第七節 襲来の夜
「敵の数は!?」
雨が降りしきる闇の中、誰かがそう叫んだ。
その声に答える者はいない。目の前には平原に横這いに広がるような闇の塊が見える。
靄の中に犇めくそれらは、全てが魔物だった。果てしてこの村が目標なのか、それとも単なる通過地点なのか。
唯一確かなことは奴等はここを踏み潰す。それこそ完膚なきまでに。
「よっちゃんさん。これ、何か思い出しません?」
「……ああ」
隣のラニーニャの質問に、ヨハンは短く返事をする。
恐らく二人の頭の中にある情景は同じだった。統率の取れた異なる種族の魔物、それらが急に群れをなして人を襲う。
この状況は、アルゴータ渓谷のダンジョンの前で出会ったあの状況によく似ている。
あの場で交戦していなかったら、奴等は数を増やして今のように人里を襲っていた可能性もありうるということだった。
「原因の調査をしている場合ではないが」
「心当たりは?」
「ない。むしろ異常事態が多すぎる。こっちはオルタリアに備えて、御使いへの対策を考えるだけで限界だ」
「……その御使いが原因と言うことはないの?」
ヨハンの逆隣から、アーデルハイトがそう言った。
「……可能性はゼロではないが。いや、これは完全にイメージの問題だが」
「なに?」
「魔物と御使いと、余りにもかけ離れている。そんな気がする」
「それは確かに。どう見てもあれらは醜い連中ですけど。御使いは……」
それを認めたくないのか、ラニーニャは一度言葉を切る。
頭の中に思い描いたのは、あの時海上で交戦した光炎のアレクサ。
「美しい、いえ。何処か神々しい光を纏っていました」
「……それもそうね。そもそも御使いは天の使いで、奴等魔物の源流は地の底の悪魔。確かに、違いは大きいわ」
「あのさ。そんな落ち着いて話してる場合かな?」
少し前方から、カナタが呆れたように振り向いた。
「焦っても仕方ない。だが、確かにそろそろだ」
「よっちゃんさん。作戦は?」
「さっきも言った通り俺達は遊撃だ。主戦力はシュン達で、その援護をする」
「あてになるの?」
「この状況なら、どっちが主力でも対して変わらん。……いいか、死ぬぐらいなら逃げろ。誰を見捨てても構わない」
その言葉に、ラニーニャとアーデルハイトは重々しく頷く。
カナタも躊躇ってはいたが、全員の視線を受けて仕方なく了承した。
「どちらにせよ全員を救うことなんてできないんだ。……残酷なようだが、割り切れ」
「……判ってるよ。ボクは、英雄じゃないもんね」
「……これは適当な言葉かは判らんが、俺はお前が英雄であるなしに関わらず、ここで死んでほしくない。他の誰かを犠牲にしても護ってやるつもりだ。勿論、俺自身を代償にしても」
そのぐらいしなければ、この村の者達に示しもつかない。カナタを落ち着かせるために放った一言だったのだが。
「……恥ずかしいよ、それ」
と、カナタが言い。
「……たらし」
ラニーニャが呟き、アーデルハイトの肘が脇腹を打った。
「さて。そろそろ行くわね。ぶつかり合う前に数を減らしておいた方がいいでしょう?」
返事を待たずに、アーデルハイトは箒に座って雨の空へと飛んでいく。
「それじゃあわたしも。よっちゃんさんとカナタさんはこちらで」
二人は同時に頷く。
ラニーニャが走りだすのと同時に、別方向からもシュンの率いるエトランゼ達が魔物へと向かっていく喊声が響いた。
▽
ラニーニャは真っ直ぐに敵の群れを見ながら、地面を蹴って前へ前へと進んでいく。
海の上と違って陸上は走り辛いが、その走力に陰りは見られない。
目の前に醜悪な魔物の群れが広がっていく。距離が近くなればなるほど、連中は確かな輪郭を持って視界へと飛び込んできた。
さて、あの群れに飲み込まれればどうなるか。
答えは簡単だ。幾らラニーニャが強くても所詮は人間、全方位から晒される攻撃に対しては対応しきれるものではない。
魔物に討たれた人間がどうなるか。
食われるだけならまだいいが、中には人間を嬲って楽しむ悪趣味な種もいるらしい。
「だからと言って、化け物の玩具になってあげる気はさらさらありませんけどね」
空に稲光が煌めく。
自然の雷光ではない。暗闇も相まって姿も見えないほどの上空から放たれたアーデルハイトの雷が、まるで地上を撫でる神の手のようにその射線上にいる魔物達を焼き払っていく。
突然の大打撃に何事かと、魔物達の進軍速度が遅くなる。
