第三節 同盟

 ラウレンツ達が駐屯している詰所の一角。元はここに住む貴族達が来客用にと建てた離れがあり、その場所は今戦いで捕虜にした者達の収容所として扱われていた。

 こちらに戻って来てからの捕虜の処遇に対しては、オルタリア側からは何の通達もなかった。かと言って殺してしまうわけにもいかず、最低限の治療を受けさせた上で武器を取り上げて軟禁状態にしておくしかなかった。

 とは言っても重傷を負った者を治せるだけの医者を用意できず、半分は死亡し、まともに動ける者の数は決して多くはないが。

 ルー・シンはその離れの戸を叩き、部下の兵士に命じて家具などが一切取り払われ閑散として広間に捕虜達を集めさせた。

「これで全部か?」

「はい。医者もまともに用意できず、多くが死亡してしまい……」

「それもヘルフリートの手落ちか。軍医すらロクにいないのでは、市民の医療はどうなっているのやら」

「医者の類は全て軍に抑えられ、一部の者達だけが医療を受けられる状態になっているようです。それも大量の対価を要求されるとか」

「なるほど。ならば市民はただ死に逝くのみか。治さぬことこそ最新の医療と言うことか」

「……は?」

「死ねば結果的に怪我も病気も消える。そう言うことだろうよ。さて、案内ご苦労だった。後は手前一人でいい」

「で、ですが……」

「心配は要らぬ。手前とてエトランゼだ」

 実際のところ、今目の前にいる男達に暴れられてはルー・シンのギフトではひとたまりもないのだが、兵士を黙って退かせるためにそう言っておいた。

 それが通じたのか護衛の兵士は広間から出ていく。

 ルー・シンが改めて広間に集められた面々を見渡せば、手足を縛られた男達は皆ルー・シンを親の仇の如く睨みつけている。無理もない、彼等の同胞を罠に嵌め焼き殺したのはつい数日前のことだ。

「さて、諸君。こういう時どういった物言いをすれば一番効果があるのか、残念なことに手前にはその知識がない。だから単刀直入に言わせてもらおう」

 帰ってくるのは静寂だった。その気になればルー・シンを殺すことができるエトランゼの集まりだが、それをしない辺りは流石に統率が取れている。それをやったところで自分達が生きて帰れはしないと判っているのだ。

「この度、晴れて手前等もオルタリアに対する反乱軍となった。これでお互いの立場は同等。で、あれば共に手を取る道もあるのではないか?」

 一歩歩み寄る。

 捕虜達はルー・シンの言葉の意味を理解できないのか、呆然としている。

 その中で、捕虜達の中心に縛られて座っている年若い少年が最初に口を開いた。

「どういうことだよ?」

 臆せぬ、反骨心を感じさせる口調。

 その顔にはまだ幼さが残っているが、それなりの修羅場をくぐって来ていることは間違いない。現にこの場にいる少年よりも年が上な兵達ですら、彼が発した一言に注目していた。

 ルー・シンもその少年は知っている。あの時、罠に掛けた先でその顔を見ていたし、ラウレンツからも話を聞いている。彼を追いつめるほどの強者がいたと。

「言った通りだ。理由はほぼ、貴公等と同じだ。ヘルフリートのやり方にはついていけぬ」

「今更かよ?」

「そうだ。その点に関しては、些か結論を出すのに手間取ったと自分を恥じているところだ」

 あっさりと非を認めて、少年の怒りをひらりと避けて見せる。

 そうすることでそんな怒りを今ぶつけても無駄であると言外に伝えたつもりだが、果たしてしっかりと理解してもらえたかどうか。

「……ここはオル・フェーズだろ? 相手の庭で喧嘩して、勝てる保証はあるのかよ?」

 どうやら伝わったようだった。

 この場の空気は完全に彼を代表者として話を進めるつもりらしい。ルー・シンは素直にそれに従うことにする。今のこの場で発言できない者の意見など、既に宛てにはならない。

 少なくとも目の前の少年は、垂れてきた希望の糸を掴もうとしている。果たしてそれが本当に天に続いているかはまた別の話として。

「手前達だけではないな。無論、君達が力を貸してくれてもだが」

「……それじゃあ、意味ないじゃないか。俺達があんたらに協力して、イシュトナルを裏切った上で身内争いに参加して死ねって? 幾ら何でも馬鹿げてるだろ」

「ふむ。手前はイシュトナルを裏切れなどと言った覚えはないのだが、その言葉は何処から出てきたのだ? いや、むしろ裏切ってもらっては困るのだが」

「はぁ?」

 少年は困惑した声を上げるが、馬鹿ではないのか少しの間考え込むと、自分で結論まで辿り付いたようだった。

「俺達を餌にイシュトナルを呼ぶつもりか?」

「惜しいが、違う。別に餌にするつもりなどはない。イシュトナルは放っておいても勝手にやってくるだろうからな」

「なんでそう思う? あの怪物が出てきたせいで、お互いに大きな被害が出たはずだぜ? 俺はここにいるから判らないけど、イシュトナルだって動ける状況じゃないんじゃ……」

