第二節 今回の主役は手前だ
オル・フェーズ王宮近くには、遠方から来た貴族達が滞在するための邸宅が幾つも並んでいる。
その中でも特に大きな屋敷の一つが、本来ならば遠くミンユウの地を治めているエーリヒが住居としている屋敷だった。
花盛りの広い庭が見渡せる二階のテラスで、エーリヒの部下の一人であるルー・シンは庭にある花々を見つめていた。
長身痩躯、怜悧な顔つきだが眼つきは鋭く、見ただけで威圧感のある顔立ちをした男が花を眺めている姿は異様としか言いようがなく、その世話をしている庭師達は監視されているような気持で仕事をする羽目になっていた。
そのテラスへと繋がる部屋の中に、ノックの音もなく扉が開く音が聞こえる。
本来ならば罰されてもおかしくはないその行いに、ルー・シンは特に顔色を変えることもなく応じる。
近付く人の気配に臆する様子もなく、背中を向けたまま声を発した。
「王宮の様子はどうなった?」
「エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンは地下牢に幽閉されました。馬鹿げたことに、王様の勅命ですぜ」
「そうか」
一言だけ、そう答える。
予め放っておいた密偵はその様子に不審なものを感じたのか、疑問を声を発した。
「ルー・シンの旦那? 驚かねえんですかい?」
「特にはな。あの王のやりそうなことだ。エーリヒ様は話の判る上司だったが、やはりそこは看過できなかったと見える」
「どういうことですかい?」
密偵として動いていたこの男は別段、エーリヒの部下と言うわけではない。ルー・シンが金で雇った、その場限りの付き合いだ。
彼自身もそれは理解していたのだが、主が捕まっても全く動揺した様子も見せないルー・シンに、珍しく彼の中で好奇心が刺激されていた。
「武人であり、そしてこの国の護り人と言うことだ。これ以上オルタリアが乱れ、腐ることを看過できなかったのだろう」
「……はぁ」
「手前ならばもう少し待つところだがな。そうして腐りきり柔らかくなったところが、一番の弱点となる」
「ははぁ。あっしは頭が悪いんでよく判りませんが、エーリヒがしくじったってことですかい?」
「そうではない。国を想う者としてはそうせざるをえなかろうよ。だが、そうだな。ククッ、少しばかり野心が足りなかったか」
「旦那はいちいち回りくどい言い方をしやすね。あっしなんかとは会話できないってことですかい?」
「そうではない。気を悪くしたのならば謝ろう。だがまぁ、あまりゆっくりしていない方がいい」
「へぇ?」
密偵が間抜けな声を出す。
ルー・シンは相変わらず相手の方を見ないまま、テラスのテーブルの上に乗せられた一口サイズの小さなケーキに手を伸ばす。
「約束の金はそこに置いてある。それを受け取ってさっさと去るがいい」
「……はぁ。そう仰られるなら」
「いい腕だった。次に何かあったらまた依頼するかも知れんが」
「残念ながら、これっきりしばらくは身を隠そうと思ってましてね」
「そうか。無理もない。やはり裏社会に生きていても御使いに逆らうのは怖いか?」
「御使い? 何のことか判りませんが、そりゃ神様の使いに喧嘩は売れませんぜ」
言ってから男は部屋のテーブルの上に置いてある袋に手を伸ばして、その中身を確認する。
確かな重みに一瞬顔を綻ばせると、そそくさと扉を開けて部屋を出ていった。
ヘルフリートは民のことを考えないが、だからと言って完全な無能ではない。
兵力を集める傍らで、あらゆる地下組織を潰して回り、オル・フェーズ内での諜報活動をほぼ自らの手駒の管理下に置くことに成功していた。
今の男はそこから珍しく外れた男で、これまでも何度か依頼していたのだが、今回が最後になったようだった。
「さて。そろそろか」
外側に背を向けて、今度はテラスから部屋の中を覗き込む。
カーテン越しに見える室内は簡素なテーブルと椅子、荷物を置くための棚が幾つかに、観賞用の花が刺さった花瓶と鉢植えが置いてあった。
ルー・シンが部屋の中に踏み出そうとした直前に、扉の向こうから激しい足音が幾つも響いてくる。
給仕のためのメイド達の戸惑いの声を掻き分けながらその音は、ルー・シンの部屋の前に進み、これまたノックもせずに扉が開け放たれた。先程と違うのはその勢いが、扉を壊さんばかりのものであるということだった。
武装した兵士が五人ばかり。まず先頭に立って部屋に入って来たのは三人で、残りは廊下で待機している様子だった。
「エーリヒの配下のエトランゼだな?」
「この状況で違うと言えば見逃してもらえるかな?」
「無駄口を叩くな! ヘルフリート陛下の政策により、エトランゼである貴様を確保する!」
「手前はエトランゼであると同時に軍籍を持つ将である。それはエーリヒ殿が証明してくれるものだが、それに付いては如何様な扱いとなっている?」
