第二節 武力

 目の前に広がる、一糸乱れず統率された兵達を眺めながら、馬上でオーラフは満足そうに大きく頷いた。

 同じくその隣で馬を駆るラウレンツも見惚れるほどに、それは見事な精兵達であり、彼がヘルフリートによってわざわざこちらに使わ


された理由もよく判る。

「どうだ! 五大貴族には劣るかも知れぬが、長年鍛え上げてきた我等が軍の威容は!」

「……確かに、見事なもんですね」

 それは何の他意もなく、素直に心からの称賛だった。

 だが、ラウレンツは知っている。それが旧態依然とした兵の並びであり、実戦や兵法書などで彼の知る限りでは百年も前から変わって


いないということを。

「ですがね、オーラフ殿。連中はエトランゼです、俺達とは違った力を持っているし、何より新しい兵器を持っています」

「だからどうしたというのだ? 何が、エトランゼ、何がギフトか。そんなもの魔導師共と戦をするのと何も変わらぬではないか! ラ


ウレンツ、俺には貴様が臆病風に吹かれているようにしか見えぬ!」

「いや、それはまぁ……。はぁ」

 言葉を返せずに、ラウレンツは語尾を濁した。

 恐れていないと言えば嘘になる。

 オーラフは魔導師と変わらないと言ったが、オルタリアの歴史の中で魔導師の集団と戦をすること自体が稀だった。自軍兵力として魔


導兵団を抱えてはいるが、それも一部の貴族達だけに許された特権である。

 彼等の知る戦場の定石が通用しない相手と言うことは共通しているが、だからと言ってそれを一緒くたに考えることはできない。

 それをどうにか伝えようとする前に、オーラフの大きな手がラウレンツの背中を叩いて、その勢いで咳き込まされることになった。

「そんなに心配ならば貴様は俺の軍の後ろに隠れているがいい! 奴等と、それからお前にも戦と言うものを教えてやるとしよう!」

「……はい。勉強させてもらいます」

 ここで余計なことを言って、仲間内に不和を生むわけにもいかない。結局、ラウレンツはそちらの方が害になると判断して、オーラフ


の戦いを見守ることにした。


 ▽


 オーラフの迅速な行動が功を奏したのか、特に抵抗もなく橋を突破することには成功した。

 一番迎撃が激しくなると予想された個所を容易く駆け抜けたことで安堵し、勢いを増してオーラフの軍は丘陵地帯を駆け抜けていく。

 目指すは敵軍が陣を張る砦。それは一見すれば堅牢な守りにも見えるが、急造したという情報もあり囲んでしまえば脆いものだ。

 敵軍の第一陣が迎撃に出るが、それでもオーラフ達の勢いを止めることは叶わない。一息も立つ間もなく撃破されて、無様に敗走して


いった。

 オーラフもその先頭に立って剣を振るい、既に血祭りにあげた敵の首は十を超えている。

「いよーし! このまま、敵の喉元にまで突き進むぞ!」

 そのまま前進すると、槍を構えてこちらの攻撃を防ごうとする第二陣が視界に入り込んでくる。

「所詮は寡兵! 騎馬隊の敵ではない! 進めー!」

 背後から弓矢の援護を受けて、相手の槍兵が崩れたところを騎馬隊が蹂躙する。馬の蹄に踏み荒らされ、敵兵達は骨を砕かれて一瞬に


してその命を落としていく。

 残った者達もこの勢いを止めることはできぬとさっさと撤退していった。

「フハハハッ! イシュトナルの軍は腰抜けばかりか! これでは俺の武勇も錆び付こうと言うもの!」

 気分よく声を上げると、味方の兵達もそれに合わせて大声を上げる。

「このまま相手を砦に押し込んでいけ!」

 まずは相手を砦から出られないようにする。そうすれば後は火矢なり火薬なりを使ってその防御を無力化してしまえばいい。

 反乱の討伐とはいえ、伊達に何度も戦を繰り返してはいない。オーラフはこれまでと同じやり方でどうとでもなるであろうと、大軍を


そのまま前進させる。

 後少し、後数歩で敵の砦に取り付くことができる。

 たったそれだけの戦。その程度の戦場、何を警戒することがあろうかと、オーラフは内心で後方で待機しているラウレンツを嘲笑った


「あの腰抜けのエトランゼもだ。長くこの地に根付いた俺達の誇りこそが、勝利のための鍵となるのだ」

 目の前に砦が迫る。

 その屋上に設置された数々の砲台。

