第二節 言の葉の行方
乾いた布を渡されて、それから椅子に座らされたクラウディアは、未だに戸惑いを隠せないでいた。
外観は石造りだったが、工房の中は木でできており、何か熱を使った作業をしていたのかほんのりと温かい。
部屋の隅に置いてある謎の器具にはできるだけ触らないようにと注意されながら、二人は中央の小さなテーブルに案内された。
二つある椅子を勧められ腰かけると、程なくして湯気の立つカップが二つ運ばれてくる。
「なにこれ?」
そこを満たす黒い液体に、クラウディアは首を傾げる。
「珈琲ですね。ミルクはありませんか?」
尋ねられてヨハンが指さすと、小瓶に白い液体が入っている。
ラニーニャはそれを珈琲に入れて、一緒に付いてきたスプーンで掻き混ぜる。
「はぁ。温まりますね。クラウディアさん、毒ではないから飲んでも大丈夫ですよ?」
「え、うん」
「あ、でもお砂糖かミルクを……」
ラニーニャが言い終える前にカップに口を付ける。
そして熱さと共に舌に流れてくる苦味に、思わずそれを拭きだしそうになった。
「にゃにこれ……。にが。二人ともアタシをからかってる?」
「こういう飲み物なんですよ。慣れれば美味しいんですけど。……まぁ、初手で砂糖も何も渡さなかったのはよっちゃんさんの気遣い不足ですけど」
「すまん」
素直に謝りながら、ミルクと砂糖を差し出してくる。
そうして自分は床に置いてある大きめの石の上に座り込んで、同じように珈琲を飲み始めた。
クラウディアも二人に習って珈琲の味を楽しむことにする。勿論ミルクと砂糖をたっぷりと入れてだが。
「マルク氏が扱っている物の中に珈琲豆もあったと思うが?」
「いちいちそんなの見てないよ。パパが飲んでるところは見たことないし」
「そうか。マルク氏だが、無事で何よりだ」
二つの瓶の蓋を閉めて、ヨハンに差し出すと、彼は首を横に振ってそれを断った。
「何も入れないの?」
「ブラックって言って、通ぶった人はそうやって飲むんです」
「元も子もない言い方をするな」
「ふーん。……あ、」
何かを言いかけて、クラウディアはやめる。
ヨハンが普段そのブラックとやらで珈琲を飲むのなら、何故ここに砂糖やミルクが用意してあるのか。
ただ単に気分次第で味を変えるという可能性もあるが、彼がそんな人間だったとはクラウディアは記憶していない。
だとすれば、それはここに尋ねてくる――よく尋ねて来ていた誰かのために用意されていたのだろう。
なんとなく居心地が悪くなって、クラウディアが身を捩ると、古い椅子が小さな軋みを上げた。
寂しいのだろうかと、疑問が過ぎる。
そしてすぐに答えは出た。そんなのは当たり前だと。わざわざ聞くほどに、クラウディアも馬鹿ではない。
「それで、二人は何の用だったんだ?」
「ラニーニャさんは元気な顔を見せに来ただけですよ?」
「……そうか。それで、クラウディアは?」
どちらかと言えば、ラニーニャの方がヨハンの様子を見に来たというのが本音だろう。
「え、うん。あの、うん。ほら、アタシもラニーニャと同じ。顔を見せにね、嬉しいでしょ?」
「それなりにはな」
そう言って、珈琲を飲みながら小さく笑いかけてくれる。
それを見ただけで、何故か頬が少しだけ熱くなった。
誤魔化すための軽口にしっかりと答えてくれたことが嬉しかった。
「まあいい。気を使わせている自覚はある。色々とやることが多くてな、なかなか顔を出せなかったのは悪かった」
「忙しいって……」
ラニーニャの疑問に、ヨハンは工房の奥に並べられた数々の道具で答える。
「生憎と武器の大半は壊れてしまってな。修理するよりも新しいものを作った方が早い。元々、今まで持っていた物では御使いと戦うには力不足だったわけだしな」
そこはかとなく楽しそうにヨハンが語る。
彼が身を避けてその先にあるのは、一見すると何に使うのかも判らないような道具の数々だった。
「ラニーニャ。これなんかはどうだろう? 敵を自動的に感知して身体が動いてくれる剣なんだが」
「いや、別に要りませんけど。そもそも戦ってるときに勝手に身体に動かれたら邪魔じゃないですか」
「……ならこれはどうだ? 見た目は小さなハンマーだが、直撃の瞬間に蓄えられている魔法力が全開放され、そこを中心として理論上はセレスティアルを破壊できるほどの衝撃を撒き散らす……」
「よっちゃん。それ、振った本人はどうなるの?」
「……それは考えていなかったな」
「仮に本当にセレスティアルを壊せる威力があるのなら、カナタさんが振っても大怪我ですよ」
