第七節 波紋

 ルー・シンとラウレンツ率いる反乱軍は、オル・フェーズ内に点在する武器や食料を溜め込んでいる倉庫を幾つも襲撃し、その度にそれらを奪ったが、未だにオルタリア国軍の動きが鈍る様子はない。

 人外である親衛隊はともかくとして、兵達にはそろそろ限界が来ると言うのがルー・シンの読みだった。

 そのことから判断し、ルー・シンは大胆な作戦を提案する。それは、オルタリアの城内にある食糧庫を直接襲撃するというものだった。

 戦争になった際の籠城戦に備えて、城内にはかなり大きな食糧庫が併設してある。そこを襲い中身を奪い、本格的に兵達に危機感を与えるのがルー・シンの狙いだった。

 あちこちに囮を巻き、兵達の動きを混乱させる。

 そうして決死隊として志願した三十名が、城へと潜入することになった。

 夜の闇に紛れる彼等の先頭を、ルー・シンは走っていた。

 城の周りには大きな城壁があり、唯一の入り口には見張りの兵士が目を光らせている。

 松明の篝火を避けるように、暗闇の中を移動して、ルー・シン達は城壁の傍へと取りついた。

「この辺りが最短だな」

 足元の芝生に手をついて、種を植える。

 発動したギフトによって異常成長した花の蔦が、瞬く間に城壁の矢狭間へと絡み付いて即席のロープへと変わった。

 一番実力に自信がある兵士が真っ先に昇る。彼が昇ってから城壁の上で争うような音が聞こえてきたが、すぐに静かになった。

 見張りの兵士から奪ったであろう松明を持ち、手振りで合図をすると、次々とルー・シンの部下達はそこから上に昇り始める。

 城壁の上に上がって左右を見渡せば、離れたところに点々と松明の篝火が見える。

 どうやらこちらで異変があったことには気付いていないようで、呑気にうろうろしているだけだった。

 すぐに伸ばした蔦を引っ込めて、一人の兵士に今しがた倒した敵兵の死体を片付けさせ、次の行動に出る。

 地図を見て把握していた通り、城壁を降りたすぐ近くが倉庫になっていた。

 城の内側に伸びる階段を降りて、倉庫の影に隠れて入り口の様子を伺う。

 見張りの数は二人。声を上げられる前に片付けられない数ではない。

 目線で合図をすると、一人の兵士が松明を持ったまま悠々と歩いて二人の見張りへと近付いていく。

「なんだ? おい、お前そこで何をしてる? 持ち場はどうした?」

「交代の時間だ」

「馬鹿を言うな。交代にはまだ早い。俺達は朝までここ見張れと命令を受けているんだからな」

「はぁ。そりゃ大変だな」

 言葉と同時に、兵士は目の前の見張りの顎を上から下に拳で跳ね上げる。

 それに呼応するように暗がりから数人が飛び出して、一瞬にして彼等を制圧し、気絶させてから倉庫の鍵を奪って中へと引きずり込んだ。

「流石、ラウレンツ殿から紹介されただけのことはある。手練れだ」

「へへっ、どうも」

 締まりのない顔で返事をしてから、二人の捕虜を連れて一同は食糧庫の中へと入って行った。

 これで扉を閉めてしまえば中の声が外に漏れることはないだろう。

「……一応は同胞なんで、殺すのは勘弁してくれませんかね?」

「構わん。……だが、おかしな話だな。我等はここで死ぬかも知れぬというのに」

「そう言うもんでしょ」

 男の言葉に合理性はないが、理解はできる。

「こいつ、一応顔見知りなんで。確か去年ぐらいにガキが生まれたっつって喜んでたんでね」

 彼等は敵だが、敵ではない。国を裏切ると言うのはそれだけ大きな覚悟のいる決断だった。

 既に奪われている者、失っている者ともなれば話は別だが、今倒れているこの見張りの兵士のように、未だ護るべきものがあれば、それを捨てることは決して容易くはない。

「そうか」

「この戦いが終わったら、嫁さんでも貰いたいもんですねぇ。エトランゼの女とかどうです? 気は利くし、悪くないと思うんですけどね」

「貴殿が気にしないならいいだろう」

