第三節 アシュタの村にて
「先代のシスターからお話しは伺っていて、ずっと来るのを待っていたのですよ」
歩きながら、アンナはそう切りだした。
「……シスターは?」
「……今から半年ほど前に、魔物の襲撃にあって……」
最低限石で舗装された道を進み、案内された先は村の中で一際目立つ教会だった。
よく整備された花壇と、休憩用のベンチが立ち並ぶ石造りの教会の正面を通って、アンナは二人をその裏手に案内する。
ヨハンはその道筋に疑問を覚えることもないようだったが、後をついて歩くラニーニャはしきりに首を傾げている。
やがて一行は教会の裏手にある大きな建物に辿り付いた。
そこは二階建てで、広く取られた庭を見ればちらほらと人影が動いている。
よく観察するとそこでベンチに座り日向ぼっこをしている人達は、普通とは様子が違った。
杖をついて歩く子供、片足がない青年。
その他にも健常とは言い難い人々が、そこで働いているであろう人々の手を借りて生活している。
しかし、そこに不思議と悲壮な雰囲気はあまりなく、どちらかと言えば穏やかな空気が漂っていた。
「驚きましたか?」
ラニーニャを振り返って、アンナはそう尋ねる。
「傷病施設ですか? こちらの世界に来てから、あんまりそう言うのは見たことがなかったので」
小さな病院などはあるが、そう言った人々を保護する施設の話はあまり聞いたことがなかった。大抵は家族が世話をするのが普通と考えられている。
先にヨハンから話を聞いたときも、病院のようなものだと勝手に想像していた。
「ここにいる人達は大半が身寄りのない人達です。重い病気にかかったり、戦いで重傷を負ったり……一人になれば死んでしまっていた方もいたでしょう。ですが先代のシスターがそれを憂い、教会から一部の寄付金を融通してもらうことで、この施設を造り上げました」
杖をついて歩いている子供が、アンナの正面を横切ろうとしてぺこりと頭を下げると、彼女は笑顔で手を振って応える。
他にも庭に集まっていた人々はアンナを見つけては口々に挨拶や、日ごろのお礼の言葉を口にする。
一頻り挨拶が終わってから、アンナは改めてヨハンとラニーニャを振り返った。
「それでは行きましょうかヨハン様。彼女はもうずっと、貴方様を待っていましたから」
広い玄関を通り抜けて、建物の中に入る。
木造の建物は大人が足を踏み入れたことでその床に小さな軋み音を立ててラニーニャ達を迎え入れた。
受付のシスターと軽く挨拶を交わして、廊下を渡って奥へと進んでいく。
太陽の光が差し込む窓が並んだ廊下を歩いていると、病室からは病人や怪我人たちが痛みで呻く声に交じって、それらを励ます言葉が聞こえてくる。
勿論それだけで何かが解決するわけではない。所詮、言葉は言葉に過ぎない。
それでもきっとこの施設は、ここに勤めている人々はそうやって多くの人を救ってきたのだろう。
やがてアンナが一つの扉の前で立ち止まる。
優しい手つきで彼女が扉をノックすると、部屋の中からは「どーぞ」と、舌足らずな女性の声が返って来た。
やっぱり浮気旅行じゃないか、とからかおうとして、ラニーニャはやめる。
その声を聞いたヨハンの表情が、これまでの彼女は一度も見たことがないほどに、悲壮に塗れたものだったから。
「ヨハンだ。久しぶりだな……イブキ」
その名を聞いて、ラニーニャは心臓が跳ね上がる。
それは、ハーフェンにいた彼女も何度か話に聞いたことがある、エトランゼ達の英雄の話だ。
もっとも、ラニーニャがこの世界に来る前に消息を絶ってしまったので、半分ぐらいはデマの類だと思っていたのだが。
自由奔放で、幾つもの問題を解決するエトランゼ。強大なギフトを持ちながら決して驕らず、困っている人々に手を差し伸べる。
彼女はエトランゼ達を元の世界に戻すべく、仲間達と一緒に北の大地へと旅立った。
その消息が残っているのは北方に位置するとある国の小さな街までで、それより更に先、人が決して足を踏み入れぬ大地に辿り付いた結果……。
「生きていたんですね」
その呟きは誰の耳にも入らなかった。
彼女は消息を絶った。だからもう、一般的には死んだと思われていた。
ヨハンがノブに手を掛けるよりも早く、勝手に扉が開く。
そこから姿を現したのは黒髪の、何処かあどけない表情をした一人の女性だった。
年齢はラニーニャと同じぐらい、十台の後半から二十歳前後だろう。後ろに束ねた髪を揺らしながら、嬉しそうにヨハンの手を引いて部屋の中へと引っ張り込もうとする。
