第三節 夜襲
その日の夜。
偶然にも空には分厚い雲が掛かって、月も星も見えない暗闇の中を疾走する一団があった。
イシュトナルが放った、エトランゼを中心とする混合夜襲部隊。総勢三十名程度の小規模な部隊へと志願したトウヤは、先頭を走るヴ
ェスターが立ち止ったことで、それに合わせて足を止めて屈みこむ。
「……あれだな」
離れたところに篝火が見える。それに照らされて、物資が集積してあるような山も薄っすらと闇の中に浮かび上がっていた。
敵軍は一つミスを犯した。ヴェスターの強さ、最前線の部隊が容易く打ち破られたことで浮足立っていたのだろう、背中を丸出しで撤
退したために、その追撃は容易かった。
殿として戦った部隊を撃破することこそはできなかったが、こうして彼等が逃げ込んだ拠点を発見することができた。
敵に休む間を与えず、装備を焼き払う。夜襲の提案がされたのは現場の兵達からだった。
それを聞いたディッカーは後日に控えた決戦を前に悪戯に戦力を減らすべきではないと難色を示したが、クルトを中心とする若い将兵
達は戦況が有利な内に相手の戦意を削いでおくべしとの意見を述べた。
そしてディッカーは押し切られ、今こうしてトウヤ達を含む兵達がここに来たというわけだった。
トウヤは参加していないが、昼間は随分と撤退する敵を追い立てたらしい。だとすれば相手に残った戦力は決して多くはない。
あの男、ラウレンツの率いる部隊をここで撃破できるなら、その価値は計り知れない。
以前の敗北が思い起こされて、トウヤは無意識に握り拳に力を込めていた。
あの時よりもずっと強くなった。ギフトの使い方に精通しただけでなく、単純に兵としての実力も研いた。
集団戦も、そして一騎打ちになろうと負けはしない。そう、心の中で自分を鼓舞する。
「おう。トウヤ」
後ろを振り返ったヴェスターに声を掛けられて、トウヤははっと顔を上げる。
「力が籠り過ぎてんぞ。そんなんじゃ何しても上手く行かねえ。初めて女抱く童貞じゃねえんだ、もっと自然に構えて……いや、童貞だ
ったな。悪い」
わざとらしくヴェスターが笑うと、周囲からも失笑の声が漏れる。
「う、うるさいな! それは今関係ないだろ!」
「だったら生き残って童貞捨てねえとな」
「お、では生きて帰ったら戦勝記念に一軒どうですか? いい店見つけたんですよ」
横合いからそう言ったのは、オルタリアの兵士だった。
トウヤの恥じはともかく、そのおかげで緊張がほぐれたのは事実だった。
「いいじゃねえか!」
ヴェスターが景気よく返事をする。
それから屈みこんだ身体を少し起こして、手振りで部下達を合図を送った。
「……そろそろ行くぞ」
「了解」
幾つもの小声が重なる。
暗闇の中、草を踏む音だけを立てて静かにヴェスターが駆けると、それに従い三十余名は一塊になって前進していく。
最初に犠牲になったのは歩哨として立っている一人の兵士だった。先程軽口を叩いた彼が投擲したナイフが敵兵の首筋に吸い込まれる
ように突き刺さり、悲鳴を上げる間もなく絶命する。
「行くぞ」
ヴェスターが短い声で告げる。
言いながら彼は、懐から小型の爆弾を取り出して放り投げる。
一人一つ持たされたそれを、惜しげもなく投げるイシュトナルの兵士達。
「トウヤ!」
名前を呼ばれて、即座に両手を挙げる。
ギフトを発動させ、渦を巻くような炎が生まれる。
それを放り投げるように敵陣に放つと、先んじて転がっていた爆弾に火が付いて、辺り一面を爆発の光が照らす。
そのまま炎があちこちに引火して、決して広くはない敵陣は一瞬にして真っ赤な炎に包まれた。
「大成功だな! 後は敵将を打ち取って……」
「ヴェスター隊長!」
焦ったような声が、辺りに散った兵達から聞こえてくる。
その正体は言われなくともなんとなく、次の瞬間には全員が理解していた。
悲鳴がない。逃げる音も、応戦しようとする気配もない。
そればかりか光に当てられて気付いたことだが、燃えているのはそれらしく積み上げられた木くずや石ばかりで、この場には誰もおら
ず、大した物もない。
「……やべぇ!」
ヴェスターが気付いた時には遅かった。
陣の外側から放たれた一本の矢が、トウヤ達の足元に突き刺さり、事態がどれだけ悪い方にあるかを教えてくれた。
「よもやこうまで簡単に掛かってくれるとはな。こちらとしても策を用意した甲斐もある。いや、この程度で策と呼べば、偉大なる先人
に笑われるか?」
ゆらりと、炎の中に長身の影が浮かぶ。
エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンに仕えるエトランゼの軍師、ルー・シンの姿がそこにあった。
長身痩躯に、顔色の悪い、しかし何処か凄みのある容姿をしたその男はヴェスター達を挑発するように遅々としたペースで炎の中を歩
いている。
「嵌められたってことか!」
「如何にも。いや、軍記を読み漁れば何度も使い古された策ではあるがこうして決まってみればなかなかに心地よい。やはり戦場とは一
筋縄ではいかぬようだな、お互いに」
低い声でこちらを嘲笑うルー・シン。
彼が片手を上げると、それを合図として、陣の外側で大量の何かが動く音がする。
「……囲まれてる」
トウヤは無意識に、喉の奥から絞り出すように声を上げた。
その言葉通り、陣の外側にはオルタリアの兵達が円で囲むように展開している。周囲の炎に照らされて、幾つもの鎧や剣が死へと導く
