第三節 彼女等の事情

 秋雨が続く日、クラウディア達の訪問があった翌日からも、ヨハンは工房に籠ることが多かった。

 大抵は一人でいることが多いのだが、今日はクラウディアも一緒である。彼女のオールフィッシュの修理が終わったので、その受け渡しのために来てもらっていた。

 オールフィッシュを手渡された彼女はその銃をくるくると振り回し、その手応えに何やら納得できたのか満足そうに頷いている。

「なんか軽くなった?」

「幾つかパーツの素材を変えたみた。耐久性は変わらないはずだが、違和感があったら教えてくれ」

「今んとこは大丈夫だけど……。ね、撃ってみていい?」

「勘弁してくれ」

 言いながら、珈琲を入れてテーブルの上に置く。

 クラウディアもそれを見てオールフィッシュを立てかけて椅子に座り、目の前にある黒い液体を見て顔を顰めた。

「また珈琲?」

「ここにはそれしかないぞ」

「アタシこれ、あんま好きじゃない。苦いし」

「その苦味がいいんだ」

「……何処が?」

 ちびりと口にして、眉を顰める。

 それから無言で小瓶に手を伸ばして砂糖とミルクをたっぷりと入れる。

「こんなの飲んでたら舌が馬鹿になるよ。向こうの世界の人ってみんなこんなの飲んでるの?」

「さあな。嗜好品として広く受け入れられてるものではあるが」

「嗜好品って……。わざわざこんな苦いものを楽しむなんて理解できないなー」

 口ではそんなことを言いながらも甘くなった珈琲は気に入ったのか、クラウディアはさっさと一杯目を飲み干してしまった。

「お代わり!」

「気に入ってるんじゃないか」

「香りはいいよね。そこは認める」

「香りを楽しむものでもあるからな」

 素直な感想を出してくれる彼女が好ましくて、二杯目を注いで目の前に差し出す。

 両手でカップを持って冷ましながら、クラウディアはある疑問を口にした。

「よっちゃん、こんなところで遊んでていいの?」

「失礼な。お前の武器を治したのは誰だと思ってる?」

「あ、ごめん。そうじゃなくてね、イシュトナルのこととかやらなくていいのかなって思って」

「ああ、そのことか」

 実際のところ、今ヨハンができる仕事は限りなく少ない。

 エレオノーラがいなくなったことで彼女に付き従っていた貴族の大半が逃げるようにイシュトナルを後にしてしまっていた。

 彼等としては王女と言う大義を失った以上、民衆の支持を得ることもできず、下手をすればそのままオルタリアによって飲み込まれてしまうことを危惧しての行動だった。

「なっさけないの」

「そうだな。で、今のところ軍備の再編なんかはクルト卿がやってくれている。勿論やることが全くないわけじゃないが」

「ふーん。まあいいや。取り敢えずよっちゃんが暇ならアタシはここでのんびりできるわけだし」

「ハーフェンに戻ってマルク氏に顔を見せなくていいのか?」

 クラウディアの父であるマルクはハーフェンに残り、街の防衛網を築きながら付近の集落から流れてくる難民を保護している。

 それをしながらもイシュトナルに武器や物資を融通してくれているのだから、ヨハンとしては頭が上がらない。

「いいよ。それにパパも戻ってくるときはよっちゃんと一緒にって言ってるし」

「あー。クラウディア、そのことなんだが」

 いい加減、その件についても真面目に話をしておかなければならないと、ヨハンは腹をくくる。クラウディア自身深く考えず、嫌になったら破棄する程度の約束だろうが、周囲の人間に与える誤解も考えるとあまりこの状態を続けるのもよくはない。

