第四節 聖別騎士団

 ディオウルを出発したオルタリア軍はフィノイ河に掛かる橋の前、遥か昔に建てられた砦に集合していた。

 その指揮を執るのはモーリッツ・ベーデガー。五大貴族の一人であり、ふくよかな腹が特徴的な青年だった。

 奇しくも彼は最初にエレオノーラを追撃した貴族であり、その時にはこの砦で検閲を張りヨハン達に煮え湯を飲まされたこともある。

 モーリッツは目の前に並べられた料理に舌鼓を打ちながら、横に控える副官に声を掛ける。

「兵の準備はどうなっている?」

「はい。こちらの兵団は全て行軍可能な状態になっております。先遣隊約千。またソーズウェルからは補給部隊と増援が随時送られてくる手筈となっております」

「ならばよし。後は気掛かりなのが行軍速度だな」

「どういったことでしょう?」

 目の前に置かれた、肉汁が滴るステーキにフォークを指して、優雅に切り分けながらモーリッツは副官の疑問に答える。

「早々にフィノイ河を超えねば待ち伏せにあうだろう。幾ら数を用意しようと、橋の上で一度に戦える数には限りがある」

「は、ですが奴等は寡兵。休む間もなく交代で攻め立てれば、いずれは根を上げましょう」

「これまでの相手ならばな」

 切り分けたステーキを口に運び、しっかりと咀嚼して飲み込んでから続きを口にする。

 空のワイングラスに視線を向けると、絶妙なタイミングで副官が酌をする。

「相手はエトランゼだ。それに加えて以前の戦いでは見たこともない兵器にヴィルヘルムの軍が敗れたと言うではないか」

「……それは、確かに。銃を揃えているという噂もありますからな」

「私が知っている限り、銃と言うのは戦争に耐えうるものではない。確かに強力だが、一発を撃ってから次までの間が長く、手間もかかる。それにこの辺りでは火薬の量産もままならぬだろう。だが、私は連中がそれを改善できていないとはどうしても思えないのだ」

 ワインを飲んで、喉を鳴らし、モーリッツは窓の外を見た。

 夜の砦から見える景色は別段面白いものでもなく、見張りの兵士達が篝火を囲んで談笑しているのが見えるぐらいのものだ。

 本来ならば注意すべきなのだが、まさか相手から攻めてくるわけもないと、黙認している。

 副官は何も言わない。

 長い付き合いで、彼がモーリッツに対して自分の意見を臆することはないことはよく知っている。それはつまり、モーリッツと同じ意見を持っているということだった。

「そう言えば、ヴィルヘルムはどうしている? 私と同じように討伐命令が下っているのだろう?」

「はい。彼等はディオウルを通り抜け、ハーフェン近くにあるもう一つの橋から進軍するようです」

「ほう。エーリヒ殿のテオアンからは遠回りになると思うが。てっきりディオウルがソーズウェルで待ち伏せると思っていたよ」

「それが、恐らく敵はそちらから攻撃隊を向かわせてくるであろうと、向こうの軍師が仰ったようで」

「ああ、あのエトランゼのか。頭が切れると噂だが、果たしてどうなのか」

「自分は直接話したことがないのでなんとも。しかし、あのエーリヒ様が信頼を寄せるとあれば相当な傑物なのでしょう」

「だといいがな。しかし、エトランゼと言うのが気掛かりだ」

「……モーリッツ様は、エトランゼへの偏見はないように思っていましたが?」

「それはそうだ。以前も言ったが、この世界に来てしまった以上はどうしようもない。ならば大人しく迎え入れた方がお互いのためだろうよ」

 一気に中身を飲み干して、空になったグラスをテーブルに置く。

 それから再び食事を再開した。

「だが、ヘルフリート陛下はそうではあるまい。エトランゼに対する弾圧が強まっているのは知っているだろう?」

「いずれそれが、仕官したエトランゼにも及ぶと?」

「もしヘルフリート陛下がエトランゼに対して疑心を抱いているのならば、一番危険なのは内部に潜り込んでいる者だろうからな。それも頭が切れるとあっては、私が同じ立場ならば真っ先に切るだろうよ」

