第四節 その彼の言葉

 カナタがヨハンに何か手伝えることはないかと尋ねたとき、当然彼は難色を示した。

 エトランゼの英雄であるなしに関わらず、カナタに戦争に加担させることは避けたいと、彼はそう考えている。

 カナタとて戦争に参加するつもりはない。直接戦場で人の命を奪うには、彼女にとっては未だに荷の重い行為であった。

 それでもせめて何か役に立てないかとしつこく尋ねていたら、サアヤと共に補給部隊の手助けを打診された。

 二つ返事でそれを了承し、カナタを護衛に加えた補給部隊は特に奇襲を受けることもなく無事にディッカー達がいる最前線に人員や物


資を届けることに成功していた。

 フィノイ河の前に建てられた石造りの小さな要塞。窓が幾つもついた二階建てのその砦は今、負傷者や敵の捕虜などもいて、重苦しい


雰囲気に包まれている。

 一緒にやって来たサアヤは手続きのために離れてしまい、一人手持無沙汰になったカナタは要塞内で肩身の狭い思いをしていた。

 そこに、見知った人影が現れる。

「おや、カナタ殿」

 顔を上げると、そこにディッカーが立っている。

 柔和な顔立ちをした彼は、ここが戦場であることなど全く感じさせないようにすら見える。

 しかし、周囲の兵士達はディッカーが通りかかると背筋を伸ばして緊張し、彼が相応の地位にいることをカナタに教えてくれた。

「ディッカーさん」

「お久しぶりですな。息災そうで何より」

「……ボクは、大丈夫ですけど」

 カナタの視線で何が言いたいのか察したのか、ディッカーは顎先で砦の外側を指す。

 カナタもそれに習って移動して、二人は砦の外、フィノイ河を一望できる小さな丘の上にまでやって来ていた。

 いつの間にか日は落ち掛けて、夕日に照らされたフィノイ河の景色が目に染みて、涙が出そうになるのをカナタは慌てて堪えた。

「……色々なことがあったようだね」

「……はい」

 ディッカーもなんとなくは状況を把握しているはずだった。

 それに含めての深い一言に、カナタは頷いて答える。

「例え悲しいことがあっとしても、心が苦しみに苛まれていたとしても、決して立ち止まることは叶わない。勿論、こんなことが言い訳


になるとは思っていないが」

「……それは、判ってます。今が大変な時だって言うのも。でも、ボクは」

 ボクは、ではない。

 カナタが心配しているのは、自分のことなどでは決してない。

「……ヨハンさんは、少し変わっちゃった気がします」

「それはそうだろう。変わらない人などはいない」

 彼女がいなくなってしまった事実を、カナタはまだ受け止められていない。

 ならばヨハンはそれを自分の中で消化できたのだろうか。その上で、今までとは違う方向に進んでいるのだろうか?

