五章 失われた再会

第一節 夜明けより

 もうずっと昔の話になる。

 大人になればなるほど、時間の流れは速くなる。ついこの間と思っていたことが、いつの間にか十年も前の出来事だったと驚くことがある。

 そう彼女が聞かされたのは、祖父からだっただろうか。

 彼女は拾い子だった。どんな縁があってか知らないが、ある貴族の家柄である父と母の元にやって来たらしい。

 らしいというのは、それが本人達から聞いた話ではないから、確証を持っていないというだけであって、きっと間違いではない。

 とにかく、彼女は拾われた。

 子供のいないその家族の後継ぎとなるため、そして一族に拍を付けるための『魔導師』となるために。

 ――だが、彼等の目論見は大きく外れることになった。

 少女には才能があり過ぎた。幼くして様々な書物を読み漁り、大きすぎる好奇心はその辺りの家庭教師では質問に答えることすらもできず、幼い彼女が欲しがる研究のための材料の異質さに、普通の感性を持って生まれてきた両親は歓迎をすることもできなかった。

 一言で言ってしまえば、多少の野心を持って迎えた彼女を持て余したのである。その両親は。

 期待の娘に対しての関心は消え、それはやがて反転して不気味さから生まれる忌避となる。

 そう思ってしまえば血の繋がっていない、狂った子供一人。いつの間にかそこに愛情などなくなっていた。

 それでもすぐさま放り出されなかったのは、両親に一般的な倫理観とそれでも家のためになるという小さな期待が残っていたからだろう。

 それも、彼女の妻が奇跡的に本当の子供を身籠ったことで崩れ去った。

 折よくそこに隠居を決めた母方の父である男が現れたのは彼女にとって幸運だった。

 王国に仕える宮廷魔術師にして、一族の出世頭でありながら一番の変わり者として距離を置かれていたその人物は仕事を終えて隠居するという報告をしに現れた。

 その男、大魔導師の異名を持つ先代のヨハンと拾われてきた娘であるアーデルハイトが出会ったのは、お互いにとっての天運であった。

 アーデルハイトを引き取ったヨハンは、彼女が望むがままに自らがこれまで蓄えてきた知識や技術を与えた。

 アーデルハイトもまた、草花が水を吸うようにそれらを吸収し、幼いながらも簡単な魔法なら扱えるほどに成長していた。

 それはアーデルハイトにとってはこれまでよりも何倍も楽しい日々だった。望むがままに学び、思うがままに過ごした。

 ――そこに、彼が現れた。

 祖父が拾ってきた傷だらけの男は情けない姿でベッドに横たわっていた。

 次第に彼の傷が治ると、アーデルハイトとその祖父は驚愕する。

 その男が操る魔法の数々は、祖父がこれまでの人生を掛けて収めてきた力を容易く凌駕していた。

 当然アーデルハイトが短い時間で学んだことなど彼の前では文字通り子供の遊びに過ぎなかった。

 容易くそんなことをやってのける彼に嫉妬し、反発し、無茶をした。

 しかし何を思ったのか祖父はアーデルハイトが彼に懐いていると勘違いして、面倒を見させ始めたのだった。

 とにかくそれが面白くなくて、自分の力が及ばないことにも手を出し始めた。どうにか彼を見返さなければ悔しくて夜も眠れなかった。

