第十四節 紅き光

 アレクセイは焦っていた。

 御使い、悪性のウァラゼル。先日目の前の女から手に入れたこの力が噂の御使いであると知ったのは部下の報告によってのことだった。

 その力は凄まじい。千を超える魔物を一瞬で殲滅するその圧倒的な輝きは、アレクセイの中で燻っていた野望に火を付けるには充分だった。

 御使いは強い、人知が及ばないほどに。

 数多の兵が、例えエトランゼであろうと束になったところで決して敵うことのない圧倒的な力。

 本来ならばエトランゼのギフトに使役できる力でないとしても、アレクセイにはそれができるだけの理由があった。

 一部のエトランゼだけに許された次のステージに進んだその力を持ってすれば、御使いの力とて操ることができる。

 だから、負けるはずがない。

 アレクセイは選ばれたのだ。地に伏す下等な連中を遥か超える力を与えられたはずなのに。

 どうしたことだろうか。

 ウァラゼルが押されている。

 赤い極光を纏うカナタは全方位から襲い掛かるウァラゼルの光を弾き、掴んで捻じ伏せて前進する。

 その手に握られた赤光の剣は、彼女を知る者からすれば驚くほどに暴力的で、破壊的な光を放っている。

「お前等! 手助けをしろ! こいつを止めた奴に好きにさせてやるから! 何ならシスター・アンナだって……!」

 上擦った声で命令しても、部下は動かない。

 アレクセイに対する恐怖を、目の前の鬼気迫る少女に対しての畏怖が勝っていた。

 それも無理もない。

 圧倒的なまでの紅い光を纏って前進するその姿は、人のものとは思えない。

 例えその見た目が年端もいかない、あどけない少女だったとしても。魂の奥にある何かが、それを決して触れてはならぬものとして怯えている。

 ウァラゼルの極光が、正面からカナタを打つ。

 彼女はそれを避けることもせずに、剣を握っていない左手で掴み取った。

「ウァラゼル」

 意識のない御使いの名を呼ぶ。

「邪魔」

 砕かれた。

 決して破壊されることのない神秘の光が、カナタが握っただけでその赤色に浸蝕されて、無残に散った。

 守りを崩されたウァラゼルは再び光の刃を展開するが、既にカナタは目の前に立っている。

 刃を振り上げるその姿は余りにも無慈悲で。

 裁きを与える御使いそのものだった。

 肩から脇腹に掛けて身体を切り裂かれたウァラゼルが、力なく数歩後退して消えていく。

 天に還るわけでなく、それはアレクセイの中に戻っただけだ。だからと言って、すぐにまたそれを呼びだせるわけではない。

「な、なんなんだよお前!」

 後退しながら次々と、自分の中にある者達を呼び出す。

 ここに来るまでにアレクセイの中に溜め込まれた、多くの人の恐怖達。

 それは或いは魔物であったり、強大な戦士であったり、街のチンピラであることもある。

 それらを無差別に、自分を護る盾として呼び出していった。

 だが、そんなものに意味はない。

 例えアレクセイがこれまでに読み取ったあらゆる恐怖を具現化したとしても、それはたった一人の御使いにも及ばない程度のものでしかない。

 だから、アレクセイが今まで出会った人々は幸せだったのかも知れない。本人も含めて。

 本当の恐怖、決して人の及ばない力を目の前にすることがなかったのだから。

「お前達、早く止めろ! 止めろよ、殺せ、殺せったら殺せよ! いいのか? おれ様がやられたら次はお前達なんだぞ! この化け物は、全部殺して、全部壊して、全部、全部!」

 呼び出した恐怖達は数秒と持たなかった。

 部下達は相変わらず動かない。いや、厳密にはアレクセイの鬼気迫る言葉によってカナタを止めようとした者は、手足に赤い光を撃ち込まれて地面に縫い付けられていた。

 目の前に少女が立つ。

 華奢で、幼さの残るあどけないその顔に表情はない。

 そんな少女など、これまで何人も踏み躙って来たというのに。

「そ、そうだ。おれ様と組まないか? その力があればイシュトナルと、オルタリアを手に入れられる? なあいいだろ? お前だってこんなところで力を利用されるだけで終わっていいわけがない」

 終わるわけにはいかない。

 何のためにここまで来たというのだ。

 奪われる側から、ようやく奪う側に立ったというのに。

 最初は、誰かの記憶を覗き見て恐怖を喚起させる程度のギフトだった。

 はったりには使えるが、相手がそれを克服すれば意味はない。物理的な破壊力を持つギフトに比べてあまりにも弱い。

 だから奪われる側だった。この世界に来てなんとか人目を隠れて生きていこうとして、どうにか安定した生活を手に入れて。

 力あるものに全て奪われた。

「終わってたまるかぁ! おれ様はアレクセイだぞ、泥を舐めるような日々からここまで成り上がったんだ! ギフトを覚醒させてな!」

 それが原因であったのかは判らない。

 ただ、アレクセイのギフトは次の段階に進んだ。

 恐怖の具現化。

 その力を持って、悪逆の限りを尽くした。自分が今までされたその怨念を晴らすが如く。

「お前如きにィ!」

 破れかぶれで肉弾戦を挑む。

 体格ではアレクセイの方が勝っている、と言うのは自分を奮い立たせるための哀れな理由に過ぎない。

 事実首を締めようとと伸ばした手は光の壁に阻まれて、彼女の身体に触れることはできなかった。

 無様に尻餅を付いて、両手を使ってその場から少しでも離れようと後退る。

 ギフトを使って部下を手に入れ、そして御使いまでのその手中に収めた彼の天下は三日も持つことはなかった。

「その辺りにしておきましょう、カナタさん」

 竪琴を鳴らすような声が響く。

 それに反応して、カナタは振り上げた紅い剣を止めた。

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