第六節 己の務め

 肩に担ぐようにして運んだ土嚢を降ろして、ルー・シンは一息つく。

 既に夏は過ぎたとはいえ、晴れた空から差し込んでくる日差しは未だ充分な熱を与えてくれる。

 熱中症にならないようにと皮袋に入れてきた水を口に含みながら、自分が重ねてきた土嚢の山を改めて見る。

 人一人分の高さに積み上げられた土嚢は充分にバリゲートとしての役割を果たしてくれるだろう。勿論時間を稼ぐにはこれだけでは足りないが、ここに兵士を配置して防衛に徹すればかなり攻めにくいはずだった。

「もう一段、高くしておくか」

 そう思って追加のそれを持ってこようと振り返ったところで、こちらに小走りに駆け寄ってくる姿に気が付いた。

「ルー様!」

「リーゼロッテ」

 彼女を保護してから早数日。反乱軍は王国軍が攻めあぐねる程度の大きさの戦力へと成長していた。

 その理由の一つはトウヤで、もう一つがこのリーゼロッテだった。

 王の横暴によって両親を殺された悲劇の令嬢。その肩書が人に与える影響は決して小さくはない。

 彼女の身の上を知り、どちらに付くか決めあぐねていた者達のうちの何割かは反乱軍に味方をすることに決めたらしい。

「なにが何処でどう作用するか判らんものだ」

 それはルー・シンの考えにはなかった、嬉しい誤算だったが、同時に人数の急激な増加は組織としての動きを鈍らせる。

 それによって最初に考えていた方法とはまた別の手段を取らなければならなくなってしまったのは事実だった。

 もっとも、当初の作戦よりはこちらの方が遥かに成功率も高いし、個人の負担も減るのではあるが。

「ルー様! お食事をお持ちしました!」

 そう言って彼女が紐でぶら下げた袋から差し出してきたのはパンが三つと、片手に持ったお椀に入ったスープが一杯。

 傍にあった倒壊した家の瓦礫に腰かけて、ルー・シンはそれを受け取る。スープの中身をよく見れば、少しではあるが肉が入っていた。

「調理係のおばさまがお肉を入れてくださったんです。頑張っている人達にって」

「それはありがたい」

 小さな一切れではあるが、それが士気に与える効果は決して小さくはない。ルー・シン当人にはあまり意味がないかも知れないが、個人的には嬉しいものだ。

 お椀とスプーンを手に取り、膝の上にパンを乗せると、リーゼロッテも自然な仕草でルー・シンの横に座って食事を始める。

 その様子を横目で見ると、視線に気が付いたのかリーゼロッテは照れたようにはにかんだ。

「わたくしもお昼休憩です。こう見えても、午前中は頑張って働きましたの」

「ああ。聞いている」

 彼女の健気な姿に勇気づけられる者も多いと聞く。是非、そのまま頑張っていて欲しいものだ。

 スープの味は薄いし、パンも硬くて食べ辛いが、この状況では大事な食事でもある。リーゼロッテもパンの硬さには苦心しながら、どうにか食べている。

「リーゼロッテ。何故パンが一つしかない?」

 彼女の膝の上に乗せられたパンは一つ。そしてルー・シンのところには二つ。

 余計な気を回させてしまったことは火を見るよりも明らかだった。

「わたくしよりもルー様の方が疲れてるでしょうから、当然です」

「当然なものか。食事の量は等しく決められているのだ」

 厳密には兵士は労働が多い分、食事の量が多いのだが、ルー・シンは前線で働くわけではないので、一般の協力者と同じだけの量に定めていた。

「ですが、ルー様は今この状況を作った功労者です! それがわたくし達と同じだけの食事なんて……」

「功労者か」

 さて、その言い分が本当に正しいのだろうか。

 負ければ最低最悪の反逆者。上手く行ったところで果たして後の世で何と呼ばれるものだろうか。

 何せ既にルー・シンは主であるエーリヒの命を無視して動いている。これが原因で彼が処刑されることが万に一つもあるかも知れないが、そんなことは既に織り込み済みだった。

 義を重んじるのならば、恩に報いるのならば他の方法でヘルフリートに取り入ることも不可能ではなかっただろう。

「ルー様?」