追い詰められているにも関わらず冷静に、何処か悠々とも取れる口調でルー・シンは尋ねた。
「その男は投獄された! ヘルフリート陛下に逆らった罪でな! つまり貴様に掛けられていた恩赦も取り消しと言うことだ!」
「恩赦とは、これまた妙なことを。手前は双方の利益あってオルタリアに協力していたが、情けを掛けれていたとは初耳だ」
「黙れ! 貴様の命は保証されていない! 余計なことをすれば苦しむだけだぞ!」
「それは恐ろしいことだ。……つかぬことを聞くが、手前も大人しくしていれば牢に繋がれるのか?」
「ハッ、おめでたい男だ」
兵士が嘲笑する。
目の前のエトランゼはまだそんな悠長なことを言っているのかと。
「貴様達エトランゼの居場所はこの国には何処にもない。オル・フェーズのエトランゼは追放されるのだ!」
「……ほう」
それが聞ければもう充分だった。もっと言えば、目の前の頭の悪そうな男からはこれ以上の情報は得ようもない。
ルー・シンが質問を打ち切ったのを諦めと思ったのか、男が剣を抜いて部屋の中を一歩踏み入ってくる。
両脇を固める兵士も武器を持ち、ルー・シンのギフトに備えた。
「貴公等は、手前が抵抗しないとでも思ったか?」
片手を前に差し出す。
「ギフトか!」
男達は盾を構え、身を護る態勢を取った。どうやら他にもエトランゼを『狩って』いるらしく、その即座の反応は見事なものだ。
「一つ。手前は物を教えられるほど自分が優れた人間だとは思っていないが、語っておこう」
その掌からは何も放たれない。たんなるはったりであると兵士が気付くのに、幾何かの時間を要した。
そしてその間に、ルー・シンのギフトは別の方向より発動していた。
ぽとりと、小さな音がする。
部屋の中にあった鉢植えに咲いていた大きな花が、その首を床に落とした音だった。
たまたまそれが大きく響いただけで、兵士の怒鳴り声が反響する中、いつの間にかその花達は無残にも全て床に落ちてしまっていた。
ここで植物の知識、もしくは魔法の知識でもあれば誰かが気付いただろうが、残念なことにここにやって来た者達の中にそれを持つ者はいない。
だから、それが魔導師達が毒薬を調合する際に採取する毒花であると気付けなかった。
落ちた衝撃で小さな粉が舞う。
既にそれは、充分な量が部屋の中に満たされていた。
「相手が常に正直者だとは思わんことだ」
「な、にを……!」
剣を振り上げて駆けだそうとして、彼はその違和感に気付く。
力が入らず、踏み込んだ足は縺れ、剣を持つ手は痺れてそれを取り落とす。
両脇の二人も同様のようで身体の痺れを訴えながら崩れ落ちていった。
「どうした、何があった!」
「よ、せ……! 入って……!」
ルー・シンがカーテンを引く。
すると、そこに蔦で結びつけられていた花瓶が動いて、棚の上から落ちて陶器が割れる音が響く。
それは兵士の絞り出す声を掻き消し、外の見張りに戦いの音と錯覚させた。
そして当然、そこに入っている花も同様の毒花だ。
踏み込んできた兵士二人はその花粉を吸い込み、瞬く間に全身に痺れを感じて、ルー・シンまでのたった数歩の距離すらもまともに歩けなくなってしまう。
「即効性があり充分な威力もある。だが、体内で免疫ができるのが早いのが欠点だ。本来ならば調合して使うらしいが」
ぶつぶつと独り言を言いながら、ルー・シンが数歩後退する。
いつの間にかテラスには、庭にある一本の花から伸びた丈夫な蔓草が絡み付いていた。
「まさか自分がやることになるとは思わなかったが。こういうのも映画のようでなかなかに愉しいものだな」
それに掴まって、ルー・シンは兵達を一瞥する。
「決め台詞の一つでも言うべきか……。いやいや、手前のキャラではないな」
そう言ってケーキを手に取ると、一口で食べてから地上へと降りていった。
驚く庭師達を余所に、ルー・シンはゆったりとした仕草でエーリヒの屋敷を後にする。
既に行くべき道、取るべき行動は頭の中で全て組み上がっている。
▽
広大なオル・フェーズの敷地内には幾つもの軍の詰所が置かれている。ヘルフリートが王権を握ってからはその数も増え、財産を没収された貴族の屋敷などがそれに使われることもあった。
その中の一つ。ヘルフリートに対してイシュトナルとの和平を提案したばかりにその逆鱗に触れ、一族諸共粛清されたとある伯爵の屋敷を、ラウレンツ達は詰所として使っていた。
ルー・シンが向かった先はそこだった。ちょうど屋敷の入り口で部下と談笑しながら、串に刺した肉を食っているラウレンツの元に向かう。どうでもいいが、相変わらずこの男は貴族でありながら気品と言うものが殆どない。もっともそれが部下達に親しまれる理由の一つとなっているのだから不思議なものだが。
「よぉ、軍師殿。どうした? 真正なワイバーンの肉、食うか? 肉は固いが味は良いぜ」
「撤退戦の合間に仕留めたワイバーンか? 小型とはいえ飛竜を仕留めるとは、流石だな」