 そして窓から生えるように伸びる銃身が、彼とその下に付き従う者達の、栄光の運命を逆転させることになった。

 細長い杭が次々と放たれる。

 それはオーラフの後ろに着弾し、そこから込められた魔法が広がっていく。

「オーラフ様! 炎が!」

 ぼろぼろと役目を終えたかのように崩れる杭からは炎が沸きだし、その近くにいる騎馬兵達を包み込んで焼き焦がす。

 そして次にオーラフを襲ったのは、砦の窓、そして前方に一斉に並べられた銃身より放たれる鉛の弾丸だった。

 先程叫んだ部下も、銃弾に身体を打ち抜かれて沈黙する。

 例え上の兵に当たらなくとも、銃弾を受けた馬はその痛みや音から怯え、主を放り出す勢いで逃げ去っていく。

 オーラフも馬から放り出され、何とか立ち上がってすぐに敵陣を見た。

 容赦なく放たれる砲火はオーラフの兵を傷つけ続けているが、それでもまだ壊滅には至っていない。

「くっ……。続け、続けー! ここを突破すれば勝利なんだぞ!」

 剣を振り上げて、銃弾を弾き、オーラフは駆ける。

 その先に勝利があると。

 父祖より受け継いできたオルタリアの貴族としての誇りが、必ず道を切り開くものであると信じて。

「よぉ! 大将がわざわざ頭から突っ込んできてくれるとは、感心するぜ。やっぱそっちの方が判りやすくていいや」

 そこに、一匹の獣が立っていた。

 黒い剣を担ぐように立つその男は、ネフシルの悪魔と、そう呼ばれている。

「ネフシルの悪魔か。相手にとって不足はない!」

「いいねぇ! 楽しませてくれよ!」

 銃撃が止み、辺りには静寂が満ちる。

 否。

 そう感じているのはオーラフだけのことだ。周りでは先程までと同じように、戦の音が響いているはずなのに、その音が聞こえない。

目の前の敵を前にして、恐怖心と高揚感を隠すことができない。

「俺も一介の武人だ。貴様がエトランゼでなければ、儀礼に乗っ取った決闘を申し込んでいたところだ」

「はんっ。じゃあエトランゼでよかったよ。そんなもんに興味はねぇ。てめぇをぶっ殺して、この戦いは終わりだ」

「所詮は蛮族か」

「……俺からすりゃ、お前等が大概だけどな。まあいいや」

 オーラフが駆け、ヴェスターが迎え撃つ。

 戦いは一瞬で決着した。

 オーラフの持つ剣はヴェスターのことを捉えることはなく、反対にヴェスターの剣はオーラフの身体を横一文字に鎧ごと両断した。

「なんと……!」

 驚愕の声と共に、口から血が溢れだす。

 膝を突き、崩れ落ちそうになる身体を必死で手で支えようとするが、力が入らない。

 その背中から、声がした。

「期待したが……。弱すぎだな、お前」

 慰めるわけでもなく、相手を讃えるわけでもない言葉。

 それが今戦った相手が誇りある騎士でも何でもなく、単なる獣、悪魔であることを一層感じさせた。

「でもまぁ、真っ先に俺に向かってきたことは褒めてやるぜ。雑魚共が死なずに済んだみたいだしな」

 オーラフを一瞬で葬ったその実力を見て、生き残った兵達は恐怖に戦慄き、それ以上の前進をやめていた。

 そんな彼等を叱咤しようとしても、もう声を上げることもできない。

 そのままオーラフは、戦場で息を引き取った。

 彼の死によって部隊の連携は崩れ、士気は落ちた。残った兵達は逃げるか降伏を選び、緒戦は驚くほど簡単に終結した。

 そして場所は代わり、オーラフ軍の背後。戦いの成り行きを見守っていたラウレンツは、前線の様子の変化から彼が倒れたことを理解


していた。

「やっぱ駄目だったか……。撤退するぞ」

「は、ですがこのままでは追撃を受ける恐れも」

 隣で馬を駆り、何か言いたげな副官に、結論を先回りする。

「それが目的だよ。適当に戦いながら下がる。軍師殿からの命令だ」

 そう聞いて、副官はそれ以上何も言わなかった。

 手綱を引いて、ラウレンツは馬を走らせてその戦場を後にする。

「まー、どうしようもなかったってのは否定しないけどよ。やっぱ見殺しってのは気分いいもんじゃねえなぁ」

 今は勝たせる、屈辱も受け入れる。

 その代わりに次の戦場ではそうはいかぬと、ラウレンツは心中で強く誓う。

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