知恵のあるもの、上空に攻撃ができる者は突如襲来した災害に対して反撃を試みた。
魔方陣が広がり、空中に向かって炎が放たれる。
小粒のような大きさの箒は高速で移動してそれを避けながら、またも巨大な雷を持ってして敵の数を一度に三十匹は削って見せた。
「まるで爆撃機ですね」
と、感心ばかりをしている場合でもない。
立ち止まったのは後方にいる知能のある魔物達。前衛を走る連中は自分達の背後で起こった悲劇など素知らぬことと、目の前の獲物を打ち取るべくラニーニャのすぐ傍に迫っていた。
「海の上のラニーニャさんは無敵です。ここは生憎陸上ですが」
ギフトを発動させる。
胸の奥が熱を持ち、魂に刻まれたその力が具現化する。
この世界に来たエトランゼが等しく持つ異能の力。
例え誰に教えてもらわなくても理解する。その力の特性と使い方を。
足元にある水たまりから水が伸びて、ラニーニャの両手に収まる。
頭の中で想像した通り、それは普段使っている愛用のカトラスと同じだけの大きさになって握られていた。
「雨の日は最強ですよ」
正面から迫る獣人、コボルトに躍りかかる。
擦れ違いざまに、舞うような回転斬りが同時に三匹の脇腹を切り裂いてそのままラニーニャは群れの中に飛び込んだ。
武器を振り上げて迫るもう一匹の喉を貫き、背後から襲いくる輩を後ろ回し蹴りで弾き飛ばす。
距離を離したのも束の間で、すぐさま態勢を崩した相手との距離を詰めると、喉元に水の刃を突き立てて殺害した。
「死ぬ前にいいもの見れたでしょ?」
その調子で次々とコボルトを斬り倒していくと、やがて敵の群れは次の段階に移行する。
ラニーニャはいつの間にか敵陣の深くまで斬り込んでいた。コボルトでは彼女を止めることは叶わず、既に倒された数は十を遥かに超えて二十に迫る。
その間にもアーデルハイトの爆撃が容赦なく魔物達を襲い、一度に十単位で消し飛んでいった。
「反則ですよ、あれ」
そうは言うが、心強いのは確かだ。自分が巻き込まれる危険性さえ考慮しなければ。
低い唸り声と共に、目の前に迫るのはラニーニャの二倍ほどの身長を持つ、筋肉質な身体の人型の魔物だった。
簡素な布を持ち、棍棒を構えてラニーニャを迎え撃つその生き物の足元に潜り込み、下から上に一気に足を切り裂いていく。
相手の身体がよろけたその隙に背中に回り、そこに水の刃を突き立てた。
「倒れない!?」
斬った傍から身体が再生していく。
その魔物の名はトロール。
オーガ並みの体格を持ち、彼等よりも知能は低いが高い再生能力を持つ。
「せいやぁ!」
背中を斬りつけても、危険を押して正面に刃を走らせても、トロールは全く動じた様子はない。
振り下ろされた棍棒を避けると、代わりに背後からラニーニャに襲い掛かろうとしていたコボルトが哀れにも脳漿を撒き散らしてその頭を弾けさせた。
続いての薙ぎ払いも、飛び上がって回避したラニーニャの傍に集まっていた複数の魔物達が纏めて吹き飛ばされる。
トロールは目の前に飛び回る羽虫のようなラニーニャを狙うと決めたようで、その為なら被害など知ったことではないようだった。
「これは、村に入れるわけにはいきませんね……。遅い!」
二刀がトロールの腹を切り裂く。
しかし、どれだけ深く刃を沈ませようが、その圧倒的な再生力に邪魔されて相手を戦闘不能に追い込むことはできなかった。
「こういう時こそ爆撃娘の出番じゃないんですか!」
それまで注視していなかった空を見上げて、ラニーニャは息を呑む。
アーデルハイトを背後から追うように、翼を持った巨大な影が飛んでいた。
前肢と一体化する肥大化した蝙蝠のような翼、全身を鱗に包まれた二本脚を持つ身体。
咆哮を上げる開かれた口の中には無数の牙が生え、あれに噛まれれば人間など一瞬で襤褸屑のようになってしまうだろう。
「……ワイバーン」
翼竜と呼ばれる、中型の竜。
竜種、所謂ドラゴンと呼ばれる生物はこの世界において特別な意味を持つ。
かつてラニーニャは、折角ファンタジーの世界に来たのだからと、ドラゴンを探しに行こうとふざけ半分でクラウディアに言ったことがある。
その時彼女は、あの恐れ知らずの少女にしては珍しく本気でそれを嫌がった。それは決して触れてはならない、神秘の生命だからと。
ワイバーンはその名の通り、ドラゴンとは区別されているためそれほどに強大な生き物ではない。
