第八節 捻じれ
ショートバレルから放たれた散弾が、地上を群がるコボルトの群れを纏めて薙ぎ払い、その間隙を塗って斬り込んだカナタにより、生き残った数匹も纏めて戦闘不能に追い込まれた。
視界内から一先ず敵影が消えたことを安堵して、ヨハンは弾丸を再装填しながら息を吐く。
ヨハンが今いるのは一軒家の屋根の上だった。そこからならば視界を広くとることで、戦況を確認しながら広範囲を狙い撃つことができる。
既に戦いが始まって数時間が経過している。
最前線にいるラニーニャとアーデルハイトのおかげで魔物達の勢いは一瞬収まったものの、それでも絶え間ない攻勢に晒されていた。
既にシュン旗下のエトランゼ、及び村人にも多大な被害が出ており、犠牲者の数は今も増え続けている。
「……今が最後の機会か」
懐から取り出したアルケミック・スライムを近くの木の枝に引っ掛けて、ロープのような形にして地面に降りる。
地面に足がつくと、すぐにカナタが傍に駆け寄って来た。
「教会の様子を見てくる。敵の攻勢が止んだ今がチャンスだ」
「……うん」
言葉少なにカナタが頷く。
それの意味するところを彼女は理解していた。
ヨハン達が今やるべきことは、アンナと協力してこの村の非戦闘員を避難させること。
つまり、シュン達を初めとした戦っているエトランゼや村人達を見捨てることになる。
「ラニーニャとアデルには合図を送ると伝えてある。俺とお前は安全圏に行くまでの間、彼等を護衛するぞ」
「……判った」
有無を言わさぬヨハンの言葉に、カナタは決意を込めて頷く。
お互いに理解していることだ。今の自分達に全てを救える力はない。だからせめてできることは戦えない者達の命を救う。
当然ヨハンはイシュトナルに戻ればすぐに増援の手配をする。彼等がそれまで持ち堪えれば生存することはできるだろう。
だが、それはあくまでも理想論だ。単純に計算しても夜明けまでこの戦場が持つ確率はゼロに等しい。
「行くぞ」
暗闇の中ではぐれないように、ヨハンは手を指しだす。
カナタがそれを握ると、二人は暗闇の中に走り出した。
村の外から魔物達の咆哮が響く。再度攻撃が始まったようだった。
敵は所詮、見かけだけの連携を取るろくに知能のない魔物達。一度に大多数を倒せばその勢いは削がれて隙ができるが、その数は圧倒的で、少し経てばまた潮が満ちるように攻勢を仕掛けてくるのだった。
カナタ、ラニーニャ、アーデルハイトの誰か一人が残ればまだ夜明けまでの生存率も上がるだろう。
それはヨハンが許さない。その逆も然り。
ヨハンが残れば全員が残ると言いだしかねない。それで全滅の憂き目にあえば、それこそ論外だ。
いや、そもそもの前提としてヨハンは絶対にこの場から生きて戻らなければならない。
魔物達の大量発生、その理由と原因を調査して、対策を打つ必要がある。
下手をすればこれは、オルタリアとイシュトナルの戦いなどと言っている場合ではなくなる。
教会の前まで付くと、聳え立つ石造りの建物の周辺は村の外周の戦いの音も遠く、静かなものだった。
両開きの扉を開けて中に顔を見せると、蝋燭の小さな灯りに照らされて俯いていてた幾つもの顔が、幽鬼のようにヨハンの方を一斉に見た。
「あんたか。状況はどうだ?」
片足のエトランゼが村人達を代表してそう質問する。怪我で戦えないとはいえ、実戦経験もあって壮年のこの男がアンナと共にの纏め役として機能しているようだった。
「よくはないが、相手に隙ができた。脱出するなら今だろう。シスター・アンナは?」
「…………」
男が無言で顔を伏せる。
村人達もまた、言葉がすぐには出てこない様子だった。