 或いは、ただ単に八つ当たり、自分の悲しみを誤魔化すために戦火を広げているのだとしたら。

「ヨハン殿のしていることは正しいよ。姫様に付く者として、これ以上のオルタリアの横暴は放っては置けない。彼は多くのイシュトナ


ルにいる民達と、エトランゼのためにこの決断をした」

 そんなカナタの言いたいことを察して、ディッカーは結論を先回りする。

「……私の立場でこれを言うのは、単なる詭弁に過ぎない。だが、聞いてほしい」

 重々しく、ディッカーは切り出す。

 そこにいるのは先程までの柔和な男性ではなく、一人の貴族、騎士の姿があった。

「人には誰しも役割がある。それはヨハン殿とて一緒だ。姫様を助けた時点で、彼はそれを背負った。その重荷を下ろすことは、全てが


成されるかそれとも失敗するときまでありはしない」

「……役割……」

 反芻するように、カナタが呟く。

「彼は決めたのだ。姫様を、私達を導くと。私如きでは彼の真意まで理解することはできないが、その為の最善を尽くしていると信じて


いるよ」

「……信じて」

 エレオノーラが、そして多くの兵達がそうであるように。

 ディッカーも信じている。彼が導く未来を。

 事実、彼はイシュトナルを造り、迫害されていたエトランゼ達に居場所を作った。

 勿論それは、エレオノーラの熱意があったのことだが、彼女一人に成せたことではない。

「君はどうしたい?」

 その質問にすぐに答えることはできない。

 ディッカーはそれに苛立った様子も見せず、暫くの間に無言の時が流れた。

 風が草を薙ぎ、遠くに見える川に小さな波が立つ。

「私は、凡庸な男と言われ続けてきたんだ」

「……凡庸?」

「ああ。特に突出したところのない、目立たない男、その程度の意味だよ」

「そんな……」

「いや、いいんだ。事実だからね。五大貴族ほどの権力や有能さもなければ、宮廷で知謀を巡らせるほどの頭も、覚悟もない。だから遠


く離れたあの地でずっと過ごしていた」

 それは貴族の在り方とすれば異様なものだった。

 まだ年老いたわけでもなく、大きな失敗をしたわけでもない。

 だと言うのに田舎に引きこもり余生を過ごすなど、隙あらば自らの権益拡大を望むオルタリアの貴族達からすれば変人以外の何でもな


い。

「それでも私は大きな役割を果たすことができた。エレオノーラ様を支えて、この国が変わる瞬間に立ち会えるかも知れない。それは凡


庸には過ぎた栄誉だ」

 国が変わる。

 それがいい方に転ぶか、悪い方に転ぶかなどディッカーには判らない。

 ただ、漠然と抱いていたこのままでは何かがおかしいという違和感が、エレオノーラによって払拭されているのは事実だった。

「このような凡庸にすらそれだけの役割が与えられた。だからきっとヨハン殿には、もっと大きなそれがあるはずだ」

 ヨハンに与えられた役割。

 それは今彼がしているように、イシュトナルを戦いに勝たせて、エレオノーラの正当性を証明することかも知れない。

 しかしそれとは別に、もっと大きな何かを背負っている。ディッカーは漠然とではあるが、言葉の裏でそう語っている。

「……君は何を成すのかな?」

 それは決してカナタに問いかけているわけではない。

 ディッカーは心の中に浮かんだ疑問をそのまま口にしているだけだった。

 英雄と呼ばれた少女、御使いと同じ力であるセレスティアルのギフトを与えられたカナタ。

 だからこそ彼女は本人が望む望まないに関わらず、数奇な運命を歩むであろう。

「ボクの役割……。成すべきこと」

「困らせてしまったかな? 思い悩む必要はない。私がそうであったように、いつか必ずその時が訪れるはずさ。君自身が自分で決めて


、自分で道を歩む時が。だから君も一つ、心に留めておいてほしい」

 カナタが首を傾げる。

 そしてそれから少しの時間を置いて、ディッカーは一言。

「なにがあっても、前に進み続けてくれ。君のその光はそう言うものだと、私は思っているからね」

「……前に」

 掌の中で、セレスティアルが小さな輝きを灯す。

 それを握ったまま、ただ黙ってカナタは頷いた。

 並んで立つ二人の間を、風が通り過ぎた。

 水面を揺らし、草の香りを運ぶ夏の終わりの風を合図に、ディッカーは砦の方へと振り返る。

