第七節 武神と悪魔

「待たせたな、おっさん!」

 返り血で全身を赤く染めたその男が叫ぶ。

 手には黒い剣、既に屠った敵の数は百を超える。

 たった一人でこの戦況の一部を作り上げたその男は、まさに悪魔と呼ぶに相応しい。

 倒れた魔装兵が立ち上がる。

 その大槍を構えて、その巨体を操る男もまた、ヴェスターと同種の笑みを浮かべていたことは不思議と理解できた。

 既にヴェスターの目はディッカーを見ていない。

 目の前の最上級の獲物に釘付けになっていた。

 獲物としての価値だけではない。闘争本能を呼び起こす敵、この戦場で最強の相手でもあると、心の中の何かが告げている。

「ネフシルの悪魔か」

「おう。格好いいだろ?」

「いや、これは……。く、はははっ」

 笑う。

 一軍を預かる大将が、目の前に現れた敵を見据えながら笑う。

「俺も年甲斐もないものだ。やはり捨てられぬ」

「あん?」

「年を取り大人しくなったかと思えば、いやいや……。身体ばかりが弱り、心は若造のままとは我ながら救えない」

 こんな相手はいなかった。

 これまで生きてきた時間で、この時代を恨んだことすらある。

 大きな戦は先々代の時点で既に終結を迎え、残されたのはヴィルヘルムと言う武門の家柄のみ。

 幾ら国のために尽くし、乱を抑え、エトランゼと言う未知の敵を討っても渇きは癒えない。

「まさかこの年にして初めて、戦場で敵と出会えたことに喜ぶとは!」

「――ああ、そう言うことか」

 ヴェスターも笑った。

 肩に担いだ黒い剣を構え、正眼に相手を見る。

「ならさっさとやろうぜ。戦場ってのは何かと邪魔が入るもんだ」

「では、相手をしてもらおう。エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン、推して参る!」

 足元の草を踏みしめ、そのまま砕かんばかりの勢いでエーリヒが踏み込んでくる。

 縦に一閃、振り下ろされたその大槍の速度はまるでその大きさに見合っていない。

 ヴェスターは己の身長ほどもある巨大な鉄塊を横に倒した魔剣で受け止める。

 大地を揺るがすような轟音が響き、その衝撃はヴェスターの全身を撃ち抜いてなお勢いを殺さずに、周囲にまで伝番する。

 戦っていた兵達が一瞬、動きを止める。

 剣を交えていた者達ですらも、今この場で始まった一戦を見て、何事かとその視線を向けてしまうほどだ。

「ぐ、が……!」

「そぉら!」

 ヴェスターの身体から重みが消える。

 エーリヒが槍を引いて、今度は真正面からそれを突き込んだ。

「おおおぉぉぉぉぉ!」

 剣の腹でそれを逸らす。

 ヴェスターの身体を避けて突きだされた槍は、その背後に真空の塊を生み出すほどの勢いだった。

 接近。

 魔装兵を着込んだ見上げるほどの大きさの敵を前にして、ヴェスターに怯えはない。

 むしろこの強敵との戦いを楽しむかのように、その唇は歪んでいた。

「おらぁ!」

 ガギィ、と。

 鈍い音がする。

 脇腹を殴りつけるような一太刀はその固い装甲を貫くこと敵わず弾かれた。

 だが、内部に衝撃が響く。

 それはエーリヒにとって驚くべきことだった。魔装兵の装甲は、そういったものすらも遮断するようにできているというのに。

 並の一撃ならば剣が砕ける。それを可能にしたのはオブディシアンを削り、鍛えて作られたその剣故だ。

 再び両者の武器が交差する。

 そのまま幾度となくお互いに獲物をぶつけあったが、刃が欠ける様子もない。

 もう何度目かになる、お互いの武器を弾きあってから攻勢に出たのはエーリヒだった。

 槍を片手に持ち変えて、余った左手を伸ばす。

 咄嗟のことにヴェスターは避けようとするが、魔装兵の巨体はそれを逃がさない。

 その頭部を掴み、地面へと叩きつける。

 足元が抉れるほどの衝撃に、一瞬ヴェスターの意識が彼岸へと送られそうになった。

 だが、戦うために生まれたような獣はやられるがままにはならない。

 再び身体が持ち上げられた瞬間を見計らい、その手を振りほどく。

 半ば本能的に掴んだままの剣で再度伸ばされた腕を弾き返して、その漆黒の鎧に正面から斬撃を叩き込んだ。

「ぐぅ……!」

「痛てぇのはお互い様だよなぁ!」

 二撃、三撃。

 勢いを付けたヴェスターの攻撃は止まらない。

 そればかりか無茶無茶に剣を叩きつければつけるほどに、その勢いは増していくかのようだった。

 距離を取るために、エーリヒが大槍を薙ぎ払う。

 ヴェスターは跳躍してその場から避け、目論見通り彼我の距離は数歩分、離れた。

「……なるほど、魔剣使いか」

 魔装兵が軋みを上げている。

 魔力を流して作られた堅牢な装甲が、その守りを失ったかのように傷だらけになっていた。

「魂喰いの魔剣。よもやそのような力があったとはな」

「あん?」

「貴様に斬られた魔装兵の装甲から、魔力が剥がれ落ちている。一流の素材と魔導師の魔力を使い、百年は持つと言われている護りの術


式がな」

「……んな力はなかったと思うがね」

「なんだと?」

 そもそも魔剣とはなんであるか。

 この世界に於いて、魔装兵のように魔導技術によって生み出された代物は幾つも存在する。

 魔剣はそれらとは違う。並の魔導師では知らない事実がそこにはある。

 魔剣は、この世界に在る魔導技術の技術体系からは外れた代物だ。

 その数は決して少なくはない。エーリヒも骨董品として、家に数本は保管してある程度のものだ。

 だが、手に持って使えば呪われる。強大な力と引き換えに身を破滅させるほどの呪詛を受ける忌まわしき剣。

 だからこそそれに意味はない。例えどれだけ力を手にしても、死んでしまえば意味がないからだ。

 ならば、誰が何のために作ったのか。

 何故一般的に認知されるほどの数が世の中に出回っているのか。

「貴様は自分の力を理解していないのか?」

「今更馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。そもそもギフトってもんが理解不能、意味不明な代物だろうが。この世界に来た連中は無意識に


