第三節 黒き尖兵
「初弾命中!」
フィノイ河のほとりに建てられた砦の屋上で、クラウディアの意気揚々とした声が響く。
ヨハンはそれを聞きながらも、絶えず眼下に広がる魔物の群れに手に持ったオールフィッシュからの射撃を繰り返していた。
その下、最前線ではイブキが身体を竜人化させて、一度に大量の魔物を薙ぎ払っている。
この戦場に今いるのはこの三人のみ。他は既にイシュトナルに向けて撤退を開始している。
あの巨人を放っては置けなかったことに加えて、モーリッツとの戦いでは使用しなかったものの、一応は運び込んでおいたリニアライフルを試すために三人だけでこの場に残り、戦いを続けていた。
「流石よっちゃん! あいつ、かなり痛がってるみたい!」
嬉しそうにクラウディアが言う。
一瞬顔を上げてみれば、一瞬前まで紅い閃光を放とうとしていた巨人は動きを止めて、身体を貫いたリニアライフルの弾丸に苦しんでいるのか動きを止めている。
「装填、手伝って!」
「少し待っていろ。イブキ!」
ヨハンが砦の上から叫ぶと、それで彼女は言いたいことを理解してくれる。親指を立てた片腕を掲げてから、すぐに苛烈に魔物達を攻め立てる。
エトランゼの英雄は伊達ではない。彼女の一挙一動で、魔物達が纏めて消失していく。そこに種族の強弱など関係なく、最強種たる竜の前には全てが等しく無力だった。
イブキが奏でる戦いの轟音を背に、長砲身のライフルの後部を開いて、そこに杭型の弾丸を嵌め込む。
力任せに開いた銃身を閉じて、装填は完了した。
「どうする? あいつ止まっちゃったし、一発は下にする?」
「いや。まだ何があるか判らん。それに、すぐに撃てるわけでもない」
機関部が稼働し、魔力をが秘められた鉱石によって電気エネルギーが発生する。
甲高い音と、内部で火花が弾ける音がして、次弾発射の準備が整った合図を告げる。
「よっし」
クラウディアは銃身を持ち上げて、その先端を斜め上に向ける。
対象が如何に巨大とはいえ、相当に距離が離れたここから弾丸を命中させるクラウディアの腕前には脱帽する。
時間の感覚がまるで狂ってしまったが、あの巨人の発生から経過した時間はまだたったの十数時間。しかし、苛烈な戦闘や追い立てられる恐怖は丸一日は戦い通しでいるような疲労感があった。
それでもクラウディアは一切集中を欠いた様子もなく、ろくな照準器もなしに肉眼だけで巨人の中心を狙い撃った。
「よーくん、ごめん、そっちに!」
その声が聞こえるやヨハンは顔を上げて、砦の上にまで飛び上がって来た羽のある悪魔をオールフィッシュで撃退する。
秒間数十発の射撃に晒されて、魔力の盾ごと身体をずたずたにされた悪魔は、甲高い悲鳴と共に砦の下へと落ちていく。
その間もクラウディアは全く意に介さず、リニアライフルを構えて巨人を狙う。
「……発射ぁ!」
バリバリと青白い電撃が走る。
そして引き金を引いてからほんの小さな時間差があって、その砲身から杭のような形をした弾丸が発射された。
電磁加速した弾丸は、元々は御使いを倒すために作られたものだ。悪性のウァラゼルが感知できるよりも遠くから、そのセレスティアルの守りを貫通するだけの威力を持たせてある。
それは光炎のアレクサとの戦いを経て、更なる強化を施されている。結果として、持っては来たものの人間同士の争いに使うには威力が大きすぎるものとなっていた。
下手をすれば城壁ごと街まで粉砕しかねないその破壊力は味方を巻き込む恐れもあって、おいそれとは使用できないが、今ばかりは状況が違う。
突然現れた災厄そのものと言ってもいい巨人に対して、一直線に弾丸が吸い込まれていく。
遠すぎて音までは響かないが、その一撃が身体に届いた瞬間、巨人が痙攣するように脈動するのが見えた。
突き刺さった個所から血のようなものが噴き出し、声を上げることもなくだらりと身体から力が抜けていく。
「……随分と呆気ないが」
「よっちゃん、あれ!」
静寂はそう長くは続かなかった。
悲鳴のような声を上げて、クラウディアが遥か遠くを指さす。
イブキによって大半が殲滅された魔物達の死骸の更にその先、赤々と光る月光に照らされて進軍する者達がいる。