「いや、つまらぬ話をしてしまったね。退屈しのぎぐらいにはなってくれればよかったのだが」

「……ボクは、全然ディッカーさんの言っていることは判りません。判るけど、答えが出せない」

「そうだろうね」

「でも、話せてよかったと思います。よかったら続きも聞きたいから、絶対にイシュトナルに帰ってきてください」

「……そう言ってもらえれば、無理をし続けてきた甲斐もあった。そうだね、今度はヨハン殿やエレオノーラ様も一緒に、話をしてみた


いものだな」


 ▽


 奇襲部隊による追撃が失敗してから三日後。

 幸いにも死傷者の数は少なく、主力の人員は生き残っていたため、イシュトナル軍は補給を受けてからすぐに再びフィノイ河の向こう


側へと打って出ることにした。

 ディッカー達は主力であり、ここで立ち止まるわけにはいかない。多少強引だとしてもエーリヒの軍を突破して、相手側に混乱を生み


出す必要がある。

 フィノイ河を無事に渡り終えたイシュトナル軍は、大胆にもエーリヒの軍の正面に陣を張り、夜を迎える。

 夜が明ければ戦いになる。それは予感ではなく確信だった。

 見張りや斥候を残して兵士達は焚火を囲み、酒や食事を楽しむ。

 彼等にとってはこれが最後の晩餐になるかも知れない。そう思って酒を振る舞ったのはディッカー達の心遣いだった。

 それは、エトランゼであるトウヤにとっても同じことだった。

「トウヤ」

 酒をろくに飲めないトウヤが手持無沙汰で陣の中をうろうろしていると、誰かから声を掛けられる。

 野営用のテントから酒瓶を持って出てきたのは、この部隊の指揮官であるクルトだった。

 金髪に碧眼の若い貴族は、兵を指揮するときとは全く違う緩んだ表情で、トウヤに話しかけてきた。

「よかったらあっちで一杯やろう」

「……いや、俺は」

「見張りでもないのにうろつかれると兵が警戒する。今日ばかりはゆっくりと休ませてやってくれ」

 そう言われてしまっては反論もない。嬉しそうな顔で酒瓶を抱えるクルトに付き従って、天幕の中に入り込む。

 会議のために建てられた天幕の中は、既にテーブルや椅子が端に追いやられ、地面に敷かれた敷物の上で車座になり、男達が談笑に花


を咲かせていた。

 面子はヴェスター、ディッカーにクルトとトウヤを加えた四人となる。

「よぉ! 来たかトウヤ! ったく一人でうろうろしやがって! こういう時に騒げないんじゃ、ヨハンみたいになっちまうぞ!」

 そう、上機嫌な声で迎えるヴェスター。

「……俺はあんたみたいに能天気にはなれないよ。負けてるんだぞ、前の戦い」

「あん?」

 トウヤが何を言っているか判らないとでも言いたげに、ヴェスターが首を傾げる。

「そりゃ、戦ってりゃ負けるのは当たり前だろ? 常に勝てるならそれは戦いじゃねえ。ただの弱い者いじめだ」

「そうじゃなくて! ……負けたってことは仲間が死んだってことじゃないか」

「当たり前だろ、戦争なんだから。知り合いでもない奴のことを必要以上に気にしても仕方ねえ」

「それっておかしなことだろ! 誰かが死んで気に止むなってことかよ!」

「おう、そうだ」

 あっけらかんと、ヴェスターは言う。

 まるでそれが当たり前のように。

「そんなのは俺が気にすることじゃねえ。だって、俺の所為じゃないからよ」

「……俺がもっと強ければ、助けられたかも知れない。間接的には俺の所為じゃないか」

「そりゃあ……」

 ヴェスターは言葉を切って、視線を他の誰かに向ける。

 しばらくその行方は彷徨っていたが、最終的に口を開いたのはディッカーだった。

「それは自惚れと言うものだ、トウヤ」

 鋭く切り込むような言葉に、トウヤは二の句が継げなかった。

「戦場で……いや、この世界を動かす一人一人の力など本当に些細なものだ。どれだけ個人が強くても、世界を変えることなどはできは


しない。……少なくとも、私達人間にはね」

「それは、そうかも知れないけど!」

「君はエトランゼだが、その前に人間でありまだ人生経験も乏しい少年に過ぎない。どれだけ腕を広げても、そこに囲えるものなどたか


が知れている」

 それはトウヤに限った話ではない。

 そう語るディッカーも、規格外とも呼べる強さを持つヴェスターですらもそこには限りがある。

