八章 彼の夢の終わり(上)

第一節 夢想

「リーヴラ! リーヴラは何処か!」

 オル・フェーズ、オルタリア城内。

 城の敷地内に建てられた一本の高い塔。

 オル・フェーズの雄大な街並を見下ろせるほどの塔の中から、甲高い女の声がその名を呼んだ。

 それから程なくして、音もなく白い影が揺れる。

 薄い幕が掛けられた寝台の中でその名を呼ぶのは、一人の女だ。

 今この国を統べる王、ヘルフリートと同じ黄金色の髪。

 年相応に皺の刻まれた、しかしそれでも女としての輝きを失わず色香を放つ白い肌。

 赤い唇を乱暴に振るわせて、女は御使いの名前を呼ぶ。

「ここに」

 御使い、黎明のリーヴラは静かに返事を返す。

 女もそれで満足したのか、息を整えてから寝台の中で身を起こしてリーヴラの顔を見た。

「街の様子が随分と騒がしいようだが?」

「ヘルフリート閣下に反乱を企てる勢力が、結界を破壊し外へと脱出しました。オル・フェーズ周辺に陣を張り、取り囲んでいる様子です」

「なんだと?」

 女の眉が釣り上がり、目が細まる。

 怒りのままに罵倒の言葉を口にしようとしたところを、リーヴラが手で制する。

「お怒りはごもっとも。しかし、大声を出してはお体に障ります」

「反乱、反乱と……。ヘルフリートが王権を握ってから、安寧が来た試しがないではないか」

「大事を成す際に、反発は付き物。ご子息の成すことを妨害する愚か者は、いずれ等しく神の裁きを受けましょう」

 この女はヘルフリートの母だった。

 先代の王が見初め、側室として連れて来られた。

 彼女は兄であるゲオルクとは腹違いの弟、ヘルフリートを生んだ。そしてゲオルクの母が病で亡くなったのを期に、彼女が暮らしていたこの塔へと移り住んでいた。

 だが、その生活は質素そのもので、神に祈りを捧げるための祭壇やエイスナハルを象徴する十字のシンボルを除いて凡そ調度品と言うものがない。

 必要最低限のものだけが運び込まれたこの部屋で、彼女は寝ているか祈りを捧げるだけの日々を過ごしている。

「本当か?」

「はい。それとも、マクシーネ様は神が貴方に嘘を吐くとでも?」

「それは、ない。ありえない。だが、人は嘘を吐くこともあるだろう。例えば、お前が」

 リーヴラは首を横に振ってそれを否定する。

「私は神の使いとなるべく身命を捧げた者。そして神は仰ったのです、真に王位を掴むべきはヘルフリート様であると」

「そうだろう! そうだ。そのはずだ、そのはずなのに何も判らぬ小娘が。五番目の子に過ぎない、エトランゼとの混血が! だが、そいつも既に捕らえたのだろう? リーヴラ、よかったら私にあの薄汚い血の娘を見せておくれ。私の息子の邪魔をしたその罪を償わせたい。神の見ているその前で、奴がエトランゼと言う悪魔の子供であることを証明したいのだ? いいだろう? いいだろう?」

「残念ながら、それはできません。エレオノーラにはまだ政治的、軍事的価値があります。ヘルフリート様の戦の役にも立つのです」

「そうか。なら私は望む、望むぞリーヴラ。最後はあの女を殺してくれ、神の元に決して行かないように、人としての尊厳を奪い尽くして惨たらしくな」

「ええ。そうなることでしょう」

 そう言ってリーヴラは、一瞬だけ塔の窓から外を見る。

 高所にあるその塔からは薄っすらと、空の先に巨人の姿が見える。

「嗚呼。神は見ているのだ。全てを見ていられるのだ。だからお前がやって来た、そして五大貴族達が協力して、ヘルフリートを王へと押し上げた。それは全て神の意思、違わないだろう?」

「違いありません」

 深く腰を折るリーヴラ。

 目の前にいる女は、間違いなく狂っている。

 そしてその狂気のままに国を陥れた、一つの元凶だった。

 息子に王位を継がせるため、その為に裏で手を回した。

 五大貴族の内三人に、ゲオルクが王になることによりエトランゼの立場が上がり、貴族と言うものが形骸化する恐れがあると告げて彼等に行動を促す。

 五大貴族の半数以上を味方に付けたヘルフリートは、難なくゲオルクへの暗殺部隊を派遣することに成功した。

 そして彼等の中ではもう、ゲオルクは死んだことになっている。

 その橋渡しをしたのがリーヴラだった。

 敬虔な一人の信者を装い、かねてから信仰心に厚かったマクシーネと接近し。

 そして彼女の心に揺さぶりを掛けた。

 それはリーヴラにとっては面倒な一仕事だったが、こうしてある形で実を結べば大した苦でもない。

 人よりも強大な力と長い命を持っている御使いからすれば、その程度の戯れも難なく許容できるものだ。

「では、私はこれで」

「私達の神を信じているぞ、リーヴラ。この国は変わるべきなんだ。変わらなければならない時が来ているのだ。ヘルフリートが王になり変わる。私が、私の血がこの国を変える」