それを記憶に刷り込まれる、まるで生まれたときから持っていたかのように操って、その疑問を抱かない。そんな異常な状況なんだ、て


めえの力に疑問なんざ抱かねえよ。あるから使うだけだ」

 戦いが再開する。

 大槍と魔剣が交差し、火花が散る。

 数回、数十回、そして打ち合う回数が百に近くなったところで、お互いに数えるのをやめていた。

 ただ、ぶつけあう。

 隙を見せれば一気に付け込まれる。

 生身のヴェスターにとってはその一合一合が剣で受け止めようとも全身を貫くほどの衝撃であり、エーリヒにとっても時折打ち込まれ


る魔剣によって魔装兵の力が次第に剥がれ落ちて消えていく。

「いいぜ! もっとだ、もっと楽しもうぜ! こうやって打ち合ってりゃ何かが見えてくる気がするんだよ!」

 大槍を振り切る。

 剣で受け止めたヴェスターの身体が後退する。

 その隙を見逃すエーリヒではない。

「貴様はただのエトランゼではない! この世界を喰らおうとする怪物だ!」

「上等!」

 上から下に、ヴェスターは魔剣を振り上げる。

 突きだした大槍がそれに弾かれて、エーリヒは無防備な胴体を晒すことになった。

「なにっ……!」

「怪物で結構! いいや、怪物にでもなってやる! てめぇなんぞで止まってられないんでなぁ!」

 堅牢な胴体を魔剣が横薙ぎに叩いた。

 全力でその身体を押しだすような斬撃は、魔装兵の魔力による護りを突破して、その装甲を暴力的に引き裂いていく。

「まだまだぁ!」

 だが、エーリヒもそれでは終わらない。

 魔剣が腹部の装甲を食い破る直前になってなお、槍を振るってヴェスターの身体を横薙ぎに弾き飛ばした。

 弾丸のように吹き飛んで、地面に転がるヴェスター。

 それを傍から見えていた者は、誰もが確信しただろう、エーリヒの勝利を。

 事実全身から血を流して倒れるヴェスターに引き替えて、エーリヒ本人の怪我は殆どない。

 魔剣によって護りを削られた魔装兵の装甲が、ガラガラと音を立てて落ちていく。

 破壊されて辺りに残骸となった魔装兵の兜を、エーリヒは乱暴に脱ぎ捨てる。

 頭から流れる血を拭って、地面に伏せるヴェスターへと視線を送る。

「……おう。第二ラウンドか?」

「……っ」

 予想はしていた。

 目の前の敵が、ネフシルの悪魔がこの程度で死ぬわけがないと。

 だが、それでも事実としてエーリヒは魔装兵によって強化された筋力で、あの大槍を全力で薙ぎ払ったのだ。

 全身の骨が砕け、肉が裂けてもおかしくはない。例え当たり所がよかったとしても、すぐに立ち上がることなど不可能なはず。

 ――魔剣使いは、倒れない。

 なおも立ち上がり、まるで本当に呪われているかのように手に握ったままの魔剣を構えなおす。

「へぇ。なかなかナイスミドルじゃねえか。モテるだろ?」

「どうだかな」

「……じゃあ、もう少し付き合ってくれよ。後ちょっとだ、後ちょっとでお前をぶっ殺してやれる。頭の中で引っかかってる何かが取れ


る気がするんだよ」

 目の前の男の言葉は妄言に過ぎない。

 こんな土壇場で、何に目覚めようというのだろうか。

 魔装兵を失ったとはいえ相手は半死人。状況はエーリヒが遥かに有利だった。

 それでも、その妄言が頭に纏わりつく。

「例え魔装兵がなくとも、磨き抜いたこの力、魔剣使い殿に劣ることはないぞ」

 大槍を構えて、その切っ先を向けた。

 当然の如く、ヴェスターの表情が緩む。

 死の淵にあって、この状況にあってなお、この狂戦士は笑って見せた。

「楽しみだ」

 そうして二人はまた幾度目かのぶつかり合いを始める。

