第十一節 護りたかったもの
アシュタの村の郊外、アレクセイの屋敷。
元の主は既になく、今そこをねぐらにしているアレクセイの部屋を、怒気が満たしていた。
「こんな夜更けに何の用かなぁ? しかもおれ様の部下を何人も殴り倒して」
以前ヨハンとアレクセイが会談した部屋には二人、そしてここに来る途中の廊下にも数人が倒れている。
それをやった本人であるシュンは、アレクセイの前でギフトを解いて人狼の姿から人間に戻った。
「アンナは何処にいる?」
「にょほほっ。やっぱり目的はそれかぁ。ここにはいないよ。取り戻しに来る奴がいるだろうって話があったからねぇ。今日はまだこっちに来てないんだ」
そう言ってアレクセイが、自分の傍に控えているテオフィルを見た。
彼は罰が悪そうに目を伏せるだけで、何も答えない。シュンはテオフィルを一睨みして、すぐに目標をアレクセイへと修正する。
「……頼む。アンナの身柄を解放してくれ」
「ふーん。無理矢理押し入って来たわりには随分と殊勝な態度じゃないか。話だけなら聞いてあげるよ」
「……こいつらが道を開けないから押通っただけの話だ。最初から荒事にするつもりはなかった」
「にょほほっ。まあいいよ。お前一人取り押さえられない奴等に興味はないからね。それで、なんでシスター・アンナを解放しなけりゃならない?」
「あの村の支えになってる人だからだ。アシュタの村にはまだアンナが必要だ」
「変なこと言うねぇ。あそこ住んでるのは下等民族だろう? なんでエトランゼであるおれ様達が下等民族のことを考えてやらないといけない? お前だって下等民族のことは嫌いだったじゃないか」
「それはそうだ! この世界の貴族だの王族だという連中は、自分達の保身のことしか考えてない。俺達エトランゼを恐れ、差別して、人間と扱おうともしない」
シュンがそうであったように、この世界に来て差別的な扱いを受けるエトランゼは数多い。特に既得権益を持つ者達はそれを覆す可能性を持つエトランゼを嫌う傾向が強い。
「だが、アシュタの村は別だ。お互いに共存出来ていた」
「ふーん。テオフィル、どう思う?」
「いやぁ、僕からは何も」
「ちっ。つまんない奴」
とはいえ特に答えも期待していなかったようで、アレクセイは一瞬テオフィルに向けた目をすぐに逸らした。
「まー、お前の言葉は正しいかもねぇ。実際のところ、日々野盗や魔物に怯える村人にとってはエトランゼは自分達を護ってくれる都合のいい連中だ。お互いにこの世界で大きな寄る辺がないからこそ結束できる」
「頼む、アレクセイ。俺はあんたとやりあうつもりはない。もし望みを聞いてくれたら、俺達は完全にあんたの傘下として振る舞う」
「へぇ。それはいい話だねぇ」
アレクセイは自分が座っていた椅子から立ち上がって、テーブルに置いてあった酒瓶からグラスに注いでシュンに渡そうとする。
「いや、大丈夫だ」
「お前達は真面目だねぇ」
手を引っ込めて、アレクセイは自分の分を注ぎ入れる。
そうして一口飲んでから、再び椅子に深く座り直した。
「お前も見ただろ? おれ様は力を手に入れた。圧倒的な力を」
「……ああ」
「あれがあれば大陸の支配も不可能じゃない。イシュトナルなんて言うちんけな場所じゃなくて、オルタリアまで滅ぼせる」
御使い、悪性のウァラゼル。
その圧倒的な力を見て、シュンはその言葉を否定することができないでいた。
そして同時に考えてしまった。あれに魂を売ろうとしていたナオツグは本当に正しかったのだろうかと。
「そうなったら兵隊が必要だよなぁ。それも沢山」
「だったら!」
それだって構わなかった。
例えイシュトナルやオルタリアと事を構えることになろうとも、アンナの身柄が無事でアシュタの村が保護されるのなら。
