七章 立ち上がる狼煙(下)

第一節 砂礫舞う大地で

 砂礫舞う荒野に、小さな身体が転がった。

 呻き声を上げ、無様に地面を滑って行くその影は、全身を擦り傷だらけにしながら数メートルほど進んだところで動きを止める。

 他者がそれを見れば、既に勝負合ったと判断しただろう。

 事実、彼女から離れたところに直立する人影には傷の一つもなく、息が乱れた様子すらもない。

 一本の棒を手の中で弄びながら立つ、褐色肌に長身禿頭の女性。

 ベルセルラーデ・ソム・バルハレイアに仕える女戦士トゥラベカは、息を整えたまま、それでも一切の隙を見せることなく倒れたままの少女を見据えている。

 彼女は間違いなく一流の戦士だ。

 そのトゥラベカが、まだ警戒を解いていない。それはつまり、相手から伝わってくる戦意が未だ消えていないことを意味する。

 事実、小柄な影が揺れた。

 今しがた派手に傷を負った少女、カナタは地面に手をついて立ち上がると、両手を構えてそこに光の剣を出現させる。

 空間が歪んでいるようにも見える極光の刃は、彼女の手の中で次第に色を変えて、凶悪な紅色へと。

 人に叩きつけるには過ぎたるその力を、カナタは一切の遠慮なく振るうつもりだった。

 ざり、と。

 靴の下で砂が擦れた。

 踏みしめた足は震えているが、それでもまだ止まることはない。

 その瞳はただ前を。正面に立つ戦士を見つめていた。

「行きます!」

 気合いを入れて、カナタが地を蹴る。

 翼のように背に広げた紅い光で加速を付けて、地面擦れ擦れを滑空するように前進。

 その速度は二人の距離を瞬く間にゼロにした。

 それでも、そこに勝利の確信はない。

 全力を叩きつけるその一撃は当たれば彼女の身体を容易く引き裂くことができるだろう。

 滅多なことでは人を傷つけることがないカナタが、それを躊躇わないことには大きな理由があった。

 揺れるように、トゥラベカが動く。

 まるでそれは風に薙ぐ花のように優美で、戦いと言うよりは舞踏のようだった。

 彼女の位置を確認して軌道を修正する前に、衝撃が来る。

 トゥラベカの握った木の棒の一撃が、カナタの脇腹を叩き、その身体を吹き飛ばした。

 じゃり、と。

 強く砂を踏む音が更なる追撃を予感させる。

 片足を突いてどうにか踏ん張り、すぐさまトゥラベカが来るであろう方向へと全身を捻る。

 必死で身体を捻り、目の前にセレスティアルの盾を広げる。

 痛いのはもう嫌だと、全力で硬度を高めたセレスティアルの盾は、地面ぎりぎりを滑って来た棒によって容易く擦り抜けられる。

「いっ……!」

 足を叩かれ、転がりそうになるところを堪える。涙が出るほどに痛いが、耐えられないほどではない。

 歯を食いしばって、どう動くかを必死で考えた。

 攻撃だ。

 相手の棒術は変幻自在。例え一ヵ所を護ってもまるで蛇のようにその隙間を縫って身体に一撃を入れてくる。

 だから、攻める。

 再びセレスティアルを剣に。

 真紅の輝きは長剣サイズの大きさになって、カナタは両手でそれを構えるとトゥラベカがいるであろう方向に全力で振るった。

「何処を見ているのです?」

「え」

 全く逆方向から彼女の声がした。

 急いで軌道を修正する必要がある。

 いや、その前に防御を固めるべきか。

 何なら距離を取って態勢を立て直そうか。