単純に魔物の一種として数えられているし、滅多にないことだが人里を襲うこともありえる。
だが、例え小型とはいえ竜は竜。その際の被害は甚大で、その戦闘力は並の魔物を遥かに凌駕する。
それがアーデルハイトに張り付くように飛んで、大きく翼をはためかせることで発生する風圧によって彼女を箒から吹き飛ばそうとしていた。
アーデルハイトは箒に跨って、強く柄を握ってそれに耐えながら、無茶苦茶な軌道で飛んでワイバーンを振り払おうとしている。
「……っとぉ! 人の心配してる場合じゃありませんね!」
振り下ろされた棍棒を水の剣で十字に切り裂き、そのまま踏み込んで勢いでトロールの手首から先を切り落とす。
怯んだその隙を塗って腹を蹴って距離を取ると、直前までラニーニャがいた位置にコボルト達の放った矢が突き刺さる。再生するとはいえ、トロールに当たることもお構いなしの射撃だった。
「まったく……!」
地面にできた水たまりに手を触れて、コボルトの方へと弾くと、空中でその飛沫は刃へと形を変えて、次々と突き刺さっていく。
そこに大きな影が、背後からコボルト達の頭蓋を砕いて乱入してきた。
黒い毛皮で覆われた大きな体躯に狼の顔。それは一見魔物にしか見えないが、ラニーニャはその正体を知っている。
「なめくじさん!」
「その名前はやめろ!」
叫びながら、彼の持つギフトの力で狼男へと変貌したシュンは手に持った幅広の刃を持つ大鉈のような抜き身の刃で周囲の魔物を次々と薙ぎ払って行く。
「貴方達の持ち場はもっと村の近くのはずでしょうに」
「状況をよく見ろ、馬鹿女!」
「ばっ……!」
一瞬その腹に水の剣を突き刺してやろうかとも思ったが、改めて状況を見てラニーニャはその考えを改めた。
あちこち飛び回りながら戦っている間に、随分と村の近くまで前線が下がっている。一人で抑え込めるとは最初から考えていなかったが、これほどまでに勢いがあるとは思えなかった。
その理由の一つとしては、アーデルハイトが早期に無力化されてしまったことにある。彼女は今必死にワイバーンを振りほどこうと飛び回っていた。
「来るぞ!」
「言われなくても!」
次の波が来る。
手首を斬り落とされながらなおも戦意を失わず、それどころかラニーニャに復讐するために怒りを漲らせるトロールを先頭に、コボルト達の群れと、その背後には腐臭を放つグールの達が迫っていた。
「いや、ホント。魔物博覧会ですか? なんでこんなに」
「お前のところの大将が何かやらかしたんじゃないのか?」
シュンの言葉に、ラニーニャはムッとして自分より大分高い位置にある彼の獣の顔を見上げる。
「そんなわけないじゃないですか。あの人は女たらしで優柔不断で現場ではあんまり頼りになりませんけど、貴方にそう言われる筋合いはありません」
「……随分な言い方だな。まあいい。先頭の奴をやる。ついて来い」
「けっ。偉そうに」
返事を聞く前に、シュンはラニーニャより先行してトロールの前に飛び出していく。
目の前に現れた障害物を、トロールは手首がなくなった左腕を振るって吹き飛ばそうとするが、シュンはそれに大鉈を喰い込ませると、首筋に向かって倒れ込むように牙を突き立てる。
トロールの悲鳴が木霊して、シュンは即座に肉を噛み千切るようにして距離を取る。
「剣を横に!」
ラニーニャの声に反応して、シュンは大鉈の刃の部分を横倒しにする。
そこにラニーニャが両足で飛び乗った。
「さあ、ラニーニャさんのために働きなさい!」
「結局協力するんじゃないか」
「言い方の問題です言い方の。だから女の人にモテないんですよ。もっと優しくなればあのシスターだって……わひゃあ!」
真上にラニーニャの身体が発射される。
シュンは横合いから迫るグール達を薙ぎ払って、一瞬上空高くに視線を奪われたトロールの腹に大鉈を叩きつける。
トロールはそれを左腕を犠牲にすることで防ぎ、残った右腕でシュンの首を掴み、落としにかかった。
「ぐ、おおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
シュンが咆哮し、トロールの肩に大鉈を振り下ろす。
防御を捨てたトロールはそれを受けてよろけるが、それでもまだ致命傷には至らない。
「ずばああぁぁぁぁん!」
空中から落ちてきたラニーニャが、頭部からトロールの身体を真っ二つに切り裂いた。
