第五節 女戦士トゥラベカ

 戦いの熱と観客の声援が風となって吹き荒れる草原。

 アーデルハイトとヨハンの前に不敵に立つのは、バルハレイアの王と女戦士。

「あなたはカナタとお姫様を」

「アデル?」

 ヨハンが真横に立つアーデルハイトを見下ろす。

 それに対して不敵に微笑んで見せた。

「あまり時間を掛け過ぎるのもね。それに大丈夫」

 トゥラベカを視界に捉える。これはあくまで単なる催し、遊びに過ぎぬからと、こちらの準備ができるまでは向こうから手を出してくるつもりもないようだ。

「相手が戦士なら、わたしに負けはない」

 そう、はっきりと宣言した。

 信頼してくれと隣に立つ男性に暗に訴える。

 朴念仁だがその想いはどうやら通じたらしい。ヨハンは頷いて、トゥラベカの横を通り過ぎてベルセルラーデの前へと歩み出す。

 禿頭の女戦士はそれに対して全く身動きを示さない。自らの王が負けるとは思っていないのか、それとも眼前に立つ幼い少女を相応の敵と認めてくれたのか。

 二人がお互いに向かい合わせに立つと、風が吹き、観衆の自分勝手な叫びに満ちていた草原はいつの間にか静まり返っていた。

 後ろの方では未だ鋼の兵士達が戦っている音が聞こえるが、人々の注目はこちらに集まりきっている。

 この幼い少女が、見たこともない異国の戦士が、どのような立ち振る舞いで魅せてくれるのか、誰もが期待に満ちた目で戦いを見ている。

 無論、その果てにある英雄と王女と身柄とて重要なことだ。

 カナタとエレオノーラにヨハンを貸してやるのは不服だが、こうしておくのが一番いい。その程度の空気を読むことはできる。

「でもね、残念だけど」

 アーデルハイトの手の中に箒が出現する。

「魔導師が正面から戦うとは思わないことね、戦士さん?」

 トゥラベカが動く前にそれに座り、箒は宙に浮かぶ。

 浮かび上がり、上昇しようとしたところで、伸びてきた鋼の杖が箒を絡め捕り、アーデルハイトを振り落としてその鋼の杖の持ち主の元へと奪い去っていった。

 態勢を崩し、地上にぼてりと落ちたアーデルハイトは、強く打ったお尻をさすりながら、何が起こったのかとその方向を見る。

 箒を手に持ったベルセルラーデが、笑いながらこちらを見ていた。

「賢しき幼子よ、この催しに些かそれは無粋であろう。この箒は戦いの終わりまで余が預かる。心配するな、傷一つ付けずに返すことを誓おうではないか!」

 はっきりと聞こえる大きな声がアーデルハイトの耳に届く。

 その少し手前ではヨハンが困ったような顔でこちらを見ていた。表情から「やっぱり戻るか?」と言っているのが判る。

 半ば八つ当たり気味に睨みつけて、いいから行けと訴えると、困惑しながらもベルセルラーデの元へと向かって行った。

「……なるほど。確かに上空から魔法を撃たれては私に勝ち目はありませんでしたね。お見事でした、魔導師殿」

「……別にいいわよ、無理に褒めなくても。成功すれば策でも失敗した以上、単なる卑怯者よ」

「我が王も言った通り、戦場ならば正しい選択です。そして私にそれを覆す手段はなかった。それは事実です」

 観客達もアーデルハイトの間抜けな姿に、果たして本当に応援すべきなのか、自信満々い出てきたこの少女は戦えるのだろうかと言う疑問が伝わってくる。

 縛られているカナタとエレオノーラすらも、アーデルハイトに懐疑的な視線を送っているではないか。

 これは楽しようとした自分も悪いが、あの王様も空気を読むべきだろう。いや、この場合はどちらがと言う話ではあるが。

「仕方ないわね」

 別に道化になるつもりはない。

 観客を楽しませるつもりなど毛頭なかった。

 だが、あのヨハンの顔とカナタの視線には耐えられない。家族と友人に、たまには凄いところを見せておく必要があるだろう。

 荷物運び出もなければ伝令でもなく、魔力充電のための電池でもない。

 アーデルハイト・クルルは魔導師。