「どうやらそれは杞憂のようだぞ。お互いに受けた被害は甚大だが、イシュトナルの主力部隊はどうにか形を保っている。奴等のことだ、オルタリアが混乱している今の隙を逃す理由もあるまい」

「……そっか」

 少年と、周囲から安堵の溜息が漏れる。

 彼等の象徴であるエレオノーラがオルタリアの手に落ちているであろうことは、敢えて口にはしなかった。どうせすぐばれることだが、今ここで余計な不和を生む必要もない。

 ――事が動きだせば、誰も流れからは降りることができなくなる。それこそがルー・シンがこの国で今やるべきことだった。

「それで、手前達も時間があるわけではない。そろそろ結論が欲しいのだが」

 そう尋ねると、少年は口籠る。

 彼自身の答えは決まっているようにも思えたが、周りの反応が気になる様子だった。

 そして一人が、囁くように最初の一言を口にする。

「おれは、やる。このまま殺されるなら足掻いてやる。そうやっておれ達は今日まで生きてきたんだ」

 傷を負った一人のエトランゼがそう言うと、それに賛同する声が上がって行く。

 彼等に大義はない。果たすべき義務も、使命も。

 この世界に迷い込み、訳も判らぬまま理不尽に晒され続けた哀れな者達。

 だが、彼等は死んでいったエトランゼとは違う。

 ルー・シンと同じように、自分で生きることを選び取った者達だ。

 だから、今回もそうする。生きるために、精一杯のことをやってやるだけのことだった。

「交渉成立だ。少年、君はどうする?」

「……やるよ、当然。俺だって死にたくない。今日まで生きてきたのはこんなところで死ぬためじゃない。……生きて、生き延びるためだ」

「いい言葉だ。青いが、それ故に人の心に届き、時には刃物のようにそれを抉る」

「……馬鹿にしてんのかよ?」

「いいや」

 首を横振る。

 それは本心だ。彼のような真っ直ぐに生きようとする若者の姿は眩しく映り、時に人の心の闇すらも打ち払う。

 果たして英雄と呼ばれそうになった彼女もそうであったかは、本人を知らぬルー・シンには判らぬことではあるが。

 そしてだからこそ、今それが必要だった。

「共闘ついでにこちらから提案がある。少年よ」

「……なんだよ?」

「英雄になる覚悟はあるか?」


 ▽


 ルー・シンとラウレンツが共闘を始め、エトランゼの捕虜達が解放されたその日の内に、合計四ヵ所の武器庫と食糧庫が立て続けに襲撃を受けた。

 具体的な数を言えば武器庫が一ヵ所で、食糧庫が三ヵ所。うち一つはラウレンツの部隊とは関係のない市民達の暴動によるものだった。

 襲撃した兵達は奪えるものを奪い、奪いきれないものには火を放ち、瞬く間に街の中に消えていったという。

 兵達が急ぎ追撃したが、広いオル・フェーズの地理を知る者達に一斉に散らばられては、ろくな成果をあげることもできなかった。そのことに付いてはエーリヒの投獄にその腹心の部下であるラウレンツの犯行と言うことで兵達の士気が最低レベルに落ちていたことに加えて、市民達の協力が全く得られなかったことが理由として挙げられる。

「どうにも、破綻が近いことに気付いていないのはその王ばかりか。裸の王は民衆が世辞を言わなくともそれに気付けぬものなのかも知れぬ」

 或いは、それらを無視してでも手に入れたい何かがすぐ目の前にあるか、と言ったところだろう。ルー・シンには今の現状は、ヘルフリートの無能から引き起こされている事態であるとはどうにも思えなかった。

 一応の策略を練って国を落とした王にしては、幾ら何でもその後が杜撰過ぎる。兄を殺してまで欲しかったものを、手に入れたからと言ってこうまで粗雑に扱うはずもない。

 統治の仕方が判らない、ならばまだ納得できるが、ここまでくると最早敢えてこうしているようにしか見えなかった。

「ルー・シン様」

「どうした?」

 今、ルー・シンは一人だった。エトランゼ達もラウレンツの部下達にも指示を与え、今日一日は各自隠れるように言ってある。追っ手を撒いた後に、数日後定められている集合場所に集まる予定だった。

 そこにやって来た部下は、戸惑ったような表情をしている。

「早く貴公も身を潜めよ。一人でも見つかれば貴重な戦力が減るのだ」

「い、いえ、それが……。物資を奪うために襲撃した集積所の一つが、我々が最初にいた場所と同じように貴族の屋敷を接収した場所だったのですが」

「ああ。知っている。ヘルフリートに逆らった愚かな伯爵の家だろう? いや、こうして手前達の役に立ってくれたと考えれば、あまり悪いことも言えぬが」

「そこに、積まれていた物資に紛れるように子供を見つけまして」

「紛れ込んだと言うことか? そんなもの、適当に街に放しておけ」

「……殺されたクリーゼル家の令嬢のようで。その、処遇の方は本当にそれでよろしいでしょうか……?」

 恐る恐るその兵士は尋ねる。確かに彼の立場では、幾ら没落していたとはいえ貴族の令状を街に放り出すのは忍びないのだろう。

「クリーゼル家か。何かの役に立つかも知れぬ。保護しておけ。いや」

 兵達を隠れさせるに当たって、足手まといの令嬢を連れていてはかえってお互いを危険に晒す羽目になる。

「手前が保護するとしよう」

 クリーゼル家は五大貴族ほどではないが、ここオル・フェーズに住むことを前王に勧められるほどに力を持った貴族だったはず。その威光を借りることができれば、計画をより順調に進めることができる。