暗い輝きを放っているのが見えた。
「ネフシルの悪魔。お目に掛かれて光栄だ」
「俺はてめえなんぞに会いたくねえよ、幽霊男。死ね」
ヴェスターが地面を蹴る。
飛び上がってルー・シンに斬りかかったが、その黒い剣が彼の脳天を叩き割るよりも早く、横合いから伸びてきた槍の一閃がヴェスタ
ーを弾き飛ばす。
「軍師殿! いい加減に格好付けるのはやめて撤退してくれ! あんたがいたんじゃ気になって戦えねえ!」
中年の騎士、ラウレンツがその鋭い一撃でヴェスターの攻撃を防いでいた。
「それはそうだったな。失礼、ついつい気分がよくなったものでな。では、これにて手前は撤収するとしよう」
悠々と背中を向けてその場から立ち去るルー・シン。
それに追撃するよりも早く、外側に控えていた兵から放たれた矢がトウヤ達に降り注いだ。
「くそっ! 撤退だ、撤退!」
ヴェスターが叫ぶ。
その一言を受けて奇襲部隊は踵を返そうとするが、既に包囲は万全。そして自分達が放った炎は今や凶器となって辺りに広がっている
。
「ですが、何処から……!」
「あっちが空いてるぞ!」
炎の中に、包囲が薄い点を見つけた一人が叫ぶ。
「馬鹿、やめとけ!」
ヴェスターが止めるよりも早く、何人かの兵士が武器を振り回しながらその方向に突破しようとして、更に潜んでいた兵士達に槍で串
刺しにされて絶命した。
「ありゃ、意外と引っかからなかったな。一ヵ所だけ緩くしとくのは包囲戦の鉄則だそうだぜ?」
「知ったことかよ」
得意げに言うラウレンツに、ヴェスターはそう言い捨てる。
「強行突破するぞ! 俺について来い!」
ヴェスターを先頭にして、全員が一斉に包囲へと突入する。
ある者は矢に討たれ、またある者は炎に巻かれ、例え外側に突破しかけても剣や槍の包囲が襲い掛かる。
その中をがむしゃらに武器を振り回して、犠牲となる仲間を無視してどうにかヴェスター達は重なる敵兵の群れからその先頭を脱出さ
せることに成功した。
しかし、そんなヴェスター達に背後ラウレンツが迫る。
槍を器用に振り回し、確実に一人一人息の根を止めるその歴戦の兵を足止めできる者の数は決して多くはない。
だから、トウヤは自ら殿を名乗り出た。
炎を放ち、敵兵の足を止めながら、背後を振り返って剣を構える。
「ここは俺が!」
「トウヤ!」
ヴェスターの声を無視してラウレンツと向かいあう。
「おう、久しぶりだな炎の少年。でもな、前に言わなかったか? 子供を殺すのは気が引けるって」
「そっちの理由なんか! 俺は……!」
「気迫は充分だが……。さて、肝心の実力はどうかね!」
突きこまれた槍を、剣で逸らして弾く。
そのままトウヤは一気に接近して、斬撃一閃。
ひらりと後方に飛んだラウレンツに避けられたものの、続く炎が彼を更に追撃する。
「っとお!」
炎を槍が打ち払う。
再びトウヤが攻勢に出ようとしたところで、ラウレンツの背後から何者かが襲い掛かる。
「まだ残ってやがったか!」
振り回された槍の柄を剣で弾き、その男――先程、戦いが始まる前に会話をした一人の兵士は叫んだ。
「エトランゼ殿、撤退を!」
その声に血が交じる。
炎の光を頼りに見れば、彼の鎧の腹の部分からは槍が突き出ており、そこからは今も血が流れだしている。
「今は俺の命よりそちらの命を! この半死の能無しと、ギフトを持つエトランゼ、どちらが貴重かよくお考えを!」
「耳元で喧しいっての!」
ラウレンツの槍で兵士は打ち倒されたが、怪我人とは思えないほどの勢いですぐに立ち上がってなおも剣を振るう。
既に型も何もあったものではない、ただ滅茶苦茶に武器を振るうだけの戦い方だが、それでもラウレンツの足を数秒止めることに成功
する。
そしてその間に、トウヤの首根っこが何かに掴まれて、身体が無理矢理に持ち上げられる。
「ぐっ」
「このクソガキ! 何勝手に立ち止まってんだ、帰るんだよ!」
「でも!」
「デモもストライキもあるか! 無駄死にしてえのかてめえは!」
ヴェスターはトウヤの返答など求めてはいない。
その身体を担いで、大急ぎで戦場から離脱していく。
「ったく、お前さんも貧乏籤だね!」
ラウレンツは苛立った声を上げて、槍の石突きで兵士を打ち倒すと、その腹に足を乗せて起き上がれないように抑えつけた。
そうして上から見下ろしながら、改めて彼の傷を見る。
もう助かりそうにない。既に半分意識もないのか、この状況で薄ら笑いを浮かべて無抵抗で大の字に倒れていた。
「……元同胞のよしみだ。言い残すことがあれば聞いてやる」
「俺は馬鹿なので家族もいないし、今更気の利いたことは言えません。だが、この世界は変わる時は来ています。ラウレンツ様も、その
お覚悟を」
「……そうか」
深く頷いて、ラウレンツは腰から引き抜いた剣で首もとを一閃。
ごとりと、兵士の首が落ちた。それは命を賭けて仲間を逃がした一人の英傑に対する、苦しみを与えまいとするラウレンツの情けだっ
た。
「……んなことは判ってんだよ」
逃した敵の数は凡そ十数名。最初に来た数の約三分の一。
暗闇の中での戦闘は困難として、ルー・シンの指示により追撃は断念された。
こうして決戦は、次回の舞台へと持ち越されることになったのだった。
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