仮にヨシツグへと信頼が揺らいでいたとしてもそれとシュンがヨハンと共に行くかはまた別の話だ。
ならばアレクセイの下でもいい。オルタリア国民を下等民族と呼ぶ彼がエトランゼの国を作るのなら、それも一つの妥協点にはなる。
奇しくもヨシツグと同じ考えに至っていることを、当然シュンは知らない。
「でも駄目だ。おれ様はシスター・アンナを自分のものにしたい。あれほどいい女はそうそういないよぉ。加えて」
グラスから酒を飲み干して、強くテーブルに置いた。
そこに浮かんでいたのは何処か無邪気で、だからこそ何よりも邪悪に見える笑み。
「力がないから奪われる。無力だから手に入れることができない。そう思うお前のことを考えると、余計に興奮するってものさ」
「……アレクセイ……!」
今すぐにでも殴りかかりたかった。
だが、それはできない。シュンが動けばテオフィルも動くし、何よりもアレクセイのギフトには敵わないのだから。
「大丈夫大丈夫。おれ様が飽きたら次は部下に貸してやって、それでも生きてたらお前にやるよ。まあそのころには壊れてるかも知れないと思うけど、腕の一本や二本なくなっててもいいだろ?」
アレクセイはなおもシュンを挑発する。
そして彼がそれでも掛かってこないところを見て、満足そうな表情を浮かべていた。
そうして、暫く考えるような素振を見せてなら、改めて口を開いた。
「でもまぁ、お前の態度しだいではすぐに解放してやるよ」
「本当か!?」
「うん、おれ様は優しいからね。女は星の数ほどいる。シスター・アンナは魅力的だけど、別にそれじゃなきゃいけないってわけじゃない。要は代わりがいればいいんだ」
「……代わり?」
そう言われても、シュンにはすぐに答えが出てこない。
「まったく、頭の回転が遅い奴だなぁ。いるだろ。そこそこに粒揃いで、別に奪っても問題なくて、しかも屈服させるのが楽しそうな女達が」
そこまで言われてやっと、シュンの頭の中にある一団が過ぎった。
今の村に滞在している、ヨハンに付いてきた三人の少女達。
「……あいつの……」
「ご名答。にょほほっ。いいだろ? シスター・アンナほどじゃないが、まぁそれなりに楽しめそうだしね」
確かにあの女達はアシュタの村には関係ない。シュンからしても敵か味方かで言えば敵に近い間柄でもある。
それでも彼女達は何の縁もないアシュタの村のために戦ってくれた。それに――。
彼女は言った。「困ったことがあるなら力になる」と。
一度は自分を利用しようとして、それができないと判るや罵倒した男に。
そしてその言葉通り、カナタは逃げなかった。アシュタの村の教会を魔物達から護り通してくれた。
そんな彼女を裏切れと言うのだ、目の前の男は。
「悩んでるねぇ。いいなー。沢山悩めよ、若者よ」
あの教会でのやり取りをアレクセイが知っているとは思えない。しかし、彼はシュンとカナタ達との間に何らかの縁があったことは予測しているだろう。
その上で、こんな提案をしていた。アンナを助けたければシュンに恩人を売れと言っている。
「生け捕りは二人でいいよ。顔を傷つけないのが条件で、身体はちょっとぐらい欠けてても別にいいや。どうせ飽きたら部下に上げちゃうし。あっ」
思いついたように、アレクセイは指を立てる。
「あのカトラスを腰に差した女。あいつは反抗的で気に喰わないからね。できるだけ痛めつけて連れてきて。なんなら達磨でもいいから」
「俺はまだ、やるとは」
「だったらいいよ別に。シスター・アンナのことは諦めるってことだろ? おれ様はどっちでもいいんだよ。明日の夜までに連れて来たらシスター・アンナをお前にやる。シンプルな話だろ?」
その言葉を最後に、アレクセイは虫を払うように手を振った。これ以上シュンと話すことはないということだろう。
シュンは何も言わずに部屋を後にする。
