第二節 友と行く道

 ヨハン達から遅れること数時間後に、アーデルハイトとカナタはイシュトナルを立った。

 ご丁寧に先日のうちに休暇申請をしていたらしく、サアヤからそれを聞いた二人は付いてきたそうな彼女を置いて一目散にその後を追いかける。

 しかし、途中の街で馬車に乗り損ねて待たされたことで、ようやく乗れた馬車を降りたときには既にすっかり日が暮れていた。

 そんなわけで二人は道中にある街の宿屋の一室にいた。

 スプリングがしっかりと聞いた柔らかいベッドと、簡素な家具がある二人用の部屋は居心地がよく、開け放たれた窓からは夜の風と未だ人が多い繁華街からの声が流れ込んでくる。

 部屋の中心にあるテーブルに付いた二人は何処か気だるげな雰囲気の中、運ばれた食事を前にして取り止めのない話に興じていた。

「ん、これも美味しい」

 パンと、野菜がたっぷり入ったシチューに舌鼓を打ちながら、カナタは上機嫌で食事をしていた。

 一方のアーデルハイトはカナタの言葉に相槌こそ打ってくれるものの、何か別のことを考えているようで、食事に集中しきれていない。

「どしたの? 何か考えごと?」

「……そうね」

「まー、どうせヨハンさんのことだろうけど」

「それは……。そうだけど」

 アーデルハイトがヨハンに好意を抱いているのは、最早誰が見ても明らかだった。ここ数日に色々あって焦っているのか、態度に出ることも多くなったような気がする。

「なんで黙って行っちゃったんだろうね? しかも仕事じゃなくて休暇でしょ? なーんか、怪しいよね」

「……ええ」

 こくりと頷いて、アーデルハイトは静かに食事を始めた。

 多分、ヨハンが黙って出ていってしまったことがショックなのだろう。気持ちいつもよりも元気がない。

 静かなのはいつものことだが、それなりの付き合いになって来たカナタにはアーデルハイトの機嫌が空気で判るようになっていた。

 こういう時は楽しい話題をするに限ると、カナタはずっと疑問に思っていたことを聞いてみることにする。

「ねえ、アーデルハイト」

「うん?」

 水の入ったグラスに口を付けて中身を飲みながら、アーデルハイトが視線で応じる。

「いつからヨハンさんのこと好きになったの?」

「ぶっ、げほっ! 何を突然……!」

 噴き出した水がテーブルの上のパンやスープに飛び散る。カナタの顔にも少し付いたが、気にせず服の袖でそれを拭った。

「汚いなぁ」

「突然変なことを聞くからよ」

「変なことかなぁ? 恋バナだよ恋バナ。年頃の女の子にはつきものじゃん」

「……そうなの?」

「あ、そっか。アーデルハイト、友達いないから判らないんだ」

「わたしの心を無駄に抉るなら泣くわよ。ここでそれはもう、鬱陶しく」

「それはそれで見てみたいかも……」

 両手でグラスを持って咽た所為か、涙目のアーデルハイトは可愛らしい。もう少しいじりたいが、それよりも本題の方が気になった。

「それで、いつ?」

「えっ、この話続くの?」

「続くよ。朝まで」

「おやすみなさい」

「まだ寝る時間じゃないじゃん」

 宿屋に二人、しかもカナタはまだ元気。

 助けは来そうにないので、アーデルハイトは観念して椅子に座り直し、改めて食事を再開する。

 千切ったパンを口に運びながら、ゆっくりと彼女は語り始めた。

「……別に、具体的にいつと言う記憶はないわ。おじいちゃんと一緒に暮らしてて、どちらかと言えば最初は嫌いだったもの」

「へぇ。なんで?」

「……あらゆる面で、彼のギフトは既存の魔導師を遥かに凌駕していたの。わたしの数年で学んだ遊び程度の魔法ならそれでよかったけれど、尊敬していたおじいちゃんを簡単に超えてしまったことに対しては受け入れることができなかった。当時は子供だったからね」