「しませんって。女は女でしょ? 同じ人間だ」

「もっとも、相手にも選ぶ権利があるがな」

「そりゃ手厳しい」

 二人が雑談している間に、中に潜入した兵士達は食料を奪い、頑丈なロープを使って背中に縛り付けていた。

 大半は持っていくことができないが、それには火薬を配置して焼き払ってしまう。燃やすと言うには少しばかり過剰な量の火薬が、そこには配置されていた。

「仕上げをするとするか」

 懐から取り出した粉々に千切られた葉を、あちこちに塗すように散らしていく。

「なんです、それ?」

「火炎花の花だ。一度火が付けば火薬のように弾け、辺りに燃え広がる」

「それもギフトでお作りに?」

「そうだが?」

「便利な力ですね。俺も欲しいや」

 話している間に作業は終わり、一同は撤退するためにその場に集まる。

 倒れている見張りの兵士二人も武装解除した上で手だけを縛りつけた。

「騒いだら殺すぞ。黙ってりゃ生かしてやる」

 そう脅しつけて、ルー・シンを先頭として倉庫の外へと出ていく。

「どうやら薄汚い鼠が紛れ込んでいたようだな」

 幾つもの篝火が、ルー・シン達を取り囲んでいる。

「しまった、おい! 急いで外に……!」

 誰かがそう叫んで、表に出た一同はそこで知る。

 最早逃げ場はない。全方位が、赤い光によって封鎖されていた。

 武装した兵士が、その数凡そ百名以上。決して彼等を逃がすまいと言う覚悟を持ってそこに集っていた。

 そして、がちゃりと具足の音を鳴らして城壁の上に立つ男が一人。

「……俺を裏切った愚か者どもめ。挙句にこの城へと汚れた足を踏み入れるとは、それがどれだけの罪であるかも理解できぬか?」

 ヘルフリート。

 獅子の鬣を思わせる金色の髪、鍛えられた身体。整っているが何処か陰惨さが滲むその顔。

 オルタリアの王が、そこに立っていた。

「ふん。やはりな。エーリヒ子飼いのエトランゼか。奴は貴様のことを気に入っていたようだが、所詮はエトランゼだったということか」

「お褒めの言葉を頂き光栄だな」

 階段の上、城壁に立つその男をルー・シンは睨み返す。

 その目に一切の畏れはない。それはルー・シンだけでなく、ここに集った三十名の男達全員に言えることだった。

「ハハハハッ! 強がるなよ。貴様達の行いは全て筒抜けだったのだ。この通りな」

 暗がりから一人の男が現れる。

「エトランゼの旦那。言ったはずですぜ。神様の使いには逆らえないって」

 以前密偵を依頼していた男が、ヘルフリートの傍に仕えている。

「手前をずっと監視していたということか?」

「その通りってね。悪く思うなよ。俺だって飯の食い扶持を稼がねえといけねえんだ」

「……そうだな」

 目を閉じて、深く頷く。

「なにを落ち着いている、エトランゼ。貴様達はここで包囲され、成す術なく死ぬのだぞ? もっと怯え、命乞いをしろ!」

「ヘルフリート様、それより約束の物を頂きたいんですが……」

 密偵の男が手を伸ばすし、ヘルフリートがそれを見下ろす。

 彼が求めたのは金だったが、その代わりに振り下ろされたのは鈍く煌めく剣だった。

「なぁ……!」

 悲鳴を上げることもできずに、男は崩れ落ちて階段を転がり落ちていく。首を斬られた彼が死んでいることは、誰の目にも明らかだった。

「愚か者め。元より貴様に金を払うつもりなどはない」

「真摯に仕事を果たしたというのに、随分なことだな」

「ふんっ、金次第でどちらにも付くような男など、生かしておく価値もない」

「なるほどな。だが、そのぐらいでしか人員の集まらぬ貴様の国にも問題があるのではないか?」

「……貴様……!」

 血糊が付いたままの剣を、ヘルフリートはルー・シンに向ける。

 号令一つを下せば、瞬く間に周囲の兵達はルー・シン達を殺すだろう。幾ら手練れを集めたとはいえ三十名で倒せるのには限りがある。