扉が閉じられてから、アレクセイはにやにやと締まりのない笑みを浮かべて、横に立つテオフィルに声を掛けた。
「あのさー、テオフィル。面白いこと、興味ない?」
「お、面白いことですか?」
「うん。おれ様としてはあんな村どうでもいいっていうか、邪魔だしそのうち消そうと思ってるんだけどね」
「は、はぁ」
できるだけアレクセイの機嫌を損ねないように、表面上は苦笑いだけを浮かべてテオフィルは返事をする。
「ほら。あの偽善者達が護りたかった村人に襲われてらどんな顔するか、楽しみじゃない?」
「あ、アレクセイさん……。それは」
「……お前、おれ様に逆らうの?」
低い声でそう聞かれて、テオフィルは何も言えなくなる。
「そうそう。従順が一番。じゃあ、ヨロシクね。気が向いたら様子、見に行くからさ」
▽
教会の扉が強く開け放たれたのはその翌日、まだ朝露も乾き切らない早朝の出来事だった。
できるだけ早くこの地を後にした方がいいだろうと考えたヨハン達は既に準備を整えて、後は教会の何処かにいるイブキを連れて村を後にする段階だった。
開け放たれた扉の前に、一人の男が立っている。
獣の顔をした男、シュンは礼拝堂で、イブキと共に村の外れにアンナを見送りに行ったヨハン達を待っていたラニーニャを見つけると、自らの嘲笑うような悲壮な笑みを浮かべていた。
「あら、おはようございます。生憎と朝ご飯は用意できていないんですよ。アーデルハイトさんは怪我してますし、ラニーニャさんは料理ができませんので」
返事の代わりは低い唸り声。
まるで自分の理性を必死で押し込めて、獣であろうとしているかのように。
「困りましたね。そろそろお暇しようと思っていたところで、遊んでいる時間はないのですが」
ラニーニャは多くは尋ねない。元より彼を仲間であると思ったことはない。
縁があって一度共闘しただけの仲。斬り捨てることに何の躊躇いもない。
「こちらも時間がないのは一緒です。十数える間にここから去ってください。十、九、八、七……面倒なのでゼロ!」
シュンはその場から動かない。
先手を取ったラニーニャが、教会の石床を強く蹴ってシュンの前に飛び出す。
せめてもの罪悪感からか先手を取らせたシュンは、大鉈のような幅広の剣を振り被って迎撃に出た。
振り下ろした刃はラニーニャが直前までいた石床を叩き割るが、彼女の幻影すら捉えることはできなかった。
二刀のカトラスが交差するように叩きつけられて、シュンは踏鞴を踏む。その腹に前蹴りを繰り出しながら、ラニーニャは狼男の巨体を教会の外へと叩きだした。
地面に転がるシュンに、ラニーニャは容赦なく追撃を浴びせる。
無数の斬撃は致命傷を与えられないが、それでもそれは確実にシュンの身体へと傷を作っていく。
「理由ぐらいなら聞いてあげますよ」
草の上を転がり、どうにか態勢を立て直したシュンの薙ぎ払いを、ラニーニャは難なく回避する。
数多の魔物を一撃で葬って来たそれは、目の前の少女にとっては止まっているにも等しい。
「くそっ、くそぉっ!」
闇雲な攻撃が彼女を仕留めることはない。
そればかりか剣を打ち合わせる機会すらも与えてはくれなかった。
「なんでこうなる! なんでこうなった!?」
「そんなの、ラニーニャさんに言われても」
果たして誰が悪いのか。
違う。
悪ではなかった。シュンが悪しきものだと決めつけていた、自分の憧れの人を殺したあの男は。
例えいけ好かなくても、同じ道を歩むことなど絶対になかったとしても。
その行いが悪ではないと、彼を嫌っていたシュンですらも納得してしまった。
「俺は……! 俺はぁ!」
全ての元凶など判りきっている。
アレクセイさえいなければこんなことにはならない。魔物さえいなければこんな事態にはならなかった。
大きく踏み込んで、一太刀を振るう。