「よーくん! 久しぶり、よーくん! ずっと待ってたんだよ!」
「あ、ああ。すまん、仕事が立て込んでてな」
「……よーくん、仕事してたの?」
「始めたんだ」
「そうなんだ。じゃあお仕事の話聞かせてよ。これまで来なかった間の分もずっと! いいよね、シスター・アンナ?」
尋ねられて、アンナは頷き返す。
「ええ。わたくしが許可を出しますよ。ずっと会いに来なかった人を困らせてしまってください」
「はーい!」
二人を飲み込み、部屋の扉は閉じられた。
「少し、お茶でも如何ですか?」
呆然と立ち尽くすラニーニャにアンナはそう提案する。
それから少し後、二人は一階にあるロビーで冷たいお茶を飲みながら、向かい合ってテーブルに付いていた。
目の前に置かれた薄い赤色の紅茶の水面を見つめ、どう話を切りだしたものかとラニーニャが悩んでいると、アンナから先に喋りはじめた。
「わたくしも先代から聞いただけで、詳しいことは判ってないのですが」
そう前於いて、アンナは語りはじめる。
「イブキさんはエトランゼで、とても大きな価値のある旅をしてきたのだと聞いております」
「……はい。エトランゼの希望を背負った旅と、伝わっています」
「そしてその旅は失敗に終わったと。北の地で彼等は決して触れてはならないものに触れて、一緒に旅をした仲間達は皆……」
正確にはヨハンとイブキの二人を除いてだが、それ以外の仲間達が生きているという話は全く伝わってない。
「ヨハン様も昔は強大な力を持っていたと聞きました。ですが、全てを失ってしまったそうですね。そして、イブキさんも」
アンナは一度紅茶に口を付けて、それから少し間を置いて話を再開した。
「心が壊れてしまったと、わたくしは聞いています」
「……はい」
一瞬しか見えなかったが、彼女のその笑顔には奇妙な違和感があった。
幼げな可愛らしさを秘めていると言えば聞こえがいいが、それがとても彼女ぐらいの年齢の女性が浮かべるものとは思えなかったのだ。
勿論それを個性と言われればそこまでの話だが、それはラニーニャが抱いていたイブキのイメージと余りにも違う。
そして、この傷病施設に彼女が預けられていることからその糸は簡単に繋がった。
「ヨハン様は先代に多額の寄付をする代わりに、彼女がここにいることは誰にも悟られないようにと念を押したそうです。わたくしは先代からそれを引き継ぎ、できるだけ人目に付かないように彼女のお世話をしてきました」
伝説となったエトランゼが生きていたとしたら、世の中にどんな影響が出るのかは判らない。シュンのような連中が、彼女等を担ぎ出そうとする可能性すらありうるだろう。
そこまで考えて、ラニーニャはヨハンがここに来た理由にまで至った。
もし暁風がイブキの存在を知ったら、間違いなく彼女の身柄を求めるだろう。自分達の元に人を集めるための旗印として。
「あの、暁風の人達に彼女のことは」
アンナは首を横に振る。
「ご安心ください。わたくしも彼女がエトランゼに与える影響は判っているつもりです。と言っても、先代から伝え聞いた限りではありますが。……本当に、彼女がエトランゼの英雄と知っているのはわたくしだけで」
「……そうですか。それにしてもこの施設でよく隠し通すことができていますね」
「彼女には苦労を掛けることになっていますが、意外となんとかなるものですよ」
そう言って笑顔で彼女は言及を避ける。ひょっとしたら見た目以上に強かな部分があるのかも知れない。
「……それで、その。イブキさんが治る見込みはあるんでしょうか?」
「正直、判りません。心を失ってしまった人に対しての治療と言うのは、わたくし達よりも文化が進んだ貴方達の世界でも難しいのでしょう?」
「……それは、はい」
「本来ならば家族が見ているのが一番だと思うのですが、エトランゼではそうもいきませんし。或いは、強力な魔法があれば精神の傷も修復すると聞きますが、それだけの使い手は滅多にいるものではありません」
ラニーニャは深く頷いて、自分の分の紅茶を飲んだ。
爽やかな香りが口の中に広がるが、気持ちが晴れることはない。
「――ああ、もう」
余計なことを知ってしまった。
下手な好奇心と、ちょっとした下心で付いてくるべきではなかった。
「シスター・アンナ。少しお時間いいですか?」
余所からの声にアンナはそちらの方に顔を向けて、何やらやり取りをして、急に席を立ちあがった。