 そうして無理をして、無茶をして。

 自分の命が危険に晒されるようなこともして、初めて目の前に現れた死の恐怖に怯えて。

 悲鳴を上げたアーデルハイトを、彼は助けてくれた。散々憎まれ口を叩いて、可愛げの一つも見せなかったというのに。

 それからは変な奴だと思うようになって、一先ず利用してやろうと言う考えに至った。

 そして二人は長い時間を一緒に過ごして。

 そんな日々がずっと続くと思っていたけど、そんなことはなくて。

彼はその力を必要とされて、遠くに行ってしまって。

 少女は、初めての恋を知った。

 ――その気持ちがそうであると知ったのは、それからずっと時間が経ってからのことであるが。


 ▽


 意識が覚醒し、アーデルハイトはいつも寝ている木製のベッドから上半身だけを起こす。

 横を見れば、泊りに来ていたカナタが掛け布団を奪い、腕にしがみついて気持ちよさそうに寝息を立てている。

 窓に目を向ければ、そこから差し込むのは薄明で、今がまだ夜明けの時間であることを告げていた。

 そっと胸に手を当てる。

 心臓が小さく、いつもよりも早く鼓動していた。

 隣で寝ているカナタがそれで起きてしまわないかと不安になったが、どうやら全くそんなことはお構いないようで、「アーデルハイト、お代わり」などと寝言を言いながらすやすやと眠りについていた。

「……懐かしい夢を見たわね」

 先代のヨハンに引き取られてからのことはよく覚えているが、里親となってくれた両親の元にいたことは対して記憶にない。それ故に彼等に対しても特に悪感情も、好意も抱いていないというのが正直なところだ。

 ただ、恐らく彼等はアーデルハイトを引き取ったことは汚点と思っているだろうし、アーデルハイトが今後生きていく中で彼等の力を借りることもないだろう。

 仮にあのままオル・フェーズの魔法学院にいれば話は別だったのだろうが、今のアーデルハイトが彼等の役に立てることはない。

 道を踏み外した、と人は言うだろう。

 勝手に言わせておけばいい、少なくともアーデルハイトにとって今の生活は楽しい、刺激に満ち溢れている。

 叶うことならばこんな日々が続けばいいと願ってしまうぐらいには。

 無論、そんなことが不可能なことは判っている。

 周囲には不安要素が多すぎる。

 戦いの足音は今でも少しずつイシュトナルに迫って来ているし、光炎のアレクサを退けたとはいえ、他に御使いが現れない保証もない。

 きっとその中心となるのは、アーデルハイトが傍にいたいと願う『彼』と『彼女』なのだろうから。

 身をよじると、木製のベッドが小さな軋みを立てた。

 熱を持った頬を冷ますように、それとは逆にひんやりと冷たい手を当てる。

 ゆっくりと熱が抜けていくのを確認してから、アーデルハイトは視線をもう片方の部屋の隅に設置されたベッドへと向ける。

 そこに本来居るべき人物がいなかった。

 勿論彼も人間であるから、厠に行くために夜に起きることもあるだろう。ただ、もぬけの殻となったベッドの様子は、そこにいた人がいなくなって数分しか経っていないとは考えにくい。