ラニーニャの背後にあった木を真っ二つに切り裂いて、続く横薙ぎでそれを吹き飛ばした。
そのどちらもがラニーニャには避けられてしまったが、シュンの切り札はそこにはない。
回避行動を取ったばかりの無防備な柔肌がすぐ傍にある。
「掛かった……!」
悪く思うな。
この女は本当に嫌いだが、これはシュンの我が儘だ。単なるエゴでこれから死よりも辛い目にあうのだろうから。
狼の口が大きく開く。
鋭い牙を生やした必殺の噛切りはラニーニャの首筋を標的に放たれていた。
がちんと、勢いよく量の牙が合わされる。
その場所に、狙いの位置にラニーニャの姿はない。
「ええ、はい。お生憎様」
顎に対して、下から上に突き上げるような衝撃があった。
身体がよろめいて、二、三歩後ろに下がる。
ぐらぐらする視界を修正してその方を見ると、変わらず余裕の表情を浮かべたラニーニャが立っていた。
「見てるんですよね、その攻撃。魔物と戦った時に。バレバレでしたよ」
「ぐ、お……!」
小さな唸り声が上がる。
だがそれでも戦いをやめることはできない。振り上げた刃はもう降ろすことなどできはしないのだから。
そこに、シュンにとって更なる絶望が訪れた。
「シュンさん! ラニーニャさん!」
教会の入り口から顔を出したのは、カナタとアーデルハイトだった。外でこれだけ騒げば気が付くのも当然のこと。
そして周囲を見れば、村人達が何事かと集まって来ている。彼等の多くはラニーニャ達の事を敵視しているが、それでも直接手を出せるほどに勇気のある者はいない。
「――ああ、カナタさん。よっちゃんさんの言った通りですね。もし異常があったらすぐに脱出しろって。一先ずはこの人を片付けてからになりますけど」
ラニーニャ達によって状況は時間が経てば経つほどに悪くなる。アレクセイが余計なことをしはじめる前に、村から出る必要がある。
「シュンさん。……そこを退いて」
「それはできない」
「……そう。なら」
極光がその手に集う。
セレスティアル。そう呼ばれる御使いの輝きは、今のシュンにとっては何よりも恐ろしい武器だった。
「無理矢理退かすよ。今ボク達、急いでるから」
返事の代わりに咆哮を上げる。
それでも目の前の少女達は全く怯まない。その心中にある想いとは裏腹に、容赦のない攻撃をシュンに浴びせかけてくる。
こちらが攻める間もないほどのラニーニャの連撃に、どうにかその間隙をついて必殺の一撃を叩き込もうとすれば、カナタの極光がそれを押し留める。
どれだけ力を込めようと、彼女等を連れていかなければアンナに明日はないのだと自分を奮い立たせようと、その壁は余りにも強固だった。
「ぐ、がああぁぁぁぁぁぁ!」
皮肉なものだった。
彼女は英雄ではない。あの日、ダンジョンでそう宣言した通りだ。
多くの民衆のために立ち上がるエトランゼの理想とする聖人ではなく。
もっと純粋に、ただ自分達の周りにいる人々を護ろうと必死になる一人の少女だった。
だから、シュンは勝てない。
逸らされた斬撃。剣を捨てての拳。
それらをカナタのセレスティアルに防御され、そこに容赦のないラニーニャの突きが繰り出される。
カトラスがその腹部を刺し貫き、体内で溢れた血が口を逆流して飛び出した。
彼女は手を休めず、その腹に蹴りを入れる。たまらずに仰向けに倒れたシュンの首もとに、もう一本のカトラスが突き付けられた。
「ここまでです」
「お、俺は……!」
大声を出そうとして、口から流れ出た血がそれを妨害する。
「ええ、ええ。判っていますよ。貴方にも護りたいものがあったのでしょう? その気持ちは痛いほどに判ります。だって、もしわたしが弱ければ、奪われていたのはこちら側だったんですから」
ラニーニャもなんとなくではあるがシュンの事情は理解していたのだろう。その上で、情けを掛けることはなかった。
