第二節 共闘戦線

 ハーフェン方面。

 戦場を掠めた紅い光は、両軍の兵士の二割程度の殺し尽くし、その余波で辺りに甚大な被害を与えていた。

 見えない衝撃を横から全力で叩きつけられ、地面に転がっているヴェスターは慌てて立ち上がると、頭を振るって自分の意識を確認する。

「……夢じゃねえよな」

 近くで呻き声がもう一つ聞こえてくる。

 大槍を手に持ったまま倒れていたエーリヒもまた、それを杖にすることでよろよろと立ち上がっていた。

「仕留めたいが、それどころじゃねえか」

 むしろ、この場で無事に立っているのが二人だけと言う有り様だ。辺りには両軍の兵達が折り重なるように倒れており、痛みに耐える呻き声が幾つも響いている。

「髭野郎。どうすんだ、まだやるのか?」

「愚問を」

 傍にいる兵を、敵味方関係なく助け起こしながら、エーリヒは視線だけをヴェスターに向けた。

 お互いに言葉はなくとも、今は矛を交える時ではない。それ以上の何かが起こったと、瞬時に理解していた。

「あれを見ろ、魔剣士殿」

 地の果てから迫る者達がある。

 まるで化け物に身を寄せるかの如く地獄から目覚めた魔物の群れが、今まさに二つの軍を飲み込まんと包囲を狭めていた。

「そう言う事態だ。今はお互いに一人でも多く、この包囲を脱出し帰るのが先決だろう」

「ちっ、だがよ」

 敵の数は多く、味方の大半が半死半生。加えてヴェスターもエーリヒも万全とは言い難い。

 この状況でこれだけの包囲を突破できるものか。

 魔剣が敵の魂を喰らえど、受けた傷は治らない。既にエーリヒに受けた大槍が、ヴェスターの身体の内部を尽く破壊しつくしている。

「やるしかあるまいよ」

「しゃあねえか」

 二人が武器を構えると同時に、戦場を紅い光が裂いた。

 また遠方からの砲撃かと身構えるが、どうやらそうではない。暗闇の中、紅い月の光を反射して生えるその輝きは魔物の群れを屠りながらこちらへと近付いている。

 程なくして、その正体が姿を現した。

「チビ助!」

「違うよ!」

 それはカナタだった。

 紅い光を纏った彼女が、次々と魔物を蹴散らして戦場の中心地たるこの場所にやって来ていた。

 その後ろには砦で待機させていた兵達も続いていて、この参上を見るやすぐに敵味方関係なしに救助を開始した。

 カナタは自分に向けて殺到する魔物を一瞬で数匹斬り伏せると、地面を蹴って大きく跳躍する。

 そしてヴェスター達の傍に降り立った。

「なんか様子が変だから、貴族の人と相談して来たんだけど……」

「いいタイミングだ! まさかてめぇに命を救われるとは思わなかった!」

 ヴェスターが乱暴に頭を撫でると、カナタは身を捩ってすぐにそこから逃げだす。

「……なんと、エトランゼの英雄か」

「……えっと、エーリヒさん?」

「ああ、そうだ。オル・フェーズ以来だな。アーデルハイトは息災か?」

 その名を出されると、嘘がつけないカナタは目を逸らしてしまう。

 エーリヒにはそれだけで彼女が言いたいことは全て伝わってしまっていた。

「なるほどな。だが、それもあいつが選んだ道だ。あの世でヨハン爺様に謝る役割は俺がやっておいてやる。気にするな」

 今はその死を悼んでいる時間もない。

 カナタが切り開いたとはいえ魔物は無尽蔵と呼んでもいいほどに沸いてくる。加えて遠方から歩いてくるあの化け物に追いつかれれば、間違いなく両軍は壊滅してしまう。

「カナタ、取り敢えず俺達はイシュトナルに戻るぞ! こっちのおっさんは敵だが……」

「道中までは一緒に行くしかないだろう」

 第三者の声がして、三人はその方向を見る。

 ずれた兜を治しながら、ディッカーが小走りでこちらに駆け寄って来ていた。

「今は敵も味方もあったものではない。あのウァラゼルの時と同じだ。逃げるにもヴィルヘルムの兵力と、エーリヒの武勇は役に立つ」

「言ってくれるな、ディッカー。俺が裏切るとは思わないのか?」

「そんな男ではないよ、私の友は。それにここを突破し、あれらと本格的に戦う際にも君の力は必要になる」

「……まったく、何が凡庸か。こんな嬉しい言葉を掛けてくれるとは。生きている者は俺に続け、これよりイシュトナル軍と共にこの包囲を突破する!」

 エーリヒの声に、それまで戸惑っていた兵達が集まり始める。

 生存者の救助を終えたイシュトナル軍も、同じように集っていた。