 立ち上がろうとすると、腕にくっついているカナタごと引っ張る形になって、不愉快そうな唸り声が上がる。

 それを半ば無視するようにするりと腕を抜いて、ヨハンのベッドへと近付いていく。

 すっかり染みついた彼の匂いが残るそこに手を触れると、思った通り冷たくなっている。

「……アーデルハイト?」

 床が軋む音で気が付いたのか、背後で眠っていたカナタが小さく声を上げる。

「カナタ。出掛ける準備を」

 アーデルハイトは迷わない。

 寝ぼけ眼を擦るカナタを半ば引っ張るようにして、ヨハンの捜索を開始するのだった。


 ▽


「いやー、二人で旅行なんて楽しみですねー。ラニーニャさんはカジノがある街とか行ってみたいんですけど、その辺りどうです?」

 既に朝日が昇り、遠目に見える集落では農夫が鍬を振り下ろす影が見える。

 旅人や商人達が疎らに姿を見せる街道に、並んで歩く姿が二つ。

 ヨハンとラニーニャの二人だった。

 薄い浅葱色の、特徴的に伸ばされた横髪を揺らしながら、ラニーニャはふらふらとヨハンの前に出ては意味深に笑いかけてくる。

 一方のヨハンは微妙な表情だった。

「ほらほら。こんな美少女と一緒に旅行ができるんですから、そんな顔をしてたら罰が当たりますよ?」

「……俺は別に旅行に行くつもりではなかったんだが?」

「えっ、そうなんですか? てっきり誰にも内緒でラニーニャさんと浮気温泉旅行をするためにあんな朝早く出歩いていたのかと」

「誰に対しての浮気になるんだか。……そっちこそあんな朝早く何をしていたんだ?」

 風は穏やかで、太陽の光は温かい。心なしか擦れ違う旅人達も皆上機嫌で、二人のやり取りを微笑ましげにからかう者達までいる。

「寝起きドッキリです」

「余所でやれ」

「冗談ですよ、冗談。実はラニーニャさん、クラウディアさんからちょっと休暇を頂きましてね、できればクラウディアさんと一緒に遊びたかったのですが、何やら最近しっかりと真面目に商売の勉強をしはじめたようで」

「それはいいことだな」

「ええ、ええ。そうでしょう? いったい誰のために頑張っているのでしょうねー?」

 にやりと唇を歪めて、一瞬で近付いてくると、ラニーニャはヨハンの胸元に指をゆっくりと這わせた。

「で、一人でイシュトナルに来たということか? お前も友達がいないのか?」

「お前も? ……失礼な、ラニーニャさんはこの類稀なる美貌と頭に血が上ると暴言を吐いてしまう性格の所為で……はい、仰る通りクラウディアさん以外の友達がいないのです」

 とは言うが、全く落ち込んだ様子もない。むしろない胸を張って何故か誇らしげにしている。

「そ、れ、で。暇を持て余したラニーニャさんに、クラウディアさんからちょっとお願いをされましてね。未来の旦那様が浮気をしなうように、しっかりを見張っていて欲しいと」

「……はぁ」

「何です、その溜息は? 幸せが逃げますよ? ああ、いえ、確かにラニーニャさんと一緒に旅行に行けるという人類最大の幸福を前にしてその程度で逃げる幸せなど些細なことかと……って、無視しないでくださいよー」

 早足になったヨハンに、同じく歩調を合わせて隣に並ぶラニーニャ。

「……クラウディアは本気なのか? そんな親の打算で結婚相手を決められてはたまらないだろうに」

「どうでしょうねー。あんまり深くは考えてないんじゃないですか? 取り敢えず嫌じゃないから受け入れといて、後で気に入らなければ暴れて有耶無耶にするぐらいの気持ちだと思いますよ、クラウディアさん。あんな子ですし」

「友人に対して随分ないいようだな」

「お友達だから、ですよ」

 あざとくウィンクをする。

「なら友人として言っておいてくれ、もうちょっとしっかり考えろとな」

「あら、ラニーニャさんとしては別に結婚は賛成ですよ。前にもそう言いませんでしたっけ?」

 言われてみれば、この話が出たときも彼女は否定的な態度を示すことはなかった。その時は冗談だと思っていたのだが。

「そう言うことに消極的なのはヨハンさんだけで、周りは意外と積極的なんですよ?」

「……そう言うことについての話は苦手だ。正直、あまり考えたくもないんだが」

「とか言っちゃってー、そろそろ職場ではお髭の偉そうなおじさんに、うぉっほん、ヨハン君や、そろそろ君もいい年だし家庭を持ってはどうかな? とか言われてるんじゃないですか?」

 演技交じりのラニーニャの言葉を、ヨハンは否定しない。彼女もそれで何かを察したようだった。

「あれれ、当たっちゃいました? いやー、何処の国でもそう言うのって変わらないんですねー」

 そう言ってくる者達の思惑としては、彼等の象徴となるエレオノーラとよからぬ関係になっていないかと言うことを牽制し、さっさと家庭を持たせてしまえば丸く収まるであろうと考えてのことだった。

