第二節 同盟成立
進軍開始から丸一日。
上層部が最初に立てた予定では既に戦いが始まっているころだったが、その予想は大きく外れることになった。
イシュトナル軍を指揮する立場にあるヨハンは今、護衛を伴ってソーズウェルの街、その中でも一番広く豪華なモーリッツの屋敷にいる。
一応すぐに軍を動かすためにクルトとイェルスにはソーズウェルの外に待機させた自陣に残ってもらっている。
ヨハンを護るのは自分の道具と、護衛としてついて来たヴェスターとイブキの二人だった。仮に何かあったとしても、この二人が傍にいれば滅多なことは起こることはない。それこそ、相手が御使いでもない限りは。
モーリッツの屋敷、その広々としたエントランスでは主であるモーリッツ・ベーデガーが相変わらず不機嫌そうな表情でヨハン達を待っていた。
「待っていたぞ、大魔導師の弟子よ」
小太りの腹を揺らして、モーリッツは心底嫌そうに言った。
「お久しぶりです。ベーデガー卿。以前オル・フェーズで顔を合わせて以来ですね」
「そうだな。敬語は要らん。今や私もお前も同格の身だ」
「同格?」
「五大貴族の肩書など何の意味もない。いいや、そんなものは捨ててやろうと言う気持ちにすらさせられているということだ」
彼の言葉の真意は判らないが、そう言うことならとヨハンは言葉を崩す。
「それはつまり、ヘルフリートにはもう従えないという意味と受け取っていいのか?」
「ああ、そうだ」
ヨハンの背後で、イブキが小さくガッツポーズを取る。一方のヴェスターはまだ半信半疑と言った様子だった。
「……本当はずっと迷っていたのだがな。親衛隊とか言う怪しい連中には嫌気がさしているが、さりとてこちらに反抗するだけの力はない」
「こちらの視点で言うのなら、ヘルフリートは決して五大貴族を蔑ろにするような行動はしていない。モーリッツ殿も、彼に従っている限りは現状を維持できるだろう?」
「それはそうだが。世の中には口が巧い奴がいるものだ。お前とは正反対だな」
「……そう言われてもな」
「ベーデガー卿」
第三者の声がした。
コツコツと足音が響き、エントランスの奥にある開かれたままの扉から、何者かが現れる。
その姿を見て、ヨハンは息を呑む。
ヴェスターは咄嗟に剣の鞘に手を掛け、イブキはわけが判らずぼうっとしていた。
「ヨハン殿と再会して嬉しいのは判りますが、そろそろ手前のことを紹介して頂きたい」
「嬉しいものか! だいたい、貴様が最初から迎え入れればよかっただろうに。なにが驚かせたいだ。顔に似合わぬことをしようとするな!」
ゆらりと、幽鬼のように現れたのは長身に怜悧な風貌の男。
ルー・シン。ヨハンとヴェスターにとっては苦渋を舐めさせられた相手であり、本来ならばここにいるはずがない男だった。
「ですが、驚いてはいただけた様子だ。うむ、なかなかに面白い顔をしている」
「てめぇ! 俺の目の前に現れるとはいい度胸じゃねえか!」
「ヴェスター」
ヨハンに制されて、ヴェスターが押し黙る。
この男は今、ヨハンが止めなければ確実に斬りかかっていた。
「先日、この男がここに現れてな。それからもう一人の特に怪しい、何とも形容しがたいエトランゼと共に親衛隊を片付け、私に選択を突き付けたのだ」
「選ぶは二つに一つ。手前と共にオルタリアに弓を引き次代を創るか、それともここでこの国の歴史と共に滅びるか。ヘルフリートの狂気は最早その域まで達していることは、聡明な五大貴族殿には理解しておられるであろう?」
「……そう言うことだ。私は五大貴族。オルタリアの未来を創る義務があると自負している。まことに不本意だが、このヴィルヘルムの飼い犬の話に乗ったということだ」
話を終え、モーリッツが手を差し出す。
最初は何のことか判らなかったが、焦れたような彼の態度に、それが握手を求めていることを理解した。
「同胞と言うわけだ、大魔導師の弟子よ」
「それは心強い。協力、感謝する」
ぐっと、一瞬だけだが力強くお互いの手が握り交わされた。
「手前とはどうする?」
「ルー・シンも同じように手を差し出す」
「おいちょっと待てよ!」
その間に、ヴェスターが割り込んだ。
「こいつ、本当に信用できるのか? 見るからに怪しいじゃねえか?」
「個人的な恨みと大勢を混同してもらっては困る。それに戦場でのことをそれ以外に持ち込むとは、兵として些か問題があるのではないか?」
「問題児扱いされるのは慣れてるから別にいいよ。俺が言いたいのはそうじゃなくて、てめぇが胡散くせえってことだ」
「やめろ。ヴェスター」
「だがよ、ヨハン!」
「それ以上やるなら無理矢理にでもお前を取り押さえるぞ」
情けないことにヨハンの力ではなく、後ろにいるイブキに協力してもらってのことになるが。
