第二節 流水は止まらず
イシュトナル要塞、会議室。
広く間取りが取られた、円状のテーブルが配されたその部屋には、現在イシュトナルに滞在するオルタリアに有力貴族達が集められていた。
その中心に立つのはイシュトナルの指導者、エレオノーラ。そして両脇を固めるのは腹心と呼ばれるディッカーとエトランゼ代表にしてイシュトナルの中枢の一人であるヨハン。
何が起こるのかと諸将に緊張の色が見える中、エレオノーラが口火を切る。
「先日、オルタリアにいる兄上の元に送った使者が帰還した。貴殿等も知っての通り、彼に持たせた書状の内容はここ数日でオルタリアに魔物達の襲撃が多発していること、それを放置すれば国の一大事となることを訴えたものだ。妾はオルタリアのより良き未来のために戦うつもりだが、このままでは国は疲弊する一方だ。だから、兄上との和平を考えている」
「それで、返事はどうなりました?」
肥えた身体に髭面の男、イェルス・アスマン伯爵がその声色に希望を乗せて尋ね返す。エレオノーラを除いたここイシュトナルでは最も力を持つ貴族だが、彼は今でも保身を第一に考えている。
「返事は否。裏切った妾と貴族達、そしてエトランゼ百名の命を差し出すのならば和平を受け入れるとのことだ」
「……そんな……」
貴族達の顔が青ざめる。
それを見た青年貴族クルト・バーナーは顔を顰めた。
もう既にオルタリアに反逆し、弓を引いた身なのだ。そこには少なからず、兄ゲオルクを陥れて王位を簒奪したヘルフリートへの敵意があってのことだろう。
だというのにここにいる貴族達の半数以上は未だに己の身を保身を考えている。そればかりか、やりようによっては自分だけは許されるのではないかと言う幻想すらも抱いていた。
「また商人達からはオルタリアに付いての良くない噂が幾つも聞こえてくる。活動を休止している魔法学院からの徴兵、領内で行方不明になるエトランゼ、そして軍備増強のための重税により民の暮らしは圧迫されているとのことだ」
「そんな馬鹿な。幾らヘルフリート様と言えど、そこまでの強硬政策を取るわけが」
「貴君等の兄上に対する理由なき信頼が何処から来ているのか妾は知らぬ。だが、それは間違いなく事実であり、現に北方からの難民は後を絶たぬではないか」
「お言葉ですがな、エレオノーラ様」
イェルスの横に控えていた貴族の一人が発現する。
「為政者が変わるということは、それだけ国にとっては一大事でありましょう。で、あれば民達に多少の不便を強いることも無理はないかと」
「多少の不便だと? 住む場所を捨てて、何もかもを投げ出して知らぬ土地に逃げだすことが多少の不便と言うのか? 事実貴君等も兄上の暴政を恐れてここに来たのではいか」
「そ、それは……」
「話を戻しましょう」
冷静に、ヨハンが口を挟む。
貴族達はエレオノーラの傍にいるこのエトランゼの青年にいい印象を抱いていなかったが、いつになく鬼気迫る様子のその男に、言葉を挟むことはしなかった。
「こちらの密偵に調べさせたところによれば先程姫様が仰ったことは全て事実のようです。王都オル・フェーズは見る影もないほどに荒れ果て、今では増長したヘルフリート旗下の兵達が幅を利かせている様子。そして重圧に耐えかねたエトランゼ達は地下組織を作り上げオルタリアを妨害。それにより弾圧はより強烈なものとなっているようです」
「今はエトランゼの状況はどうでもいい! して、君は何が言いたいのだ!」
イェルスが声を荒げて言及するも、ヨハンは堪えない。淡々と事実を述べていく。
「またオルタリアは先日聖都エイス・ディオテミスからやって来た聖別騎士団と合流。既に軍備を整え、近いうちにイシュトナルへの侵攻作戦を発動させるものと考えられます」
「聖別騎士団……だと?」
イェルスが上擦った声を上げる。
それも無理はない。
神の兵、エイスナハルの聖地であり独立国家エイス・ディオテミスが誇る異教徒を滅ぼすための無慈悲なる騎士達、それが聖別騎士団だった。
何故に彼等がオルタリアに手を貸しているのかは判らないが、恐らくは五大貴族の手引きがあったことは間違いないだろう。