「すみません、ラニーニャさん。これから少し出なければならなくなって。ヨハン様が戻るまでの間はここにいてもらって結構ですので」
「ああ、はい。判りました。大変ですね」
「いいえ、好きでやっていることですので。これも神が与えてくださった天職と言うものでしょう」
柔和な表情を見せて、立ち上がって早足で歩いていくアンナ。
ラニーニャはそのまましばらく、冷たい紅茶を飲みながら佇み続けていた。
▽
ヨハン達から遅れること丸一日。
カナタとアーデルハイトはアシュタの村に到着してすぐに様子がおかしいことに気が付いた。
村の入り口になっている柵の間から入り込んだ二人を見て、見張りと思しき青年は凄まじい形相で睨みつけてから、何事もなかったかのように息を吐いた。
彼以外にも道を歩く人々達の様子はおかしく、誰もが何かに怯えたような態度を取っている。
「あの」
武装をして、歩哨代わりをしている青年に声を掛けると、一度は驚いて目を見張ったものの、以外にも普通の対応が返って来た。
「やあ。アシュタの村にようこそ。旅人かな?」
カナタとアーデルハイトの二人を見て、青年は柔和な態度でそう答えた。
「は、はい。それで、つい最近この村に誰か来ませんでした? ローブを来た男の人なんですけど」
「ん、ああ。シスター・アンナのお客さんのことか? 若い男と女の二人組だろ?」
それを聞いて、カナタは斜め後ろに立つアーデルハイトを振り返る。
「若い女?」
「ありえない話ではないわ。むしろより本人である可能性が高いわね」
あんまりな言い方だが、カナタもそれは否定しない。
「それで、その人はまだ村にいますか?」
「多分いるんじゃないかな。シスター・アンナの教会だとは思うけど……。でも悪いことは言わないから、今日のところは出直した方がいいよ」
「どうしてですか?」
「それは……」
青年が説明するよりも早く、村の外の方から下品な声と共に粗野な足音が幾つも響いてくる。
それを聞いた村人達は身を固くして、ある者は家の中に逃げるように入っていく。
それまで走りまわっていた子供達も、親に身体を抱えられるようにして静かにさせられていた。
先頭を歩くのは、豪華な身なりをした髭面に、薄くなった髪をした男だった。昼間から酒を飲んでいるのか赤ら顔で、上機嫌そうに笑っている。
彼が村に入ってくると、カナタと話していた青年は慌ててその前に駆け寄って、膝を折る。
「こ、これはアレクセイさん。お久しぶりです、今日は何の御用でしょうか?」
「にょほほほほっ。しっかりとおれ様を出迎えることができるとは、下等民族にしては躾がなっているではないか。褒めてやる」
「あ、ありがとうございます」
「しかしなぁ。何故におれ様が貴様のような下等民族にいちいち用件を言わねばならぬのだ!」
そう言ってアレクセイは青年の胸倉を掴むと、無造作に地面に放り投げた。
青年が無様に地面を転がり、アレクセイを見上げると、放り投げた本人は既に彼から興味を失ったのか、村の中へと視線を這わせる。
「景気の悪そうな顔をしている下等民族諸君に朗報であるぞ! 本日はここで、アレクセイ様が直々に貴様達から臨時徴収を行ってやる」
アレクセイのその言葉を受けて、村人達は一斉に息を呑む。
「ほれほれ、お前達のおれ様への忠誠心を試すチャンスであるぞ? 次々と金や食料を持ってくるがいい! 金目のものであれば何でも受け入れてやるぞー!」
アレクセイがそう言うや、彼の周囲に取り巻いていた男達が前に出て村人達に怒鳴りつける。
その声は完全に恫喝するためのもので、まかり間違ってもこれが公的な活動であるはずがなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよアレクセイさん!」
中年の男が慌てたように家から飛び出してくる。
その彼の後ろには男達が数人控えていた。
「この村からは徴税しないって契約だっただろ? そんなすぐに作物や金が蓄えられるわけじゃないし、知っての通りこの辺りは街道からも外れているから商売だって……」
「そうであるそうである! お前の言葉は正しい。だがな、下等民族よ。情勢は常に変化するもの、昨日までの真実が明日も通用するとは思わないことだ。こちらにも事情があってな」
「じ、事情って……?」