そうすれば、次に奪われるのは自分だから。
そうやって何もかもを護ることができない弱い者達は、他人から奪って生き続ける。
例え間接的にとはいえ、それはアレクセイが唱えたエトランゼの生き方から完全に脱却することができないでいる証でもあった。
「では行きましょう。カナタさん、アーデルハイトさん。よっちゃんさんから村の外で落ち合うように話は聞いていますので……!」
シュンの背を向けて二人にそう説明するラニーニャの言葉が途中で止まる。
彼女の背後、シュンのよりも後方から飛来した矢が、その肩口を傷つけた。
舌打ちをして視線を向ければ、必死の形相で矢を向ける村人が一人。彼の周りにはそれ以外にも先日の魔物襲撃の際に使った武器を持った村人と、シュンの傘下にいたエトランゼ達が殺気立ってラニーニャ達を睨んでいた。
「シュンさん! おれ達も力を貸します! そいつらを連れてけばシスター・アンナを助けられるんでしょう?」
「お前達の所為で魔物は来るし、シスター・アンナは連れてかれる。とんだ疫病神じゃないか!」
「こいつらをアレクセイさんに差し出せば全部が元通りになるんだ! やっちまえ!」
そう無責任に誰かが叫ぶ。
「まあまあ皆さん! ちょっと落ち着いて!」
そう言って人垣から、テオフィルが歩みでてきた。
彼はシュンを助け起こすと、ラニーニャとカナタ達へと顔を向けて、バツが悪そうに笑っている。
「いやー、困りましたねぇ。アレクセイさんも無茶を言うから」
「一切の状況の説明を求めていません。それでは、わたし達はこれで失礼します」
「あらららっ! ちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕だってこんなことしたくないけど、何もやらないとアレクセイさんに殺されちゃうかも知れないんですよ? ほらほら、お互いに妥協できるラインを探ったりしません?」
命に関わるというだけあって、テオフィルは必死で説得を試みる。
しかし、ラニーニャはそれを受け入れるつもりは全くない。今こうしている間にも、殺気立った村人達は徐々に包囲を狭めているのだから。
「そうだそうだ! お前達の責任なんだから、せめてシスター・アンナをどうにか解放してから出ていけ!」
村人達は口々に勝手なことを言う。
それが魔物の襲撃により家族や隣人を失った痛み、またアレクセイに支配されるという恐怖から生み出された歪であることは理解できたが、ラニーニャにそれを慮る理由はない。
平和な村に訪れた魔物の襲撃と言う悲劇は、たった一夜で人々の心を狂気へと駆り立てる。
突然襲い掛かった理不尽から心を護るために、その痛みを他者へと転換していく。
不規則な靴音と、武器が擦れ合う金属音が徐々に近付いてくる。
その大半は農具だが、先程の弓矢がそうであったように中には殺傷を目的とした武器も含まれている。
そうでなくてもシュンの部下である、冒険者として戦い慣れたエトランゼも含まれていた。
「話し合いたいのならまずは包囲を解いてはどうです?」
「あー、はいはい。ほら皆さん、ここからは近付かないでくださいねー」
そう言ってテオフィルは彼等の包囲を差し止めるが、ラニーニャが要求した解除は行っていない。
横目にちらりと合った目で、「包囲を解いたら逃げるでしょ?」と言ったような気がした。
「話になりませんね」
その態度を見て、ラニーニャはこれ以上の時間の無駄を避けることを決心する。
できれば村人を傷つけたくなかったが、向こうがこちらを害そうとしてくるのに、それに対して心配してやる義理はない。
「アーデルハイトさんは上へ。わたしとカナタさんで強行突破します」
その指示に素早く従って、アーデルハイトが箒を出現させる。
