第六節 進む道程

 エトランゼの商人、ハーマンが突然の来訪者によってイシュトナルに呼び出されたのは、未だ雨が降り続く日のことだった。

 細い目をした、予感のギフトを持つエトランゼは、ここ数週間イシュトナルから姿を消していた。

 それは彼が感じた予感により、嫌な気配を感じたからであり、事実それは見事に的中している。

 未知なる巨人が現れた。そして魔物の大量発生。それは一歩間違えればハーマンがこの世界で今日まで築いてきた地位を崩すには充分な理由となる。

 だからこそしばらくは遠くで商売をすることを考えていたのだが、偶然にも旅立とうとしたその日に使いが彼の元にやって来たのだった。

 それがヨハンからの使いであったのなら、彼は適当に理由を付けて断っていただろう。しかし、その人物はハーマンの興味をそそるに足る相手だった。

 そうして彼が今日やって来たのは、イシュトナルにある一軒の食事処だった。エトランゼ由来の料理を出すこの店は、どちらの世界の住人にもなかなか評判がいい。

 既に昼食の時間を過ぎているからだとしても、人の入りが少なすぎる。ハーマンが扉を開けて店に入った最初の印章はそれだった。

 がらんとした、何処か寂しげな店内の印章が、今のイシュトナルの様子を物語っていた。

 そしてその奥、窓際の席に一際目立つ金色の髪を見つけて、ハーマンは営業スマイルを作ってそこに近付いていく。

「やーやー、本日はわざわざ私めにお声を掛けてくださって恐悦至極に存じます。改めて自己紹介いたしますが」

「それもいいけどさ、まずは座ったら? 交渉は対等にしようよ」

 金髪の少女、クラウディアは冷静にそう言った。

 本来ならば商売敵となるこの少女が、今日ハーマンを呼び出した張本人だ。

「はいはい。それではそれでは」

 テーブルを挟んで彼女の向かいに腰かけて、すぐにやって来た店員に注文を済ませる。と言っても食事は済ませてく来たので、飲み物だけだ。

 目の前の少女を、ハーマンは測りかねていた。急に呼び出したこともそうだが、何よりその器が判らない。

 初対面の相手にろくな敬語も使えない馬鹿、と言う評価はこの世界ではあてにならない。別に何処の誰も、ビジネスマナーなど教えてくれないのだから。

「いやー、驚きました。まさかユルゲンスのお嬢さんがわたくしなんかに声を掛けてくださるとは」

「アタシもびっくりだよ。パパがよく言ってた商売敵を呼び出すことになるなんて」

「……それで、その商売敵に何の御用件で?」

 ここは敢えて自分から切り込んでいく。不可解な行動を取った彼女の真意を測ることを優先した。

彼女の席の横には布に包まれた銃が見えるが、まさかそれで頭をズドンと言うわけではないだろう。

「ユルゲンス家がハーフェンの代表として、イシュトナルに色々と協力してるのは知ってるよね?」

「はいはい、それはもう。噂ではご婚姻を結ばれるご予定とか?」

「いやー、それがなかなか難しくてね。それで、アタシも箔をつけなくちゃいけないなーとか思って、パパに頼んでちょっと真面目に働かせてもらおうかと思ってさ」

「ほうほう。ではこれがクラウディアお嬢さんの記念すべき初仕事と?」

 やはり、浮かれて身の丈に合わないことをやろうとしているだけなのかと、そんな侮りがハーマンの内を占める。

「そんなもんかなー。でもね」

 クラウディアが言葉を切ったところで、給仕がお茶を運んできた。ちょうど飲み切ったクラウディアが空のグラスを渡し、お代わりを注文する。

 カランと、ハーマンの前でグラスの中の氷が揺れる。

「アタシって、正直銃撃つぐらいしか脳がないの。まずはぶっ放してから考えるのが信条。だから商売でもそうしてみよっかなって」

 余計な言葉は弄さないと、最初に彼女は宣言した。

 それはハーマンにとっては願ったり。ストレートに攻めてくる相手を丸め込むのは得意技でもある。

「ハーマンさん。色々とよくない噂、あるよね」

「はて、何のことやら?」