「まだそれ以外にもモーリッツ・ベーデガー公爵、そしてエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン公爵が軍を動かす準備を整えているとのことです」
「なっ、そんな!」
「五大貴族の内の二人だと!?」
「聖別騎士団に加えてそれらを相手しなければならないのか」
穏健派の貴族達は口々に絶望を口にする。
「落ち着いてください。だからと言って状況は我々に敗北を突き付けたものではありません」
立ち上がって声を上げたのは、クルト・バーナーだった。
金髪に整った顔立ちの若い貴族の青年は、その場を制するように大声を上げて注目を集める。
「私達はそこで、ある一つの方法を考えました」
「方法?」
浮足立つ貴族達を代表してイェルスが尋ねる。
「こちらから打って出る。幸いにしてこちらの軍は様々な兵種、ダンジョンより解析された新技術による兵器、またエトランゼの部隊を要し、数はともかく質では決して劣ったものではありません」
「なんだと!?」
「こちらからヘルフリート陛下に弓引くというのか! それではいざ敗北したときの」
「今の言葉はどういう意味だ?」
エレオノーラの静かな声がその一言を咎める。
「まさかここイシュトナルに来て衣食住を提供され、敗北したときのことを考えていたのではあるまいな?」
エレオノーラの目に射竦められた貴族は、慌てて弁明を始める。
「そうではありません! ですが姫様、事実我等人の上に立つ者達は最悪の場合を考えておかなければならぬもの。負けたらその後何処へなりとも消えられるエトランゼ共とは違うのです。その辺りはお間違えなきよう」
「……ふざけたことを。負けて全てを失うのは一緒ではないか。そもそも、未だにヘルフリート兄様に許されようとしていること自体が妾には理解できぬ」
「き、貴族として長くオルタリアに仕えた事実あってこそ、温情もあろうというものでしょう」
「ならばそのために妾の命を差し出すか?」
「そ、それは……」
その貴族は口籠る。
彼の中にある甘い幻想では、きっといざという時はヘルフリートに平身低頭して許してもらうつもりだったのだろう。
それは大きな間違いであると、彼を知る誰もが思っていた。ヘルフリートは裏切り者を決して許さない。
「貴様からは発言の資格を取り上げる。追放されないだけでもありがたく思え」
エレオノーラの冷たいその一言に、彼は押し黙って席に深く腰掛けた。
「ですが、事実としてこちらから仕掛けるというのは無理があるのではないですかな? 幾らバーナー卿の言う通り立ち向かえるだけの力があろうと向こうは正規軍、こちらは付け焼刃の軍隊に過ぎぬのですから」
「ならば滅ぼされるのを待てと言うのですか?」
イェルスのその言葉に、苛立った声でクルトが返した。
「そうではないだろう。些か血気に逸り過ぎだと、私は言いたいのだ。戦において攻めるよりも護るが有利。ならば数に利のないこちらがそれに徹することは何ら間違ったことではないだろう」
「それは……!」
「これを覆すことがなければこちらからの攻勢は認められませんな。……時間だ、今日のところはこのぐらいに致しましょう」
イェルスが宣言すると、穏健派の貴族達はそれぞれがようやく重圧から解放されたと言わんばかりに立ち上がり、そそくさとその場を後にしていった。
「イェルス卿!」
それを呼び止めるクルトだが、イェルスは一度立ち止まって振り返るだけだった。
「そんなに自分の命が大切か、と問いたいか? ならばわしは首を縦に振るよ。この地に生まれて五十余年、五大貴族に及ばぬまでも今の地位を築き上げてきたのだ。それがたった一度の失敗で失われる恐怖は、まだ若く失うものがない貴殿には理解できぬだろう」
「アスマン卿! そんな保身的な理屈が通ると思っているのか!」
エレオノーラが一喝しても、イェルスは動じた様子もない。
そればかりか小娘を馬鹿にするような目で彼女を見た。
「エレオノーラ陛下もお判りください。貴方がエトランゼの民達に対してそうするように、我等も貴族として生きているのです。そうして貴方のような理想ある方が弱者を庇護するのなら、わしら強者は自分で自分を護るしかないでしょう。理想は結構。しかし、現実と戦うのも時には必要ですぞ」
それを最後にイェルスは退室していく。
「なにが……! 何が現実だ!」