カナタがセレスティアルの剣、ラニーニャはカトラスを握って、村人達を牽制しながら徐々に距離を詰めていく。
先頭になってまずは一人二人を斬れば、村人達は恐れて包囲を解く。所詮は勢いだけで集まっているに過ぎない。
「では」
「あーあ。やっぱり無理かぁ。仕方ねえな」
その声色が変わった。
それが先程までへらへらと頼りない笑いを浮かべていたテオフィルから出た声であることに一瞬、誰もが気が付かなかった。
何よりも、もっと衝撃的な事実にラニーニャもカナタも動きを止められていたから。
真っ赤な血が溢れて、カナタの顔に振りかかる。
それは隣にいた少女から溢れ出た赤色。
驚くほどにゆっくりと、彼女の身体が無防備に地面に落ちる。
テオフィルの手に握られているのは振り抜かれた長剣。
その切っ先は赤く染まり、アーデルハイトの身体に遅れて二つに切断された箒が草の上を転がった。
「あ、」
彼女は悲鳴を上げない。歯を食いしばって耐える。
その右手首から先が、最後に水たまりの中に落ちた。
「アーデルハイト!」
「クハハハハハッ! もう茶番は終わりだ! やっちまえお前等!」
テオフィルが笑い、叫ぶ。
それに呆気に取られていた村人達は、今が好機と包囲を狭め始めていた。
呆然とするカナタと、痛みによって立ち上がることのできないアーデルハイトの代わりに一番早く動いたのはラニーニャだった。
「このっ……!」
「おー、おー、元気のいい姉ちゃんだやっぱ。最初見たときも思ったが、俺はあんたのこと、結構好みだぜ?」
最早軽口を返す余裕もない。
ラニーニャはカトラスの双撃でテオフィルの長剣を逸らすと、その胸倉を掴んで地面へと放り投げる。
「カナタさん! アーデルハイトさんを連れて逃げてください!」
「逃がすな!」
呼応するように誰かが叫ぶ。
そして一番先に飛び出したのは、エトランゼではなく村人の一人だった。
「あー、もう!」
ラニーニャは水の短剣を生成して、その青年の脳天を貫く。
哀れな男は絶命して、大きな音を立てて地面へと倒れていった。
「早くっ!」
「でも、ラニーニャさんは!?」
「殿を務めます! さっさと安全なところに行って、止血してください! ……手首は諦めて」
悲鳴のようなラニーニャの声に、カナタはようやく自分を取り戻した。
アーデルハイトを助け起こして彼女に肩を貸し、その場から離れようと試みる。
そんな彼女の道を、シュンの部下達が塞ぐために立ちはだかった。
「ふざけんな、逃がすかよ!」
「そうだ! 英雄だってんなら俺達の役に立ちやがれ!」
「……まったく、馬鹿じゃないですか!」
そこに飛び込む。
彼等がギフトを発動させるよりも早く、カトラスの二振りが斬り捨てた。
カナタはよろけながら、それでも懸命にアーデルハイトをセレスティアルで庇い、その場から離れようと走っていく。
「たかが女二人だ。さっさと捕まえたらどうだ? そうすりゃシスター・アンナもシュンさんも助かるんだぜ? なんならアレクセイさんに渡す前にちょっとぐらい味見したって構わねえぞ」
テオフィルに先導されて、村人達が萎えかけた気力を取り戻す。
「少しは役に立てよな。折角わざわざ扇動してやったんだからよ」
ラニーニャがその道を防ごうと回り込むよりも早く、長剣がその道を塞いだ。
「おいおい、俺と遊んでくれよ。久しぶりに本音で語り合える相手がいるんだ。もっと楽しみたいぜ」
「あの優柔不断な姿は表向きと言うことですか」
「そんな怖い顔するなよ。ずっと言ってたろ? 甘い汁を啜ってるってな。これも処世術ってわけよ」
「へぇ。プライドを捨てて生きたいだけなら、蝉みたいに土に籠ってたらどうです? そうすれば誰も貴方の命を脅かしませんよ?」