「なにがあった?」
「よーくん!」
自然と厳しくなるヨハンの声に答えたのは、奥から聞こえてくるイブキの声だった。
人の間を潜り抜けてイブキはヨハンに駆け寄ると、その胸に飛び込んでくる。
「イブキ。どうした?」
「アンナが行っちゃった! 一人で行っちゃった!」
「行った? 何処にだ?」
ヨハンの胸に顔を埋めながら泣きじゃくるイブキの格好は、よく見れば泥と雨に濡れて汚れていた。
言葉にならない彼女の代わりに、片足のエトランゼが答える。
「シスター・アンナは……。アレクセイさんに協力を要請すれば何とかなるかもって言って……。後事を俺に託して」
「……アレクセイに?」
「みんな止めたんだ! だけど彼女は出ていっちまった。そこのお嬢ちゃんはシスター・アンナを追いかけて外に飛び出したけど、すぐに見失って……」
「そうか。……取り敢えず、脱出するなら今が好機だ」
イブキを落ち着かせるように背中を撫でながら、ヨハンはそう言った。
「シスター・アンナを置いてはいけない!」
村人の一人がそう言った。
ヨハンの中で嫌な予感が膨れ上がる。
こうなった時の集団心理は、時に誤った方向へと人を誘導することがある。
「外ではあたし達の夫が戦ってるんだよ! それを見捨てて逃げろってのかい!」
「そうだ! 第一、あんたについていって、本当に無事なのか? シュンさん達と一緒の方がいいんじゃないのか?」
一人の言葉が漏れ出て、それがまるで油のように火に注がれる。
彼等の心を支配するのは恐怖だ。死ぬかもしれない怖さに怯えながら、自分で行動することすらも恐れている。
片足のエトランゼは何とか彼等を宥めようとするが、もうその言葉が村人達の耳には入らない。
「シュン達は外で戦っている。みんなが脱出する時間を稼ぐために」
「それをあんたらがやればいいだろうが!」
「そうだそうだ!」
「だいたい魔物だってお前等が呼んだんじゃないのか!?」
そう叫んだのは、療養していたエトランゼの一人だった。
「おい、やめろ」
片足のエトランゼが止めるも、まだ彼よりも年若いその男は止まらずに、ヨハンの目の前まで歩みでる。
「何を根拠に……!」
「俺は知ってるぞ。そっちの女も見間違えだと思ったんだけど、間違いない。お前達、エトランゼの英雄だろう!」
教会の内部がにわかに騒めいた。
勿論大半はその意味するところを知らないのろうが、ひょっとしたら噂で聞いたことのある者もいるだろう。
「英雄って呼ばれたお前達なら、魔物を呼び寄せることもできるかも知れないよな?」
「……なんの話だ?」
「それを倒してまた自分達の名声を上げようって魂胆なんだろう? ええっ!」
男の手がイブキの肩を掴んで、無理矢理にヨハンから引き剥がそうとする。
「やだぁ! よーくん!」
イブキはそれに必死に抵抗する。
その姿を見て、ヨハンは我慢することができなかった。
考えるより先に身体が動いて、拳で男の顔面を殴りつける。
自由になったイブキは、今度はヨハンの背中に隠れたが、その揉め事の中、子供のような態度を取る彼女への疑惑の視線はもう避けられないものになっていた。
「そんなくだらないことを考えるか!」
吹き飛んだ男は頬を抑えながらヨハンに対して、憎悪を込めた目を向ける。
「だったら、さっさと片付けて見せろ! お前ならできるんだろうが!」
「え、なに? 何なの?」
「何でもあの男が今回の件を原因だとか」
「魔物達に襲わせた村を救って、金でもふんだくろうって魂胆か?」
「そんなことであたしの旦那は……!」
狭い空間で歪んだ言葉が憶測を呼び、疑いは最早晴らすことができないほどに広がっていく。