「……なるほど」

 副官は納得したように深く頷く。

 会話がちょうど途切れたところで、部屋の扉を叩く音が鳴り響く。

「何者だ?」

「聖別騎士団、アーベル・ワーグナー。只今エイス・ディオテミスより参上いたしました」

「アストリット・ワーグナー。同じく参上いたしました」

 まず低い男の声、次いで可憐な高い声がドアの向こうから聞こえてくる。

 モーリッツが「入れ」と言うと、扉が開いて声から想像できる通りの一組の男女が姿を現した。

「アーベル・ワーグナー以下聖別騎士団。到着いたしました。この戦いの間、ベーデガー卿と共闘戦線を引かせていただきます」

 そう言ったのは短い髪の大男だった。鎧を纏った上からでも鍛えられた体格が見て取れる。その眼つきは鋭く、固く結ばれた口元は彼の厳格そうな人となりを現している。

 ただ、モーリッツの目からしてその瞳に宿る暗い炎のようなものが妙に気にかかった。

「アストリット・ワーグナー。命令があれば全ての背信者と異教徒を斬って捨てて見せます」

 銀色の髪をした小柄な騎士が、淡々とそう述べる。

 肩口ほどで短く切られた髪は少年を思わせるが、その整った顔立ちは少女のようにも見える。実際のところ、モーリッツが間近で見ても性別は判らなかった。

「物騒なことを言う」

「失礼しました。アストリット、お前は黙っていろ」

「はい。ですが、戦いになれば百の異教徒を斬り捨て、その血を以てわたしは神のお傍へ近付きましょう。ですからベーデガー様。一刻も早い号令を、裁きの鉄槌を下すお言葉を」

「アストリット」

 強い口調で言われて、アストリットはようやく口を噤んだ。

 モーリッツと副官はその言葉にすっかり呑まれて、アーベルに尋ねようとしていたことすら頭から抜け落ちてしまっていた。

「アストリットがご迷惑をおかけしました。ですがその実力は確かです。戦場に出れば百の異教徒を葬らせて見せましょう」

 ワーグナーの言葉に、アストリットが無表情で頷く。

「そ、それは心強いな。それで、ワーグナー殿。エイス・ディオテミスから遠いところ遥々、感謝させてもらう」

「それもまたエイス・イーリーネのお導きでしょう。そうしてこの地に教えを広めることこそが、神の御心なのです」

「そ、そうか……。では兵達を休ませ、明日にでも進軍を開始しようと思っているのだが」

「問題ありません。我等が兵団は神の兵。聖別を行うために選ばれた血塗られし聖騎士なれば、神の教えを冒涜する者達の尽くを滅ぼし尽くしましょう」

「いや、冒涜と言うほどのことは……」

 今から行われるのは単なる内乱の制圧に過ぎない。少なくともモーリッツはそう考えている。

 そこに宗教観を持ち出されて過激な行為に走られては話の付け所すらもなくなってしまう。ヘルフリートがどう考えているかはともかくとして、モーリッツの目的は殲滅ではなく降伏なのだから。

「彼等は神の意思の外側にある者。エトランゼを保護しています。それは悪魔を護るに等しい蛮行でしょう」

「……お、おぅ。そうか。では詳細は追って通達する。短い間だが、身体を休めてくれ」

「畏まりました。アストリット」

「はい」

 淡々と返事を返し、アストリットが先に部屋を出ていく。

 その後を追うワーグナーに、モーリッツは気になったことがあって質問をする。

「ワーグナー殿。貴殿はエトランゼに対して含むところがあるのか? それとも、それが神の意思なればそんなことでも従うのか?」

 顔を後ろに向けて、ワーグナーは暗い瞳でモーリッツを見る。

 その目の奥には寒気がするほどに靉靆とした闇が広がっている。

「エトランゼに家族を殺されました。妻も娘もです。アストリットも同様で、それ以来養子として育ててきました。その行いを見れば、彼等が人ではない、悪鬼であることは明白」

