七章 立ち上がる狼煙(中)
第一節 新たなる神
オルタリア、首都オル・フェーズ。
そこは荘厳な空気が充満する空間だった。
広々とした謁見の間の、赤い絨毯の上で傅く男が一人。
その背後の入り口には衛兵が二人立ち、事の成り行きを不安そうに見守っている。
大理石の柱が並び、高い天井からは幾つもの照明がぶら下がり、その場を明るく彩っている。
その中で、まず傅いている男、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンが口を開いた。
「ヘルフリート様」
「エーリヒ。よくぞ戻った。お前が生きて戻って来たことを、俺は嬉しく思うぞ」
果たしてそれは本心か、それとも何かの建前か。
最早それを疑ってしまうほどに、ここに来るまでにあった出来事はエーリヒの中のヘルフリート像を歪めてしまっていた。
「幾つかお聞きしたいことがあります」
「言ってみろ」
「まずは、オル・フェーズを覆う魔導結界のことです。この様では兵達は愚か、民すらも外に出ることは叶いません」
「非常事態だからな。事が解決するまでそうさせたまでよ。心配するな、オル・フェーズ内の食料自給だけで、当面は飢えずに凌ぐことができる」
「それは限界まで切り詰めての話でしょう。貴族や兵達はともかく、民達まではすぐに回らなくなりましょう」
「……ふん。余計な心配だな。すぐに事は済む。多少は不便を強いるだろうが、それは全て王である俺の意思だ。逆らう気骨のあるものなどはおるまい」
「そう言う話ではないでしょう」
王座に座り、脚を組んだままのヘルフリートの態度に何ら変化はない。
どうやら本気で、民がどうなろうと知ったことではないという態度を貫くつもりのようだった。
「次の質問を急げ」
「……あの親衛隊と言う連中は何なのでしょう? 俺はあのような者達の存在を知りません」
「だろうな。ここ数日で火急に仕上げたものだ。俺の意のままに動く兵達が欲しかったものでな。五大貴族も半分以上が姿を消し残ったのはお前とモーリッツのみだからな」
エッダ・バルヒエット、マルクス・ピラーの二人は聖別騎士達をこの国に招き寄せる任務を果たす代わりに、エイス・ディオテミスへと祈祷の旅に出ていた。今、この国には彼等の痕跡すらも殆ど残っていない。
「では、その親衛隊が下した任務も真実であると? この未曽有の危機にこともあろうに、協力すべきイシュトナルを滅ぼせと?」
協力すべき、と言う言葉が気に入らなかったのか、ヘルフリートの眉が小さく動いた。
「奴等は簒奪者だ。お前達が護らなければならないのは他ならぬオルタリアそのもの。つまり王家の血を引く俺に他ならぬ。理解できぬか?」
「今がどういう状況か、お判りでないわけではないでしょう? あの災厄と、それに伴って現れた魔物達により多くの民が殺され、生き残った者もまた明日をも知れぬ生活を余儀なくされています。我々がやるべきことは、一刻も早く彼等の不安を取り除くことでしょう」
「それは違うぞ、エーリヒ。俺達がやるべきことは早急にイシュトナルを滅ぼし、俺に逆らう愚か者共がどうなるかを世に知らしめることだろう。仮に民を救ったとて、奴等が俺に牙を剥かぬ保証はないのだからな」
「ヘルフリート様、それは……!」
何かを言いかけて、エーリヒは押し黙る。
目の前の男の表情は恍惚としていて、今更説得が通るとは思えなかった。
ならばせめてと、別の切り口を探っていく。
「……ですが、あの巨人と魔物達を放置しておいてはいずれオル・フェーズにも被害が出ましょう。今は結界があるからいいものの、あの巨人が再び動きだせば結界とてすぐに破られる可能性も」
「その心配は要らぬぞ、エーリヒ」
エーリヒの言葉を遮って、ヘルフリートが告げる。
彼がそう言うのと同時に、謁見の間に硬質な足音が響いた。
王座の後ろにある、ヘルフリートの部屋に続く扉がいつの間にか開いて、そこから一人の男が現れていた。
それは、何処までも白い。
白い髪、白い法衣、そして閉じられたままの眼。
その男は緩やかな動作でヘルフリートの傍に寄ると、まるでそこが自らの定位置であると言わんばかりに立つ。
閉じられた目が、傅いたままのエーリヒへと向けられた。