既に失われた命が、死にたくないと願う村人達の心が醜くねじ曲がり、その怒りを目の前にいるヨハンにぶつけるような形になってしまっていた。
「聞いてくれ。今は本当に緊急事態なんだ。俺は魔物を呼び寄せていないし、そんなことはできない。それから、全員を救うような力ももうない。だから俺の言葉を聞いて、少しでも生き残れるように……」
「うるさい!」
飛んできた小さな何かが、ヨハンの額を打ち、切れてそこから流れた血が頬伝って床に落ちた。
「お前が原因じゃないっていう証拠もないだろう!」
もう、言っていることが滅茶苦茶だった。
彼等の心は恐怖と怒りに支配されて、ヨハンの言葉は届かない。
「……よーくん?」
不安げにイブキがこちらを見上げる。
もう迷っている時間はない。これ以上戸惑えば助けられるものも助けられなくなるだろう。
「ヨハンさん! 外!」
扉の外からカナタの悲鳴のような声が響いてきたのはヨハンがそう決意したのと同時のことだった。
雨の音に交じって、巨大な羽ばたきの音が聞こえる。
嫌な予感がしてヨハンはイブキを振りほどいて教会の外へと飛び出す。
「おい、あんた……!」
片足のエトランゼがヨハンを心配して声を上げた。
「教会の中にいろ!」
雨に打たれながら、木々の間から空を見る。
屋根の上を旋回するように飛ぶその姿は、翼を持った竜。ワイバーンが二匹、教会に狙いを定めて上空を旋回していた。
「なにか落ちてくる!」
隣でカナタが叫んだ。
ワイバーンから小さな影が幾つも飛び降りる。
「あれは、魔物か……!」
「なんでそんな! 今までそんなことなかったのに!」
カナタが高い声で叫んだ。
少なくともイシュトナルに移り住んでからは、ヨハンよりもカナタの方が魔物と戦いを多く経験してきただろう。
だからこそ判る。今起こっていることの異様さが。
異なる魔物が連携を取って、まるで何かの目的があるように行動する。そんなことはヨハンとて今まで経験したことがない。
「迎撃するぞ」
ショートバレルから放たれた弾丸が、落下中の魔物を撃ち抜く。。
べちゃりと水っぽい音がして、地面に魔物達が着地する。
降りてきたのはグール達だった。彼等はその半数は地面に激突して身体が崩れるが、それでも動きは止まらず、よろめき、這いずりながらも進軍を続けている。
低い唸り声を上げて、グール達の群れが餌でる人間が詰まった教会へと進軍を開始した。
「カナタ、防げるか!?」
「やってみる!」
五匹ほどのグールに囲まれながらも、カナタは勇敢にその中心へと踏み込んでいく。
人の形をした理性無きそれらは、飛び込んできた新鮮な肉を喰らうためにカナタへと殺到していった。
それを背後からショートバレルの散弾が撃ち抜いていく。
二匹目のワイバーンからも、グール達が降下してくる。
同じように潰れて原型を失いながら、半ば人を喰うことだけを本能として奴等は動きだした。
両側を挟まれたヨハンとカナタの元に、輸送を終えたワイバーンが戦列へと加わった。
誰の指示か、それとも本能によるものかは判らないが、ワイバーンはグールを運んできた以降のことはどうでもいいらしく、翼による風圧で纏めて吹き飛ばす。
風の直撃を受けてその場から吹き飛んで、近くの木に激突したヨハンのすぐ傍で、同じく吹き飛ばされて下半身を失ったグールが大口を開けて迫る。
「くっ……!」
そこにショートバレルを差し込んで引き金を引いた。
頭を潰されたグールはそれでもまだ動こうとしていたが、やがて完全に停止する。
上空ではワイバーンが低空飛行し、それによって薙ぎ払われた家の木材や窓ガラスが弾丸のように辺りに吹き荒ぶ。