「より取り見取りじゃないですか。何が不満なんです?」

「別に不満なわけじゃないが」

「ひょっとして誰か一人を選べないとか?」

「自分が選ぶ立場にいるとは思っていない」

「ふーん。なかなか強情ですね」

 言いながら、頬を指で突いてくる。

「この話は終わりだ。もしこれ以上続けるなら置いて行くぞ」

「あら、それじゃあ付いていってもいいということですか?」

「来るなと言ったら帰ってくれるか?」

 できればそうしてもらえるのが一番助かる。

「嫌です。親友の頼みですし何よりも楽しそうじゃないですか」

「下手な好奇心は身を滅ぼすぞ?」

「それはそれで、ですよ。ではレッツゴーです! で、何処に行くんですか?」

 ヨハンの腕を取り走りだそうとしてから、ラニーニャは立ち止まってこちらを振り返る。

「西の外れにあるアシュタの村だ」

「アシュタの村? んー、全く聞いたことありませんね」

「特別何かがある場所ではないし、オルタリアの国土で言えばハーフェンとは真逆の位置にあるからな。お互いに直接的な交流はないに等しいだろう」

「へー。やっぱりこの国って無駄に広いですよね。前から思ってたんですけど」

「大昔に神からオルタリアの王家が与えられた土地、らしいな。何度か外敵の侵略も受けたがその度に上手く撃退してきたらしい」

「自分で治めきれない範囲を貰っても持て余すだけだと思うんですけどね。まぁでも、神様に貰ったなら捨てるわけにもいかないってことですね?」

「さあな」

「で、よっちゃんさんはその田舎に何の用事ですか? まさか浮気相手との逢瀬を楽しむためとか?」

「そうだとして、誰に対しての浮気になって、お前を連れていく理由にはならいだろうに」

「言われてみればそうですね」

「暁風と言う連中を知ってるな?」

 その名前を聞いてラニーニャは額に指を当てて考え込み、数秒後に答えを導きだした。

「ああ、あの人の力を借りないと魔物一匹倒せないなめくじみたいな人達!」

「その言い方はどうかと思うが、そうだな」

 先日のシュン達との邂逅では、ラニーニャが彼等にいい印象を抱くはずもなかった。

「そのなめくじ同好会がどうしたんです?」

「その呼び名はやめてやれ。……先日、そいつらの本拠地が判ったんだ」

 それはつい最近、ダンジョンの攻略で縁があり暁風をやめたレジェスと言う男からの情報だった。

 暁風は思想こそヨハンと対立しているものの、特別イシュトナルに対して何らかの害をなしているわけではない。その点を踏まえれば別段、急いで事を起こすような相手でもないのだが。

「場所が問題だ。アシュタには療養所があってな」

「そこの人達に迷惑を掛けていないか心配だと?」

「……まぁ、そんなところだ。それにできればオルタリアとの第二の開戦の前に彼等の主とも話を付けておきたい」

「……なるほどー」

 と、やや棒読み気味で納得するラニーニャが、内心でヨハンのことを訝しんでいるのは簡単に見て取れた。

 それも当然のことで、単なる療養所があるだけならばわざわざヨハンが出向く必要があるとは思えない。ましてや朝早くから、人目を忍ぶように。

「更に言うなら、レジェスから聞いた話には奇妙な点が幾つかあった。それの確認の意図もある」

 取り繕うような言葉だが、別段ラニーニャはそこに疑問を覚えることもない。そちらもそちらで本音なのだろう。

「シュンは奴等の実働部隊の隊長で、上層部との意見が噛み合わず、極端な行動に走りがちだったそうだ」

「あのセクハラマンさんが? ……ちょっとそれはフォローとしては弱いですね」

「許してやれと言う意味じゃない。上層部と言うのが問題だ」

「はいはい判ってますよ。それだけ大きな組織かも知れないってことでしょう? それに、シュンさんが末端の構成員だとして、あんな思想を持つ権力者がいたとしたら」

「面倒なことになる」

「色々考えてますねぇ。考え過ぎて胃に穴を開けないように注意してくださいね」

 言いながら、ラニーニャは指先でヨハンの腹をつんと突く。

「あら、意外と立派な腹筋」

「意外だろう?」

 そんな軽口を交わしあいながら、二人は街道をゆっくりと進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る