その瞬間、エーリヒは寒気を抑えることができなかった。そこには何も映らないはずなのに、彼は全てを見透かしている、そう思ってしまうほどの威圧感。
「貴殿は何者だ?」
「私はリーヴラ。ヘルフリート様にお仕えする、神官です」
「神官だと? エイスナハルの使徒が、何故王に取り入る?」
「確かに私はエイスナハルの使徒。ですが同時にヘルフリート様の御心に魅せられ従うものでもあります」
「リーヴラ。このエーリヒと言う男に教えてやれ」
ヘルフリートに促されて、リーヴラは一歩間に踏み出す。
そうして差し出すように、エーリヒに向けて手を伸ばした。
「心配はありません。ヘルフリート様に仇なすイシュトナルを討てば、あの巨人はこの地上を去るでしょう」
「ふざけたことを。その前にこちらが攻められてはひとたまりもないぞ」
「それはないでしょう」
「何故言い切れる?」
「神が護るべき者達を攻撃するなどありえません」
「……なんだと?」
聞き違いかと思い、エーリヒは尋ね返す。
それに対してリーヴラは表情一つ変えずに、再びそれを口にした。
「あれこそが神の新たなる姿なのです」
目の前の男はただ淡々とそう口にする。
その様子を見てエーリヒは果たして笑えばいいのか、それとも怒ればいいのか、はたまた悲しみに涙を流せばいいのか判らなくなった。
「あれが、父神エイス・イーリーネだと言うのか?」
「いいえ」
リーヴラは首を横に振ってそれを否定する。
「新たなる神なのです。エイス・イーリーネが去ったこの大地に新生する古き者達の長。それこそが新たな神となって、この世界を導くのです」
「ふざけたことを言うなよ、若造。貴様はエイスナハルの信徒なのだろう? それが何故、父神エイス・イーリーネを否定する!」
「否定などと……。私は神の意思に従っているまでのこと。あれは遥か神話の時代にこの大地に現れた災厄、魔物達を操り人々を大勢殺した旧き王」
「……お伽噺でも始めるつもりか? それらは他ならぬ父神達によって討たれたのだろうが」
「それが誤っていることが証明されました。理由はどうあれ神は去り、彼等が残った。それは彼等がこの地上の新たなる神となるに充分な理由ではありませんか?」
「貴様、イカれているのか!」
エーリヒの怒鳴り声に、背後で控えていた衛兵達は彼を取り押さえることも忘れて武器を取り落とす。
その迫力そのままに、エーリヒは立ち上がってリーヴラに迫った。
「いいえ。ですが、事実としてあれは神になる。神に成り得るだけの力を持っているのですから」
「なってたまるものか。あのような悍ましいものが!」
「人の意思などそこにはないも同然。何せ」
顔色一つ変えずに、リーヴラは告げる。
「他ならぬ神の使いである御使い、黎明のリーヴラがそれを証明するのです」
「貴様が……!」
見えない何かが弾けて、エーリヒがその場に尻餅を付く。
掌に極光を纏わせたまま、リーヴラは王座のヘルフリートを振り返った。
「聞いただろう、エーリヒ? あの神の力を以てすればイシュトナルなどすぐに落とせる。それに、言っていなかったも知れんがエレオノーラはもう俺の手の中にあるのだからな」
「……ならば尚更、戦う理由が……!」
「ある。奴等はこの俺を何度もコケにしてくれた。それだけであの地を焦土とするには充分な理由となる」
「ヘルフリート様! 目を覚ましてください! 貴方は力に溺れているだけなのです!」
「黙れ!」
激高し、ヘルフリートが立ち上がる。
「王権とは即ち力だ! だからこそより強きそれを求める! それが王の在り方として何が悪い!」
「あんなものが……! あんな化け物が人々に救いを与えると本気でお思いでしょうか!? あれが撒き散らすのは不幸だけです、今にヘルフリート様自身にも!」
「知ったことか! だいたいにして、俺にとってはあれが何かなど大した問題ではない。俺に力を与えてくれるのならば、それを神として崇める。ただそれだけの話だ。貴様達、こいつを地下牢に繋げ!」
ヘルフリートに命令されて、衛兵達がエーリヒの傍に近寄ってくる。
最初こそ彼等は戸惑ったものの、王の視線と傍に仕えるリーヴラを見て何もできずに、エーリヒの身体を縛り上げていく。
「エーリヒ様……」
「構わん。だが……」