 両軍残った数は決して多くはない。そしてこうしている今でも、遠くから様子を伺っている魔物達は次第に包囲を狭め、一息に人間達を喰らおうとしていた。

「包囲を突破する! 一塊になって突っ込むぞ!」

 エーリヒが号令し、兵達が声を上げる。

 それに習うようにイシュトナルの兵達も奮い立ち、全員でカナタがやって来た場所へと突撃を開始した。


 ▽


 ディッカーが撤退の指揮を取り、カナタ、ヴェスター、エーリヒの三人が部隊を先導して魔物の群れへと突っ込んでいく。

 途中の砦で非戦闘員と合流した一団は、数の上ではそれなりになったが、大半が怪我人で大規模な戦闘を行うことはできない。

 銃は先程の光線の余波で大半が壊れ、砦に備えられていた砲は取り外す時間もなく、そこに置いて行くことになった。

 既に後方にも、目の前にも黒い波が迫っている。

 世界を喰らい尽くさんとする呪いの渦が、目の前にいる人間をまず飲み込もうとその大口を開けていた。

「一番槍、貰ったぁ!」

「退けよ髭野郎! 俺が全部片付けてやる!」

 応急処置とはいえ優先的に治療を受けた二人は、真っ先に敵陣へと斬り込んでいく。

 先を争う二人よりも早く魔物達に一太刀を浴びせたのは、紅い光を纏って地を駆けるカナタだった。

 先頭を埋め尽くすはトロールの群れ。彼等は知らないことだが、剣士としては優れた実力を持つラニーニャですらも一人では手こずる相手だった。

 それが横並びに、数を数えるのも馬鹿らしいほどにいる。手には棍棒やその辺りの瓦礫、石片などを持ち、その瞳は闘争に支配されていた。

「たあああぁぁぁぁぁぁ!」

 一閃、紅い光が薙いだ。

 カナタが手に持った深紅のセレスティアルによる剣を振るうと、トロールはその自慢の再生力を生かす間もなく胴体を真っ二つに斬り裂かれて絶命する。

 呆気にとられたのは魔物達ではない、奴等にそんな理性はない。

 横に並んで戦うヴェスターやエーリヒこそが、彼女のその一太刀に薄ら寒いものを覚えていた。

「……まだ来る!」

 左右から迫るトロール達を一閃。

 一匹を片付けるのに、一秒とも時間を要さない。

 彼女はその暴力的なまでの力を振るい、一人敵陣の奥深くへと斬り込んでいく。

「ちっ、待てよチビ助!」

 それを追ってヴェスターも急ぐ。

 エーリヒは流石に味方の兵と連携を取りながら、彼等が打ち漏らした魔物達を迎撃し始めた。

「チビ助! リッチだ!」

「なに、お金持ち!?」

 魔物の群れの中から煙が立ち上るように、音もなく揺れる姿がある。

 ぼろぼろになったローブを纏い、周囲に青白い光を浮かび上がらせたそれは、魔物の中でも高位にあると言われている死してなお現世にしがみつく魔導師。

「あ、そう言うこと……」

 彼等が操る力は現代の魔導師を遥かに凌ぐ。浮かび上がったリッチ二匹も骨だけになった手をゆらゆらと不気味に動かして、何やら詠唱を行っていた。

 薄紫の光がその両手から放たれる。

 生きとし生けるものに触れれば腐らせ溶かす死の輝きは、一直線にカナタとヴェスターを狙っていた。

 ヴェスターは魔剣の腹の部分でそれを逸らし、カナタはセレスティアルの盾を展開する。

 リッチの放った魔法は天の光を貫くことができずに弾けて、霧散して消えた。

「あれは無視できねえ! 一気に突っ込むぞ!」

「うん!」

 威勢よくカナタが頷く。

 その気配を察したのか、魔物達はリッチに対する守りを固めるかのように、密集体系を取った。

「こんなもんで止まると思ってんのかよ!」

 トロールにオーガと言った体力自慢の魔物達が行く手を阻む。

 その後ろからは二つ首の獣、人間大の大きさを持つ虫達が獲物を待ち構えるが、そんなことはこの二人には関係ない。

 紅いセレスティアルは更に輝きを増し、何物にも突破できない護りと、全てを貫き通す剣となってそれらに向けて容赦なく降り注ぐ。

 もう一人の魔剣士は相手を斬れば斬るほどその魂を喰らい、勢いを増していく。

 理性ある魔物であるリッチがその勢いに怯んだのは、二人がすぐ目の前に迫ってのことだった。

 両手を広げて魔法を展開するが、既に距離が近すぎる。足元の魔物を踏み台にしたヴェスターがまず一匹、脳天からその骨だけになった頭を断ち割る。

 もう一匹もカナタによって、逃げる間もなくその身を両断された。既に死した身であるリッチはそれでもまだ動くが、紅い光によって身体を胴体の中心部を貫かれて完全に動きを止めた。