 だと言うのにすぐにそれをしないのは、ヘルフリートが勝利の余韻に浸っているからであろうか。

「貴様の敗北だぞ、絶望し、俺に許しを請え。そうすれば苦しくない死にざまを用意してやる」

「ではそれをしなかったらどうなる? 豚の餌にでもされるのか?」

「ハハハッ! それも良いな! 貴様達は全員手足を斬り落とし晒し者にした後、民衆が見ている前で豚に食わせてやろう!」

「それは貴重な経験になりそうだ。見せられる者達はたまったものではないだろうがな」

「なにを余裕ぶっているのだ? 貴様の作戦はそこの屑によりこちらに筒抜け。こうして包囲され今まさに殺されようとしている。貴様にできることは命乞いだけだぞ!」

「いや、それはその通り。だが、一つ成し遂げたと、自分を褒めていたところだ」

「なんだと?」

 ルー・シンの視線がヘルフリートを見る。

 暴虐の王を睨み、一切の畏れもなく、言い放った。

「王座にふんぞり返る貴様を、ようやく引きずり出せたと思ってな。エトランゼの英雄でもあの男でもなく、手前が。それが少しばかり誇らしいのだ」

「なにを……!」

「人の数が足りていないのではないか? 無理もない、あの怪しげな親衛隊ぐらいしか、貴様の駒はないだろうに」

「異界の者が! 貴様はここで、俺自身の手で八つ裂きにしてくれる!」

「まあ、待て」

 ヘルフリートが号令を掛けるよりも早く、ルー・シンがそれを制する。

「面白いものを見せてやろう」

 一点を指さす。

 それは空だった。

 ヘルフリートの命令によって王都を覆うように広がった結界は、夜空を波打つように歪めている。

 ここ数日間、あの日からずっと変わらない光景。遠くの空に見上げれば、そこは水面のように揺れている。

 それが、まるで幻であったかのように消えていた。

「なっ……!」

「そろそろかと思っていたのだ。タイミングはぴったりだったな」

「結界が……解けた、だと?」

 同時に、あちこちから火の手が上がる。

 それは魔法学院の中心として、王都の至る所で燃え広がっていた。

「夜明けには拠点を攻めようと軍を準備していたのだろうが、それも無駄だ。既にあの場所はもぬけの空」

「き、さ、ま……! 貴様、貴様、貴様ぁ! 全て読んでいたというのか! 判っていながら拠点を補強し、こちらの軍を引き寄せて……!」

「本陣の守りを固めて、貴様等を迎え撃つ動きをしたところで、それを読まれている可能性は考えていた」

 本陣にラウレンツを配して、防衛の構えを取る。

 そうすることで王国軍はそこが要所だと判断してそこを落とすための準備を始めた。

 しかし、それだけでは足りない。ルー・シンが今日までやって来た戦いは、オルタリアの国軍に疑いを持たせるには充分だった。

 だから、ルー・シン自らが部隊を率いて潜入する。その情報がばれることで、それこそが本命であると相手に思い込ませた。

 真の狙いは国を覆う結界。その中心となる魔法学院には、トウヤを向かわせてある。文句なしに、今の反乱軍で最も強い男だ。

 英雄となった彼が率いれば、軍の士気も上がる。魔法学院にいるのは戦いは素人の連中ばかり、制圧するのに大した手間は掛からなかったはずだ。

「二重三重の罠だ。見事に引っかかってくれて、仕掛けた甲斐もある」

 これで外部と連絡が取れるようになった。

 反乱軍はより大きな戦力であるイシュトナルを迎え入れることができる。それは、ヘルフリートにとって最悪の展開だろう。

「フ、ハハハハハハッ!」

 だが、ヘルフリートは笑った。

 怒りを隠そうともせずに、それよりも大きな喜びがあるとでも言わんばかりに。

「だが、貴様はどうなる! 例え数百の有象無象を逃がしたところで、貴様はここから逃げることはできんぞ!」

 ヘルフリートにとって、そんなことは些細な問題のようだった。

 例え自らの戦略を打ち崩されたとしても、最期に勝つ手段を持っている。そう思わせるような余裕を持っている。

