第五節 破壊者達

 そして夜が明けた。

 フィノイ河の先、オルタリアとイシュトナル、二つの軍は緩やかな丘陵地帯で向かい合って軍を展開している。

 イシュトナルの先頭にはエトランゼ、エーリヒ軍の先鋒を務めるのはこれまで何度もイシュトナルと交戦してきた経験のあるラウレン


ツ。

 戦いの火蓋が切って落とされ、両軍の兵士達が地を揺るがしながら駆けてゆく。

 その先に見えるのは生か死か、そしてこの戦いの先にあるものは誰にも判らない。

 だが、それでも彼等は征く。戦いの先にある者、未来、希望、そんなものを求めて。

 空を矢が舞い、地上を地響きが揺るがす。

 その先頭に立つエトランゼ達と、ラウレンツがぶつかり合った。

 鋭い槍がトウヤの身体を真っ直ぐに突く。

 身を捻ってそれを避けて、そのまま態勢を立て直してトウヤは踏み込む。

 炎を纏った鋭い斬撃を受けず、ラウレンツは槍の柄で受け流した。

「来たか、少年! 悪いがこっちも厳しい状況でね。今度ばかりは本気でやらせてもらう」

「俺はいつだって、本気だよ!」

 剣と槍が交差し、二人は対峙する。

「ラウレンツ様!」

「こいつはいい! 俺が仕留める。お前は他に当たれ!」

 そう指示を受けて、彼の部下はその場から去って行く。

 槍を持ち上げて、ラウレンツは両手で構える。その視線がトウヤから外れることはない。

「いい気迫だ、少年。少しは腕を上げたか?」

「……俺はあんたを倒す。じゃないと追いつけないんだ、俺が掴みたいものにも、何にも!」

「いいね、その青臭さ。嫌いじゃない。ただ戦場に持ってくるには少しばかり、成熟が足りてないな!」

 突きだされた槍を剣の腹で受ける。

 刃を逸らしながらもう片方の手で炎を生み出して、それを振り上げた。

「そんな見え見えの!」

 ラウレンツにそれを放てば、軽々と避けられていただろう。だが、トウヤの狙いはそこにはない。

 お互いの足元に叩きつけられた炎は地面から燃え広がり、その紅い閃光は一瞬ラウレンツの視界を奪う。

 その間に自らが炎を受けることも顧みず、トウヤは更に距離を詰める。

 ラウレンツの真横を通り過ぎて、その背後まで。

 すぐさま奇襲を仕掛けてくると判断したラウレンツの鋭い突きが、空を切った。

「なんっ……!」

「こいつは、見えなかっただろ!」

 剣が振り下ろされる。

 ラウレンツは慌てて回避行動に移る。

 首筋を刃が掠め、全身が炎に巻かれるのも厭わずにラウレンツの身体が地面を転がった。

 そのままトウヤから距離を取り、まるでバネで弾かれたかのように一瞬で立ち上がった。

「はっ……! やるじゃないか! 未熟さは捨て身と気合で何とかするってことかい!」

「こんなの二度とやりたくないけどな。でもあんたを倒せば、前線が崩れる!」

「気に入ったよ少年。ちっ、一番得意の獲物をやられちまった」

 ラウレンツの槍は既にトウヤの足元、炎の中にある。

 仕方なく佩刀していた剣を抜いて、ラウレンツは構えた。

「やれやれ。剣で戦うなんて訓練の時以来だ。情けなくても笑わないでくれよ」

「笑うかよ。あんた相手に、一瞬たりとも油断して溜まるもんか」

「……ああ、くそ。やりにくい相手だ。真っ直ぐで、暑苦しくて、本当に嫌になる。お前みたいな少年、嫌いじゃないんでね」

 そう言って、ラウレンツが踏み込む。

 その一歩は、トウヤが思っていたよりも遥かに早い。

 先の言葉で油断したなどと言うことはなく、トウヤは全身全霊を込めてラウレンツを迎え撃つつもりだった。

 そうあってなお、電光石火の如く放たれた一撃は、想像していたよりも遥かに重い。

 剣を横にして受け止めた身体が軋む。

 上から全身を叩き潰すような一撃に、トウヤの身体が悲鳴を上げていた。

「俺も負けられないんでね! この戦いには色んなもんが掛かっちまってるから!」

「……そんなの!」

 昨日のヴェスターとの会話を思い出す。

 彼等はオルタリアを護るもの。

 エトランゼと言う異界の侵略者に対して、父祖より築かれた歴史や伝統を命を賭けて護っている。

「俺達だって一緒だよ!」

 どうにかその剣を押し返す。

 後退したラウレンツに向けて前進。

 剣は空を切ったが、ラウレンツは反撃に出るためにその距離を取ることはない。

 もう片方の手を伸ばす。

 炎を伸ばすのではなく、我武者羅にその手をラウレンツの身体に叩きつけた。