申し訳なさそうに名を呼んだ衛兵に、エーリヒはそう答えた。
そうして縛られながらも顔を上げて、彼の者を睨む。
御使い、黎明のリーヴラ。
何度か話に聞いていた御使いの姿は、見た目こそ神の使いと呼ぶに相応しいが、その中身は全く違う。
あの巨人と同じぐらいに悍ましい怪物として、エーリヒの目には映っていた。
▽
城の屋根の上から、魂魄のイグナシオはその光景を眺めていた。
修道服のフードを珍しく脱ぎ、銀色の髪を風に流すその姿は誰もが見惚れるほどに美しい。惜しむらくはこの場が決して、人の目に触れる場所ではないことだろう。
オル・フェーズで一番高い建物であるこの城からは何にも邪魔されずに遠くにあるそれがよく見える。
薄い魔導結界の膜の向こうに聳え立つ巨人。
それはまるで世界の終わりを告げる使者のように、そこに立ち尽くしている。
「わたくしのプレゼント。気に入っていただけたようで何よりです」
そう声をかけると、後ろに人影が現れた。
先程までヘルフリートの傍にいたリーヴラが、白い法衣をはためかせてそこに立っている。
「少なくともヘルフリート様はお気に召しているようですね」
相変わらず慇懃に、リーヴラはそう返す。それはイグナシオも同じことだが。
「それにしても自らの妹を喜んであのような化け物に差し出すなど、人の業とはかくも恐ろしく、そして面白いものですわ」
嬉々として語るイグナシオだったが、振り返ったリーヴラの表情を見て言葉を途中で止めた。
そうして、それから何処か嬉しそうに声もなく笑う。
「旧き者達はエトランゼを喰らう。そしてその力を自らのものとする。かつてエトランゼの持つギフトによって追い詰められた彼等が進化したその力。さあ、あのお姫様にはどれだけの力が秘められているのでしょう?」
「エトランゼの力は我々には未知数です。動かしてみるまでは判りません」
「ええ、それはそうでしょう。だからこそ楽しみではありますね。でも、随分と食費が嵩んでいるようですが」
「心配は要りません。エトランゼは幾らでもいるでしょう?」
「くすっ。そうでしたわ。わたくしとしたことが、失念しておりました」
ふわりと、イグナシオの身体が浮かび上がる。
眼下に人々を見下ろすと、修道服を来たその女は唇を歪ませて笑った。
「それにしても驚きましたわ。まさか貴方が、あの災厄を解き放つためにこの国に潜んでいたなどと」
「あれが封印されている禁忌の地は、御使いに対しても有効に働く結界が張ってありました。あれを破るのには苦労しましたが」
「愚かな人間を騙せばこの通り」
かつてハーフェンの沖に小さな島があった。
禁忌の地と呼ばれ、決して近付いてはならないと人々の中で噂され続けていたその島に、あの災厄は眠っていた。
ヘルフリートに進言し、そこに人を派遣させたのはリーヴラだった。
「アレクサは不幸ですこと。彼は純粋に自らの役目を果たしていただけだというのに」
「だったら貴方が助ければよかっただけの話でしょう。人間に真実を話したうえで」
「うふふっ。そんなつまらないこと、するはずがないじゃありませんか。アレクサは愚かですので、まだ目覚める前のあれを探すよりも先に原因となった人間を攻撃すると、判っていたのでしょう?」
「そうするべきと聞かせておいた甲斐がありました。人間共を付近から駆逐し、それから探しだして再封印すればいいと」
「本当、哀れな御使いですこと」
一切の憐憫すらもなく、口だけでイグナシオはそう言った。
「ですが、アレクサが倒されたことは予想外でした。最悪の場合は私が自ら出向き、奴を滅ぼすことも考えていましたが」
「あら。それは余計なことでしょう? なんといっても彼等ですから」
イグナシオとリーヴラは同時に、二人の人物を思い浮かべ、互いに異なる表情を見せた。
「……では、わたくしはそろそろ失礼します。連れてきた身としては彼女が食事を終えるまでは見届けようと考えていますので」
答えも聞かずに、イグナシオの姿が消失して消えた。
リーヴラは遠く、あの巨人の姿を見ると、祈るように両手を合わせる。
「……新たなる神よ」
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