第六節 狂信者
小柄な鎧の騎士が、前に出ようとする重装歩兵に喰いつくように斬りかかり、それを次々と屠っていく。
その剣捌きは人間とは思えず、防御を考えない攻撃だけを見れば現在イブキと戦っているアーベル以上とも見えた。
恐ろしい切れ味を誇る聖別武器を持って、鎧ごとを重装歩兵を斬り殺す。返り血を拭うこともなく次の相手に。
鎧を全く意に介さないこの騎士相手では、堅牢なはずの装甲は単なる重りに過ぎず、繰り出す槍は全て避けられて、瞬く間に血の海に沈められていく。
前線でイブキがそうしているように、後背ではこの騎士が戦いの主導権を完璧に握っていた。
そのまま重装歩兵の波を突破し、銃を構えようとする銃兵隊を一直線に切り拓き、真っ直ぐにエレオノーラの元へと突撃していく。
誰にも押し留められないその俊足を止めたのは、一発の銃弾だった。
銃弾は兜の中心に直撃し、貫通こそしなかったもののそれを綺麗に真っ二つに割って見せる。
逃げ惑う銃兵隊の奥、金色の髪を靡かせた少女が長砲身の銃を構えて不敵に笑う。
自分に銃弾を当てたその手練れを見て、兜の下にあった美しい顔が、無表情のままその方向を見た。
「神は見た、汝を。我は仰いだ、神を。その祝福は遍く与えられる。地を照らし光与え、豊穣なる輝きは世界を覆う」
形の良い、小さな唇から言葉が紡がれる。
オールフィッシュを構えたまま、挑発的な笑みを浮かべていたクラウディアは、それを聞いて首を傾げる。
「……何言ってんの? ひょっとして当たり所悪かった?」
頭に当てたのが悪かったのだろうか。
そんな場違いなことを考えるクラウディアだが、すぐに相手の心配をしている場合ではなくなった。
彼我の距離は歩数にして二十歩以上。先程から高速で人を斬るこの騎士を見て、迂闊に近付くほどクラウディアは間抜けではない。
だと言うのに、気が付けば目の前に銀色の髪が踊る。
「う……そっ、だろ!」
頭を狙った容赦ない一撃を、オールフィッシュを振り回すことで弾き返す。
必死で距離を取って発砲するが、連射される弾丸をものともせず、それらを凄まじい足さばきで避けながら銀髪の騎士、アストリットは肉薄してくる。
「穢れが落ちる。この世界に落ちる。山を撫で森を通り、川に紛れて人々を汚していく。神よ救い給え、わたし達のこの世界を救い給え。嗚呼、穢れが落ちてくる」
「なにぶつぶつ言ってんの! 気持ち悪っ!」
その目に光はなく、唇は機械的に言葉を紡ぐ。
まるで人として壊れてしまったようにも見えるが、それとは裏腹に身体は精密に、そして荒々しく剣を叩きつけてくる。
「なんだよお前、怖っ!」
オールフィッシュを側頭部に振りかぶってぶつけに掛かる。以前ダンジョンで壊されてからヨハンに修理を依頼して、これまでよりも丈夫に作りなおしてもらったので多少の白兵戦は問題ない。
ごっと鈍い音がして、その小さな身体がよろめいた。
「やっ……てない!」
距離を取り、構えて撃つよりも早くアストリットは姿勢を戻して前進した。その動きはやはり人間離れしていて、クラウディアはそこに意表を突かれる。
「わたしは賛美せん、貴方を賛美する。この戦いを照覧あれ。照覧あれ。そして願わくば祝福を、祝福を。わたしの魂を、わたしが屠る全ての哀れなる命をその御許へと導き給え。導き給え」
歌のように紡がれる言葉と、それとは反対の荒々しい突撃。
オールフィッシュの砲身を掴み、アストリットは一気に自分の方へと引き寄せる。
「ちょ、」
そのままクラウディアの額に、渾身の頭突きを見舞った。
目の前で星が舞い、視界が塞がれて大きく仰け反る。
それでも反射的にアストリットの手から銃を引き抜いて、滅茶苦茶に引き金を引いた。
連続した発砲音と共に弾丸が橋の上にばら撒かれ、アストリットの追撃を封じる。
もしここでその判断ができていなかったら、一太刀の元に斬り捨てられていたことだろう。
「気持ち悪いなぁ! 狂信女!」
