛び込んだ。

 そう。

 別段、タイミングを見計らったわけではない。

 エレオノーラの中にいる者にとってその身体などどうなってもいいのだから。

 だから、自分が傷つけられることも覚悟で、赤い光を薙ぎ払うように放った。

 目標はヨハンと、サアヤがいるこの場所。

 赤い光は波のように広がって、二人のいる場所へと迫りくる。

 目の前に光が広がって、ヨハンとサアヤはその中へと飲み込まれてった。


 ▽


 そこは白い世界だった。

 真っ白な、何処までも続くような純白な空間。

 その中に時折混じるように、溶け込むような白色の床や壁、柱が見える。

 その何もない、寂しさだけがあるような場所に男が一人。

 青年は優しげな表情を浮かべ、しかしその中には確かな虚無があるようにも見える。

「お目覚めかな」

 青年の目の前にはぼんやりとした光が一つ。

 周囲を光の壁に囲まれたそれは、閉じ込められているようにも、保護されているようにも見える。

「――うん、うん。そうだね。君の戸惑いは最もだ。一応、こう見えても反省はしているんだよ」

 手元で何かを動かしながら、青年は一人呟く。

 ぼんやりとした光は彼の言葉を聞くたびに明滅し、何かを訴えているようだった。

「でも仕方がない。必要ではないけれど、そうしたかったんだ。だから、最初の一人だった君に協力してもらった」

 光がまた強まっては消える。

 その度に青年は、判ったように頷き返す。

 片手間で手の中で操っていた光が鳥の形になって、光の中に飛び去って消えていった。

「でも、そうだ。うん、それがいい。君にはお礼をしなければならないからね」

 青年がその胸に手を当てる。

「僕の――をあげよう。その力を以て、君がこの世界を変えていけばいい」

 光が強くなる。

 それはどうやら抗議の意思のようだったが、そんなことを意に介す存在ではなかった。

 やがて世界全体が輝きだし、そのぼんやりとした光体はそれに飲み込まれて僅かな輪郭すらも消えていった。

 もう、意思の表示すらもできはしない。

 消えていく光を見つめながら、青年は表情一つ変えずに言葉を紡ぐ。

「言い忘れていた。この言葉は最初の一人である君にこそ送られるべきだったね」

 最後の時、その一瞬だけ彼の表情は判らない。

 笑っていたのか、泣いていたのか、それとも怒っていたのか。

 ただ、声だけはそれまでと同じ穏やかなものだった。

「ようこそ、彼方の大地へ。エトランゼ」


 ▽


 一瞬、気絶していたらしい。

 ヨハンが目を覚ました時、視界には青い空が広がっていた。

 仰向けに倒れた身体を慌てて起こそうとして、身体中に痛みが走る。

 青空の端ではあちこちから光が舞い、戦いはまだ全く終わっていないことを伝えていた。

 あの時、紅い光がヨハン達を襲った瞬間。

 咄嗟にサアヤのことを身体の後ろに庇っていた。

 その結果がこれだった。動かない手足に視線を向けてみれば、ほぼ千切れ掛けで、なるほどこれならばどれだけ力を入れても持ちあがらないものだと冷静に分析してしまう。

 それでもどうにか動く部位を探してもがく。

 右腕、痛いばかりで全く動く気配はない。

 左腕、方は持ちあがるが指先の感覚がない。

 右足は辛うじて動くが左足は膝から先がもう取れかけている。

 せめて銃があれば、援護ぐらいはできるかも知れないと、周囲に首を向けようとする。

 そうした矢先に、視界に影が掛かった。

 上から何かが覗き込んでいる。

 それが虚ろな目をしたままのサアヤであると気付くのに、大した時間は掛からなかった。

「サアヤ」

 その名を呼んでも返事はない。

 変わらず、彼女の魂はイグナシオの呪いに蝕まれている。

 或いは、ヨハンに止めを刺すためにわざわざやって来たのだろうか。

 ――その予想はすぐに覆されることになる。

「サアヤ、何を……!」

 彼女の顔についている赤いものは、どうやら庇った時に降りかかったヨハンの血のようだった。

 それを拭うこともせずに、傍に跪くと、両手を胸の辺りに翳す。

 新緑の光が広がって、ヨハンの身体を包みこんでいた。

「サアヤ、お前」

 言葉はない。

 その目は虚ろで、そこに何の意思もないように見える。