グール達も巻き込まれて散り散りに身体を失ってもなお、教会への侵攻をやめることはない。
それどころかワイバーンの風圧で吹き飛ばされたグールが、教会の扉に手を掛けていた。
「まずい!」
痛みを堪えてヨハンは駆け出す。
ワイバーンの攻撃をセレスティアルで防いでいたカナタもほぼ同時に駆け出そうとするが、防御を解いたその隙にグールが肩を掴み、地面に引き倒す。
「や、やだっ!」
カナタは悲鳴を上げ、グールの身体を蹴り、何とか少し身体が離れたところでセレスティアルの剣で頭を貫く。
一匹を留めたところで、それを好機と見た数匹に纏わりつかれては、態勢を整える暇もない。
ヨハンは自分に迫るグールを無視して、走りながらショートバレルを連射する。
照準がずれてまともに当たらない弾丸は、奇跡的に教会の扉の前に迫るグールの頭を撃ち抜いてその動きを止めることに成功していた。
「よーくん!」
ヨハンは信じられないものを見た。
両開きの扉から、まるで中から弾き飛ばされたかのようにイブキが飛び出してきたのだ。
教会の中からは罵倒の声が聞こえるが、その内容までは把握しきることはできない。
最早そんなことはどうでもよかった。
このままでは間違いなく、イブキはグール共の餌になる。
誰がやったのか、何のためにそんなことをしたのか、もうどうでもいい。
ただイブキを助けたくて、縺れそうになる足を全力で動かした。
「イブキ!」
「よーくん!」
教会の扉が閉まる。
無慈悲なその音を聞きながら、ヨハンはイブキに手を伸ばし、抱え上がるように持ちあげる。
片手で持ったショートバレルでグールの頭を撃ち抜いて、近付いてきたものはその銃床を振り回して打ち倒していく。
「イブキ……!」
「よーくん、怖かったぁ! みんな、怖かった! 怖かったぁ!」
錯乱状態のイブキを宥める間もなく、ヨハン達の眼前に次なる脅威が迫っていた。
動きが鈍った獲物を見定めたワイバーンが、ヨハンとイブキの目の前にまで降りてきている。
小型とはいえ竜。長く伸びた上顎と下顎の間から見える牙が、雨に濡れて嫌な光を放つ。
凶暴な瞳は真っ直ぐにヨハン達を見据えており、当然そこに手心を加えるつもりなどはない。
「よーくん! やだぁ! 怖い!」
イブキの身体を強く抱きしめる。
前に向けたショートバレルのなんと無力なことか。
例え直撃させたところでその勢いを殺すことはできない。ならばせめてイブキだけでも逃がそうにも、彼女はヨハンにしがみついて離れようとしない。
ワイバーンが咆哮する。
甲高い声が辺りに響き渡り、竜種特有の魔力を持ったその音波が聞く者に無意識の恐怖を喚起させる。
だが、それに負けじと声を張り上げた者がいた。
「やだぁ! 来るな、来ないで! あっち行って!」
イブキの声を聞いて、ワイバーンは一瞬だけ動きを止める。
ヨハンは胸の中にいるイブキを驚いた顔で見下ろした。
「イブキ、お前……!」
当の本人は自分がしたことの意味も判らず、ただ泣きじゃくっているだけだった。
急いで立ち上がり、せめてイブキだけでも避難させようと教会の扉に手を掛ける。
しかし内部から厳重に抑え込まれているのか、びくともしない。
「何を考えている! これじゃあ死ぬのを待つだけだぞ!」
雨音と魔物の声、戦いの音に邪魔されてヨハンの声は中まで届かない。
諦めてヨハンが後ろを振り向くと、驚くべき光景が広がっていた。
ワイバーンが倒れている。両羽をもがれてその巨体は地面に崩れ落ち、その頭部を踏みつける姿があった。
「にょほほほほっ。いやぁ、苦労してるみたいだねぇ。うんうん」
アレクセイが、そこに立っていた。
周囲には彼の部下のエトランゼ達と、何故かアンナが立っている。