その数は決して多くはない。むしろ先程までの魔物に比べれば限りなく少なく、目視できる限りでは三十体もいない。
それ故に、嫌な予感がした。まるでこの世のものではない何かを見るような、本能的な悪寒が背筋を這い上がる。
そして同時に何故か、ヨハンの内側は熱い熱を持っていた。あれは絶対に倒さなければならないものだと、そう何かが告げている。
人間大の大きさ、巨人と同じような黒い甲殻を鎧のように纏い、嫌に長い腕は垂れさがって地面すれすれで揺れている。
その先に握られている物を見て、ヨハンは嫌な予感が膨れがるのを感じた。
いつの間にか一足跳びに砦の屋上に来ていたイブキも、それには見覚えがある。
「……あれってさ」
彼女はその先を口にしない。
そうする必要がなかったから。
ヨハンは何も言わず、ただ頷く。
兜のように甲殻の上半分を覆われた頭部の、何にも隠れていない下半分からはみ出した髭のような短い触手が、何本も蠢いている。
見ているだけで生理的嫌悪を喚起するそれから目を逸らすように、ヨハンは背後へ視線を向けた。
「……撤退するぞ」
「でも、逃げ切れるかな?」
「大丈夫じゃない?」
クラウディアが手に持っているリニアライフルを構える。
銃身は既に熱を持ち、機関部も連続発射で摩耗が激しい。撃てて後一発、下手をすればそれすらも不可能で、暴発する危険性すらもありうる。
「……アタシ、ここに残る」
「クラウディア?」
「いや、ほら。うん、恥ずかしい話なんだけどさ」
言いながら、彼女は「たはは」と、なんでもないことのように笑って見せた。そこには悲壮感はなく、ほんの少しだけ、照れの感情があるだけ。
「腰抜けちゃったって言うか……。いや、うん。あのデカブツまでは何とかしてやるって自分に言い聞かせてたんだけど、あれ見たらやっぱり駄目かなって。なんか怖くて、本当に怖くて」
原初の恐怖。
そう呼ぶべき何かが奴等からは放たれている。
或いはその身に纏った黒い鎧。
或いはその手に持った黒い剣。
それらから放たれる呪詛のようなものが全身に纏わりついて、身体から力が抜けていく。
人には勝てぬものと、最初からそう言い聞かせられていたかのように。
「だから、アタシのことは置いて行っていいよ。ここで囮にぐらいはなってやるから。パパもハーフェンもどうなったか判らないし、今更アタシだけが生き残ってもさ」
せめてそう言ったのは、彼女の意地だ。
並の人間ならば心が折れてしまっていたところを、どうにかクラウディアは自分を奮い立たせていた。
「……よーくん」
不安げにイブキが名前を呼んだ。
彼女が言葉を発するより前に、ヨハンの答えはもう決まっている。
「ふざけるな」
怒鳴るわけでもなく、ただ低い声でそう言って、クラウディアの身体を抱き上げる。
「よっちゃん!?」
「見殺しにしてたまるものか。イブキ、迎撃は任せるぞ」
「オッケー!」
イブキが腕を曲げながら二の腕を抑えるポーズを取る。
実際のところ、状況は最悪だ。
ヨハンはもうロクな武器を持っていない。あるとすれば、クラウディアのオールフィッシュぐらいだが、それもどれほどの効果があるのか判ったものではない。
戦力として換算できるのはイブキだけ、もし追いつかれれば確実に死が待っている。
「よっちゃん! 馬鹿じゃないの!」
「かも知れん。だが、お前を見捨てていくなら馬鹿のまま死ぬ。……もう、あんなのは嫌だ」
彼女の死を聞かされたとき、もう帰らぬものだと悟ったとき。
心が張り裂ける思いだった。もう立っていられないほどの衝撃を受けた。
それでもどうにかここにいるのは、ただ責任があったからに過ぎない。自分を支えているものが後一つでも欠けていたら、どうなっていたかは判らない。
そしてヨハンにとっては、クラウディアもその柱の一本だった。
「……この判断をするべきじゃないことは判ってる。自分が何をするべきかも。でも、すまんが俺にはそれは無理だ。だからクラウディア、イブキ。……もし駄目だったら、俺と一緒に死んでくれ」
「今更」
イブキはそう一言だけ。
そしてクラウディアは、返事の代わりにヨハンの胸の辺りを強く掴んだ。
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