「……チャンスをくれてやる。今回の貴様の策、見事であった。褒美として、俺の部下にしてやろう? 地位も、名誉も望むがままだぞ?」

「ほう。それは高く見てもらったものだな」

 エトランゼが、ヘルフリートの部下となる。

 それがどれだけ大きなことか、この場の誰もが判っていた。

 エトランゼ狩りを行っている王に認められる。ある意味では、それはこの国に置いて最大級の誉れでもあった。

 命が助かる、地位も手に入る。

 それだけの価値はある。ルー・シンが苦心して人を動かし、寡兵の反乱軍を率いて戦った報酬としては充分だろう。

「エーリヒも牢から出してやろう。貴様達二人、俺に仕えるがいい」

「ふむ。それは、魅力的だな」

 隣で兵士が息を呑む。

 思えば誰もが、この男の目的を知らない。

 突然現れて、ラウレンツの旧知と言うだけで兵達を操りここまでの状況を作り上げた、このエトランゼの。

 だから、ルー・シンが身柄の安全と引き換えにヘルフリートに付く可能性は充分にありえた。

「王に力を認められたというのは、存外に嬉しいものだ」

「そうだろう? 貴様にはこのオル・フェーズの管理をさせてやる。金も女も望むがままだぞ」

「フハハハハハッ!」

 ルー・シンが笑う。

 兵士達はそれを裏切りの合図と思い、ヘルフリートは自らに仕える喜びだと受け取った。

 ――その考えは、全くもって見当違いのものだったが。

「ごめん被るな」

「……なんだと?」

「なんだこの国は? 臣民は嘆き、兵達は民を護ることもできず、誇りを失っている。愚かな王の私利私欲で、幼い子供が全てを奪われた」

 両親を殺され、家を奪われた少女がいる。

 細々とした暮らしすらも認めてもらえなかったエトランゼ達がいる。

 そして本来はそこで庇護されるべきであった民草ですらもが、この国の在り方を憂いて反乱軍に味方をする。

「そのような場所は国ではない。国とは民のためにあり、その声を聴き彼等に幸福を与える場所のことを言うのだ」

「黙れ! この俺だ。この俺、ヘルフリートこそが王であり、王であることはそれ即ち国だぞ!」

「違うな。そのような愚かな王に支配された場所は国ではない、地獄と呼ぶのだ。手前も大概ロクな死に方はしないつもりだったが、まだ死ぬ前から地獄の管理人とは片腹痛い」

「ぐ、貴様……! この王をここまで愚弄するか! その正義感ぶったすまし顔を、すぐに苦痛に歪めてやる!」

「これは傑作だ。手前如きを正義と呼ぶとは、貴様は自らが悪であると自覚があるのか? ならば何故それを続ける。理由としては幾つかあるだろうが、既に自らが引き返せないところにいることは理解していると見える」

「黙れ! これ以上その口を開かせるな! こいつを殺せ!」

 ヘルフリートが支持し、兵達が剣を抜いて躍りかかる。

 同時にルー・シンの部下の一人が倉庫の中に松明を投げ入れると、火薬に引火して派手な爆発を引き起こした。

 ルー・シンの部下達はそれを知っていたのですぐに身を伏せることで被害を抑えたが、走って来た王国軍はそうではなかった。

 飛び散る火の粉や壊れた倉庫の壁にぶつかり、また立ち止まった者は後ろの兵士とぶつかって次々と倒れていく。

「ええい、何をしている! こうなれば俺が直接!」

 ヘルフリートが階段を駆け下りようとすると、空から何かが飛来して、その高速が生み出す衝撃波で彼のその傍に仕える兵士を薙ぎ払っていく。

「なっ――!」

 ワイバーン。

 そう呼ばれる小型の飛竜が、翼を広げてそこに浮かんでいた。

「何故ワイバーンがこんなところに!」

 兵士の一人が声を上げる。

 ルー・シンはその間に、味方に対して合図を送る。

「行くぞおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 声と共にルー・シンの部下達はヘルフリートの方へと走りだす。