 幾つもの選択肢がカナタの中に浮かんでは消えていくが、残念なことに相手はそれをのんびりと選ばせてくれるような甘い敵ではなかった。

 腕が引っ張られる。

 光の結合が溶けて、紅い極光が霧散して消えていく。

 ふわりと、身体が浮かんだ。

 その浮遊感を楽しむことができたのもほんの数舜。

「ぐっ……え」

 背中から全力で地面に叩きつけられて、潰れたカエルのような情けない声を上げる羽目になった。

 下から上に身体を突きあげるような痛みが、全身を撃ち抜いて、身体がバラバラになってしまったかのように錯覚を覚える。

 例えそれが真実でないにせよ、一度そう考えてしまえば人間の身体と言うのは不便なもので、身体中から力が抜けて腕を突っ張ることすらももうできそうになかった。

「今日はこの辺りにしておきましょう」

「……ふぁい」

「なにをのんびりしているのです?」

 こつんと、棒が軽くカナタの頭を小突いた。

「早く食料の調達をしてきなさい。できなければ今夜は食事抜きになりますよ」

「あの、ボク……。全身痛くて立ち上がれないたたたたたたたたたたっ!」

 無理矢理に肩を担がれて立たされ、そのまま地面に放るように手を離される。

 手も足も肩も痛いが、どうにかふらつきながらも倒れることはなかった。

「立てるではありませんか」

「……はい。立てました」

「ではもう一頑張りで。立てれば歩ける。歩ければ走れる。走れれば、後は判りますね?」

「……はい」

「もうこの辺りに現れる魔物の中で毒を持っていない個体はある程度は把握しているでしょう?」

「……多分」

「自信がないようですね。もし間違って来たら、今度は耐毒の訓練でもさせてあげましょうか」

「……すっごい嫌な予感がするんですけど、それって」

「毒を食べて出してを繰り返して身体の中に免疫を作るのです。体重がかなり軽くなりますよ」

 もう聞くだけで最低だった。

「頑張って見分けます」

 そう返事をしてとぼとぼと荒野の向こうへと歩き去っていこうとするカナタに、またもや背後から鋭い声が飛ぶ。

「もし夜の修練までに戻れないようでしたら、食べながらやるとしましょう。胃の中に入った食べ物をすぐさま揺さぶるのはなかなか癖になると思いますよ」

「急ぎます!」

 一歩強く踏みしめる度に全身を貫く痛みに涙目になりながら、カナタは急いで魔物がいるであろう場所へと走って行った。


 ▽


 バルハレイア国境地帯。

 アルゴータ渓谷から更に南に行ったところに位置する広い荒野で、その名の通りオルタリアとバルハレイアを挟む重要な地域の一つである。

 バルハレイアはもともと国土の七割が砂漠と荒野で構成されていて、ここから王都まではずっと同じような景色が続いているらしい。

 とは言え全く緑がないかと聞かれればそう言うわけでもなく、西に行けばアルゴータ渓谷に接したラス・アルアの樹海が広がっている。

 既にとっぷりと日も暮れ、辺りに光はなく、唯一すぐ傍の焚火の灯りだけが世界を照らしている。

 全身の痛みに耐えながらその横で地面に敷かれた布の上に寝っ転がり、カナタはトゥラベカが手際よく魔物の死体を捌いていく姿を眺めていた。

 それは見ていて気持ちのいいものではない。魔物とは言えカナタが命を奪った生き物が、そこから更に切り刻まれて解体されていく姿は思わず目を背けてしまいたくなるほどに凄惨なものだ。