「今も子供じゃん。いたいっ!」

 ばちんと手元で火花が散って、カナタは恨めし気にその部分をさする。

「それからまぁ、色々あって。悪い奴じゃないって判って、後は成り行きと言うか、一緒に暮らしてるうちにね」

「えー、なんか普通だなぁ。もっと面白いエピソードとかないの?」

「なくはないけど黙秘するわ。子供の頃の話だし、恥ずかしいことも多いもの。……でも、そうね」

 アーデルハイトはなにやら考え込んで、それから少し照れたように口を開く。

「その気持ちを自覚したのは、彼がわたしの前を去るときよ」

「それって、その……。イブキさんってエトランゼと旅立ったとき?」

「そうよ。あの時は……我ながら酷い有り様だったわ。彼のローブにしがみついて、泣きながら自分も連れていってくれって必死で頼みこんだの。荷物持ちでも何でもやる覚悟だったのだけど」

「だったけど?」

「いざその荷物を持ってみたら、重くて持ちあがらなかったわ。変な話だけれど、それで諦めて付いていくのをやめたの」

「なんか判るかも。子供のときって、変なことで諦めたりするよね」

 そう言ってカナタは苦笑する。アーデルハイトも同じように、幼い頃の自分を幻視しては小さく笑っていた。

「その時かしらね。寂しさを誤魔化すために、彼がいなくてもいい理由を必死で考えて、でも不思議なことに考えれば考えるほどいなくていい理由なんて幾らでも出てくるのよ。だって最初はいなかったんだもの、そうでしょう?」

「でもね」と、アーデルハイトは続ける。

 伏せた目と、昔話をして恥ずかしいのか赤く染まった頬は林檎のようで、元々綺麗なその顔と合わさっていつもよりも可憐に見えた。

「いなくてもいいけど、いてほしい。必要ないはずなのに傍にいてくれないと駄目。なんとなく、自分の中で彼が特別な存在だって言うことは理解したわ。……その感情の名前を知ったのは、もう少し後のことかしらね」

「……なんか」

 カナタはスプーンを持ったまま、その話に聞き惚れていた。

 自分が経験したことのない世界の話が、とても眩しいものに思える。

「聞いてるこっちが恥ずかしい」

 だから、そう言ってその感情を一度何処か違うところに置いておこうとした。

「自分から聞いておいて!」

「むぐー!」

 伸びてきた手が容赦なくカナタの頬を引っ張る。

 そうしてしばらくの間二人はじゃれ合って、息が切れたころにいい加減冷めてきた食事の残りを片付ける。

 そして両方の皿が空になって、食後に一杯の水を飲もうと水差しからグラスに注ぎながら、アーデルハイトはカナタに尋ねた。

「貴方はどうなの?」

「……何が?」

「してるでしょう、恋?」

「ボクが? してないよ、多分」

 少し声色が高くなる。

 はぐらかそうとして失敗した証拠は、言った本人にもよく判った。

 だから、それはきっとアーデルハイトにはばれている。

 別段責めるわけでもなく、ただこちらをじっと見つめる彼女の睨むような目線は、心の中をカナタ自身に向けて暴きだしていく。

「……正直、判んない」

 でも、カナタは答えを出すことを拒んだ。

「最近ね、変なの。ヨハンさんと一緒にいると前以上に安心するっていうか、むしろいないときが変に不安になるみたいで……」

 ハーフェンでの一件の辺りからだろうか、カナタがヨハンに対しての気持ちに変化が訪れたのは。

 探しに来てくれたことが嬉しかった。助けるために手を伸ばしてくれたことで心が温かくなった。

 ダンジョンでは自然に彼に甘えることができた。これまでよりも傍にいたいと、素直にそう思った。

 そして、先日の祭りの日。

 エレオノーラの心配を第一にした彼を見て、カナタの心にわだかまるものがある。それはきっと表に出してはいけない感情で、必死に心の中にしまっておかなければならないもの。

 では何故、そんな気持ちが生まれたのか?