「いやいやいやいやいやいやいや。誰がそんなこと言ったよ。生きるだけならどうとでもできるだろ? ただ、それじゃ面白くねえ。俺は俺がどう楽しく生きれるかを追求してるんだよ! だからアレクセイの下にいた。あいつほど不幸を撒き散らす害虫はそうそう生まれるもんじゃねえからなぁ!」
「このっ、外道!」
ラニーニャの双撃は、長剣の前に容易く受け止められる。そのまま無理矢理に剣を弾こうと押しあうも、テオフィルの身体はびくともしない。
「クハハッ。そりゃ確かになぁ!」
振り抜かれた長剣で距離が離れる。
「否定はしないぜぇ。さっきだってな、あの綺麗な嬢ちゃんの手首を斬り落としてやったとき、寒気がした。寒気がするほどに快感だったよ。いや、綺麗に斬れるもんなんだなってな。できればそこに転がってるのを持ち帰って色んな奴に自慢したいくらいだね」
「その口を閉じろ!」
「そしたらつまんねえだろ。俺はこうやって散々挑発されて、怒り心頭になって、その上で無様に蹂躙されるのが見たいんだよ! おらおら、さっきまでの威勢は何処にったんだよ?」
粗暴な剣の叩きつけを、ラニーニャは双剣で上手くいなしながら反撃を叩き込む。
テオフィルの防御も固く、お互いに一進一退の攻防と化していた。
「いやー。結構楽しかったんだけどな。アレクセイの部下になって、あいつを諫める振りをするのは。ああいう馬鹿はよ、やめろって言われればもっとやりたくなるんだよ。近くの村を滅ぼしたときも楽しかったぜ」
下からの斬り上げをテオフィルの剣が受け止める。ラニーニャは顔面を狙った蹴りを避けられるとそのまま地面を蹴って上空へと逃れた。
水筒の封を切って、そこから零れた水を短剣に変えて上から降り注がせる。
剣の一振りでテオフィルはそれを打ち払い、続くラニーニャの一撃を受け止めた。
「そこまでやることはないだろって震え声で言えばよ、俺がビビる姿を見るのが楽しくてもっと殺すんだ。あいつのギフト、判るか?」
挑発するための軽口を叩きながらも、テオフィルは正確にラニーニャの攻撃を受け止める。
間違いなくこの男は手練れだった。それもこれまで出会った中でも相当な。
「記憶を読み取って、その中で一番そいつにとって恐ろしかった、強かった敵を作りだすんだ。だからよ、アレクセイが本気で暴れりゃ大変なことになる。どいつもこいつもビビって泣き喚きながら死んでくんだ。自分が一番怖がってるものに殺されてな!」
ラニーニャの回し蹴りをテオフィルは片手で受け止め、そのままその身体を放り投げる。
ラニーニャは受け身を取って着地すると、再びテオフィルに斬りかかった。
「なあ、想像してみろよ」
「なにをっ!」
「村人に捕まったあのお嬢ちゃん達がどうなるかをよ。いや、人間ってのは不思議だね。昨日までは協調だなんだ言ってたが、一度タガを外してやればああなっちまう。よしんば連中が何もしなかったとしてもアレクセイの部下がこっちに来てるからよ。そりゃもう楽しいことになるだろうなぁ!」
「いい加減に、御託は!」
一刀目の突きは長剣に弾かれて、空を舞う。
反撃の薙ぎ払いを二本目のカトラスが防ぐ。
その状態で、ラニーニャは更に踏み込んだ。
手の中で水を剣の形へと変える。
テオフィルにとっては何も持っていない方の手に突然現れた武器に、彼は一瞬だけ呆気にとられた。
「沢山です!」
心臓を狙って放たれるラニーニャの突き。
ほぼ避けられない距離でのそれを見ても、テオフィルは笑っていた。
ならばそのまま死ねと、ラニーニャは更に前に出る。
「――そうだなぁ」
そうテオフィルが呟いた直後。
ラニーニャのカトラスが彼の身体を貫くよりも早く、見えない何かを受けて、ラニーニャの身体は空を舞って、地面に強く叩きつけられた。
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