「ハッ! ……鎧を脱いだ方が動けるじゃねえか!」

「身体は動くが、体力が持たん。いい加減俺も若くないんでな!」

 槍がヴェスターを掠める。

 それと同じだけ、魔剣がエーリヒの身体を傷つける。

 傷ついた部分から毒が身体に染み込むように、痛みが走り、身体が動くのを拒否していく。

 それが魔剣の呪い。斬り裂いた者の魂を喰らう、魂食いの魔剣。

「オラぁ!」

「させるか!」

 槍の切っ先が魔剣を受け止める。

 身体ごと回転させて、石突きがヴェスターの胴体を薙ぎ払った。

 空中で受け身を取ったところ、更に追撃。

 渾身の突きを、ヴェスターは身を屈めることで避けて、そのまま飛び上がる。

 エーリヒは更に槍を回して、上空にあるヴェスターの身体を穂先で叩き落した。

「っかぁ! 本当に身体が軽くなって動きがよくなってるじゃねえか!」

「俺自身にも意外だがな! だが、それは魔装兵がなくなったからではないだろうよ!」

 いつの間にか、得体の知れない不気味さは消えていた。

 目の前の男は間違っても武人ではないが、戦いを楽しむ一人の男。

 滅多に出会えない強敵との戦いがエーリヒの心を躍らせて、これまでにない力を湧き上がらせている。

 踏み込む。

 弾く。

 魔剣が迫る。

 それを大槍が防ぐ。

 反撃を叩き込むが、相手は跳躍して避ける。

 叩き落とす槍を蹴って、目の前に着地する。

「いや、実に! 実に楽しい一時だった! だが!」

 負けぬ。

 エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。

 オルタリアの武を守護するヴィルヘルムに敗北はない。

 相手がエーリヒを踏み台に更なる力を求めるのならば、それごと叩き潰す。

 それまでの戦いの疲労か、出血がヴェスターの動きを鈍らせていた。

 ここ数合の打ち合いを、エーリヒは護りに集中している。魔剣を身体に届かせれば、敵の体力は無尽蔵になると理解していた。

 エーリヒの身体を傷つけることが叶わなかったヴェスターに、やがて綻びが生まれた。

 踏み込んだ足が、揺らぐ。

 それに一番驚いたのはヴェスター自身で、呆気にとられた表情を見せた。

「終わりだ、魔剣使い!」

 いや。

 そこでエーリヒは、恐ろしいものを見た。

 最早首を刎ねられるだけの男が無理矢理に身体を動かす。

 その目は諦めていない。間近にあるその顔は――やはり笑っている。

 この土壇場が、自らが命を失いかねない戦いがこの上なく楽しいと言わんばかりに。

「死ぬのはてめえだ」

 ヴェスターが踏み込む。

 槍が逸れて空を切る。

 横合いから振り抜かれる魔剣を止める手段は、エーリヒにはない。

「……見事……!」

 無意識に漏れたのは、その一言だった。

 ――だが、終わりは訪れない。

 かと言ってそれは、予期せぬ幸運がエーリヒのことを助けたわけではなかった。

 むしろそれ以上の、今目の前にいる怪物よりも遥かに悍ましい災厄の訪れによって、奇しくも命を救われたのだった。

 誰かの叫び声がする。

 そしてヴェスターの魔剣がエーリヒの身体に触れるより早く、何かが戦場を引き裂いた。

 ――それは、光だった。

 遠く海側、ハーフェン方面。

 誰もが気付けないその場所で、誰もが予想だにしなかった何かが目覚める。

 禁忌の地より出でるその『災厄』が放った砲火の閃光が、敵も味方も関係なしにその世情を薙ぎ払った。


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