「惚けなくてもいいよ。アタシが興味あるのはそのうちの一つだけ。もしこの商談が纏まれば、そっちの商会とユルゲンス家はそれなりに上手くやってけると思うんだけど」

 そう前於いて、クラウディアは続ける。

「今日日まだ奴隷商売続けてるの、あんただけだよ」

「……ほう」

 元々は紅い月の夜にエトランゼを集める商売もしていたが、エレオノーラがイシュトナルに移った際に少しずつ規模は縮小していった。

 しかし幾ら綺麗事を唱えても、やはり何処かで需要は生まれるものだ。だから以前よりは細々と、ハーマンはその商売を続けてきた。

 それが後ろめたくないと言えば嘘になるが、だからと言って特別咎められる謂れはない。別段、法で禁止されているわけではないのだから。

 ――ただ一つ、ここのところで生まれてきた問題を除けば。

 まさかそれを脅して金をせびるというわけでもないだろう。いざとなればどうとでも言いくるめられると、ハーマンは彼女の次の言葉を待つ。

「物は相談なんだけど」

 さて、何を要求されるのか。幼稚な脅しに屈するつもりはないが、彼女の提案には多少、興味がある。

「あんたのところの奴隷さ、アタシが全部買い上げるよ」

「……はぁ?」

 何を言いだすのかと、ハーマンは間抜けにも口を開けて固まってしまっていた。

 そこに丁度給仕がお代わりのお茶を持って来て、二人は同時にグラスの中身を飲んで息を吐く。

「いえ、わたくしとしてはですね。それは正直なところ願ったりなのですが」

 事実、奴隷の価値はここのところ下がる一方だった。厳密にはエレオノーラに与するヨハンと付き合いがある以上、大っぴらにやり辛くなったのが理由の一つではあるが。

「それにエトランゼを大量に抱えてこっちで商売は無理でしょ? あの噂、聞いてると思うけど」

 ヘルフリートによるエトランゼ狩り。

 そう呼ばれる行動によりオル・フェーズでは理由を付けて大量のエトランゼが投獄されているらしい。当然、本人もエトランゼでその奴隷を扱うハーマンも目を付けられている。

 つまり、そろそろオルタリアでその商売をするにはリスクが大きくなり過ぎていたところだった。

「そろそろその重りさ、降ろしちゃった方がいいんじゃない?」

「何もわたくしが商売する場所はオルタリアだけではないんですけどねぇ」

 例えヘルフリートが勝とうとエレオノーラが勝とうと、オルタリア内でのエトランゼを奴隷とした商売は不可能になる。クラウディアはそれをよく理解していた。

 だからこそハーマンも安く買いたたかれるわけには行かない。もしそれだけが理由で声を掛けてきたとしたのなら、やはりまだまだ甘いと言わざるを得ないだろう。

「今ならいい値段で買うよ」

「ははぁ。相場の十倍なら考えないでもないですけどねぇ」

 適当に吹っかけておく。それで金が出てくれば問題なし、十中八九、交渉は決裂するだろうが。

「十倍は無理だねー。でも、これなら同じぐらいの価値があるんじゃない?」

 テーブルの上に一枚の紙が舞う。

 そこに書かれてい内容を見て、ハーマンは思わずグラスを握り潰すほどに手に力が入った。

「これは」

「うちが持ってる港の使用許可書。無期限でどうとでも、なんなら船も一隻付けるけど。ただし、運ぶのは合法なものだけね」

 クラウディアの言葉を話し半分に、書面をしっかりと眺める。

 間違いなく、正規で発行されたもので、彼女の父であるマルクの署名もしっかりと入っていた。

 これがあればハーフェンの商人達が海から持って来たものをいちいち買い上げて運ぶ必要もない。最初から自分達で海の向こうの国に行けるのだから。

 やはり甘やかされた馬鹿なのかと、一瞬だけそう考えてハーマンはすぐに考えを撤回した。

 恐らく、そうではない。馬鹿は馬鹿だが、あらゆる可能性を捻りだしたうえで直球が一番だと判断して投げ込んでくる、そう言う厄介な類の馬鹿だ。

「大きく出ましたね」

「実を言うとね、ここのところでイシュトナルとの関係が強まって、アタシ達だけじゃちょっと持て余し気味だったんだ。それに今後お姫様が政権を握ったらもっと忙しくなるでしょ? その前に、ね?」