彼女の口から漏れている言葉は聞いたことがある。この世界で生きていれば一度ぐらいは耳にする、エイスナハルの讃美歌だ。
その一節を唱えながら、歌いながら彼女は戦っているのだ。まるで自分の身に神に連なる何かを降ろしているかのように。
「そんなことしても人間は神様になんかなれないよ!」
「天から雷と共に船が降りる。人々はそれに歓喜し、慄き、自らの在り方を問いかけるだろう。嗚呼神よ、神よ。どうして怒っているのか。どうして泣いているのか。その怒りが丘を巡り海を裂く前に、その慈悲を。その心を見せてほしい」
「こいつ、このっ。本当に人間かよ!」
苦し紛れの銃弾を剣で斬り払い、アストリットは再度クラウディアに肉薄する。
銃弾を受けてもその動きは止まらず、クラウディアがどれだけ距離を取ろうとして後退してもぴったりと付いて来て、それどころか銃撃を避けながら距離を詰めてくる。
円を書くように逃げていたクラウディアだが、いつの間にかその背に橋の縁がぶつかる。
どうやら多少混乱しているのもあって、方向を誤ってしまったようだった。
アストリットは獲物を追いつめて、それでも表情は変わらない。相変わらず口からがぶつぶつと讃美歌を垂れ流し、まるで魂が宿らない人形のような目で真っ直ぐにクラウディアを見据えている。
そして一気に彼女が駆け出した。
苦し紛れの迎撃に放った弾丸は、当然の如く斬り払われる。
瞬きする間もなく、目の前に銀髪が舞う。
振り上げられた剣が太陽の輝きを受けて、白銀色に輝いた。
「そこまでだ!」
声と共に放たれた弾丸が、アストリットの足元へと着弾する。
狙いは外れてはいない。彼女が驚くべき反射神経で、背後からの弾丸を避けて見せたのだ。
アストリットはその場から跳躍し、それを放った張本人のすぐ傍に着地する。
ショートバレルを構えたままのヨハンは再度引き金を引くが、アストリットにそれは当たることはない。
「これならどうだ!」
放り投げた瓶を、アストリットは迷わず斬り払う。
真っ二つになった中から青い半透明の粘液が飛び出して、彼女の腕を捉えてそのまま地面に縫い付けるように張り付いた。
「モニ!」
クラウディアがそう叫ぶ。
ヨハンは頭に疑問符を浮かべながら、アルケミック・スライムで捕らえられたアストリットの身体の中心に、ショートバレルの砲身を向けた。
「神の兵。貴様に聞きたいことがある。だがまずは、動きを止めさせてもらう!」
アストリットがアルケミック・スライムを斬り払い、すぐに身体の自由を取り戻す。
そうしてその場から飛び退こうとするが、銃弾は鎧を貫通し、彼女の脇腹に突き刺さる。
それでもアストリットは、まるで痛覚などないかのように動きを緩めることはない。
身を翻してヨハンに突撃しようとしたところで、モーリッツの陣から喇叭の音が鳴り響く。
それは撤退の合図だったのだろう。先程までの狂戦士ぶりからは想像もできないほどに従順に、アストリットは身を翻して駆けだしていった。
「よっちゃん!」
「クラウディアか。助かった」
「へへー。でしょ? モニもお疲れさま」
ずるずると地面を張って、クラウディアの肩に伸びていくアルケミック・スライム。それを掌に乗せて満足そうに笑う。
「モニ、と言うのは?」
「この子。もにもにしてるからモニ。可愛いでしょ?」
掌の上で丸まったそれを指で突きながらクラウディアが言う。
「……まあ、別にいいか」
一先ずは戦いは終わったが、これはまだ前哨戦でしかない。
ヨハン達の目的は別動隊が突破するまでの間できるだけここを護り続けること。
明日にでもモーリッツ達は軍を整えて戦いを再開してくるはず。それまでの間にどれだけ失った兵を補充できるかどうか。
「まだやることは山積みだ」
「アタシも手伝おっか? 勘定ぐらいならできるけど」
「……そうだな。頼む」
「へへっ。了解」
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