「気にするなとは言わない。その心はとても大事なことだからね。だが、無理に手を伸ばしたところで護れはしない。そしてそれは新た


な苦しみを生んでしまう」

 その場の誰もが押し黙り、ディッカーの言葉を聞いている。

 多分、それはトウヤだけに向けられたものではない。ここで最年長のディッカーから、若者達への言葉だった。

「それではいけない。際限なく自分を傷つけることになってしまうからね」

「……だったら、俺はどうすればいい?」

 それでも、トウヤには目標があった。

 心優しい少女に、少しでも追いつきたい。

 彼女の苦しみを分かち合って、痛みを請け負いたい。

 そのためには今のままでは駄目だ。

「その手だ。そこに強く握って、決して離すな。……そしてその時が来たら全力で走れ、それこそが若者の特権だ」

 それから少しの間、誰もが黙っていた。

 ディッカーの言葉を心の中で反芻するように。

「いや、失礼。酒を飲み過ぎたな。ちょっとばかり語り過ぎた」

「へっ。……まあ、たまにはいいんじゃねえか。トウヤ、おっさんの言う通り、気にするもんじゃねえ。だいたい、前線の生死で落ち込


まなきゃならないのは、後方で指揮を執る貴族やヨハンの野郎なんだからよ」

「……それを言われると耳が痛い」

 クルトは顔を伏せてヴェスターの言葉を粛々と受け止める。

「ああ、ちょうどいいや。一個聞きたいことがあったんだ。別に嫌なら答えなくてもいいんだが」

 ヴェスターが言葉を一度切って、クルト達は黙ったまま続きを促す。

「お前等はどう考えてんだよ、エトランゼのこと?」

「どう、とは?」

 尋ね返すクルト。

「なんで貴族やら教会やらがエトランゼを受け入れたくないかは俺にも判るんだよ。連中はもともとこの世界で築き上げてきた特権階級


を持ってる。それがエトランゼの流入で、奴等しか持っていなかったものが民間――いや、この場合は庶民って言った方がいいか? と


にかく、庶民が手にするのを避けたい」

 それは簡単なところでは知識や武力。

 またそれを利用して生み出される利益。

 それらが庶民の手に流れれば貴族達だけが持っているという特別が崩壊し、彼等の得ていた特権が失われる。

 だから王族や貴族やそれを避けようとする。一握りの変人を除いて。

「あの姫様は……言葉は悪いが狂人だ。なんたって自分からその立場を捨てようって言うんだからな。だから貴族は本来、そんなとんで


もないことをする奴を支持するわけにはいかねえ。ただ、状況がちっと異常なだけでな」

 ヘルフリートの暴走。

 兄であるゲオルクを排して無理矢理に王権を手にしたこの状況は、国の歯車を大きく狂わせることになった。

 ゲオルクと懇意にしており、また彼の王権を未だに望む貴族達はある者は服従し、ある者は粛清され、行き場をなくした者達はイシュ


トナルに頼る。

 それはヴェスターにも理解できる。

「待てよ、ヴェスター」

 トウヤが口を挟む。

「姫が異常って……。だったらお前は、エトランゼは一生迫害され続けろって言いたいのかよ?」

「話を最後まで聞けよ、この馬鹿」

 トウヤがそう言いたくなる気持ちも判らないでもない。イシュトナルが拓かれたことで大分状況は変わったが、それまでエトランゼを


取り巻く環境は非常に厳しいものだった。

 冒険者と言う名ばかりの職を与えられ、命を賭けても得られる報酬は数日生き延びられるのが関の山。

 犯罪を犯すか、奴隷に身を窶すかを常に選ばされるような日々だった。

「結果的に姫様のやったことは正しかった。国が満足な対策をしなけりゃ、いつかエトランゼの不満は爆発する。そうすりゃ何処かで誰


かを持ち上げて、取り返しのつかないことになってただろうからな」

 それも楽しそうだったとでも言いたげに、ヴェスターは邪悪に笑う。

 暁風がそうであったように、エトランゼの組織と言うのは確かに存在した。

 いや、今でも何処かでその時を狙っている連中はいるだろう。

 エレオノーラの行いはそう言った者達の過激な行動を多少なりとも抑制している部分はある。もっとも、単純にそれを言い訳にして犯


罪行為を繰り返すような連中に対してはどうしようもないが。