アンナは申し訳なさそうな顔で、アレクセイは厭らしく彼女の肩を抱いている。
「アレクセイ……。何をしに来た?」
「んー? そんな口利いていいのかなぁ? おれ様は頼まれて、ここに来たんだよ?」
「頼まれてだと?」
ヨハンの視線がアンナに向くと、彼女は小さく頷く。
どうやら、そう言うことのようだった。
アンナの修道服は雨に濡れ泥だらけで、魔物と遭遇してしまったのか、所々擦り切れてその白い肌を露出させている。
「ヨハンさん、大丈夫!」
そこに、周囲のグール達を片付けたカナタが駆け寄ってくる。
「……ああ。大丈夫だ」
「ふふん。シスター・アンナの頼みだからな。ここはおれ様が何とかしてやるよ。たまには下等民族に手を貸してやるのも悪くない。お前みたいにな」
「なに言って……!」
食ってかかろうとするカナタに、アレクセイは手を伸ばす。
「うん。お前でいいや」
カナタの額の前に数秒ほど掌を向けてから、アレクセイはその手をまた別の方向へと差し向ける。
「さてさて。お前の記憶の中にある一番強い奴は誰かなぁ?」
光の粒子が集まり、何かを形作る。
「なっ……!」
カナタが絶句して、後退る。
黒いドレス、銀色の髪、紫の瞳。
あどけない少女の顔をしたそれは、以前大陸を危機に陥れた災厄。
「なーんか、あんまり強そうじゃないなぁ」
そんなはずはない。
そんなわけがない。
カナタの記憶の中で最も強く刻みつけられた恐怖。
御使い、悪性のウァラゼルの姿がそこにあった。
「そんな! なんで、おかしいよ……どうして!」
錯乱するカナタに、ウァラゼルはゆっくりと近付いていく。
そのままその小さな手を額に向けた。
「な、」
恐怖のあまり身動きができなくなったカナタは、されるがままにウァラゼルの行動を受け止める。
放たれたのは、強く引き絞られたデコピンだった。
指で額を弾かれ、勢いあまってぬかるんだ地面に尻餅をつく。
アレクセイはそれを見て大きな笑い声を上げた。
「にょほほほほほほっ! そんなにこいつが怖いんだ! 可愛い女の子にしか見えないけどなぁ? まあいいや。じゃあおれ様にその力、見せてみてよ」
命令されるままにウァラゼルの身体が浮かび上がる。
その背中から翼のように伸びた紫色の極光は瞬く間に巨大化し、もう一匹のワイバーンを空中で両断した。
「おおぉぉお! すっごいなぁ! じゃあもっとやれよ! お前の力を見せろ!」
玩具を手に入れた子供のようにはしゃぐアレクセイ。
ウァラゼルは彼の命令を聞くがままに、そのセレスティアルを操って次々と魔物達を駆逐していく。
天に伸びた光が巨大な杭のように、上空から地上の魔物達に突き刺さる。
上空高く飛翔したウァラゼルは竜巻を起こすように極光を振り回すと、それだけで百を超える魔物が一瞬にして四肢をばらばらにされて倒れていった。
それが何であろうと関係ない。
ワイバーンであろうと、コボルトであろうと、グールであろうと。
それ以外の魔物であっても御使いの圧倒的な力の前には意味を成さない。
神の使い。その無慈悲な輝きは一瞬にしてあれだけ混沌としていた戦場を一方的な戦いへと変貌させていった。
「にょほほっ、にょほほほほほっ! これはいい記憶を貰っちゃったなぁ! うんうん、これがあればおれ様の計画も実行に移せるよ。ありがとよ、英雄さん」
静まり返った村で、上機嫌にアレクセイは言う。
彼はそのまま教会の扉を開け放って、中にいる村人達に宣言した。
「下等民族達! お前達はおれ様、アレクセイ様によって助けられた! 本来なら多大な報酬を要求するところだが、今日のところは何も要らねぇ。村の復興も大変だろうからな。精々このおれ様を讃えるんだぞ!」