勢いと全体重を乗せた水の剣は頭頂部から股下までを綺麗に切断し、流石の再生力を誇るトロールも生命活動を停止して倒れた。
大物を一匹仕留めても敵の攻撃は止まらない。今度は数を頼りに、二人を魔物の群れが包囲する。
ラニーニャは敵の包囲を抜けて、シュンのすぐ傍にやって来た。
「巻き込まれたくなければ下がってろ!」
「いや。さっき空中でちょっと見えたんですけどね」
ラニーニャは、空でワイバーンと戦っているアーデルハイトを指さす。
上空に跳ね上がったとき、本当に偶然ではあるが同じく飛んでいる彼女と目があったような気がした。
そして、本来ならば絶対に理解でるはずもないのだが、本能的に彼女がトンでもないことをしでかそうとしていることも。
「あれ、こっちに来てないか?」
「やっぱりそう見えますよね!」
箒に跨ったアーデルハイトは、その柄をしっかりつかんで離さないようにしながら、高速でラニーニャ達の方へと飛んできている。
それの意味すること、彼女の狙いをラニーニャは悟っていた。
「じゃ。せーので行きますか。ラニーニャさんは右を」
「ちっ。仕方ない。だが、お前達の尻ぬぐいはこれきりだぞ」
「いちいち言い方がムカつきますね」
言っている間にも、風圧が迫ってくる。
周囲の魔物達もそれに気付いて進軍を留めようとするが、もう逃げている時間はない。
まず高速で少女が一人、箒に乗ったままラニーニャとシュンの間をすり抜けていく。
そして獲物を追ったワイバーンが迫りくる。
人よりも明らかに巨大な体躯を誇る翼竜は、空を飛ぶ獲物を一瞬見失ったものの、代わりに地上を這う愚かな人間二人を餌とでも判断したようだった。
その判断が誤りだと、思い知らせてやる必要がある。
「コンビネーション名は美女と野獣! 行きますよ!」
大鉈の上に飛び乗り、再びラニーニャが打ち上げられる。
高速で飛来してきたそれに、ワイバーンは反応することはできない。
擦れ違いざまに片羽を、ラニーニャの水の刃が切り裂いていく。
ほぼ皮一枚で繋がっているほどの損傷を受けたワイバーンは、上昇するだけの力を出すことができなかった。
地上に向けて斜めに墜ちるその先にいるのは、獣の顔をしたエトランゼ。
「潰れろ!」
シュンはその頭に大鉈を叩きつける。
頭蓋が叩き割られ、目玉が飛び出し、血を拭きだしながら大鉈はワイバーンの頭から長い首の半ばまでを叩き切った。
「ナイスキャッチ!」
ラニーニャは、急速に空中で向きを変えたアーデルハイトによって箒の上に回収されていた。そのままぶつかればお互いに命はなかったが、空中で急に動きが鈍くなったところを見ると、何らかの魔法を使ってくれたのだろう。
『墜ちろ、雷光。ライトニングブラスト』
彼女の先端に尖った宝石が嵌め込まれた、短槍のような杖から放たれた雷撃が、地上付近にいる魔物達を纏めて薙ぎ払う。
そのまま空中で向きを変えて、高度を落としてシュンのいる場所へと降り立った。
「なめくじさん。ナイスコンビネーション!」
「なめくじって呼ぶな!」
ぐっと親指を立てるラニーニャ。
「仲良くしなさいな。……随分と押し込まれたわね。なめ……えっと、ごめんなさい。名前はなんて言うの?」
「……シュンだ」
言いながら、アーデルハイトはローブの裾から次々と魔法を使うための道具を取り出していく。
「ここはいいから、村の方に戻って」
「人が助けてやったってのに……!」
「ええ、その件は感謝してるわ。でも貴方が助けるべきはわたし達ではなくて村の人でしょう?」
アーデルハイトに正論で言い負かされて、シュンは黙って踵を返した。事実彼がいなくては村人も、彼の部下のエトランゼもまともに戦うことは難しい。
シュンの姿が消えてから、アーデルハイトとラニーニャは二人で同時に未だ数を減らしていない魔物達を見据える。
「ここが正念場ね」
「ええ。またお空の上ですか?」
「なら楽なのだけどね」
溜息をついて空を指さす。
仲間がやられたことで激高したのか、空にはまだ二匹のワイバーンが飛び交っていた。
「あれも村に入れられない。ここで落とす」
「では。ニューコンビ結成ですね」
「まあ、別に良いけれど」
戦いは終わらない。それどころか戦場は更なる深みへと変貌し、沼のようにその場にいる者達を引きずり込もうとしていた。
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