「旅芸人の一座と遊ぶのに金を使い過ぎてしまってなぁ! おれ様ほどの大物ともなれば部下の分まで出してやってしまったものだから! いや、自分の心の広さが恨めしい! お前に真似できるか? できないだろう? 気に病む必要はないぞ、おれ様は特別心の器が広いわけだからな」
「俺達、一生アレクセイさんに付いていきます!」「最高の体験、させてもらいやした!」「さっさと使った分回収しましょう!」
部下達の歓声を受けて、アレクセイは満足そうに中年の男を見る。
「つまりはそう言うことじゃ。これも運命、悪く思うでないぞ」
「そ、そんな理由で!」
「これ以上口答えするのかなぁ?」
アレクセイが中年の男を殴り飛ばし、彼は後ろに控えていた男衆に背中から突っ込み、どうにか受け止められた。
「おれ様は今金を求めてる。お前等下等民族はそれを差し出す。一度は魔物から命を助けてやったこと、忘れたわけじゃないだろーん?」
「そ、それは……」
「なぁ? 命を助けてやってのは誰だい? この偉大なアレクセイ様だろ? お前達が今日明日を生きて、馬鹿みたいに毎日毎日同じことして飯が食えるのもおれ様がいるからだろー? 違うのかなぁ?」
「それは、そうかも知れないけど……」
「まーだ、理解してないみたいだねー」
男達の中から無理矢理中年の男を引っ張りだすと、その胸倉を掴んでうつ伏せに地面に引き倒す。
その背を踏みつけて、アレクセイは更に言葉を続けた。
「うんうん。シュン君は立派だよねぇ。自分の拠点だったこの村からは徴税を控えてくれって、おれ様に直談判しに来たんだからね。その気持ちに答えて、今までこの村からは徴税を控えていたんだよ」
「この村からはって、どういうことだ?」
「この辺りには他にもお前等のお仲間が暮らす村があるでしょ? そっからちょっとね。まー、一つぐらいは潰れたけど、逃げようとした下等民族で存分に楽しんだから、あれはあれでよかったよね」
アレクセイが笑う。
それは、見るのも悍ましいほどに欲望と嗜虐心に溢れた笑みだった。
「でもそれも今日で終わりなりー。さあさあ食料か金か、女を差し出そうね」
その一声を受けて、部下達は手近な家へと近付いていく。
「や、やめてください! 判りました、作物を差し出しますから!」
「にょほほっ、最初からそうしてればよかったのに。でもさぁ!」
うつ伏せに倒れたままの男の腹を、アレクセイが蹴り飛ばす。
「うぐっ!」
「遅いよねぇ! 遅すぎだよ君達ぃ! おれ様がここに来たらすぐにお金と食料を準備しないとさ、そんなんじゃ社会人失格だよねぇ! 言われる前にやる、これ基本! 手を煩わせた罰として、女も頂いてくよ!」
言いながら、なおも蹴り続けるアレクセイに、遂にカナタの堪忍袋の緒が切れた。
無言で止めようとするアーデルハイトを振り切って、カナタはアレクセイの傍へと近寄っていく。
「なんだい君は? あ、あ、あ、ひょっとしておれ様のファンかなぁ?」
「貴方が何処の誰だかは知らないけど、やってることが酷過ぎるよ!」
「にょほほほっ! これは勇気のあるお嬢さんだ! いいよぉ、そう言う子は好みだから、おれ様の恋人にしてあげてもいいよ」
「やだよ! それよりも、やってることが無茶苦茶だよ!」
「あー、そっかそっかぁ。お嬢ちゃんまだこの世界に来たばっかりで常識を知らないのかぁ? だったら教えてあげるよ、君もエトランゼだろ?」
下卑た笑いを浮かべて、アレクセイは村人達を見渡す。
「こいつらは力を持たない下等民族……家畜と一緒なの。家畜ってのは牛や豚のことね。だからなにしてもいいんだよ」
「同じ人間だよ!」
「そうかなぁ?」
アレクセイが睨みつけると、村人は怯えた様子で後退る。
「同じ人間同士なら、なんでおれ様に怯えてるのかなぁ? これって向こうから上下関係を示してるのと一緒じゃない?」
「そんな風に脅かしたらだれだってそうするよ。とにかく、これ以上酷いことするなら、ボクが許さないから!」
「にょほほっ! 許さないだって! 可愛いねぇ。一体何してくれちゃうのかな?」
「あ、アレクセイさん! こいつ……!」
取り巻きの一人がアレクセイに近付いて小声で何かを吹き込む。
それを聞いてから、アレクセイは陰惨な笑顔を更に深めた。
「ふーん。君がエトランゼの英雄か。それは確かに、おれ様の物になるのにぴったりだ。よし、こうしよう。君がおれ様の元になるなら、この村では何もしないことにするよ」
「だからやだって!」