ヴェスターもそれは理解したのか、黙って一歩引っ込んだ。
「それで、部下はあの様子だが。卿は手前を信じられるものか?」
「本国の方で動きが乱れているというのは斥候から聞いている。恐らくはお前の仕業と言うことで間違いないんだろう? 他にそんなことができる人物も思い浮かばない」
「高く買ってもらっているようだ」
「理由は、恐らくはエトランゼに対する迫害が本格化したからだろうな。少し前まで連絡を取り合っていた地下組織から、全く話が聞こえなくなった」
「大方その通り。その地下組織だが、恐らくはほぼ壊滅したと考えてよい。一人、生き残りに同行してもらっている。鬱陶しい男なので今は雑用をやらせているが」
「更に言うなら、こんな大掛かりなことをして俺達を罠に嵌める理由も思い浮かばん。もしこいつがヘルフリートに味方をしているのなら、兵を借り受けて正面から俺達を潰せばいいだけの話だからな」
最後に付け加えたのは、ヴェスターへの説明だった。
それを聞いて彼も、また横で聞いていたイブキもなんとなく納得はできたようだった。
もう一つの可能性としてはルー・シンがヨハン達の首を手土産にヘルフリートに改めて帰順するということだが、それこそそうまでする理由が思い浮かばない。
目の前の聡明過ぎる男が、ヘルフリートに取り入る方法を誤るとは思えなかった。単純に言って、どんな扱いをされるか判らない陣営に属するための方法としては手間と見返りが割りにあっていない。
「では、これにて話はまとまったな。かつての敵との再会を祝して酒宴でも開きたいところではあるが」
「おい、エトランゼ」
モーリッツが口を挟む。まかり間違っても、こんな面子と酒を飲むのは嫌だと言う表情だった。
「冗談と言うものです。時は一刻を争う。オル・フェーズの周辺に配してきた反乱軍達もそうな長くは持たない。できれば早急に、増援を送りたいのだが」
「ならばそちらはモーリッツ殿の軍にお願いしたい。魔装兵は……以前こちらが壊してしまったが」
「まったくだ。そこの女、判っているのか?」
イブキは罰が悪そうに視線を逸らす。モーリッツの軍の切り札ともいえる魔装兵は、彼女が前回の戦いで完膚なきまでに破壊してしまっていた。
しかしそれを除いても、彼の下には充分な戦力があると、ヨハンは考えていた。
「ヨハン殿の展望としてはどういう動きをするつもりだった? 手前の予想では一斉攻撃でこのソーズウェルを陥落させ、オル・フェーズがそれに気付く前に巨人を仕留めるつもりだと思っていたのだが」
「全くその通りだ。一応、囮ぐらいは配置するつもりだったが」
恐ろしいほどにぴたりと、ヨハン達の方針を言い当てた。改めて、目の前の男が敵に回らずに済んだことに安堵する。
「ふむ。寡兵でできる最大限の行動だな。もっとも、成果に関しては期待できぬが」
「耳が痛いな」
「いやいや。例え理に適わずとも、兵達の士気や時運によって戦いを制することがある。ひょっとしたらこれがその戦になっていたかも知れんからな」
褒めているのか貶しているのか、相変わらず目の前の男の真意は読めない。ただ、以前会った時よりも幾らか上機嫌なようにも見える。
「一つ問題がある。奴等の部下である親衛隊。それはどうやらあの巨人より生まれた眷属のようなのだ。その意味が判るか?」
ヨハンに代わってそれを答えたのはヴェスターだった。
「この世界の連中がそれを見るとビビっちまうってことだろ? 戦ってて、どうにも様子がおかしいと思ってたんだ。そりゃ戦いが怖い奴はいるが、あのビビり方は尋常じゃねえ」
「普通は戦いは怖いものなんだけどね」
イブキの突っ込みを、ヴェスターは睨むだけで無視した。どうにも、ルー・シンを前にして不機嫌な様子だった。
「やはりそうか。こちらでも同様の事態を観測している。ある程度の猛者になれば無理矢理に戦うこともできるが、兵達はそうもいかん。戦力の低下は避けられない」
その事態はヨハンも話で聞いていた。
それに加えて、あの大海賊ベアトリスや御使いとの戦いにすら全く怯えを見せなかったクラウディアが、自分の生を諦めてしまうほどに怯えている姿を目にしている。
恐らくはあの巨人が生み出す眷属にはその力が備わっている。とは言えクラウディアはその本隊とも言える巨人に対して狙撃を敢行していたという事実もある。
果たして距離の問題か、それともその能力を持っているのは眷属だけなのか。
これは予想になるが、前者だろう。部下にそれができて、親玉が不可能と言うのも妙な話だ。
だから、ヨハンは巨人の攻略はエトランゼ達でするつもりだった。
「さて、ヨハン殿。ここからが問題だ。戦力の割り当てはどうする? 貴重なエトランゼを分断して用いなければ戦いすらもままならん」
