第七節 歪んだ誓い

 二人がそんな風に会話をして去っていく様子を、戦場の真ん中からイブキは黙って見つめていた。

 各々立ち上がり、仲間を助け起こしながら戻る兵達がその横顔に次々と声を掛けていく。

「助かりました」

「流石は英雄と呼ばれたエトランゼ殿ですね」

「これならエレオノーラ姫がエトランゼを大事にする理由もよく判ると言うものです」

 その言葉に愛想笑いで返事を返しつつ、イブキも竜化を解いて歩き始める。

 ヨハンはイブキの知らない人といて、知らない顔をしている。

 そんなことは当たり前だった。あれからもう何年も経っている。むしろこれまで覚えていてくれて、助けようとしてくれていたことだけでも奇跡のようなことだと言うのに。

 また昔のように、二人で一緒に旅をしたいと願ってしまっていた。

 だからいつかそうなるために力を貸す。そこに大義も正義もない、単なるイブキの私利私欲に過ぎない。

 そして同時に。

「……多分、そんな未来は来ないんだろうなぁ」

 諦めを含んだ声で、誰に言うでもなくそう呟いた。

 周りの喧騒に溶けてその声は誰の耳にも届かない。

 ラニーニャの怒りの言葉が思い起こされる。

 彼女の怒りは正当ではないのかも知れないが、イブキにはそれを受け止める覚悟があった。

 あの時、あの北の大地で大人しく死んでおけばこんなことにはならなかったのだから。

 ヨハンの周りで笑う少女達の姿が浮かぶ。

 傷ついた彼を、悲しむ時間すらも与えられないヨハンのためにそれぞれが励まして、共に進もうとしてくれている。

 きっともう、そこにイブキの入る余地などはない。

 だからできるのはせめて、彼のための力として、道具として戦い続けることだけ。

 そうすればいつか、全てが片付いたころにこちらを見てくれるかも知れない。

 そんな淡い希望にしがみついている自分を、心の奥底で笑う。

 二度も失わせてしまったというのに、何を都合のいいことかと。

「……見ててね、よーくん。よーくんの敵は、全部あたしが倒してあげるから」

 その悲壮な決意だけを胸に、英雄は前に歩み続ける。


 ▽


 ヨハンの御用商人と言ってもいい立場に収まったハーマンが砦にやって来たのは、戦いが終わって日も暮れかけた時間の頃だった。

 指揮官として砦の一室を使っているヨハンはそこに彼を呼び寄せて、厳重に扉を閉める。

 一つ窓があるだけで、後は一人用の木とテーブルぐらいしかない狭苦しい部屋の中で、細目の商人はいつもの胡散臭い笑みを浮かべる。

「大丈夫。誰にもつけられてませんよ」

「一応な」

「どうぞ椅子にお掛けください。昼間は戦闘でお疲れでしょう?」

 自分だけ座るわけにはいかないとヨハンは立ったままで話すつもりだったのだが、そう言われては無理に拒否する理由もない。

 椅子に座って、改めて立ったままのハーマンを見上げる。

「まずはおめでとございます。やはりそれらは全てヨハンさんの手腕があってこその」

「心にもない世辞はよせ。それより早く本題に」

「おー。珍しく余裕がありませんなー。まぁ、戦争中ともなれば当然でしょうが。ですがその前に一つ。わたくしめが調達した物資の数々はお役に立てたでしょうか?」

「……ああ。大分な。短期間で装備を整えられたのも、魔導銃がある程度量産できたのもお前あってこそだ」

「面と向かって言われると照れてしまいますねー。それでは今後ともご贔屓に。くーれーぐーれーも、婚約者さんがいるからと言ってハーフェン方面ばかりを優遇しませんように。それではわたくし、悲しくなってしまいます」

 イシュトナル、そしてヨハンはハーマンにとっては上客だった。ハーフェン方面からの商人の流入で多少利益は落ちたものの、見放すほどではない。

 むしろそれらを上手く利用する立場に付いてしまえば、もっと美味しい思いができる。ハーマンの狙いはそこにあった。

「はいはい。本題ですね」

 眉を顰めたヨハンの表情から、ハーマンはそれを察知する。

「オルタリア方面で活動しているエトランゼ達、及びヘルフリート政権に反感を抱いている貴族達への武器の販売、つつがなく終えておりますよ」

「それで、向こう側はどうなっている?」

「ここ数日で随分と締め付けが強くなったみたいですからねぇ。わたくし僭越ならば、ちょちょっとばかし口出しを。ええ、このままでは一族は破滅するー、とか。ヘルフリートはエトランゼを皆殺しにするつもりだー、とか」