 しかし、彼女は確かにヨハンを救おうとしていた。

 痛みが治まっていく。

 千切れかけていた手足が元通りになっていく。

 イグナシオの干渉を受けて強化されたギフトは、瞬く間にヨハンの傷を癒してくれた。

 どうして彼女がそんな行動に出たのか、果たして意識は戻っているのか。

 そんなことはヨハンには判らない。

「サアヤ。助かった、もう大丈夫だ」

 起き上がろうとするヨハンをサアヤの手が制する。

 彼女の手は胸に当てられたまま動かない。むしろ、これまでよりも一層強い輝きを放っていた。

 もう手足の痛みはない。身体も万全に動く。

 だと言うのに彼女はこれ以上何をしようとしているのか。

 その答えは、すぐに導き出された。

 じわりと、身体の中に熱が染み渡る。

 まるで氷を解かすように、温かな何かが流れ込んでくるのが判った。

 サアヤは、ヨハンの呪いを解こうとしている。

 あの時、イグナシオに掛けられた魂を縛る呪縛を、かつての力を知っているサアヤが。

 無論、そんな行為に代償がないはずがなく。

 何かがヨハンの上に落ちた。

 それが彼女の口や鼻から流れだしている血液であると気付くのに、ほんの僅かな時間を要した。

 ギフトにも限界はある。

 通常、エトランゼがその力を振るうに当たってその限界点を突破することはない。無意識のうちに力を制御して、それ以上の出力が出ないように抑えるためだ。

 その反動は体調不良や意識喪失など、様々な形で後からエトランゼを襲うが、今のサアヤは違う。

 イグナシオの呪いによってその制限が取り払われているような状態の彼女は、例え肉体や精神が損耗しようとお構いなしにその力を使うことができた。

 あの異形の王の肉体を瞬時に再生させて見せたのもその一環だろう。

 当然、普通では考えられないほどの奇跡をもたらすが、その代償は今現在、サアヤに降りかかる。

 先程、解呪の魔法を使おうとしたヨハンと同じだった。

 魂が悲鳴を上げ、その軋みが肉体を破壊していく。

 流れ出る血の量は今もなお増え続け、それと比例するようにヨハンの中に力が沸き上がってくる。

「サアヤ!」

 伸ばした手が肩に触れると、彼女は頭を振った。

 言葉はなくても、心が壊れていても訴えているのだ。

 この状況を打開するにはそれしかないのだと。迷惑を掛けてしまったせめてもの罪滅ぼしだと。

「……すまない」

 謝罪の言葉を口にする。

 サアヤの想いを無にするわけにはいかない。彼女が望むのならばそれを叶えてやりたい。

 何よりも、それは今ヨハンが何を代償にしても手に入れたいほどの力でもある。

「――もう充分だ」

 ヨハンの手がサアヤの胸に触れる。

 その指先には、微かな光があった。

 それは先程、命を賭けて発動させようとしていた魔力の輝き。

「解呪」

 身体に痛みはない。

 胸の奥に締め付けられるような違和感は残るが、それも決して致命的なものではなかった。

 白い輝きは一瞬サアヤを包むと一気に弾ける。

 そのままサアヤは意識を失って、ヨハンの方へと倒れ込む。

 彼女の身体を抱きとめると、息があることを確認してからその場に優しく横たえた。

 サアヤがいなければ、もうあの泥の異形は蘇ることはない。自ら墓穴を掘ったあの異形の王は、手下を全て失ったことになる。

『貴様……!』

「ヨハンさん!」

 戦っていた二人が同時に振り返る。

 ヨハンは一度カナタに頷き返してから、エレオノーラを睨む。

「カナタ、待たせた」

「本当だよ! うわっと!」

 薙ぎ払う紅い光を盾で逸らしながら、カナタがヨハンの傍に着地する。

「えっと、何がどうなったのかは判らないけど、サアヤさんは助かったってことでいいんだよね?」

「そうだな。それから、不本意だがおまけもついて来た」

 掌の中で魔力が躍る。

 万全には程遠い、サアヤに解呪を使ったことを考えると回数にして後一回が限度。

 エレオノーラに解呪を掛ける分を考えるのなら、攻撃にはもう使えない。

 それでも、今更迷うことはない。

 サアヤが紡いでくれたこの希望を、後はぶつけるだけだ。

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