 言いだそうとしたところで、非常にタイミング悪く工房の扉がノックされる。

「誰?」

「来客の予定はなかったと思うが。入ってくれ」

「やっほ」

 扉が開いて現れたのは、黒髪をポニーテールにした快活そうな少女、イブキ。

 竜の力を得るギフトを持つ彼女は、空を飛べるという特性を生かして、近くに魔物が出た際の遊撃を担当してもらっている。

 この辺りの平和の殆どは彼女が護っていると言っても過言ではない状態だった。

 ヨハンとしては彼女に頭が上がらないが、イブキも嫌そうな顔一つせずに請け負ってくれるものだから、ついつい頼ってしまう。

「イブキ、どうした?」

「今日の朝に出た魔物、片付けてきたから一応その報告だよ」

「……そうか?」

 首を傾げながら答える。報告をするのは別に問題ないが、ここ数日はクルトがそれを担当していて、ヨハンの元に来たことはない。

 その疑問を口にするよりも早く、イブキは懐から一枚の紙を取り出してテーブルの上に置いた。

「後これ、署名」

「何の署名だ?」

 見れば人の名前がざっと百名ほど。中には見覚えのある名もある。

「義勇兵……って言っていいのかな? なんかほら、貴族の人達に従って帰ったのはいいけど、やっぱりこっちに合流したいって人が結構いるみたい」

「なんで? 一度は帰ったんでしょ?」

 と、疑問を口にするクラウディア。

「命令に従ったのはいいが、一向に状況が改善されないことに不安になったんだろうな。現状、少なくともイシュトナル周辺にいる貴族達は肩書だけで実際の力を殆ど失っている。頻繁な魔物の襲撃に対処できない者に付き従う理由はないんだろう」

 貴族と平民の繋がりは、究極的なところで言えば利害の一致だ。平民は貴族に税を治め、貴族は有事の際に命を賭ける。

 しかし、今の状態ではそれが崩れつつある。もっと言えば、例え貴族が命を賭けてくれようとも問題が解決出来るとは限らない状態にまで来ている。

 そう言う意味では貴族よりもイシュトナルの信頼の方が上だったということだ。勿論それはエレオノーラが残したものがあってこそで、ヨハン達でどれだけ維持できるかも判らないが。