 それも大魔導師ヨハンの孫娘にしてオル・フェーズ王立魔法学院に他の類を見ない天才魔導師だということを。

「そろそろ準備はよろしいでしょうか?」

「ええ。――お尻は少し痛いけどね」

 トゥラベカが腰を落として開いた両手を構える。

 アーデルハイトは愛用の先端に尖った水晶が付いた、短槍のような杖を取り出して、構えを取る。

「それでは、参ります」

 トゥラベカの姿が消える。

 彼女から一瞬たりとも視線を外した覚えもないのに、その速度はまるで目の前から消失したと錯覚させるほどに早かった。

「魔導師殿相手に距離を取ったままではいられませんので」

 声は、アーデルハイトよりも少し高いところから聞こえてきた。

 目の前に長身の姿がある。軽装鎧を見に纏ったトゥラベカの胸部が、全ての視界を遮っていた。

 慌てて横に飛んで距離を取ろうとするアーデルハイトの脇腹に手刀が突き刺さり、小さな身体がまるで放り投げられた棒切れのように宙を舞った。

 地面に落ちて草の上を転がって、ようやくアーデルハイトは動きを止める。

 観客達は一言も発しない。まさか死んでしまったのではないかと、そんな声がぼそぼそと聞こえてくる。

 誰かが生死を確かめようと客席の輪から出てこようとしたところで、トゥラベカの鋭い声がそれを遮った。

「これで終わりと言うわけではないでしょう、魔導師殿」

 アーデルハイトのローブの裾が爆ぜる。

 正確にはそこに仕込まれていた魔法樹の枝が発火し、小さな火花散らしながら火の弾丸となってトゥラベカへと飛んでいった。

 短く息を吐き、手刀でそれを叩き通す。

 二発、三発とトゥラベカは寸分の狂いもなくそれを弾き、魔法樹の枝は地面に落ちて破裂していく。

「子供騙しですか?」

「いいえ」

 次は十本纏めて発射する。

 今度は全て捌き切ることができず、トゥラベカはその場から離れることで回避行動を取った。

 遂に避けきれず、トゥラベカはその何発かを身体に受けて、爆発に包まれる。

 それで終わる相手ではない。立ち上がったアーデルハイトは、ローブの裾から次の武装を手にしていた。

 ルーンが刻まれた短い幅広のダガーは、アーデルハイトの魔力を受けることで本来の姿を取り戻す。

 空中にそれを放り投げて口の中で呪文を呟くと、激しく発光して青白い雷を放った。

 そのまま蒼雷は光線状になって、トゥラベカへと真っ直ぐに飛んでいく。

 トゥラベカはすかさず身を捻ってそれを避けて、一足跳びでアーデルハイトの正面に着地する。

 彼女が拳を振るうより早く、空中に仕掛けておいたダガーが、その切っ先の向いた方向に向けて光線を放った。

 今度は距離を取ったトゥラベカに、四方から光線が降り注ぐ。

 その間にもアーデルハイトはダガーを放り投げ空中で制止させ、砲台を次々と設置していった。

「これはなかなか、厄介な。ですが」

 トゥラベカは身を翻して、アーデルハイトが呪文を唱えるよりも早く自分の一番近くにあるダガーを掴み取る。

 そしてそれを放り投げて他のダガーを撃墜し、使い物にならなくしてしまった。

 続いて発射される光線を避けながら、先程地面に叩き落したダガーを掴み、また別の砲台を無力化。

 あっという間にアーデルハイトが浮かべがダガーの砲台は全てその力を失って地面へと落とされてしまった。

 まだだ。

 まだ手のうちは尽きていない。

 アーデルハイトは持っている短槍を構えて、トゥラベカ目がけて放り投げる。

 真っ直ぐに飛んでいったそれは容易く手刀に弾かれた。そしてそのほんの僅かな隙を彼女は見逃さない。

 目の前にトゥラベカの長身が迫る。

 手刀が肩を打つ。今度は先程のような様子見の打撃ではない、本気でこちらを殺傷しようとした一撃だ。

「先程の攻撃でそのローブの耐久性は見せてもらいました」

 最初に貰った一撃は、アーデルハイトにさしたる痛みすら与えることはなかった。今来ているローブが特注品で、あらゆる攻撃に対して強い防御力を誇る。