 仮に彼女の言葉が真実だとして、そうなってから港を抑えようとすれば掛かる金額は今日の比ではない。間違いなくハーマンにとってはこれが最初で最後の機会となる。

 そこにある一つの前提を除けばの話ではあるが。

「その姫様は、今行方不明と聞きましたが?」

「ヘルフリートのところにいるならもののついでに取り戻せるでしょ?」

「イシュトナルが勝つことを前提として考えられていますよね?」

「そりゃ……。負けると判ってて勝負する馬鹿いないよ」

「それですとわたくしは貴方達が負けると思っている場合、この勝負には乗らないと思うのですが」

 恐らく手札はこれで全部。更なる追加投資でハーマンの心を繋ぐことはできない。

 だとすれば、後は言葉での勝負となる。さて、どんな弁を弄してこちらの心に訴えかけてくれるのか。

「そしたらこれは別の人のところに行くだけだね」

 クラウディアの小振りな手が紙を掴んで、テーブルから退ける。

「その分の悪い賭けに乗れと?」

「悪いかなー? あっちを贔屓目に見ても五分だと思うけど」

 長年の経験と勘は、これが危険な賭けだと訴えている。そんなことは考えるまでもなかった。

 だと言うのに、ハーマンの持つ予感のギフトは何も語らない。これが本当に危険ならば、この辺りでざわざわと嫌な予感が沸き上がって来ているというのに。

「勝てますかね?」

 その質問には別段意味はない。彼女の言葉よりも信用できるギフトが、自分には備わっているのだから。

 ハーマンの目は彼女の表情を見つめている。少しでも変化があれば絶対に見逃さないようにと。

「勝つよ。アタシの旦那様だもん」

 これはこれは。

 大分、強烈な一撃を喰らってしまった。

 ニッと浮かべた笑み、自身に満ちた一切気おくれのないその言葉。

 口では五分と言っておきながら、目の前の少女は勝利を確信しているではないか。

「大した自信がおありで。この行いもその愛する旦那様のためと言ったところでしょうか?」

「まぁね」

 そう言って、照れくさそうに頬を掻く。その仕草は年相応の少女のものだが、彼女の手に握られているのは余りにも大きな代物だ。

「ヘルフリート倒したらさ、昔っからこの国にいたアタシ達ユルゲンスと、エトランゼのあんた達がこの国の商売を握るの、すっごく面白そうじゃない?」

 なるほど、と。

 ハーマンは納得する。

 どちらかがどちらかを蹴落とすのではなく、共存共栄。

 彼女が目指しているものもまた、彼と同じだった。

 ハーマンはエトランゼであり商人である。

 彼等がエトランゼのために戦いを始めてそれを続けるように、商人としての矜持もあった。

 武器を握らず世界が変えられるのなら、それはそれで面白い。

「いいでしょう」

「ありがと。契約は今交わされて、履行はヘルフリートの政権が崩壊してエレオノーラ姫が即位したときね」

「ええ、判っております」

 それでお互いに一蓮托生となった。これからハーマンは最大限の利益を得るために、イシュトナルに協力しなくてはならない。

「武器とかはこっちでどうにかなるけど、医薬品が足りないんだよねー。どうしてもイシュトナルとか他の街にも持ってかれちゃうからさ」

「はいはい。全力で手配させていただきますよ」

 双方同意した途端に図々しく要求していくる彼女に苦笑する。

 これは確かに、しっかりと学べば優秀な商人になるかも知れない。少しばかり手口が大胆過ぎる気がしないでもないが。

「それからエトランゼ達以外にも人が欲しいかな。できるだけたくさん」

「畏まりました」

「まー、後のことはよっちゃんもいる時に纏めてくとして。取り敢えずは、今後ともヨロシク」

 差し出された手を握る。

 そして書面にサインを求められ、それを書き終えると上機嫌そうにクラウディアは席を立った。

 立ったままお茶を飲み干して、グラスを置いて出ていこうとする。

「それじゃあ、また今度ね」

「一つよろしいですか」

 背を向けたクラウディアに声を掛ける。

 彼女は立ち止り、振り返らずに質問を待った。

「何故、そこまでされるのです? 貴方にとってそれほどの価値がありますか? ヨハンと言う男は?」

 ユルゲンス家の財力を持ってすれば、こんな綱渡りのようなことをしなくても充分にやっていける。

 だと言うのに彼女はこともあろうか、父だけでなく先祖が拓いてきた港を一つ売りに出し。

 勿論上手く行けばそれ以上の利益を得るだろうが、その分のリスクは余りにも大きい。

 ハーマンも人のことは言えないが、全くやる必要のない賭けだと言っていもいい。

 だとすれば、理由は一つ。いや、この場合は一人と言い替えてもいいか。

「本当に危ないとき、もう死ぬかも知れないってときになってさ。アタシのことを見捨てなかったんだ。そればかりか一緒に死んでくれって言った。そんな男に巡り合えるの、一生のうちに一回だけじゃないかな?」

「……なるほどね」

 ハーマンはそれ以降は何も言わない。

 クラウディアもそれで話は済んだと判断して、店を後にした。

「いやはや、敵いませんな。少女の情熱と言うものには」

 代金を取り出してテーブルの上に置く。

 これからやることが山ほどできたと言うのに、何処か軽い足取りでハーマンはその店の出入り口を潜る。

 外は相変わらずの雨だが、それでも嫌な『予感』はまだしなかった。

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