 敵の中心地に立っても二人の勢いは止まらない。次々と目の前の魔物達を屠り、やがては大半を二人だけで掃除してしまった。

「やるじゃねえか」

「うん、なんかね」

 まだ遠方で蠢く魔物達に、カナタは視線を合わせる。

 すぐにでも飛び出しそうな彼女を制止すべく、ヴェスターは手を伸ばそうとして、彼女の次の言葉を聞いて思わず躊躇った。

「さっきから凄い元気なんだ。身体が熱いっていうか……新しい力が使えるようになったからかな?」

「……お前、そりゃあ」

 言いかけてヴェスターはやめた。

 力に溺れているだとか、調子に乗っているだけだとか、そんなことはヴェスターが言うべきではない。

 強くなったのならそれを存分に振るえばいい、そして至らなければ死ぬ、戦場ではそれが全てだ。

 それにひょっとしたら、本当に彼女の中で何かが目覚めているのかも知れない。その原因が友人を喪ったことに起因するのかは判らないが。

 背中合わせに魔物の大軍を蹴散らしながら、一瞬でも柄でもない忠告をしてしまいそうになった自分を笑う。

「俺も焼きが回ったのかもな」

 ヴェスターがそう言った直後、後方から悲鳴染みた叫び声が上がる。

「あの巨人がこっちを見てる!」

 それを聞いて、カナタとヴェスターは同時に振り返る。

 その言葉通り、地面を踏み鳴らすように前進していたあの巨人がその顔のような部分をこちらに向けていた。

 そして、そこに紅い光が収束する。

 それが意味するところを悟った者達から、次々と絶望の声が上がる。

 ある者は足を早め、諦めてその場で立ち止まってしまう者の姿もあった。

「……くそっ、ここまでかよ」

 光が集まる。

 ようやく見えてきた希望は再び絶望に染め上げられようとしている。

「いいから走れ! 走るんだよ!」

 ヴェスターが叫び、兵達は一斉にイシュトナルの方面に向かって駆けてゆく。

 だが、当然そんなことに意味はない。

 横を通り過ぎる兵達に逆らうように立ち止まりながら、ヴェスターとカナタは巨人を睨みつけていた。

「……防げるかな?」

「そりゃ、お前一人なら助かるかも知れないがな」

 カナタが両手を前に出して、セレスティアルの壁を生み出す仕草をする。

 その行動に根本的な意味がないことは彼女自身がよく理解していた。

 それでも抵抗しないわけには行かないのだろう。一人でも多く生き延びさせるために、彼女は幾らでも無茶をする。

 例え本人が幾ら否定したとしても、その在り方は変わらない。

 ヴェスターが最も忌み嫌う、弱者のために自分を犠牲にする生き方だ。

「来るぞ!」

 誰かがそう叫んだ。

 紅い光の輝きが頂点に達し、聞いているだけで吐き気を催すような甲高い不気味な鳴き声と共にその光が放たれる。

 それは、先程戦場を引き裂いたときと同じだった。あの無慈悲な巨人は、こちらには理由すらも理解させずに数百単位で人の命を奪い去る。

 それこそが自らの特権であると言わんばかりに。

 だが、その巨人の傲慢は崩れ去る。

 遠方から放たれた一条の輝きが、閃光となってその身体を貫いた。

「……あん?」

「なに?」

 ヴェスターもカナタも、思わず気の抜けた声を漏らした。

 それが放たれた場所が何処であるか、具体的には判らない。

 ただ夜の闇に紛れて何者かが、あの巨人に攻撃を仕掛けたのは理解できた。

 そしてそれが、自分達が逃げる最後のチャンスをくれたことも。

「なんでもいい! 今のうちだ、あいつから少しでも離れろ!」

「ヴェスターさん!」

「今度はなんだ!」

 いつの間にかヴェスターもカナタも隊列の最後尾に立っていた。だから後ろから掛けられた声を聞いて、すぐになにが起こったかを理解する。

「へっ」

 乾いた笑いだった。

 生まれて初めて何かに絶望したような気がする。いや、流石にそれは言い過ぎだろうが。

 光線が防がれたから、と言うことではないのだろう。

 もしあれが成功していれば諸共に薙ぎ払うつもりだった。それぐらいには戦略も何もあったものではない、行き当たりばったりな行動。

 だが、そこには確かな意思があった。

