第六節 ヴィルヘルム出陣
彼我の戦力差に比べて、戦況は必ずしもエーリヒに傾いているものではなかった。
その理由は決して難しいものではない。むしろ、単純極まりない。
「ボーマー卿の陣が突破されました!」
兵士の報告を受けながら、陣の中で椅子に座ったままのエーリヒは顔色を変えず、小さく頷く。
この場には伝令の兵と彼しかいない。ラウレンツは最前線にいるし、ルー・シンは既に後方で別任務に従事ている。
「敵の兵は強いな」
「は……そうでありますが、我等ヴィルヘルムに率いられた兵。あのような連中などすぐに押し返して……!」
弁明しようとする伝令だが、決してエーリヒは彼を攻めたわけではない。
こちらにはない兵科である銃兵。そしてエトランゼ。それらが組み合わさることで数以上の戦果を生み出すことは、以前の戦いで既に
判っていたことだ。
だからこそ兵力を用意した。この一戦で雌雄を決するために。
そして、切る手段は一つだけではない。
「魔装兵を用意しろ。俺が出る」
「エーリヒ様、それは……!」
「これ以上被害を出すわけにはいかん。それにな」
実に歯ごたえがある。これまでの賊や反乱軍の討伐では決して味わえなかった強者との戦いに心が躍らないと言えば嘘になる。
「俺にも味合わせろ。イシュトナルの兵とやらの力を」
「りょ、了解しました! 直ちに準備をさせます!」
王であるヘルフリートより賜った魔装兵は一騎。オルタリアの魔導技術の粋を集めて作られた逸品だった。
その数は限られており、イシュトナル要塞には三騎が配備、そしてモーリッツのベーデガー家には二騎があった。
護国の要たるホーガン家に一騎しか配備されなかったのは、その領地が王都より離れていて本国を護るのに役立て辛いからか、それと
もまた別の理由があるからか。
「とはいえ、今は一騎でもありがたい。こんなものを用いるのは無粋かも知れんがな」
漆黒の鎧を着込んだエーリヒは、従者が差し出した大槍を手にする。
全身に青い光が走り、内部に蓄積されていた魔力がその鉄の塊を稼働させる。
「エーリヒ様、ご武運を!」
「おう! 敵将の首を取ってくる。お前等は帰る準備でもしていればいい!」
その巨体に似合わぬ速度で、鉄の塊が戦場を疾駆する。
丘陵を駆け抜け、交戦していた歩兵部隊へと突撃し、敵軍を一気に蹴散らした。
槍の一振りは一度に十人の兵士を薙ぎ倒し、突然の乱入者に後退る兵達に、更なる追撃が襲い掛かる。
たったその一手で、敵軍の一部は崩れた。
「エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。戦場に参上した! さあ、大将首を取れるものはあるか!」
そう声を上げて槍を掲げれば、味方の士気が上がる。
先程まで敵に押されていた部下達は威勢を取り戻し、エーリヒを先頭にして突撃していく。
エトランゼの部隊がそれに気付いてギフトを使いエーリヒを迎撃しようとするも、その部下達は身を盾にして敵の攻撃からエーリヒを
護ろうとする。
その間に一気に距離を詰めて、魔装兵は一息に相手のエトランゼ部隊すらも壊滅状態にまで追い込んだ。
「ふはははっ! この程度か、エトランゼと言っても大したことはない。所詮は素人の集まり!」
そこに銃声が響き、周囲で部下達の悲鳴が上がる。
横一列に並んで敵の銃兵隊が、その砲身をエーリヒへと向けていた。
だが、その集中砲火を受けてさえも魔装兵は止まらない。
地面を捲り上げるほどの勢いで前進し、銃兵隊を蹴散らすべく接近する。
そこに横合いから同じような全身鎧を着込んだ重装歩兵隊が割り込んだが、それでもエーリヒを止めることは叶わない。
ただ、その中心で指揮を執る見知った顔を見て、エーリヒの槍が血を吸うのを中断した。
「これはこれは。随分と懐かしい顔を目にしたものだ」
兜の下で、エーリヒは目を細める。
眼前に立っていたその男もまた、手に持った剣を頼りなさげに構えながら、その表情は不思議と笑っていた。
「……いや、実に久しぶりだ。貴殿と会うのは十年ぶりか?」
「だいたいそうだろうな。先代のヨハン爺様の葬式にも現れず、何処で何をしているのかと思えば」
「今更この無能者が顔を出すのも無礼かと思ったまでだよ。それに、新領地のことで忙しかったものでね」