「そ、そうか……。すまなかったな、嫌なことを聞いて」

「いえ。それでは」

 扉が閉まり、二人分の足音が遠ざかっていく。

 人の気配が完全に消えてから、モーリッツは見えない重圧から解放されたように椅子から立ち上がって、ワインを注いで一気に飲んだ。

「まったく、ヘルフリート陛下も余計なものを預けてくれたものだ! 前回のカーステン卿といい、どうして私は貧乏籤を引くのだ」

「言い知れぬ迫力がありましたな。ですが、聖別騎士と言えばその実力は本物。エイス・ディオテミスが誇る粛清の騎士団なのですから」

 神の教えに背く者達を粛正するために遠征する、専門の騎士団。それが聖別騎士団と呼ばれる者達だった。

 彼等はエイスナハルの教えが行き届いた地に異教徒が入り込み、異なる教えを説こうとしたときに出動する。

 本来は戦争に加担する者達ではないはずなのだが、モーリッツが聞くにはエイスナハルと関係の深い誰かが教会に口を効いたらしい。

「戦力が増えるのはいいが。余計なことをしてくれたものだ。あんな薄ら寒い連中とは一秒とて一緒にいたくはない」

 窓の外を見れば、アーベルが連れてきた鎧の騎士達が、一斉に直立不動で待機している。

 その動きもまるで人間ではないようで、軍としては正しい姿なのかも知れないが、モーリッツにとっては多少サボっている自分の兵達の方が遥かに可愛いものだった。


 ▽


 オルタリアに放っておいた間諜達は、ヨハンの予想を超えるいい働きをしてくれた。

 モーリッツが聖別騎士団と合流したその翌日には、敵軍に動きありとの報告がイシュトナルに寄せられていた。

 またそれと同時に別動隊、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン率いる軍がハーフェン方面に向けて進軍しているとの知らせも届いた。

 ハーフェンの商人達を集めた屋敷には、商談や関係作りのための集会をするために貴族達が集まっており、彼等の大半はその知らせを聞いて浮足立ってヨハンに対して非難の声を上げた。

「何故、このような事態を防げなかったのだ!」

 顔を真っ赤にして、貴族達を代表して声を上げたのは、やはりイェルス・アスマンだった。

クラウディアの父であるマルクも焦った様子で、どうしていいか判らなくなっているようだった。

 そう言う意味では屋敷のホールに貴族や商人達が集まってくれていたのは幸いだったのかも知れない。

「一先ず、ハーフェンからの客人達はしばらくここに滞在していた来ます。ハーフェンが戦場になる可能性は万に一つもありませんが、今下手に動けばこちらの軍と間違われて攻撃を受ける可能性があります」

「し、しかしヨハン殿! 君が御使いを倒したことは私は評価している。だが、勝機はあるのかな? 相手はベーデガー公爵に、ホーガン公爵だろう?」

 マルクが焦った様子でそう尋ねた。イェルス達とは違いヨハンの責任を問うつもりはないようだが、今回の集まりは彼が主催したようなもので、当然その責任が付いて回る。

 商人達を代表してヨハンに質問しなければならない立場であることは間違いない。

「既に軍は動いています。数日前にハーフェン方面の橋に近い砦に、クルト・バーナー卿率いる別動隊を向かわせました」

「……事態は既に動いていたということか?」

「ならば何故対策を怠った! お前がしっかりと説明していれば混乱はもっと少なかったのではないか!」

 掴みかからんばかりの勢いで、イェルスが前に歩みでる。

 その間に、一つの影が割って入った。

「やめよ、イェルス殿」

「ひ、姫様……?」

 エレオノーラの格好はこの場で踊るためのドレス姿ではなく、白銀の鎧を身に纏いここに立っていた。

「姫様! 何のおつもりですか!?」

「此度の戦、妾も出陣する。戦いの役には立たぬかも知れないが、これで貴君等の目も覚めるのではないか?」

「そんな……。姫様が戦場に出るなど……」

「目を覚ませ、イェルス殿。いい加減に言葉を尽くす時間は終わったのだ。兄様は妾を許すつもりはなく、この大地でエトランゼと共に生きるためには戦いに勝つしかない。もし、その理想に付いていけぬというのならば」