「……でも、ボクはいいよ」

「どうしてよ?」

「この気持ちが本当にそうなのか判らないし、何よりヨハンさんにはみんながいるから」

 アーデルハイトにサアヤ、エレオノーラとそれから今一つ本気なのか判らないクラウディア。

 彼女等を押し退けてまでどうこうしようとは、カナタには思えなかった。

「昔も似たようなことがあってさ。いや、ボクのことじゃないんだけど、ボクの友達がね、すっごく綺麗で男の子にモテて、それで告白とかされてたんだけど」

 何処にでもある、学生の青春の一幕。

 ある女生徒が男子生徒に恋をした。

 男子生徒はまた違う女生徒に恋をしていた。

 その相手が、カナタの友人だった。

 たったそれだけの話だ。

「そこから色々と拗れちゃってね。だからなんか、恋愛とかそう言うのって怖いなーって思っちゃって」

「そんな狭い世界の価値観で話をされてもね。カナタの友達とその男は恋仲になったの?」

「ううん、断ったよ。その子、気難しいし基本的に人間嫌いだったから」

「だったら最初の女の子が自分を磨いて、その振られた男をものにすればよかったんじゃないの?」

「……まぁ、そうなんだけどさ」

 その辺りの複雑な感情を上手く説明することはできそうにない。

「でもまぁそうだよね。うん、その友達も同じこと言ってたよ。次の週には靴を隠されてたけど」

「靴を……?」

「ごめん、気にしないで。でも、前も言ったけど本当に……アーデルハイトに似てた気がするなぁ」

 過去を懐かしむように、カナタはそう言った。

 もう会えない、思い出の中だけの存在となってしまった友人の顔は、今でも鮮明に思いだすことができる。

 そうして一人物思いに耽っていると、テーブルの向かい側から伸びてきたアーデルハイトの手が、再びカナタの頬を抓む。

「貴方の目の前にはわたしがいるのよ。ちゃんと相手しなさい」

「いたたたっ! 判ったよもう。やきもち妬きなんだから」

「……やき? とにかく失礼でしょう。……お友達と会えないことには同情するけれど」

「うーん。元気でやっててくれるといいんだけどなぁ。アリスったら本当に人と話すの下手だからなぁ。一人ぼっちになってないといいけど」

「……自分が異世界にいるのに、友達の心配をするの?」

 客観的に見ればカナタの方が遥かに危険で大変な状況にいる。

 現代社会で普通に生きている分には明日の食事の心配もなく、命のやり取りをしなくても生活していくことはできるのだから。

 不思議とカナタにはその友人のことが気になった。しかしそれは何も彼女に限った話ではない。

「変かな? って言ってもアーデルハイトのこともそれなりに心配してるよ」

「なにを?」

「ボクしか友達がいないところとか」

「今ので唯一の友達もいなくなったわ。さようなら」

「拗ねないでよ!」

 ふざけてベッドに潜り込もうとするアーデルハイトの服を掴んで止めて、それから二人で目があって、どちらともなく口元が緩む。

「貴方に心配されることではないわよ。余計なお世話というやつね」

「仕方ないじゃん、考えちゃうんだからさ」

「――ええ、判ってるわ」

 それがきっとカナタなのだろう。

 大多数の人が最初は持っていて、それでも生きていくにはそれが重すぎて。

 いつか無意識のうちに捨てていく、そんな想いをずっと持ち続けているのだ。

 だから、アーデルハイトからしてしまえばくだらないことで悩んで、立ち止まることもある。

 それでも。

「ねぇ、カナタ」

「……なに、改まって? アーデルハイトの顔がいいのは認めるけど、付き合うのはちょっと。いたいっ!」

 またも火花がカナタを焦がした。

 涙目になりながら文句を言おうとするが、今のは自分が悪いので口を噤む。

「難しいと思うけれど、一つお願いがあるの。貴方しか友達がいないわたしからのお願い」

「なに?」

 アーデルハイトの口調は真剣そのもので、彼女がどうして今そんな話をしたのかは判らない。

 多分、それはアーデルハイト自身にとってもそうだろう。ただ何となく、としか理由のつけようもない。

 だからこそ、その言葉はカナタの心に強く響いた。

「変わらないでいてね。ううん、違うわね。変わったとしても、貴方のその誰かを想う心を捨てないでいてね」

「…………」