「褒めるなよ。逆にこいつを仕留められなきゃ、今も食うもんに困ってる有り様だ。それだって腹一杯食わせてはやれねえ。残りは欲し肉にして……っと、それで用件はなんだい?」
「エーリヒ殿の行方が判った。どうやらヘルフリートに異を唱えたことで城に幽閉されているらしい」
「……ほぉ」
平静を保つように努力はしたようだが、その声は硬い。
それも無理もない話だった。ヴィルヘルムと言えばオルタリアの建国から常に王の片腕として支えてきた、最も古き家柄の一つ。
五大貴族と言う言葉が出来上がっても、未だ戦乱が消えないこの大地でオルタリアの地を護る武門の家柄として、他家とは異なる扱いを受けるほどの名家なのだから。
「それから、エーリヒ殿の屋敷も襲撃を受けた。もっとも、狙いは手前だったようだが」
「……おいおい。味方のエトランゼも見境なしってことかよ?」
「そう言うことになるな。最早これは単なる怨恨の話ではないように思える」
既にエトランゼ狩りは決行されている。幾らエーリヒが投獄されたからと言って軍属であるルー・シンにその手が及ぶということは、それだけ狩りが進んでいるということだろう。これは予想ではあるが、既に街に暮らしているエトランゼの大半が捕まっていると考えていい。
「エトランゼを捕まえて何かさせてるってことか?」
「それならばまだいいのだがな」
一ヵ所に閉じ込めて虐殺、と言う線すらも捨てがたい。それぐらい今この国は狂っている。
もしくは可能性の一つとして思い当たるのが、それらを生贄にしての何らかの儀式だ。そう言った魔導があることはルー・シンも知っている。ただ、今のところそれが大きな被害を及ぼしたという事実は聞いたことがないが。
「すまねえが今はそっちを気にしてる場合じゃないな。俺達も身の振り方を考えんと」
「数刻もしないうちに親衛隊がやってくるだろう。用件はエトランゼの捕虜の受け渡しと、ヘルフリートへの指揮権の譲渡だろうが」
「……まぁ、そうなるよな。どうしたもんかねぇ」
面倒くさそうに頭を掻きながら、誰に言うでもなく呟く。
周囲の部下達にも二人の会話は聞かれていて、詰所の庭には奇妙などよめきが広がりつつあった。
「もしラウレンツ殿がヘルフリートに付くののならば、手前の命運もここまでと言うことになる」
「……そう簡単には話は行かねえよ。判っててやっただろ?」
こんな重要な話を兵達の前でしたのには意味がある。
こうして動揺を広めることで、彼等にこのままヘルフリートに付いていていいのかと言う疑心を植え付けた。
元々その過激なやり方には賛同できず、エーリヒが従うのならばと行動を共にしていた兵や将は多い。そこに投獄された話が持ち込まれれば、彼等も自分で進む道を決めなければならなくなる。
例えここでラウレンツがルー・シンを捕らえようとしても、一筋縄ではいかなくなった。
「ラウレンツ殿を敵には回したくないのでな」
「嬉しいこと言ってくれるね。俺もお前さんを敵にはしたくねえよ」
「ならば征く道は定まったと判断してよろしいか?」
「……そうだな。歴史に名を轟かせるヴィルヘルムに、泥を塗ったままにはできねえだろうよ」
「……それならば手前を捕らえて助命を請うと言う手段もあるが?」
「それができりゃ、こんな難儀な生き方してねえってことだ。戦に勝つのに手段を選ぶつもりはないが、どんな戦をするかを選ぶぐらいの頭はある。それに、この街の状況を見て王様のやり方が正しいとは思えんさ」
ヘルフリートの専横により、既にオル・フェーズは荒れ果てている。そこに加えて結界により外に出ることもできないという状態は、市民に強い圧力を与えていた。
正体不明の親衛隊が街を見回り、彼等に指示されるままに兵達による粛清と略奪が起こる。オル・フェーズは最早オルタリアの首都ではなく、力による支配が蔓延る無法地帯に近い。
「その言葉、信頼しよう。知己を得られて嬉しく思う」
「おう。こっちこそな。ってことだお前等! 俺達は今から反乱軍だ。いきなりこんなことになって悪いが、こいつはもう覆らん! だからここから去る奴がいるなら黙って出ていけ! 今から一時間、俺は何も見てないし何も聞かないことにする!」
そうラウレンツが叫ぶと、兵達の間をその言葉が次々と伝わって行く。
それでもすぐに動きだす兵はいなかった。これから時間が経てば熟考の末にヘルフリートの下に走る者もいるだろうが、一目散に逃げだす者がいない当たり、ラウレンツとエーリヒの人徳が見て取れる。
「正直なことだ」
「信条でね。エーリヒ様も同じことすると思わないかい?」
「かも知れぬな。手前とは反り合わぬやり方だ」
「だからあんたの知恵がいるのさ。で、どうすればいい?」
「まずは戦力が必要だ。そのためには――」
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