「二段構え、か。なにがなんでも俺達を逃がすつもりはないみたいだな」

 黒い波が迫っている。

 その数はこれまでの比ではない。

 前方に展開していた魔物達など生易しく思えるほどの数が、あの巨人の足元から這い出るようにこちらに向けて進撃を開始していた。

「急いで逃げないと!」

 カナタがヴェスターの腕を引く。

 この期に及んでもまだヴェスターがどんな人間であるかを理解するよりも、殺させないことを優先する彼女の優しさがむず痒い。

「俺達の速度ではいずれ追いつかれるな。怪我人や非戦闘員がいるのが仇となったか」

 いつの間にか横にはエーリヒが立っている。前方の敵を蹴散らしてきたのか、その大槍からは赤、緑、紫など様々な色を混ぜた不気味な血が滴っている。

「誰かが殿を務めるしかなかろうよ。それでも、どれほどの時間が稼げるかは判らんがな」

 そう言いながら、エーリヒは槍を構えてその無限とも言える数の魔物を睨みつける。

「いや、急に立ち止まる者がいるから何事かと思ったら、水くさいな」

 その場には似つかわしくない声がした。

 三人が振り返るとそこにはディッカーと、彼に付き従う兵達の姿がある。

 逃げる兵士から重りになると奪ってきたのだろう、剣や槍を何本も携えて、中には僅かに残った銃を構える姿もあった。

「彼等は長らく私と寝床を共にした精兵。よかったら一緒に行かせては貰えないかね、ヴェスター君」

「……ディッカー、貴様」

 ディッカーはその名前を呼ばなかった。

 本来ならばここで命を捨てるべき男の名を。

「エーリヒ、君は行け。ここを生き伸びてやるべきことをやるのだ」

「……ふざけたことを。俺は敵の将だぞ。お前達の敵、オルタリアの五大貴族だ。エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンだぞ?」

「ああ、だからこそだ。私は君にしかできないことを頼んでいる。生き延びてこの危機をヘルフリート様に伝えるのだ。今こそ手を取りあってこの災厄に対抗せねばならないと。凡庸な友の頼み、聞いては貰えないかな?」

「俺に生き恥を晒せと言うのだな?」

「拾った命だ。そのぐらいは安いだろう?」

「減らず口を」

 エーリヒはそれ以上何も言うことはなかった。

 ただ黙って槍を下げ、その場から背を向ける。

「おら、お前もだよ。チビ助」

 肩を掴まれて、無理矢理にカナタは後ろを向かされる。

 そのまま強く押されてつんのめりながら、カナタは抗議のためにヴェスターを振り返った。

「ボクも戦うよ!」

「要らねえ要らねえ。俺の獲物が減るだけだ。だいたいお前の光、眩しくて気が散るんだよ。ピッカピッカさせやがって、馬鹿じゃねえのか?」

「それは言い過ぎ!」

「まあ、何にせよ……。そっちの髭野郎が生き延びるんなら俺がてめえを逃がしちゃならねえ理由もねえだろ。まだ前から来る脅威も去っちゃいねえんだからよ」

「……う」

 それを言われてしまうと、カナタは何も言い返せない。

 未だに背後以外からも魔物達はこちらをつけ狙っているだろうし、非戦闘員も護らなくてはならない。

「……判った。でも」

「皆まで言うな。生き延びてやるよ」

 その言葉を信じて、カナタは今度こそ自分の意思で背中を向ける。

 駆けだそうとするそこに、ディッカーの声が掛かった。

「カナタ殿。それでいい。君は前に進み続けろ。君だけに託されたその光で」

「……はい」

 まるで今生の別れのような言葉だった。

 それでもカナタは咎めない。余計なことを言ってしまえば、それが本当になるような気がしてしまうから。

 この襲撃を乗り切って、イシュトナルでもう一回合う。そして思う存分武勇伝を語ってもらって、その時こそ彼は凡庸などではないとみんなで言ってあげればいい。

「……行きます」

 だからそう一言だけ言って、カナタは前に向かって駆けだした。

 横ではエーリヒも同じようにしている。見上げたその顔に一瞬だけ浮かんだ表情を、カナタは見ない振りをした。

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