「田舎暮らしは随分と楽しかったようだな。最初お前があちらに飛ばされたときは何の間違いかとも思ったが、まさかここでこうして強
敵として目の前に現れるとは。先王は人を見る目がない」
踏み荒らされて土が剥き出しになった地面を、鋼鉄の具足が踏みしめる。
「ディッカー・ヘンライン」
「エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。こうして五大貴族の前で剣を構えるとは、人生とは実に、何があるか判らないものだ」
「その用兵、何処かで見覚えがあるとは思ったものだ。まさかお前が相手とは」
「私は僅かながら知恵を貸したに過ぎないよ。もっとも、このような凡庸の意見など大したあてにはならなかったがね」
「だが、鋭い。ヴィルヘルムたる俺を苦戦させた一手を打った」
寡兵にありながら、だからこそ果敢に攻める。
自らの兵の強さを生かして、得意な戦場へと引きずり込む。
よく言えば基本に忠実、悪く言えばそこに奇策などはありもしない。
しかし、今この現状では有効な手段だった。それ故に、エーリヒの軍は苦戦を強いられた。
「今この状況では厄介な相手だよ、お前は。下手に実力がある自信家が相手ならば、もっと簡単に粉砕していた」
「そう言ってもらえるとは光栄だね。天国の父に、いい土産話ができる」
「ディッカー。降伏しろ。既に大勢は決した。お前の軍に勝ち目はない」
「それはできない」
「何故だ? そこまでのものがあると言うのか? エレオノーラ姫の理想に」
「……夢を見てしまってね」
「夢だと?」
いったいこの戦場で、何を言い始めるのか。
周囲の兵達の困惑を余所に、再会した二人の談笑は続く。
かつては共に過ごしたこともあるこの旧友の言葉が気にかかる。決して優れた将ではなかったが、この男の言葉が間違っていたことは
エーリヒの知る限りではない。
「若いころならば誰でも見る夢さ。私達も語りあっただろう? この国の未来を、自分達の征くべき道を」
騒がしい戦場において、この場だけが別の空間のようだった。
子供の頃、確かに語りあった。家督を継ぎ、父を継いで辿り付くべき場所を。
より良き国にする。民達は誰もが幸福に笑い、貴族達は気高い誇りを持ってそれを守護する国家を。
「彼等とならば叶えられそうな気がするんだ、それが。年甲斐もなくそんな夢を見てしまうほどに、イシュトナルの暮らしは悪くない」
――そんなものはまやかしに過ぎない。
宮廷では権謀術数が渦巻き、少しでも隙を見せれば蹴落とされる。
嘆く民やエトランゼから目を逸らし、自分を誤魔化しながら生きねばならない。
それこそが誇りを護ることだからだ。
そうして王家を護ることこそが五大貴族の矜持、武門の誇り。父祖より受け継がれてきた使命。
少しでも道を踏み外せば全てが奪われる。たった一度の過ちで父祖が築いてきた全てが奪われる。
そうなってしまってはいけない。
エーリヒには野心がある。目の前の男がエレオノーラを信じて果たすべき何かを持っているように、エーリヒにも苦渋に耐えながら向
かわねばならない未来がある。
「……そうか。ならば夢を見ながら死ぬか、ディッカー?」
「私と君がやりあえばそうなるな」
「では、さらばだ」
戦いと言うほどことも起こらなかった。
魔装兵の力を頼りに突進するエーリヒを止めることができずに、ディッカーはその剣ごと身体を吹き飛ばされる。
一撃で胴体が両断されなかったのは、彼がせめてもの抵抗に生きようとしたからに他ならない。
しかし、もう立てない。後一撃振り下ろせば全てが終わる。
「……エーリヒ」
「遺言は聞かん。そのまま逝け」
槍を振り上げる。
それを叩きつけるまでの刹那、エーリヒはディッカーの表情を見た。
何故か、その顔は笑っていた。
まるで何かの到来を喜ぶように。
そして、彼の口から一言が放たれる。
「私の勝ち、とは言えないが。試してみないか? 新しい世界を創ろうとする者達と古い世界を護る君、どちらが強いか」
強い衝撃が、背後からエーリヒを襲う。
そのまま一瞬視界が途切れ、魔導兵の巨大な体躯が地面を転がった。
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