 お互い見つめ合って、無言の時間が流れる。

 カナタは一度瞬きをしてから、いつものようにふにゃりとした笑顔をアーデルハイトに見せた。

「変わらないと思うよ。三つ子の魂百までって言うじゃん。そう簡単に変われないって」

「三つ子の魂?」

「ああ、ごめん。これ、ボク達の世界の諺で子供の頃の性格はそうそう変わらないって意味」

「ことわざ?」

「……そっから説明しないと駄目かー」

 それから二人は諺に始まり、カナタの世界の文化や技術など様々なことを話した。

 アーデルハイトも好奇心が強く、気になったことには次々と質問を繰り出して来て、カナタも昔を思い返しながらそれに答えていく。

 そうしている間にいつしか夜は深けて、最期は二人が同じベッドで、どちらともなく眠りについていた。


 ▽


 アシュタの村は、オルタリアに点在する村落の内の一つで、国土の南西に位置している。

 人が集まるオル・フェーズやイシュトナル、またソーズウェルやハーフェンに比べても人口は決して多くはなく、千人にも満たないほどだろう。

 木造りの家と畑が村の大半を占めており、他に目立つ建物は教会と、その先の小高い丘の上にある屋敷が一件ぐらいしかない村だった。

 野盗や魔物から身を護るための柵の間に作られた入り口から中に入ったヨハンとラニーニャを出迎えたのは、予想通りお世辞にも手厚いとは呼べない歓迎だった。

「何故お前がここにいる!」

 今にもこちらに掴みかかりそうな勢いでそう言ったのは、エトランゼの青年、シュン。ダンジョン攻略の際にほんの少しだけ関わった、ヨハンからすれば謂れのない恨みを向けられている男だった。

 彼は数人の取り巻きを連れてイシュトナルにでも向かうところだったのか、腰には剣を帯びている。

「お前が自由にイシュトナルに出入りできるように、俺が何処に行こうが咎められるいわれはないだろう」

「黙れ! お前みたいな裏切り者を信用できるか!」

「あらら、完全に頭に血が上っちゃってますね。それとも誰にでもこうなのでしょうか? でしたらラニーニャさんとしては入り口に猛犬注意の看板でも置いておいて欲しかったところですね」

「貴様……!」

「ラニーニャ」

 咎めるように名前を呼ぶと、ラニーニャは舌を出して片目を閉じる。全く反省していない。

「……以前も言ったが、俺はお前達と争う理由はない。穏便に事を済ませてくれ」

 両手を上げて戦う意思はないことをアピールする。

「そうですよ。二人っきりの浮気旅行なんですから、邪魔しないで……あいたっ!」

 これ以上余計なことを言う前に、ラニーニャの頭をぽこんと小突いておく。

「信用できるかと言っているんだ! どうしても村に入りたいなら条件がある。武器を全部おいて行け! それからそっちのエトランゼの女は俺達に従え!」

「やです。そんなことしてどうせエッチなことするつもりなんでしょう? ラニーニャさんが異常に可愛いから!」

「するか! せめてこいつを黙らせろ!」

「ラニーニャ。黙ってろ」

 納得したのかしていないのか、本当に身の危険を感じたのか、ラニーニャは黙ってすすっとヨハンの背に身を隠した。

「悪いがそれはできん。そっちが好意的な態度でないのは見れば判るからな」

「なら出ていけ!」

「それも無理だ。用件があって来たんだ。……この辺りを治めてるエトランゼがいるそうだな?」

「お前には関係ないだろう!」

「……関係ないことがあるか。ここはオルタリア南部の土地で、暫定的とはいえイシュトナルの支配下にある」

「人から掠め取った土地で何を偉そうに」

 どの口がそれを言うのかと言いたくなったが、ここは黙っておくことにした。

 そんなやり取りを続けているうちに、静観しているシュンの連れ合い達が今度は焦れてきたようだった。

「シュンさん! こんな生意気な奴等やっちまいましょう! アシュタはおれ達の土地だって思い知らせないと!」

 そう言ったのはシュンよりも若いエトランゼだった。その他にも背後で控える粗暴そうな男達は口々に「そうだぜ!」「何ならこいつの首をイシュトナルに送ってやろうぜ」などと、勝手なことを言い始めた。

 ヨハンはそれを凪のように受け止めるが、その背にいる危険物はそうはいかない。こちらの世界に来てから海の荒くれ者達に触れてきた彼女がカトラスを抜く怒りの沸点は物凄く低い。