「なに。大したことではない。陣中は元の暮らしとは違うだろうが、何か困ったことはないか?」

 元々は伯爵令嬢として優雅な暮らしをしていた彼女が、いきなり庶民と一緒に、それも明日の食事にすら困る生活をするというのは大層辛いものだろう。

 そう思って聞いたのだが、帰って来た返答は意外なものだった。

「いいえ。こんなことを言うのは不謹慎かも知れませんが、全く知らなかったことばかりで楽しいですの」

「楽しい、か?」

「はい! それは勿論、お父様やお母様のこと、それから他にも大切な人を亡くされた皆様のことを思えば胸が張り裂けそうになりますけど」

 パンを握る手に力が籠る。当然のことだが、何もかも吹っ切れたということではないようだった。

「ですが、だからと言って絶望に押しつぶされるわけには参りません。わたくしは希望を貰ったのですから」

「……それは何よりだ」

「はい! それにあの方、アツキ様もよくしてくださいますので」

「ふむ……」

 見た目はアレだが存外、あの男は真っ直ぐな性格をしている。言っていることはともかくとしてその辺りはルー・シンも信頼しているところではあった。

「アツキ様とエトランゼさん達も協力してくれてよかったですわね」

「そうだな」

 あの戦いの後、アツキ達はルー・シンへの協力を決めた。

 逃げ続けていたエトランゼ達の中でも戦うべきと言う意見は以前からあったようで、それがルー・シンの発破とトウヤの活躍により多数派となったようだった。

 アツキは最後まで難色を示していたが、本人もいつかはそうしなければならないことは薄々気付いていたのだろう。結論が出てしまえば積極的にこちらに手を貸してくれている。

「とにかく、自分の分はしっかりと食え。体力がなくなってしまっては元も子もない」

「……はい」

 頷いてパンを食べ始めるリーゼロッテ。

 そこに大きな足音を立てて駆け寄ってくる姿があった。

「ルーたん!」

「ルーたんはよせ」

 そう答える先に現れたのは先程名前の挙がったアツキだった。息を切らせて、手には紙の束を握っている。

「エトランゼ達のギフトと、希望する配置を持って来たでござる」

「それは調度よかった。なら、それらを眺めながら食事を摂るとしよう」

 それを受け取って、パンを食べながら眺める。

 アツキが言った通りそこにはエトランゼ達のギフト、また得意分野などが書かれている。

 ギフトを持っているとはいえ彼等は所詮は素人。元々冒険者や傭兵として戦いを生業としていた者達はともかくとして、戦闘向きのギフトを持っているとは言え実戦経験がないものを戦いに出すわけにはいかない。

 それらを見ながら、アツキに配置の指示を出していく。彼が今、エトランゼ達を纏める役割を担っていた。

「ご馳走様でした。わたくしは、邪魔にならないように他のことをお手伝いしていきますわ」

 服の誇りを払って、リーゼロッテが席を立つ。

 まだ幼いが聡明な彼女は、これ以上自分とルー・シンが世間話をしている暇はないことを悟っていた。

「おぉ、リーゼロッテ殿。ご飯、美味しかったでござるよ」

「はい! それではルー様」

「ああ。くれぐれも無理はするな」

「ええ。判っておりますとも」

 ぺこりと優雅にお辞儀をして、リーゼロッテはその場から立ち去って行く。

 それを見送ってから、アツキは急に意地の悪い顔になってルー・シンの脇腹を肘で突く。

「うーん。羨ましいでござるねぇ。ロリに懐かれて」

「貴殿は手前のことが苦手ではないのか?」

 一度はお互いに反発した身でもある。そう簡単に態度が軟化するとは思えなかったが、どうやらこの男は違うようだった。

「それはそれ、これはこれでござる。敬意はどうあれ仲間になったのだから、あまり余所余所しいのもどうかと思うのでござるよ」

「見た目によらず高いコミュニケーション能力を持っているのだな。日本人のオタクと言うやつだろう? 昔何かの特集で読んだが、彼等は同じ趣味を持つ者達以外とはまともに目を合わせて喋ることもできないと思っていた」