 役に立たなければ安全そうな場所で置いて行けばいいだけのこと。もっとも、この王都に今安全な場所がどれだけあるのか、ルー・シン自身に判らないものではあるが。

 計画の第一段階は成功したと言っていい。だから、少しばかり気が緩んでいたのだろうか。

 らしくない短慮に身を任せたことを、ルー・シンはこの後後悔することになった。


 ▽


 兵士に案内された先に待っていたその人物を見て、ルー・シンは絶句した。

 黙ったその姿を見下ろしながら、自分の考えの浅はかさを呪う。

 後ろを見れば、既に自分の役目は終了とばかり直立不動で、これ以上この件に関わるつもりもはないようだった。

 それを咎めることもできず、表面上は平静を保ったまま、目の前に立つ一人の少女を見下ろす。

 美しい白金色の髪をした少女だった。それを横側で纏めた小さな尻尾が、彼女が身動ぎをする度に小さく揺れる。

 着ている服は元は一流の仕立て屋に作らせた逸品物だったのだろう。襤褸同然となった今でも気品が見て取れる。

 大きな丸い目でこちらを見上げながら、その表情は安堵と言うよりも警戒の方が強い。

 この状況でも凛とした表情を崩さないその在り方はまさしく貴族の娘としての理想かも知れないが、問題は彼女の年齢だった。

 物が判る年ならばじっくりと話し合うこともできたであろう。ルー・シンの勝手な想像では二十代、若くても十代半ばぐらいだと予想していた。

 まさか、十代の前半、下手をすればそれに満たない程度の少女が一人で倉庫となった屋敷に隠れ潜み続けることなどできるとは思っていなかった。

 もっともこれも後から考えれば、身体が小さいから色々な隙間に隠れることができたのだと、合点がいったことだが。

 警戒も無理ならぬことだ。いきなり目の前に現れたエトランゼを信用しろと言う方が無理な話。ましてや、ルー・シンは認めたくないことだが顔の怖さには定評がある。決して子供に好かれるような顔つきはしていない。

「お怪我はありませんでしたでしょうか?」

 事務的なその質問に、少女は頷きだけを返した。

 腰を折って、目線を合わせてそう問いかける。

 少女は何も言わず、ただ黙って縦に頷いた。

「それは何より。……お父上とお母上はどうなされた?」

 首が横に振られる。

 彼女に何が起こったかを理解するにはそれだけで充分だった。

「ルー・シン様。クリーゼル家はヘルフリートによる突然の財産没収と粛清を受けて」

「……それ以上は言わずともいい」

 目の前の少女に、二度もそんな現実を突き付けることもない。

 彼女はもう既に一度嫌と言うほどの悲しみを見て、そしてこれからも両親がいないという真実に向き合って生きていかなければならないのだから。

「では、自分はこれで」

 そう言って兵士が去って行く。

 目線を合わせたまま、ルー・シンは更に語りかけた。

「名前は?」

「リーゼ。……リーゼロッテ」

 か細い声が唇から漏れる。

「いい名だ。少しばかり不便を掛けるが、手前達に付いてくるなら多少の安全は保障できる。……両親の仇を討ってやる、などと無責任なことは言ってやれぬが」

 例え少女がそれを望んでいたとしても、ルー・シンはそのために行動することを好まない。

 私怨のままに戦えば、いずれ同じ理由で自分が討たれることをよしとしてしまう。

 それでは駄目だった。あくまでも今行われているのは、生きるための戦いでなければならないのだから。

 それでも、少女は頷いた。

 果たして今際の際に両親に何と言われたか。いや、実のところその時間があったかすらも定かではないが。

 彼女は少なくとも生きることを選んだ。

 ならばそれはルー・シンと同じだ。主であるエーリヒを見捨てるような真似をしてまで、無様に生を選んだ男と。

「では、行くとしよう。貴殿の歩幅では少しばかり時間が掛かる。手前が抱きかかえていくがよろしいか?」

 腕を差し出すと、そこに座るように腰を下ろす。

 そのまま片腕で少女を抱きかかえて、ルー・シンは行くべき道へと進み始めた。

 数歩歩いたところで、重要なことを言っていなかったことに気が付いて、ふと少女に喋りかける。

「手前の名はルー・シン。見ての通りのエトランゼだが、まぁ、信用してほしい。決して貴殿の命を投げ出すようなことはしない」

 こくりと、小さく頷き、ルー・シンの腕の辺りを掴む力が、少しだけ強まった。

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