「自爆武器じゃん」
「銃にもなって剣にもなる画期的な武器も発明したんだが」
「誰が使うのそれ? アタシは銃だしラニーニャは剣でいいでしょ? よっちゃん剣なんか振れるの?」
「自慢じゃないが、ろくに使ったことはないな」
「……あ、そうですか」
呆れてラニーニャはそれ以上の追及をやめた。
「道具って……。そんなことしてていいの? 御使いにしてもあの巨人にしてもいつ何してくるか……」
そこまで言って、クラウディアは今日ここに来た目的を思い出した。
慌てて口を噤み横を見ると、ラニーニャがやはり、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
「……よっちゃんさ、まだ戦うつもりなんだ?」
「そうだな。流石に、このままでは終われないだろう」
言いながら、次々とガラクタを取り出しはテーブルに並べていくヨハン。
そこには彼があの日から今日まで考えて作り上げた英知の数々があった。
「姫様もサアヤもまだ死んだわけじゃない。取り戻すチャンスはきっとある。……それにカナタもだ。直接あいつの姿を見るまで、俺は結論は出さないことにした」
諦めていない。これほど絶望的な状況に立たされたとしても。
「今日お前達が来てくれてよかった。頼みたいことがあったんだ」
ヨハンの言葉に、二人は同時に顔を見合わせて首を傾げた。
「力を貸してほしい。身勝手で、無謀な願いなのは判ってる。それでも、俺はここで終わりたくはない。こんなところで何もかも投げ出していいはずがないんだ」
「でもさ、それってよっちゃんがやる必要ないんじゃない? 他の誰かに任せちゃってもいいんじゃないの?」
遂にその言葉を口にしてしまった。
昨日からそれを言うために、何度も迷って、悩んでいた一言は、意外にもスラスラと零れ出ていく。
小さな後悔と、何かが変わるかも知れないという期待の種が心に落ちる。
「……かも知れんが、それでは時間が掛かりすぎる。この事態を嘆く声がして、それに応える誰かが現れるまでに何人の人が死ぬと思う? ……いや、違うな。どちらかと言えばこれは衝動の話だな。俺が、そうしたいからするだけの話だ」
それは彼にしては珍しい、身勝手な言葉だった。
自分がそうしたいからする。あまりにも簡単で幼稚な理屈。
それは今日まで過ごしてきた中で、彼が周囲の人間から学んだことでもある。
「とはいえ残念ながら俺は弱い。だから、お前達の力がいる」
ヨハンは真摯な瞳で二人を見つめている。
なりふり構ってはいられない。決して一人では成し遂げられない、それでもやらなければならないことがある。
色々なことを考えて彼が辿り付いた結論がここだった。
――何を馬鹿なことを、と。
たった数秒前の自分を殴ってやりたかった。
考えるまでもない、クラウディアの答えはもう決まっていた。
「アタシも手伝う。手伝わせて。駄目って言っても勝手に付いてくから」
そう言う人間だから、彼はハーフェンを救ってくれたのではないか。
言葉にしなくてもその衝動が胸の内になったから、クラウディアは彼といて不愉快ではなかった。父に婚姻の話を持ち出された時も、「よっちゃんならまあいいか」と適当に返事が出たのだ。それが別の男だったら全力で反発して、家出でも何でもしていた。
「それは願ったりだ。……本音を言えば、誰か一人の協力でも欠けたら成せる気がしていない」
「だったら、ラニーニャさんも協力しないわけには行きませんね。クラウディアさんのいるところラニーニャさんありですよ。報酬は今後のよっちゃんさんの給料の二割でいいですよ?」
いつもの軽口で、ラニーニャが笑う。
「だったらアタシにはもっと強い銃だね。あれまた作ってよ、リニアなんとか」
「あれは別にお前のものじゃないんだが。だが、オールフィッシュも修理が必要だな。数日、こっちに預けてくれ」
「うん! あ、でも。このガラクタ大半はゴミだから処分した方がいいよ」
ヨハンがラニーニャを見ると、彼女も申し訳なさそうな顔で頷いた。
その時の表情が面白くて、ラニーニャは噴き出してしまう。
戦いはまだ終わっていない。
あれほど打ちのめされたとしても、未だに絶望の影が大地を覆っているとしても。
反撃の狼煙を上げる時はいつかやってくると、彼女等が信じた彼は諦めていなかった。
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