「それは偏見でござる。まー、オタクは偏見で見られるものでござるから、別に今更に気にもなりませぬが」

「そう言うものか」

「そうでござる。それで、どうなんでござるか?」

「何の話だ?」

「誤魔化しても無駄でござるよー。リーゼロッテたんのことでござるぅ」

「……ああ。厄介だな」

「へ?」

 ルー・シンの答えにアツキは間の抜けた声が出てしまう。

「戦いが終わって、彼女の家が再興するに当たって、手前のような者と関わりがあったということ自体が汚点になりかねん」

 ルー・シン自身の立場が、この戦いが終わった後にどうなっているかも判ってはいない。そうでなくとも、主であるエーリヒを見捨てたという事実はもう消えはしないだろう。

「はぁ、お家の再興でござるか?」

「手前などよりラウレンツ殿と仲を深めた方が余程、役に立つと言うものだ。後で口は聞いておくつもりだが」

「そう言う話ではないでござる」

「ならばどう言う話だ?」

「ルーたんはリーゼロッテたん自身に思うことはないのでござるか? 可愛いなー、とか。愛でたいとか、娘にしたいとか?」

「手前はそんな年ではない」

 自分を若者と言うつもりはないが、だからと言ってリーゼロッテのような年の子供がいるほどでもないつもりだった。

「ならペロペロしたいとか?」

「ペロペロ? それはつまり彼女に性的な願望を抱いているということか?」

「そう直接的に言われると困るでござるが……。まぁ、ソフトな言い方をすれば恋人とかでござるよ」

 目を眇めてアツキを見る。

 その氷点下の視線に気付いたのか、アツキも気まずそうに目を逸らした。

「子供だぞ? 貴殿はひょっとしてあれか、小児性愛の気があるのか?」

「誤解はしないで欲しいでござる! 拙者は可愛いものなら子供から大人までオールオッケーの全方位オタクであるからして、つまり決してそう言った趣味があるわけではないが、まぁないわけでもなく面と向かって聞かれるとちょっと答え辛いなぁとか思ったり思わなかったり……」

「小児性愛は社会悪だぞ」

「それは言い過ぎではござらんか! 思うのは人の自由でござろう!」

「……まぁ、それもそうか」

 それにこの世界ならば、子供が大人に嫁ぐことも珍しくはない。ルー・シンも年の離れた夫婦を何組も見てきた。

 勿論、自分がそれにどう思うかはまた別の話ではあるが。

「何にせよ、アツキ殿はリーゼロッテには近付かせない方がよさそうだ」

「あ、そのぐらいの愛情はあるんでござるな?」

「そうだな。助けた手前もある。家の再興ぐらいまでは手伝ってやるつもりだ」

「あちゃ~。これ、完璧に二人の気持ちが擦れ違っちゃってるやつでござるねー」

「何の話だ?」

「何でもないでござるよ。拙者は良い男なので余計なことは言わないでござる」

「……そうだな。貴殿は、随分と良い男だな」

「え? ひょっとしてルーたんそっちの……? いやいやいやいや、拙者は確かにナイスガイでござるが、別に男が好きと言うわけでは……いや、でも最近巷では男の娘と言うジャンルもあって、それに関しては吝かではないでござるが男の娘と言うにはルーたんはちょっと逞しすぎると言うか顔が怖いというか……」

 突然動揺し出したアツキが何を言っているのか、ルー・シンには半分も理解できなかったが、この男が自分の知らない世界の常識で物事を語るのはいつものことなので、流すことにした。

「よくエトランゼ達を護っていてくれた」

「それ、ルーたんが言うと嫌味にしか聞こえないでござる」

「そうだな。結果として手前達は人員を確保できたのだから。やはり生活水準の向上にはエトランゼが向いている」

 むしろ非戦闘員としての方が、元の世界の住人が扱いやすいというのは事実だった。

 道具はなくとも元より高い文化水準の世界から来ただけのことはあって、工夫を凝らすことにより拠点の快適化に貢献としてくれる。

「……団長に、預けられたでござるからね」

「ああ。確かグレンとか言う男か」

「ヘルフリートのエトランゼ狩りが始まった時、団長はみんなを逃がすために囮になったでござる。拙者に全てを任せて」

 そのまま、グレンはまだ帰って来てないらしい。経過した時間を思えば、既に死んでいると考えるのが妥当だろう。

「貴殿のギフトはその際に?」

「……どうにか逃げおおせて、ギフトを使おうと思った時に気付いたでござる。自分のギフトが変わっていることに」

 渡された書類に書かれているアツキのギフトは、以前と変わっていた。

 かつて魔法学院からキメラに付いて書かれた文書を盗んでもらう時に、聞いていもいないのに説明された、魔物を食らうことでその部位を手に入れられるものから、食った魔物へと変身できるというものへと。

「ギフトの覚醒か」

 ある条件下で、ギフトが次の段階へと進化するという報告例は幾つか耳にしていた。

 しかし、それは未だ再現性がなく、何処で何をすればそうなれるかなどは全く判っていない。

「拙者が思うに、覚醒には心が関わっていると思うでござる。心に強い揺さぶりが掛けられたとき、ギフトはより強い姿へと進化する!」

「それは貴殿の経験談からか?」

「どちらかと言えばそっちの方が格好いいからでござるな。ほら、ピンチの時に覚醒するとかアニメだと鉄板でござるし」

「……だといいがな」

 食事を終えたので、ルー・シンは立ち上がる。

「アツキ殿。エトランゼ達を集めてくれ。口頭になるが、それぞれの配置が決まったのでそれを発表する」

「え、もうでござるか?」

「喋っている間にな」

 そうして発表された内容により、エトランゼの大半は給仕と拠点の防衛に回されることになった。

 ただ一人、アツキを除いては。

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