「はい。それこそが神の御心でしょう」

 静かにリーヴラは部屋を出ていく。

 一人になってからもマクシーネは興奮を沈めることができず、寝台から這いずるように出ていくと祭壇の前に膝を突く。

 そして天を仰いで祈りを捧げた。

 彼女の唇が紡ぐ讃美歌は、果たして本当に神に対して捧げられたものなのか。

 恐らくはマクシーネ自身にも、それは判っていなかった。


 ▽


 長雨は止み、空は晴天。

 イシュトナルの周囲に広がる草原では、大勢の人が集まってちょっとした祭りのような騒ぎが起こっていた。

 作戦決行の日。今日、これからイシュトナルを出立した軍は王都オル・フェーズに向かい進軍する。

 ヘルフリートの支配をこのまま続けさせてはいられないと立ち上がった憂国の士、その総大将にイェルス・アスマンを据え、彼の元に若き獅子であるクルト・バーナーが続く。

 国を想い他方から集まった者達が彼等の指揮の下に、これから始まる熾烈な戦いに身を投じようとしていた。

「おーい! この物資はここでいいのか?」

 鎧兜で武装した一人の兵士が、エトランゼの男に声を掛ける。

 エトランゼの方は元冒険者で、今はヴェスターの部隊に所属していた。

「いや、それはあっちだ。ほら、あのお嬢さんの」

「お嬢さん?」

 兵士が首を傾げた。

 エトランゼは多くの人でごった返する中でも一際目立つ、物資の搬入を厳しい態度で仕切っている金髪の少女に視線を向ける。

「あのお嬢さんのとこの荷物だ。預けときゃ間違いない」

「はぁん。……なんで子供がこんなところに? 胸は立派だけどさ」

 兵士の疑問に、エトランゼが答える。

「この戦いのスポンサーの一人らしい。ハーフェンの豪商の娘らしいけど」

「はぁ。戦場は遊び場じゃないだけどな」

「魔導師殿の婚約者ってことらしい。旦那が心配なんじゃないのか?」

「魔導師殿って……」

 今この場にはいない、ヨハンと名乗る男を二人は同時に思い浮かべる。

 彼に対して印象は、よくもなければ悪くもない。ヨハン本人にそのつもりはないが、庶民から見れば雲の上の人物にも等しい。

「婚約者連れてくって、何考えてるのかね。俺には理解できんな」

「寂しいんだろ。姫様とも良い仲だったのに攫われちまったから」

「えぇ? 姫と商家の娘と二股ってことか? 信じられねえな」

「他にも大勢女囲ってるって噂だぜ? ほら、最近顔見ないけど、要塞で給仕やってたエトランゼの子いたろ?」

「嘘だろ? かぁー! どんどんやる気なくなってくるぜ!」

 兵士が地団太を踏む。

 それを見ているエトランゼの男は、何故か穏やかな顔つきをしていた。

「俺はそうでもないがな。あの人が来てからよくなったことの方が格段に多いし。やっぱりあんたらはそうでもないのか?」

「……いいや。ムカつくことにな」

 兵士はそっぽを向きながらそう言った。

「賊の類は減ったし、安心して田舎に両親を置いておけるようになった。それに税だって大分安くなったし、何より何の取り柄もない俺を兵士として雇ってくれてるんだからよ」

 人手不足と言うこともあるが、イシュトナルは基本的に人を選ばない。最低限の人格があり、規律を乱さなければ問題なく兵士になることができた。

 訓練制度も未だ不完全ではあるが整っており、一から鍛えることができる。勿論、相応の厳しさはあるが。

「おら、無駄口叩いてんじゃねえ! すぐに出発して、まずはソーズウェルでドンパチだからな!」

 ガンガンと、二人の頭が剣の柄で叩かれた。

 痛みに頭を抑えるその横を、怒鳴り声を上げながら彼等の上司であるヴェスターが通り過ぎていく。

「ヴェ、ヴェスター隊長……」

「なにしけた面してんだよ。今からそんなんじゃ生き残れねえぞ? 俺は生きてるけど部下は全員死にましたってんじゃ俺が後でヨハンの野郎にどやされるんだからな!」

 そう言ってヴェスターは二人の背中を強く叩く。

「さっさとしろ! 気合い入れろ、そんで絶対死ぬんじゃねえぞ!」

 そう言って、嵐のようにその男はその場を去って行く。

 兵士とエトランゼも互いに頷きあってから、それぞれの仕事をするために別方向へと歩き出した。

「また、イシュトナルで」

「ああ」

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