それだけ言って、アレクセイは教会から背を向ける。
「……アレクセイ」
「にょほほっ。いいもん貰った礼に、今日はこれで帰るよ。またな、ヨハン君。シュンの野郎に伝えておいてくれ。シスター・アンナと最後の別れでも惜しむんだな、ってよ」
アレクセイが引き上げると、部下達もそれに続いていく。
その背に、村人達の歓声が浴びせられた。
その圧倒的な力に対しての羨望、そして村を救ってくれたことへの感謝の声が幾つも響いてくる。
それを聞くヨハンと、その正面に立つアンナの表情はとてもではないが戦いの終わりを喜べるようなものではない。
唯一、ヨハンの腕の中で安心しきったイブキだけが、安らかな寝息を立てていた。
▽
ラニーニャは押し倒されていた。
ぬかるんだ地面にその細い身体は押し付けられ、今も上から掛かる圧力によって泥に身体が浸されている。
とはいえ泥と返り血によって最早見れたものではない格好をしているので今更ではあるのだが。
「……止んだみたいね」
ラニーニャの上から声がする。
親友と同じ色の髪をした、鳥肌が立つほどに整った顔立ちの少女は、安堵の息を吐いた。
短く切り揃えられた前髪が揺れて、そこから垂れた大きな水がラニーニャの頬を打つ。
「いえ。ラニーニャさんは大丈夫なのですけど。そちらは?」
「大丈夫よ。うん、半分は」
アーデルハイトの身体が揺れる。
そのまま転がるようにラニーニャの上から落ちて、地面に仰向けに倒れた。
「アーデルハイトさん!」
上半身を起こすと、背中側のローブが何かに削られたように損傷し、彼女の肌が露出している。
その肌にも焼かれ、斬られたような酷い傷ができていた。
あの時、魔物達と戦っていたラニーニャ達の目の前で驚くべき光景が展開された。
村の方から伸びた正体不明の光が、次々と魔物達を打ち貫いていった。
その輝きは半ば無差別に振るわれ、最前線で戦っていたラニーニャ達のことを考慮することはなかった。
光が降り注ぎ、咄嗟のところでアーデルハイトはラニーニャを庇った。
そして全てが終わるまでの間、防御魔法を展開して身を盾にして庇ってくれていたのだった。
「背中が熱いわ」
「大怪我ですよ! すぐに戻りましょう!」
有無を言わせず、ラニーニャはアーデルハイトを背負って村の方へと駆けていく。
「貴方、いい人じゃない」
「今頃気付いたんですか?」
掠れた声でアーデルハイトが言う。
傷は恐らく、ラニーニャが見たところでは致命傷ではないが、未知の攻撃によってつけられたものなので、どんな副作用があるか判らない以上は油断できない。
「ねえ、ラニーニャ」
「なんです?」
「もしあれが敵になったら。勝てるのかしら?」
「……それは」
ラニーニャは言いかけた言葉を噤む。
それは恐らく、二人同時に思ってしまったこと。
あの光がどうして放たれたのかは判らないが、あれには見覚えがある。
御使いが放つ極光。セレスティアルの光だ。
カナタの傍で何度も見てきたその輝きは、光炎のアレクサがそうであったように地上のあらゆる生命を葬る圧倒的な力を見せる。
もし、あれが敵だったとしたら。
再びカナタを頼らなければならないのか。
彼女に全てを任せて脇役に徹しなければならないのだろうか。
もしそうなのだとしたらカナタはいったい『いつ』まで、そして『どこ』まで戦うことができるのだろう。
その無力感と不安は二人の胸の中に渦巻き、どちらもそれを飲み込むことしかできなかった。
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