「いいのかな、そんなこと言ってぇ? ほらほらぁ、おれ様と話してる間にも、部下達が色々と奪っちゃうかもよー!」
それを合図にするように、アレクセイの部下達は家の中に押し入って金品、食料、果ては女性までも無理矢理に連れ出し始めた。
「やめなさい!」
あちこちで一斉に蒼雷が爆ぜて、アレクセイの部下達の動きを押し留める。
これまで動きを静観していたアーデルハイトもまた、いつの間にか戦闘態勢を整えていた。
「見るに堪えない。それ以上やるつもりなら、わたしも相手になる」
手に持った短槍型の杖を中心に、紫電が走る。
「なんだこのガキは!」
「ギフトじゃねえな……。魔導師って奴か!」
「なんでもいい! これだけ綺麗な顔してりゃ、たっぷり楽しんだ後、高く売れるだろうよ!」
「お前ロリコンかよ! ギャハハハハッ!」
部下達の興味はアーデルハイトに移ったようで、彼女の周囲を取り囲み始めた。
誰かが何か一言でも言えば戦いが始まりそうなほどにお互いの空気は張りつめている。
村人達が固唾を飲んで見守るその空気を打破したのは、一人の女性の声だった。
「おやめください、アレクセイ様!」
人垣を割って、慌てて飛び出してきた銀髪のシスターは、カナタとアレクセイの間に割って入った。
「おぉー。君は確かシスター・アンナだったね? 相変わらず綺麗でびっくりするよ。あの婆シスターが死んで、君に代替わりして本当によかった」
アンナと呼ばれたそのシスターはアレクセイの言葉に一瞬悲壮な表情を見せたものの、すぐに必死に形相になって彼の前に跪く。
「アレクセイ様。この村には知っての通り傷病者も多数いるのです。彼等の中には貴方と同じエトランゼだって!」
「にょほほっ! 怪我をするような弱いエトランゼなど死んでよろしい! むしろその方が本人のためでしょう。この地は弱者が生きるには厳しいのだから」
「そんなお言葉はあんまりでしょう!」
「力あるものが生きて弱者は死ぬ! それでいいのです! それこそがこの世界の掟なのですよぉ! さあさあシスター・アンナ。おれ様と一緒に来ましょう? 共にエトランゼと下等民族との間の懸け橋となろうじゃないですか! もっとも、もう既に何人かは生まれてることだとは思いますけどね!」
「……貴方様は!」
「そこまでだ」
また異なる人物が、アンナとカナタを後ろに押し退けるようにして前に歩み出る。
今度はカナタもアーデルハイトも彼に見覚えがあった。
「ヨハンさん!」
「……なんでお前達がここにいるかの言及は取り敢えず後回しだ」
ヨハンはそう言って、アレクセイと向かいあう。
「はいはい。アーちゃんさんはこっちに来ましょうね」
と、ラニーニャがアーデルハイトを抱えるように包囲から脱出させる。その間も視線でアレクセイの部下達を牽制することは忘れていない。
「今度は何かな? まったく、この村は変なことばっかり起こって、おれ様はもう疲れてきちゃったよ」
「イシュトナルのヨハンだ。シュンの所属している暁風のトップはあんたで間違いないな?」
「んー、暁風? ああ、そうだそうだ。おれ様がその組織の指導者だよ。でもまぁ、そんなちんけな名前なんてあってもなくてもどっちでもいいんだけどね」
「どういうことだ?」
「いちいち説明するのも面倒くさい! 自分で考えな」
「……まあいいか。とにかく、ここでの暴虐は見過ごせん。これ以上やるならこちらも武力行使に出るぞ」
「ふーん。ほぉーん? ……いいよ、今日のところは疲れたし、帰ろ」
「あ、アレクセイさん!? こんな奴等やっちまいましょうよ! 女もいるし、むしろチャンスじゃ……ひっ」
口答えをした部下を、アレクセイは一睨みで黙らせる。
「お前等がもっと有能なら、それもできたんだけどなぁ。でもここでおれ様に口答えするならもういらないかなぁ?」
「そ、そんなこと言わないでください! アレクセイさんに付いていきますから!」
「ふんっ、判ればいいよ、判ればね。それじゃあ、帰るよ」
アレクセイは予想外に簡単に踵を返し、その部下達は慌ててその背中を追いかけて村から出ていく。
アンナが一先ずは安堵の息を吐いて、そのまま村人達を安心させるために言葉を掛けていく。
その中で、ヨハンとカナタはお互いに向かいあってほぼ同時に言葉を発した。
「なんでここに来たの?」「なんでここにいる?」
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