 一瞬身構えるヘルフリートだったが、彼等の目的はそれではない。

 誰にも目もくれず走り出すと、城壁に昇り、方々に散って逃げ出していく。

「しまった! 追え、追うのだ! 一人も逃がすな!」

 元々軽装だった彼等は城壁から濠へと飛び降りて、次々と脱出していく。

 外から矢を射掛けようとも、先程のワイバーンの翼が放つ風圧により松明の大半が使い物にならなくなってしまい、まともに狙いを定めることができない。

 ルー・シンは、自らの横に降り立ったワイバーンに足を掛けて、その身体によじ登る。

「貴様……!」

 翼を広げ、風圧を撒き散らし、ワイバーンが飛翔する。

 その上から、ルー・シンはこちらを睨みつけるヘルフリートを見下ろした。

「これは始まりだ、愚かな王よ」

「なんだと?」

「貴様の王国の、終わりの始まりに過ぎん」

 その言葉を残して、ワイバーンは空の彼方へと飛び去って行った。


 ▽


 ワイバーンの背に乗り、風を全身に浴びながら、その下にいる人物に声を掛ける。

「いい仕事だ、アツキ殿」

「遠目で見てたこっちは冷や冷やものでござるよ」

「少年達も無事に脱出したようだな」

 眼下に広がる炎の中に、街の外へと駆けていく一団が見える。

 その先頭を走るのが誰かまでは判らないが、恐らくは彼がやってくれたと思って間違いないだろう。根拠はないが、不思議な確信があった。

「それで、そちらはどうだった?」

「牢屋には確かに体格の良い、貴族っぽいおじさんが捕まっていたでござる。見張りの兵士も大分気を遣ってるみたいで、しばらくは元気そうでござったよ」

「それは重畳。で、もう一つは?」

「それでござるが……。御使いっぽい姿は見つけられなかったでござる。いや、拙者は御使いの顔を知らないから、スルーしてしまっただけかもござらんが」

 ワイバーンに変わって助けに来るまでの間、アツキには小型の魔物に変化してもらい、城の中を調査してもらっていた。

 エーリヒの安否、それからあわよくば国に巣食う者の正体を暴ければと思ったのだが、流石にそこまで事態が都合よく転んではくれなかったらしい。

「あー、でもこれは関係ないかも知れませぬが、一つ」

「なんだ?」

「地下の牢屋に行く途中の道に、無理矢理抉じ開けられたような穴を見つけたでござる。多分、別の地下室のようなところに続いているのでござろうが」

「……地下へ? 無理矢理に?」

 腕を組んでルー・シンは思案する。

 まさか城内で争いがあったとは考えにくい。だとすれば何らかの目的があってそこに穴を開けたのだろうが。

 その理由が、皆目見当がつかなかった。まさか、城のリフォームと言うわけでもあるまいに。

「判らんな」

「ルーたんにも判らないことがあるのでござるな」

 前方に伸びるワイバーンの顔が、笑ったような気がした。

「判らないことの方が多いに決まっているだろう。それから、ルーたんはよせ」

「それで、これからどうするでござるか? 拙者としては街の外に逃げていった人達を改めて保護したいのでござるが」

「集合場所は決めてあるのだろう。ならば急ぐ必要もあるまい。夜明けまではまだ時間がある」

 遠くを見れば、少しずつ朝日が昇って来ているが、それがオルタリアを照らすのはまだもう少し先の話になる。

 非戦闘員もそうだが、既にラウレンツ達反乱軍が集まる場所も指定してある。夜明けと共に再集合し、再びオルタリアに対してのゲリラ戦を展開する手筈となっている。

 今度はルー・シン達だけではない。ルー・シンの予想が確かならば、イシュトナルの軍勢もそろそろ動きだす頃だ。

「だが、そうだな。集合時間に遅れられても困る。もう一手、打っておくか」

「……ひょっとして、拙者またこき使われる感じ?」

「進路をソーズウェルに取ってもらおう」

「はぁ。どうせならちょっとエスっ気があるけど心の中では拙者にデレデレなちょっと年上の女の子に使われたいでござるよ」

「手前では不服かな?」

「当たり前でござる!」

 言いながらも、しっかりと進路はソーズウェルへと向かっている。

「結局、ルーたんの目的って何なんでござる?」

 そんな疑問をアツキは口にした。

 何のために、オルタリアに反旗を翻したか。その理由は簡単で、単に命を狙われたからに過ぎない。

 しかし、だとすれば更なる疑問が残るのだろう。どうして、ヘルフリートの誘いを蹴ったのかと言うことだ。

「愚問だな。手前は軍略家の真似事はするが、思想家ではない。この国の未来や王家の存続に興味はないが、自分がこれから生きていく場所を、少しでも居心地の良い場所にしようと努力はする、と言うことだ」

「……はぁ」

 聞いておきながら、アツキはあまり納得がいっていない様子だった。もっとも、言った本人としてもそれも無理もないことだと諦めて入るのだが。

「明日の食事――いや、明日明後日、願わくば十年後の食事まで安定させたいということだ。食後のスイーツも含めてな」

「つまり、拙者達とだいたい同じと」

「ま、そう言うことで構わん」

 明けの空に向けて、彼等は飛んでいく。

 此度にルー・シンが起こした波紋は、最初は小さいものだった。

 しかし、それは彼の知謀を以てして少しずつ広がりを見せ、遂にはオル・フェーズを揺るがすような事態となっていた。

 ルー・シンの視界の端に、未だ動かないままの巨人が見える。

 その存在によって、この戦いがどういった結末を迎えるか、未知数となっていた。

「あれは卿に任せたぞ。やって見せてくれよ」

 この場にいない男に、そう告げる。

 このルー・シンが投じた一石。

 果たして大波となるか波紋のまま消えるのか、それらは全てある一人の男に掛かっていた。

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