「あー……。こっちに従った方が得って気付いたってこと?」

「そう言うことだな。本当に得かどうかは判らんが。少なくともイブキの戦いぶりを見て、このままでは行けないと感じたんだろう」

 誰にだって家族や財産など、護るべきものがある。そのために最善を尽くそうというのは当然と言えば当然だろう。

「だったら最初から行かなきゃいいのに」

 直接的過ぎるクラウディアの意見に苦笑する。誰もが彼女ほどに真っ直ぐだったとしたら、もっと話は早いのだが。

「そう言ってやるな。その判断を付けるのはなかなか難しいものだ」

「そうそう。あたし達みたいに逐一よーくんが教えてくれるわけじゃないんだから」

「…………」

「なに?」

 クラウディアは無言で、自分よりも頭一つ分ほど身長が高いイブキを見上げる。

「べっつに」

 恐らくはラニーニャと仲が悪い彼女のことを計りかねているのだろう。仲が悪いと言っても、ラニーニャが一方的に嫌っているだけだが。

「……まぁ、折角報告に来てくれたんだ。茶でも飲んでいけ」

 二人の間柄が微妙なのは判るが、だからと言ってこのままイブキを締め出すのも寝覚めが悪い。ヨハンにとってはどちらの大事な友人だ。

「じゃあお言葉に甘えて」

 ポットに残った珈琲を入れようとヨハンが立ち上がると、その隣に椅子を引っ張って来てイブキが座る。

「アタシ、帰るね」

 クラウディアが椅子から立ち上がった。

「そうか? 修理の方は」

「終わった頃に取りに来るから。じゃ」

 返事も待たずにクラウディアは工房から出ていった。

「あの子に嫌われるようなことしてないんだけどなー」

 首を傾げるイブキ。どうやらクラウディアの態度についてはそれほど気にしてはいないようだった。

「複雑な年頃……と言うやつか?」

「違うと思うけどねー。ちょっとだけ気持ちは判るけど」

「判ってるんじゃないか」

 呆れ声で言いながら、ヨハンはカップをイブキの目の前に置く。

 クラウディアの飲み残しを片付けていると、背中越しにイブキが独り言のように呟くのが聞こえてきた。

「半分はよーくんの所為なんだけどね」

「どういうことだ?」

「それは言えないかなー。それよりもさ、色々と秘密兵器作ってるって聞いたけど、なんか面白いものあったりするの?」

「……大半が駄目だしされてお蔵入りだ。今は自分用の装備に取り掛かっている」

「あー。確かによーくんが来てるローブ、昔っから同じだったしね」

「ああ見えても中身は改良していたんだが、この辺りで新しく作りなおす必要があると思ってな。もう外側はできているんだが」

 首を巡らせて、ハンガーに掛けてあるローブへと視線を向ける。

 以前着ていた物と同じようなデザインだが、外側に刻まれた文様の数が増えていて、裏地も同じように魔力を込めた糸で幾何学模様の魔法陣が描かれている。

「他にも幾つか武装を用意して、魔法力を使って稼働するような仕掛けを施してあるんだが」

 取り出したのは一枚の長方形の紙だった。文様にも見える文字が無数に描かれている。

「やはり、試してみたが俺は魔力そのものが封印されているようだ」

 言いながら、イブキに符を渡す。

 彼女が摘まむようにそれを持って念じると、そこに込められている魔法が発動して、符が弾けるように消えて小さな炎が飛び出した。

「凄いね。ちょっと念じただけなのに。あたし、魔法とか使えないよ?」

 小さな火の粉を手で掻き消しながら、イブキは素直な感想を口にする。

「微弱でも魔力があれば、それを感知して起爆するように作ってあるからな」

 魔導師と呼ばれる者達の数は圧倒的に、本来この世界に住んでいた人の方が多いが、決してエトランゼもそうなれないわけではない。

 才能による大小こそあれ、誰だって魔力は持っているものだ。それを使って魔法を操れるようになるには相当な才能と修練が必要になるが。

 しかし、イグナシオによる封印の所為なのかは判らないが、ヨハンはそれを全く反応させることができない。恐らく彼女はそうして、ヨハンのギフトを使えなくしたのだろうと考えている。

「だからローブに直接魔力を生む仕掛けを組み込んで、それを炉にして魔法を起動させる……つもりだったんだが」

「上手くいかなかった?」

「そう言うわけではない。ただ、ローブ自体に組み込んだ魔法技術と、外付けの符や武器を使うとなると出力が圧倒的に足りなくなる」

「……欠陥品ってこと?」

「いや。機能はする。想定していた性能を発揮できないだけだ」

「想定していた性能ってどのぐらいなの?」

「御使い相手に自衛できるぐらいだな。イグナシオほどになるとどうだか判らんが」

「……ねえ、傷ついたらごめんなんだけどさ。絶妙に謙虚な性能してるよね」

「……これでも努力はした」

 座り込んで肩を落としてしまう。

 別に好き好んでそんな性能にしたわけではない。なんとか頭を捻って、使える素材を最大限に導入した結果がそれだった。

 それを見てイブキも流石に申し訳ないと思ったのか、努めて明るい声で切り出した。

「あたし達、魔物結構倒したけどさ、なんか使える素材とかないの?」

 魔物の部位は柔軟性に富み堅牢な物も多く、専門家に加工を依頼すれば相当に強力な武具となりうる。それだけでなく高い魔力を秘めた魔物は全身が魔導師にとっては貴重な研究材料だった。

 怪我の功名とでも言うべきか、魔物の大量発生により普通に生きていては目に掛かることもできないような魔物を倒しその部位を手に入れることで、ヨハンの道具作成も飛躍的な進化を遂げている。