 そこから放たれた炎が、至近距離からラウレンツの身体を焦がす。

「あっちぃ!」

 それでも敵は攻撃の手を緩めない。

 身体を炎に焼かれながらも振るわれた剣が、トウヤの鎧を強く打ち付けた。

 吹き飛ばされて尻餅を付きながらも、トウヤの闘争心は揺るがなかった。

 伸びる炎がラウレンツに襲い掛かる。

 それを剣で薙ぎ払いながら、ラウレンツは更なる一撃を見舞った。

 対して態勢を立て直したトウヤも、剣で持ってそれを受け止める。

「……あんたらからしたら俺達は侵略者なんだろ? この国で、あんたの親とか爺ちゃんが作って来たものをぶち壊そうとしてる」

「そりゃそうだ。大半の貴族にとってはな」

 互いに息が荒い。

 技量ではラウレンツが遥かに有利。しかし、それを覆せると思わせるほどの気迫が、今のトウヤにはあった。

「でもな、俺にとってはそんなに難しい話じゃねえんだ。拍子抜けさせて悪いが」

 剣を構えなおす。

 決して得意な獲物ではない。

 それでも、ここで負けるわけにはいかないと、中年の騎士はトウヤの前に立ちふさがっている。

「家族だとか、可愛い部下達だとか、それから夢の先を見てほしい男がいるからってだけの理由さ。結局のところ誇りとか名誉なんても


んは俺にはない。あるのはつまらんもんばかりさ」

 名誉や家柄が重視させるこの世界の貴族達の中で、その考えは異端と言っても過言ではない。

 いや、正確には違う。

 そんな考えを持つ者達をトウヤはよく知っている。

 彼が「つまらんもん」と言ったそれこそが、本来トウヤ達が護らなければならないもの。

 多くのエトランゼが元の世界に置いて来てしまった、そしてそれ故にその価値を強く知るものだった。

「……聞きたくなかったな、それ」

「そっちが振ったんだろうが。さあ来いよ少年、俺を越えていけるかい?」

「やってやるよ。じゃないと俺は先に進めない。……あいつを護れるだけの男になれない」

 その独白をラウレンツは問わない。

 二人はその言葉を最後に、互いに地を蹴った。

 上段から振り下ろしたトウヤの剣を、ラウレンツが下から跳ね上げる。

「軽い……!」

 その違和感に対する答えは、数秒と立たずに出た。

 トウヤはわざとその剣を手放していた。次の行動に少しでも早く移るために。

「本命は……!」

 屈みこんだトウヤの両手が炎を纏う。

「だからってなぁ!」

 だが、ラウレンツもそれに対して即座に反応を返す。

 片手に剣を持ち変えて、上からトウヤの片手を握り込み、動きを封じた。

 残ったもう片方の手がその身体に触れて、灼熱の炎の全身に伝番させる。

 炎に巻かれながらも、それでもラウレンツの動きは鈍らない。

「意地があんだよ、俺にもよ!」

 胸を焦がされながら、振り下ろしたラウレンツの剣。

「それは、こっちだって!」

 足元で炎が爆ぜる。

 二人の身体はそれに無防備に吹き飛ばされて、地面を転がった。

 お互いに立ち上がる速度は同時。しかし、ラウレンツはその衝撃で手に持っていた剣を取り落としていた。

 加えてトウヤの放った炎は、確実に彼から体力を奪っていく。

 すぐ傍にいる、倒れた兵士からトウヤが剣を取る。

 一方のラウレンツは丸腰。真っ直ぐ向かってくる若者を、止める手段はない。

「ちっ、俺も焼きが回った……か?」

 どっ、と。鈍い音がして、走る少年の動きが止まる。

 悲鳴一つなく、ただ目の前の敵に対して邁進していた少年の背中には、一本の矢。

 そのまま身体がゆっくりと崩れ落ちていく。

「……なっ……」

 そう声を上げたのはラウレンツだった。

 トウヤの背後から、矢を構えた味方の兵士が駆け寄ってくる。

「ラウレンツ様! ご無事ですか?」

 呆然と立ち尽くしたままのラウレンツと、倒れたトウヤを見比べて、兵士は一言言った。

「……出過ぎた真似をしたことは自覚しています。ですが、例え騎士の誇りを汚したとして処罰されたとしても、自分に後悔はありませ


ん!」

「……ちっ。よくできた部下だよ、お前は」

 兜を軽く叩いて、ラウレンツは落ちている自分の槍を回収する。

 そうして様々な感情が籠った表情で、倒れた少年を見下ろしていた。

「……悪いな、少年」

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