 剣を抜いて、それを床に放り投げる。

 絨毯の上に無造作に放り投げたそれを避けるように、イェルスは慌てて後退った。

「その剣で妾を討ち、兄上に許しを請うがいい。勿論、それで貴殿等が許されると思えぬがな」

 そのエレオノーラの姿を見て、誰もが押し黙る。

 まだ年若い少女でありながら、彼女にはそれだけの覚悟と、その場を黙らせるだけの資質が備わっていた。

 また彼等は同時に考える。

 国を追われた悲劇の王女である彼女がここまで覚悟を決めているのに、国に尽くす立場であった自分達はこの地に逃げ伸びたうえで何を成し遂げようとしていたのだろうかと。

 互いが気まずげに目を合わせて、それぞれの出方を伺っていた。

 当然、エレオノーラはそれを待ちはしない。放り投げた剣を拾って、ヨハンの方へと振り返る。

「出れるか、ヨハン殿?」

「既にいつでも動かせる態勢になっています。後は号令一つで如何様にも」

「流石、妾の腹心だ。ならば征くぞ」

 揚々と、エレオーラはホールを出ていく。

 ヨハンもその後に続いてホールを後にし、辺りには貴族と商人達の奇妙な沈黙だけが残った。

 そこに、別方向の出入り口から騒がしい足音と共に一人の少女が飛び込んでくる。

 その姿を見てホールの一同は驚き目を見開いたが、中でもマルク・ユルゲンスの驚愕は一番のものだっただろう。

「あ、パパいた!」

 クラウディアが立っている。

 エレオノーラのように、昨日着ていたドレス姿ではない。

 あの武装商船団として戦っていたときの軽装で、背中には一本の長い筒を背負っていた。

「クラウディア……。お前、まさか!」

「戦いでしょ? アタシもよっちゃんと行って来るから。パパはちゃんとここで大人しくしててね」

「だ、駄目に決まっているだろう! 戦争だぞ、どれだけ危険なことか判っているのか!」

「今更そんなこと言われてもねー。パパに言われてアタシが止まると思う?」

 武装商船団を組織して、海賊と戦い始めたときもそうだった。

 マルクが何と言ってもクラウディアは止まらない。部屋に閉じ込めて鍵を掛ければ、窓をぶち壊して出ていくような娘だ。

「アタシの旦那様が行くんだもん。この話を最初に言ったのはパパだよ?」

「……そ、それは、そうだが……」

「御使いに挑むような奴をアタシの婿にしたがったパパが悪い。ってことで、行ってきますのちゅーしてあげる」

 軽快な足取りで近付いて、マルクの頬に口づける。

 それから二歩ほど距離を取って、クラウディアはこれまで見たこともないような表情を浮かべてマルクを見た。

「負けないよ、アタシ達。だってアタシとよっちゃんは御使いを倒して、あのベアトリスまで倒したんだよ?

 アタシはアタシの戦いをする。だから、パパがもしアタシを信じてくれるなら、パパにしかできないことをしてよ」

 安心させるような言葉。

 その柔らかな声色。

 見たことがなくても、マルクはそれを知っていた。

 もういない、彼女の母によく似ていた。

 それを聞いて、マルクはようやく正気に戻った思いだった。

 元々、ハーフェンがイシュトナルに味方すると決めた時点で、遅かれ早かれこうなることは予想していたはず。

 それが周りの空気やいざ戦いになる恐怖に怯えてしまっていた。

 どうせ一度は、いや二度も死んでいたようなものだ。マーム・ベアトリスに、御使い、そのどちらもマルク一人で対処できるわけがなかった。

 それを倒した彼を信じてみようと、その恩に報いようと決めたのはほかならぬ自分だったはず。

「おい! 今すぐに早馬を飛ばして、使える道を調べて物資や兵士を調達だ! 金は幾らでも動かしていい!」

 真っ直ぐに飛ぶその声に、名前を呼ばれたマルクの使いの二人の商人は有無を言わず弾かれたように部屋から飛び出していった。

「さっすがパパ。格好いいよ」

 それを見てから、クラウディアもヨハンの後を追って出ていく。

 マルクの言葉が、その空気が次第に伝番していく。

 ある商人はこれをまたとない儲け話として、自分も尻馬に乗ろうと行動し始める。

 そしてこれまで静観していた貴族達も、少しずつ自分のやるべきことを見出して来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る