 しっかりと扇動までしているところが、この男の抜け目ないところだ。

「なるほどな。なら近日中に行動を起こすであろうと見て間違いないか?」

「はいー、それはもう。ええ、しかし……。残念なことに具体的な日時までは」

「それなら問題はない。敵の攻めを緩め、国内の不和を煽る。それ以上の目的はない」

「はぁー。随分と思い切った策を使いますなぁ」

 ハーマンはその細い目でヨハンを見て、口元を楽しげに歪ませる。

「無駄死にですか、その者達は?」

「そいつらの目的を果たせない、と言う意味ではな。こちらにとっては非常に役に立つ」

「ほほー。ほうほう、なるほどなるほど。やはりヨハンさん、判った上でやっていると」

「当たり前だ。この戦い、正攻法だけで勝てるとは思っていない」

「それにしてもえげつない方法を取りますねぇー。わたくし、ちょっと怯えております」

「……不満か?」

「え? いいえー。まったく。そもそもですね、オルタリアで燻っているエトランゼも、今更ヘルフリートに反感を抱く貴族達も、どちらも馬鹿なのですよ。

 前者はエトランゼなのだから余計な意地を張らずに協力し、自分達の生活を勝ち取るために動くべきだった。今まだ反乱を起こそうとする体力があるぐらいですからね」

 ハーマンが言っているのは、暁風のように反オルタリアを唱えるエトランゼ達のことだ。

 それらは数の大小こそあれ国中に散っている。もっとも大半が理想を掲げてなにもせず、他者から強奪するための大義名分として語っているだけの連中だが。

「それがオルタリアには帰順できない。だからと言ってイシュトナルに協力も無理。エトランゼであることを捨てて農夫にもなれないのでは、いずれ時流に流されて破滅するが必定。それが今、と言うだけでしょう?」

 流石に、エトランゼでありながらこの世界で名を上げた商人は言うことが違う。

「貴族達も貴族達で、兄を手に掛けて王位を簒奪するヘルフリートが異常なのは判っていたはずでしょうに。それを有利な方に付こうとどっちつかずな態度を続け、自分に被害が被りそうになったところでようやく重い腰を上げる。わたくし達の現代ならともかく、この非常な大地ではそれで生きていくことはできません。つーまーりー」

 ハーマンは自信満々に続けた。

「自業自得。なるべくしてなっている。ヨハンさんはその状況を利用しているだけに過ぎない。と、せめてその罪悪感を軽くしておいて差し上げましょうか?」

「……いや、その必要はない」

 それが非道なことであることは理解している。

 例えハーマンの言う通りだったとしても、それらはもっと長く生きられる命だったはずだ。

 それを利用し、使い潰そうとしているのだから。

「ですが遂に、本格的な戦いになって来ましたねー。エトランゼの戦線投入、裏工作。ヨハンさん、そうまでして勝たなければならない理由は何でしょう?」

「……それを聞くか? 負ければ殺されるからだ。違うか?」

「あー。聞き方を間違えました。どうして頑なに、相手に攻め入ろうとしているのです? これだけ堅牢な守りを見せたのに和平交渉の準備もない」

 モーリッツの軍や聖別騎士団に与えた打撃は決して大きなものではないが、相手側も簡単に倒せる相手ではないということは伝わったはずだ。

 これは侵略ではなく内乱。お互いの譲歩点を見極めて粘り強く交渉すれば、もっと流れる血を少なくすることもできるかも知れない。

 ヨハンはそれをしなかった。勿論、ヘルフリートのことが最早完全に信用できないという理由もあるのだが。

「王都に行く必要がある。オルタリアをヘルフリートの支配から解放して、御使いに備える」

「ははぁ。なるほど。その鍵が王都にあると?」

「オルタリアは神に寄る支配が認められた国。そのことを示す文献や口伝が残っていれば、御使いが何者であるかを解き明かせるかもしれない。それにそこから五大貴族を辿れば、エイス・ディオテミスへと道も拓ける」

「より大きな脅威に備えると。確かに御使いは脅威的でしたからねぇ。それに、風の噂ではハーフェンでもやりあったとか?」

「……そう言うことだ」

 流石のハーマンも、アシュタの村であったことまでは知らないようだった。

 御使い、魂魄のイグナシオ。

 圧倒的な力を持つ彼女を倒すには、御使いが何であるかを知る必要がある。

「確かに。わたくしが折角築いた財産を神様の使いだからと言う理由でパーにされてはたまりませんしねぇ」

「今回の件、色々とご苦労だった。少ないが報酬を用意した」

「へぇ! これは太っ腹な! だからわたくしヨハンさん、大好きですよー!」

「気色悪い」

「酷い!」

 テーブルの上に置かれた金が入った袋をハーマンは受け取って、中身を確認するとほくほく顔で頷く。

「いやー。これはありがたい。ではわたくしはこの辺りで失礼します。折角のこのお金を、戦いに巻き込まれて失うわけにはいきませんからね」

 それを懐に入れて、ハーマンは部屋を出ていく。

 廊下に出て扉を閉めると、ハーマンは近くの兵士達に軽い調子で挨拶をしながら帰路についた。

 ヨハンは変わった。具体的には言えないが、随分と攻撃的に出ているように思える。

 その原因はハーマンの知ったことではないが、これはいい変化だった。

 戦いが起きて、それが広がれば商売の手も広がる。そうなれば更なる金儲けの機会が何度もやってくるということだ。

 しかし、一つだけ懸念がある。

 それを思考するのと同時に、ハーマンは砦の廊下で一度立ち止まる。窓から下を見れば、兵士達が食事を摂っているところだった。

 ギフトが発動している。頭の中がチリチリと焦げるように燻る。

 嫌な『予感』がしていた。

 それは決して外れたことはない。

「ヨハンさん。商売の続きは、この予感を貴方が乗り越えたとき、と言うことで」

 それまでは精々静観していよう。

 ことが済むまではここを離れることを決意して、ハーマンは砦を後にした。

 話の判る商売相手として、せめてもの武運を祈りながら。

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