エレオノーラが会議用のテーブルを叩くと、テーブルの上の書類が数枚床に落ちた。
「単なる保身ではないか! 我が身可愛さではないか!」
「まぁ、無理もない話でしょうな」
書類を拾い上げながら、会議の間はずっと無言だったディッカーがそう言ってエレオノーラを慰める。
「ですが、これからどうします。ヨハン殿には何かお考えがありますかな?」
話を振られて、ヨハンはすぐに答えを出す。
「彼等が攻めてくるであろう地域には既に砦を建造してあります。そこにバーナー卿は軍を率いて駐留して頂きたい」
「いいだろう。あくまでも防衛に徹するということでいいのか?」
「いえ。敵軍を引き寄せ打ち破り、その勢いを持たせたまま一気にソーズウェルを奪取します」
「ソーズウェルまで? できるかな?」
「できます。やらなければ敗北するだけ」
「いい答えだな。ようやくヨハン殿から聞きたい言葉が聞けた気がするよ」
上機嫌に言ってから、クルトは軍の編成を見直すために部屋を後にした。
「ディッカー卿。貴方にもバーナー卿の傍に付いていてもらいたい。まだ編成したての軍を率いるには彼は少し逸り過ぎる」
そう言う意味ではイェルスが指摘したことも間違いではない。
まだ若いクルトは戦場での活躍を求めている節がある。それこそが貴族の、騎士の家柄に生まれた誉れとでも言わんばかりに。
「時代遅れの凡夫な男がお役に立てますかな?」
「その自己評価の是非は置いておくとして、少なくとも俺とエレオノーラ姫は貴方を信頼しています」
「はっはっは。ならば、やるだけやるとしましょう」
愉快そうな声を上げて、ディッカーは部屋を出ていこうとする。
扉に手を掛けてから何かを思い出したかのように振り返った。
「そう言えば姫様とヨハン殿。ハーフェンのマルク氏が顔合わせに訪れることはお忘れではないでしょうな?」
「ああ、覚えている。三日後だろう?」
「はい。この謁見はハーフェンとイシュトナルとの繋がりをより一層強めるために大事なこと。戦ではないにせよ、決して気を抜かぬように」
そう言い残して、部屋を出ていった。
二人きりになったところで、エレオノーラは深く息を吐いて椅子に腰かける。
その表情は見るからに不満げだった。
「ハーフェンからの来客か。少し時期をずらすことはできなかったのだろうか」
「彼等には彼等のタイミングがある。無理もない」
それにハーフェンからは様々な物を買い付けてある。その輸送のついでもあってのこのタイミングだった。
「だが、おかげで穏健派の貴族達にはそちらの方が大事に見える。ハーフェンからの珍しい品を買いあさるために、屋敷一件を使って夜会まで企画する始末だ」
「必要なことだ。それに事実として、王女の仕事は戦ばかりではない。頑張ってくれるのは嬉しいが、一辺倒になられては問題だ」
「……むぅ」
「それじゃあ俺はもう行く。色々とやることも溜まっているからな」
「ヨハン殿!」
早々に退出しようとするヨハンを、エレオノーラが呼び止めた。
アシュタの村で何かがあったことは聞いている。そしてそれ以来、ヨハンは積極的にオルタリアへと攻めいるような意見を口にするようになった。
今回の件もクルトは同意したが、最初にそれを言ったのはヨハンだった。
その意見は合理的であったし、エレオノーラとしても反発することではないが、言いようのない不安が心の中にはあった。
「その、アシュタの村の一件は」
「その話なら後にしてくれ。エレオノーラ、俺はお前を勝たせる。どんな手を使ってもだ。それだけでは不満か?」
「それは……」
不満に決まっている。
もっと自愛してくれと、問題があるのならば話して欲しいと。
そんな言葉が生まれては、喉を通らずに消えていく。
彼は精一杯やっている。そこに余計な言葉を挟むことなどできようはずもない。
「大丈夫だ。勝って見せる。その前にまずは、ハーフェンとの関係をより強固なものにする必要もあるな」
安心させるような声色は必死で作り上げたもので、何処か脆く薄っぺらい響きだった。
それでもエレオノーラは、それに頷く以外のことはできなかった。
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