「で、まあそれはいいんだ、それは。どうでもいい。……俺の疑問は、あんたらみたいに姫様に協力する貴族達は、その特権を捨てる覚


悟ができてるかってことなんだよ」

「……それは……」

 ヴェスターは笑う。

 戦場で彼がよく見せるのと同じ、凶悪な笑みを浮かべる。

「俺達は破壊者だ。お前等が……お前等の先祖が代々築き上げてきた栄光やら名誉やら、そんなもんを全部ぶっ壊そうとしてる」

 その価値はトウヤには判らない。

 しかし、なんとなくだが、いつも考えなしのヴェスターにはそれが理解できているような気がした。

「お前等の先祖がこの国に来て、いや最初からいたのかどうかは知らねえが……。とにかく、そうやって創り上げてきたものをぶっ壊す


。それがエトランゼだ」

 それは実に歪な介入。

 本来ならば他の国や文化が行うべきことが、異なる世界によって引き起こされようとしている。

 差別され苦難を受けているのはエトランゼだが、彼等が声高に叫ぶのは間違いなく侵略だった。

「そこに俺達の意思はねえ。エトランゼはいるだけでこの世界を歪ませて変えちまう。ヨハンの野郎はそれを判ってやってるだろうが、


決して誰からも許容できるもんじゃないはずだ」

 そこには歴史があった。

 彼等の父祖が血を流し、命を賭して築き上げてきた偉大なるものが幾つもある。

 エトランゼがこの国で自由を求め、より良き生き方を唱えることはそれを冒涜し、破壊することに他ならない。

「……自分の意見を言おう」

 クルトが伏せ気味だった顔を上げる。

 コップの中身を飲んでから語るその表情には、自嘲するようなものが含まれていた。

「俺からすればそれは恥ずかしい話だし、即物的なものだ。決して立派ではない家柄、本来ならば歴史に名を残すことすらもできずに消


えていくような小さな家系。……それがこうして一軍を任され、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンと矛を交えようとしている。それだ


けでも歴史書に名が残るだけの躍進をしたと言えるだろう」

 つまるところそれは、新たな名誉のためだった。

 そこに強い信念も、エトランゼを想う慈愛の心もありはしない。

 ある意味ではこれまでの考えを引きずっているとも言えた。

「歴史の流れの中にいるのではない、自らがその一部となって流れを作り上げていく。俺は、この戦いはそう言うものだと思っている」

「……はぁ、なるほどねぇ」

 腕を組んで、ヴェスターは深々と頷く。

 彼が納得しているのかどうかは判らないが、ある意味私欲とも言えるその考えに対して異を唱えることはない。なんと言っても私欲の


塊のような男だ。

「で、おっさんはどうなんだ?」

「……ふむ。難しい質問をするね、君も」

「そうか? まぁ、教えてくれよ」

「……面白いから、と言うのが一番かな」

「面白い?」

 眉根を寄せて、クルトが聞き返す。

 彼だけでなく、他の二人も意外そうな顔をしていた。ディッカーと言う男は彼等が知る限り、一番そんな答えを返す男ではない。

「ああ、そうだね。何もかもが面白い。恋を知り、姫ではなく少女のように表情を変える姫様も、要塞内を歩くエトランゼ達の、私達に


は知らぬ知識や生活も、そして何よりも、君達が変えていくこの世界の行く末も」

 ディッカーの言葉は紛れもない本心だった。

 過去を尊び、変わっていく世界を押し留めようとする者達がいる。

 それと同じように変化を楽しみ、これから先の世界を見てみたい者もいる。

 ディッカーは後者だった。

「元々、宮廷の暮らしが性に合わなかったのだ。このぐらい刺激的な日々の方が、私には似合っていたということだよ。もっともそれに


気付くには、少し年を取り過ぎたがね。

 それがほんの少しだけ、悔しいな」

 ディッカーはもう若者ではない。

 最前線でこの国を憂いて、情熱を燃やすことはもうできそうになかった。

「……ま、必要だろ。そうやって一歩引いたところから見てる奴もよ」

 そう、ヴェスターが言ったのは、誰にとっても意外なことだった。

 それでも誰もそれを茶化すこともなく、口にすることもなく、静かに夜は深けていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る