 初めてそれを見た日、カナタは思わず目を背けてしまったのだが、トゥラベカに「命を頂く意味を考えなさい」と諭されて、それから多少無理をしてでも見るようにしている。

 勿論そこには単純に技能としてそれができた方がいいと言う理由もあるのだが。

「随分と大物を取って来ましたね。苦戦しましたか?」

「特には。ボク、セレスティアルありますし」

「確かにその光は強力ですね。魔物や、普通の人相手ならばまず負けることはないでしょう」

 言いながら、瞬く間に魔物は元の姿からは想像もできない、肉屋で切り分けられている肉の形になっていた。

 それに串を指して、焚火の傍に立てていくトゥラベカ。

 手伝おうとしたが、すぐに制される。今は休んでいろと言うことらしかった。

 事実、あれから戻って来た後にもう一度修練があり、カナタの身体はもうボロボロだった。座ることはできるが、今日はもう立ちあがれそうにない。

「やはり、あの紅い光を使うと貴方は行動が単調になる癖があるようです。魔物を相手にする時ならそちらの方が都合がいいでしょうが、私からすれば動きが読みやす過ぎる」

「……あぁ、やっぱり」

 思い当たる節がないわけではない。

 紅いセレスティアルを使うと、その力の強大さによる全能感がそうさせるのか、直線的な動きで相手を叩き潰そうとする癖が出る。

 今日仕留めてきた魔物のような相手ならばそれで押しきれるのだが、トゥラベカのような達人ともなればそうはいかない。

 だからと言って今までの極光では出力が足りない。と、言うよりも戦っている間に無意識に紅く光を変化させてしまっていた。

「カナタ。今日がどういう日だか判りますか?」

「……全然判りません」

 呆れたように笑って、トゥラベカはいい焼き加減の肉を差し出してくる。

 ビキビキと痛みを放つ身体を無理に動かして座る姿勢を取ると、それを手に取って豪快に被り付く。

「今日で丁度一ヶ月です。貴方に修練を付けるようになってから」

「――ああ」

 イグナシオにやられて気を失った後、カナタが目を覚ますと、この荒野にいた。

 その時傍にいたのはトゥラベカだけでなく彼女が仕える――カナタにはとてもそうは思えない――バルハレイアの王子ベルセルラーデも一緒だった。

 話を聞くにオルタリアで異変を察知した二人はエレオノーラを助けるためにイシュトナル要塞へと踏み込んだのだが、時は既に遅くイグナシオは姿を消していた。

 そこで倒れていたカナタを見つけ、何を思ったのかベルセルラーデはカナタを連れだしたらしい。

 気絶している間にトゥラベカが傷の手当てをしてくれたのはありがたいが、開口一番「余の妾となるか部下となるか選べ!」と問われたときは唖然としたものだ。

 カナタを連れだした理由は全くもって不明なのだが、トゥラベカ曰く本当にその二択を突き付けたかっただけらしく、その為にわざわざこんなところまで連れてきたらしい。

 実に迷惑な王様だが、一つカナタにも思うことがあった。

「……やっぱり、一ヶ月じゃ全然変わらないですよね」

 イシュトナルまで送って行こうという王の申し出を、カナタは断った。

 そうしてトゥラベカに、カナタから見ても一流の武術を持つ彼女に戦い方を請うた。

 自分には何かが足りない。

 セレスティアルは確実に強くなった。紅い光はこれまでカナタが振るっていた力よりも遥かに強い。

 それでも、妙な違和感が拭えない。

 まるで何かに蓋をされて抑えつけられているかのような圧迫感が、ずっと心の中にしこりのようにあり続けていた。

「そんなことはありませんよ。カナタの動きは格段に良くなっています。ですが」

 その後にトゥラベカは続ける。

「迷いのようなものは、やはり消えていないのかと」

「……迷い」

 それは、本当はあってはならないものだ。

 弱いから、失った。

 弱いから、アーデルハイトを護ることができなかった。

 あの日、あの村にいた誰もがそれを後悔して、心の中に重りとして残り続けているだろう。

 それ自体がどうしようもないと判っていても、どうにかするためにそれぞれのやり方で足掻き続けている。

 それは、カナタも一緒だった。

 でも、判らないことがある。

 例えばこの力に一足先に目覚めていたとして、カナタは全力でそれを振るうことができたのだろうか。

 友達である彼女のことを思えばそうするべきだったに決まっている。この世界で、大抵の人がそうするはずだ。

 実際、もしあの時に戻れたらカナタはそうするだろう。その時は迷わない。

「……力って、難しい」

 しかし、それを後悔しないかと問われれば、それはまた別の話だ。

「そうですね」

「なんで、みんな仲良くすることができないんだろう」

 それは誰に問いかけたわけでもない、不意に零れ出た言葉だった。

 それを言ったカナタ自身も、今の自分の言葉を確かめるように、虚空を見つめていた。

 それは紛れもない本心だ。

 戦いなんてものがなければ、力なんか必要ない。

 そうすれば今のカナタの悩みは殆ど全て吹き飛んでしまう。

 ――かつて、元の世界で抱いていたような、今にしてみれば何でもない、それでも当時の自分からすれば重大な悩みへと戻っていけるというのに。

「臆病だからでしょう」

 まさか答えが返ってくるとは思わなかったカナタは、それを言ったトゥラベカに顔を向ける。

「……臆病?」

 意外な答えにカナタが聞き返すと、トゥラベカは頷き返す。

「この世界の住人は、貴方達エトランゼが恐ろしかった。ギフトと言う得体の知れない、制御不能な力を持つ者達が。だからそれを支配し、できなければ排除しようとした。自分達が築いてきたこの大地の歴史を護るために」

「怖くなんてない。同じ人間なのに」

「そう思える人の数は、決して多くはありません。不可思議な力を持ち、自分達の知らないことを知るエトランゼは放っておけばこの世界を変えてしまう。……それが何よりも恐ろしかったのでしょう」