「……そう言うことになるな」
全戦力を巨人につぎ込めば、オル・フェーズで戦っている者達を見捨てることになる。
それに実際問題、王都の守りを固められる前にある程度の道を切り開いておく必要があるのもまた事実だった。
即決即断が物を言う。但し、下手な采配は許されない。
「俺の部隊が王都に行く。それでそうだ?」
以外にもそこで答えを出したのはヴェスターだった。
彼を振り返ると、立てた親指で自分の部隊がいるであろう方向を指さしている。
「少なくとも俺は、あの化けもんを相手にするのには対して役には立てそうにねえ。デカブツをぶった切るにはもっと一発の破壊力が必要だろうよ。そこの馬鹿力みたいにな」
ヴェスターにそう言われて、イブキがムッとする。
「逆にだ。親衛隊だか何だか知らねえが、雑魚が幾ら束になっても俺には勝てねえ。なんなら王都方面の敵ぐらい、一人で支えてやってもいいぐらいだ」
ヴェスターの言っていることはある意味では正しい。巨大な目標に対しての攻撃力ではヴェスターはイブキに劣っている。逆に対人に関しての継戦能力ならば魔剣の性質と相まって凄まじいものを誇っているのがヴェスターと言う男だ。
「それにてめぇの目測じゃ、あの巨人の戦闘力ってのは大したもんじゃねえんだろ?」
「ただの楽観の可能性も充分にありえるがな」
見掛け倒し、と言うわけではないが。
あの巨人の攻撃能力は凄まじい。しかし、それは現れてから少しの間だけの話だった。
リニアライフルの弾丸、確かにそれは圧倒的な破壊力を秘めているが、その数発で機能を停止しているのだ。そして今なお、動きだす気配はない。
あれだけの巨体を持ってしてその程度とは考え難いが、復活途中または何らかの影響があって弱まっていると考えるのが妥当だろう。
倒すだけならば、少数の戦力でもやれる可能性はある。最悪、オルタリアが陥落するまでの時間が稼げればいい。
本国に残った敵の数も決して多くはない。ルー・シンが指揮を取り、モーリッツの戦力が加われば早期決着も不可能ではない。
頭の中でその結論に辿り付いたのは、ルー・シンも同様だったようだ。
「それが順当な案だろうな。無論、イレギュラーが発生しなければ話だが。見かけによらずなかなか頭が切れる」
「はっ、ありがとよ」
「ではヨハン殿。こちらの男はしばらく、手前預かりと言うことでよろしいな?」
「あ? ちょっと待て。なんで俺がてめぇの指示に従う必要があるんだよ? 俺等のところの貴族の坊ちゃんでいいじゃねえか」
ヴェスターが言っているのはクルトのことだった。確かに部隊を分けるならば彼にはオルタリア方面に行ってもらうことになるが。
「自由に動かせる手足が欲しかったところだ。それにエトランゼのことはエトランゼが一番理解している。なに、小一時間もあれば全員の能力は把握して見せる」
ルー・シンの言葉もまた事実だった。
クルトには本隊を指揮してもらわなければならない。モーリッツ隊との連携もあるし、親衛隊への対策も考えれば彼一人にそれを押しつけるには些か荷が重い。
ならば次にそれをやるべき人物は間違いなく、この目の前の男になる。
「おい、ヨハン!」
「すまんな、ヴェスター。ルー・シンの指揮下に入れ」
「卿からの信頼は心地よいものだな。それに応えられるように邁進するとしよう。それではヴェスター殿、顔合わせに向かうとしようか」
物凄く嫌そうな顔をするヴェスターを引きずるようにして、ルー・シンはモーリッツの屋敷から出ていってしまう。
「では、俺も一度戻って状況を報告してくる。具体的は話は夜にでも」
「そうだな。さっさと失せろ」
あんまりな物言いだが、ヨハンは気にしない。別段、モーリッツはヨハン達に対して思うところがあるわけではないのだろう。
彼が何かを抱いているとしたら、それはヘルフリートやオルタリアと言う国、そしてこうなるまで事態を静観することしかできなかった自分自身に対してだ。
「ヨハン」
最後に、モーリッツが口を開く。
ヨハンは戻ろうとしていたところを振り返って、彼の顔を見た。
その表情は苛立ちの中に、何か別の感情があるようにも見える。それが何であるかまでを見透かすことは、ヨハンにはできそうにないが。
「随分と時間を掛けたな。成すべきを成せそうか?」
「……そのために来た。ようやくそれを見つけて、やろうとしているところだ。遠回りがあったのは事実だがな」
「ならばよい。お互いに、戦果を期待しているぞ」
満足そうに頷いて、モーリッツは今度こそ屋敷の奥に引っ込んでいく。
横で首を傾げているイブキを促し、ヨハンも自陣へと戻って行った。
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