「今のところ駄目だな。色々と試してはいるんだが、リッチの頭骨でも足りない」

 指さした先には、人間の頭蓋骨がそのままごろりと転がっている。

「他になんかないの? すっごい珍しい魔物とかさ」

「それ以上になると幻獣と呼ばれている域だな。昔旅してた時、ユニコーンを見ただろう? あのぐらいの」

「懐かしいねー! 北に向かう途中だよねー! 懐かれてもう困った困った……って今は、そんな話してる場合じゃなかった」

「あれの角でもあれば話は別だったんだがな」

「ないものねだりしても始まらないよねー。んー、ユニコーン……幻獣並みに貴重な、ね」

 しばらく二人で思案していたが、考えたところですぐにいい案が浮かぶはずもない。

 やがて珈琲が冷めてしまったころになって、何かを思い立ったかのようにイブキが立ち上がった。

「どうした?」

「いや、うん。ひょっとしたら何とかなるかも」

「そんな珍しい魔物を倒したのか?」

「倒したって言うか、倒しに行くっていうか……。倒してもらうっていうのが正確かな?」

「何かやるなら手伝うが……。生憎俺はあまりここは離れられないぞ」

 暇そうに見えるが、仕事がないわけではない。

「ううん! 大丈夫大丈夫。ちょっと思いついたことを試してみるから、明日か明後日ぐらいには結果出ると思うけど」

「よく判らんが、もし何か心当たりがあるなら頼んだ」

「任せといて! よーくんのためなら一肌でも二肌でも脱いじゃうから!」

 そう言って珈琲を飲み干し、意気揚々とイブキは工房を出ていくのだった。


 ▽


「――で、みすみす引き下がってきたわけですか」

 その翌日、相変わらず止まない雨を一本の傘で防ぎながら、クラウディアとラニーニャの二人は買い物用のかごを片手に商店街をうろついていた。

「だって……。なんか、やなんだもん」

「そう言う態度はどうかと思いますよ、ラニーニャさんは。相手は一応は英雄なんですから」

 言いながら、露店に並んだ野菜を手に取って見比べていく。

「……判るの?」

「いいえ。雰囲気です」

 苦笑いをする店の店主に代金を渡して、今日の夕飯の材料を買い集めていく。

「後はお肉ですか」

「ラニーニャだって嫌いなんでしょ? あの英雄のこと」

「そりゃ……。ラニーニャさんにはちゃんと理由がありますから」

 雨の所為もあってか人がいない商店街は随分と歩きやすい。

 靄が掛かったような薄霧の中を、二人は肩を並べて次の店まで歩いていく。

「クラウディアさんのは嫉妬じゃないですか。そりゃまぁ、長い時間を経て再会した英雄とその従者の二人、お互いをよく知った仲ですし、不安になるのも判りますけど」

「そんなんじゃないもん。それもあるかも知れないけど、もっとさ」

 クラウディアが立ち止るのに合わせて、傘を持つラニーニャも足を止める。

 すぐ隣にいる彼女は顔を伏せたまま、その表情は見えない。

「あいつ、強いじゃん」

「そうですねー」

「よっちゃん、あいつのことばっかり頼るかも」

「まー、仕方ないんじゃないですか? 強いですし飛べますし。ラニーニャさんとしては楽ができるに越したことはないので」

 それを口にしたとき、ラニーニャの心に違和感があったが、自称大人なのでそれをもみ消す。

「……何かヤダ」

「……あー……」

 それはなかなか、難しい話だ。

 持たざる者の葛藤、と言ってしまうのは些か乱暴かも知れないが。

 クラウディアは何かを自覚したようで、できるだけヨハンの役に立ちたい。しかし、その前に立ちはだかるのが他でもない仲間であるはずのイブキと言うわけだ。

 掛ける言葉もなく、ラニーニャは黙ってクラウディアの隣に立ち尽くす。

「あ、いたいた」

 そんな二人に、正面から声が掛かった。

 傘を少しずらしてその顔を見てみると、そこに立っていたのは今しがた話の中心にもなっていた渦中の人物だった。

「……タイミング最悪ですね」

「え、あたしなんかしたかな?」

 イブキが、ポニーテールの髪を揺らして、当然のことだがこちらの苦労など何も知らない顔をして立っていた。

「敢えて言うなら存在、とか?」

 横を見ればクラウディアは、先日黙って帰ったのが気まずいのか、黙って顔を背けている。

「いやー。本当、嫌われたね。今ばっかりは都合がいいかも知れないけど」

「都合?」

「そうそう。ね、ね。提案なんだけど、ストレス解消したくない?」

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