 自分達の祖先が築いてきた歴史、そしてこれから子孫たちが紡いでいくこの世界の在り方を否定する。

 この世界の住人にとって、エトランゼとはそう言う存在だった。

 だから迫害する。神の名を借りてまで。

「でもそんな、そんなのって……!」

「愚かだと思うでしょう? ですが、それは紛れもない事実なのです。貴方達がこの世界にやってくる前から、ずっと繰り返されてきた血塗られた歴史」

 カナタの世界にだって戦争はある。歴史の教科書で学んだ程度のことだが、昔は世界の至る所で戦争が起こって、大勢の人が命を落とした。

 カナタが暮らしていた日本も、今でこそ平和だが昔はずっと戦争ばかりの歴史を紡いできた国だ。

 そう知識では知っていても、理由まで考えたことはなかった。既に終わってしまった時間のことをに想いを馳せるほど、歴史に興味があったわけではない。

「家族を、友人を、そしてこの世界に生まれた祖先が築いてきた歴史を護るために武器を取る。それは例えエトランゼが関わっていなかったとしても、人の本能なのかも知れません」

 だとしたら、それはとても悲しいことだ。

 お互いに護りたいだけなのに、歩みよればいいだけのことだって判っているはずなのに、戦いへと発展してしまう。

 子供であるカナタにはそのメカニズムは判らない。何処まで行っても子供は身軽で、自分の意志を第一にして行動することができる。

「ですが、それがだけが人ではないでしょう?」

 トゥラベカのその言葉に、カナタは下げかけていた視線を戻して、彼女の顔を見つめていた。

 その意味するところが判らない。トゥラベカが何を言いたいのか。

 でも、一つだけ。

 それを言ったトゥラベカの表情は、優しげで、見ているだけで安心できるものだった。

「イシュトナルは、私の目から見ても素晴らしい街だと思います。そこには紛れもなく、貴方達が歩んできた道があった。その一つの結果は素晴らしいもので、この世界の誰もが欲していながら決して手に入れられなかったものの一つなのでしょう」

「でも、ボクは護れませんでした」

 その言葉を絞り出すのが辛かった。

 零れ出たその一言と共に、視界が歪む。

 無意識のうちに涙声になっていたことを恥じて、カナタはそれを誤魔化すために空を見上げる。

 そこに広がっていた星空は圧巻で――この世界に来た時を思い出して、また涙が溢れてくる。

「ごめんなさい! ごめんなさい、ボク……!」

 トゥラベカから掛けられるであろう厳しい言葉が怖かった。

 強い彼女から、弱い自分に向けられる感情が、いいものであるはずなんかない。カナタはそう勝手に思い込んでいた。

「でも貴方はそれを取り戻そうとしている。絶望に負けず、逆境に屈することなく、自分にできることを探して」

 ハッとして彼女を見る。

 そこに浮かんでいたのは、優しい微笑み。

 まるで母親が子供を諭すような、そんな表情だった。

「私は決してそれを見下しません。前を向き、一歩ずつでもいいから歩んでいく。それが貴方の強さなのでしょうから」

「……そんな立派なものじゃないです。自分の力が何なのかも判らない、怖くて、それでもそれに頼っちゃって」

 ただただ、感情だけが流れ出てくる。

 この雰囲気に流されて、カナタは心情の奥にあるものすらも少しずつ吐露してしまっていた。

「本当に、その通りなんです。紅い光を使うと気持ちがわーってなって。それがボクじゃないみたいで、ちょっとだけ怖くて。でも」

「それはずっと、貴方の意思に従って来たのでしょう?」

「……それは、はい」

 それだけは自身を持って言えることだ。

 怖くても、不安でも、カナタは常に自分の意思で戦ってきた。誰かに強制されたわけでもなく、自分がそうしたいから。

「でしたら大丈夫。貴方の意思で振るわれた力が、それを裏切ることはありません。それが貴方の内から生まれる力なのですから」

 ぱちりと、焚火の火が弾ける。

 その言葉を聞いて、カナタの目から更に涙が零れた。

 トゥラベカの語った言葉の意味はよく判らないが、それは決してカナタを否定するものではなかった。

「過去に引きずられるのではなく、前を向いて、失ってしまったものを糧に進んで行く。私には、それが貴方の力に思えます」

 カナタは答えない。

 返事の代わりに、焚火の音と風の音に交じった小さな嗚咽がトゥラベカの耳に届いた。

 彼女もそれに対して何かを言うこともなく、手に持った肉を口へと運ぶ。

 静かな時間が流れるなか、満天の星空が世界を照らし続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る