「もう斬りますか? 女性に対してエスコートもできないなめくじ男はアレを切ってもいいって聖書にも書いてあります」

「嘘をつくな。荒事にはしたくない」

「何度も言わせるな、俺達は……!」

「まー、まー、シュンさん」

 そう言いながら軽やかな足取りで歩み出てきたのは、ウェーブが掛かった短髪赤毛の、何処か軽薄そうな印象を抱かせる男だった。

 顔立ちは整っているが頼りなさげで、今もへらへらと締まりのない笑みを浮かべている。

「はいはい。僕はテオフィルって言います。以後お見知りおきを」

 テオフィルと名乗った男はふらふらと頼りない足取りで、ヨハンとシュンの間にするりと入り込む。

「このままじゃ話は平行線ですし、今日のところはこっちが折れましょうよ。別に悪人ってわけじゃないんでしょう、この人?」

「そう言うわけにいくか!」

「いやいや、こんなところで延々と揉め事を起こして、アレクセイさん達に気付かれた方が厄介でしょ。ほら、今日のところは大人になってくださいよー、僕に免じて」

 テオフィルの口から出たアレクセイと言うなに思うところがあったのか、シュンは口を噤んで少しの間何やら考え込む。

 その間に周りを見てみれば、確かにヨハン達を取り囲むように遠巻きに村人達が集まって来ていた。その顔触れを見るに、暁風の拠点となっているという割には大半がオルタリア国民のようだった。

「ちっ、仕方ない。だが余計なことをすればすぐにお前達を追いだすからな!」

「肝に銘じておく」

「行くぞ!」

 そう言って部下を引き連れて、不機嫌そうにシュンは立ち去っていく。

 その後を追おうとして、テオフィルは何かを思い返したように立ち止まってヨハンの方に小走りで駆け寄って来た。

「いやいや、大変でしたね。シュンさん、悪い人じゃないけどちょっと頭に血が上りやすくて。先日もそれが原因で何人か部下がいなくなっちゃってね」

「あれは異常ですけどね。よっちゃんさん、前世で怨みでも買ってるんじゃないですか?」

「そんなことで恨まれてたまるか。……テオフィルと言ったか? 何にせよ助かった」

「いいえー。でも感謝してくれるなら、そのお気持ちを頂けませんか? あ、ハグじゃなくてね」

 そう言って親指と人差し指で円を作るテオフィル。正直ここまで露骨だと嫌悪感すら抱かなかった。

「……まぁ、助けられたのは事実だからな」

 財布代わりの布袋から硬貨を取り出してその掌に乗せると、テオフィルはそれを満足そうに懐にしまい込む。

「毎度あり。これからも村で困ったことがあれば力になりますよ」

「有料でか?」

「ご利用は計画的に」

 最後にもう一度笑顔を見せてから、テオフィルは急いで出ていったシュン達に追いつこうと走っていく。

 その後ろ姿を見送ってから、声が聞こえなくなるぐらいの距離でラニーニャは小さく呟いた。

「なんか、変な人ですね」

「色々な奴がいるということだろう」

「それよりもこの状況どうします?」

 シュン達は去ったが、来て早々揉め事を起こした来訪者に、村人達の警戒は最高潮にまで高まっていた。

 今は不安げにこちらを見ているだけだが、中には農業の帰りなのか農具を持ったまま、こちらを訝しんでいる者達もいる。

「なにも疚しいことはない。話して判ってくれればいいんだが」

 ヨハンが一歩踏み出すと、騒めきが広がり、農具を持った男達が前に歩み出る。

 しかし、両者の間に言葉が交わされる前に、人垣を割ってそこに入り込んでくる姿があった。

「お待ちください、皆様! ……この方はわたくしの旧知でございます」

 銀色の髪がはみ出したヴェールを被り、ロングスカートの黒い修道服に身を包んだその女性は、嫋やかな美貌でヨハンとその周囲に微笑みかける。

「ですから皆様、どうか不安にならないようにお願いします」

「シスター・アンナ……」

 誰かがその名前を呼んだ。

 アンナと呼ばれた修道女は、ヨハンの傍に近付くと傅くようにそっと手を取る。

「なるほど。その人が新しい浮気相手と」

 ラニーニャのことは取り敢えず無視することにした。

「この方の身柄はわたくしが補償いたします。ですから皆様はご心配なさらずに、いつもの日々をお過ごしくださいませ」

「シスター・アンナがそう言うなら」

 先頭にいたその男の言葉を皮切りに、村人達は各自散って自分達の仕事へと戻っていく。

 ある程度村がいつもの様子に戻ったのを確認してから、アンナは優しくヨハンの手を引いた。

「ヨハン様。先代から話は聞いております。ご用件はこちらでしょう?」

 そう言って、導くように先を歩き始めた。

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