 しかし、今度のは違う。トゥラベカは先の一撃でローブの防御力を把握して、それを貫通する威力で打撃を放って来た。

 打たれた半身が地面にめり込むのではないかと心配になるほどの衝撃と痛みがアーデルハイトの身体を上から下に伝う。

 呻き声を上げながらも、アーデルハイトは狙われなかったもう半身を動かすことをやめなかった。

 左手を伸ばして、掌を差し向ける。

 その先にはあるのは地面に突き刺さったままの短槍。

 それはアーデルハイトの魔力に引かれて、その切っ先を向けたまま飛来する。

 トゥラベカは背後からのその奇襲に咄嗟に反応しきることができずに、槍の先端が彼女の脇腹を掠める。

 アーデルハイトとしては直撃させるつもりだった。避けられたのは、単純にトゥラベカの動きが常軌を逸していたからだ。

「お見事」

「まだ終わりじゃない」

「どうやらそのようですね」

 短槍の穂先が雷を帯びる。

 蒼雷が収束し、槍の先から剣のような形の刃を形作る。

 火花を散らし、辺りを照らすその輝きは暴力的な雷のエネルギーを収束させた破壊の刃だ。

「死んでも文句は言わないでね」

 それを一気に、横薙ぎに振るって炸裂させる。

 雷の熱が地面の草花を焦がし、空気を焼き払った。

 アーデルハイトの一振りが通過したその後には、何も残らない。ただ、消えた蒼雷の残余が爆ぜる音が小さく響くだけ。

「やはり貴方は強い」

 声は上から。アーデルハイトが予想していた回避距離よりも遥かに高い。

 とんでもないバネを持っていた。それを予想できなかった自分を恥じる。

 咄嗟に見上げれば、空中から降りてくるトゥラベカが、こちらに向けて飛び蹴りの態勢を作っている。

「このっ……!」

 再度短槍に魔力を充填。

 ばちばちと火花が散り、再び蒼雷が生み出される。

 最早相討ち覚悟。アーデルハイトは防御を捨ててそれをトゥラベカに直撃させるべく振りかぶる。

 ――その判断が、勝負を分けた。

「遅い!」

 トゥラベカの蹴りは、アーデルハイトの魔法よりも早くアーデルハイトの小さな身体を打ち抜いた。

 防御にも、回避にも徹しなかったために、アーデルハイトは直撃を受けて、今度こそ無防備に吹き飛んで草の上へと投げ出される。

 そのまま無様に転がって、身体がようやく止まった時には半分意識がなかった。

 気絶していた時間はほんの一瞬だが、肺から一気に空気が漏れたことと、全身を撃ち抜いたその痛みの大きさに立ち上がることができない。地面に手をつけば、身体がもう無理だと悲鳴を上げて、即座に力が抜けてうつ伏せに崩れ落ちる。

 ここまでか、なんと悔しい。

 叫び出したいが、この痛みではそれもままならない。

「実に」

 どうにか顔を上げたアーデルハイトのすぐ傍で、トゥラベカはしゃがみこんでこちらを覗き込んでいた。

 その表情は優しげで、必死で戦った相手の健闘を讃えようというのだろうか。

 構うなと声を上げたいが、今はそれもままならない。トゥラベカは手を差し出して、アーデルハイトの身体を優しく抱き上げる。それは先程までの攻防とは打って変わって、母が子にするような丁寧な仕草だった。

「見事な戦いでした。戦士として貴方を讃えたい。貴方と戦えた今日この日を喜びたい。心からそう思います」

 単なる世辞とは思えない。この女戦士は、もし相手が取るに足らないのならばそんな評価はくださない。敢えて言葉にすることもないだろうが、聞かれれば真実を語るだろう。

 なんとなくだが、そんな気がした。戦いを通して彼女がそんな人間だと、理解した気がする。

「できればまだ、こうして戦いたいものです」

「……わたしは、二度とごめんね。正面からの戦いなんてもうこりごりよ」

 どうにか、その一言だけを絞り出した。


 ▽


 背後で歓声が上がる。

 観客達は少女と戦士の戦いに興奮し、お互いの健闘に対して惜しみない賛辞の言葉と拍手を送っていた。

 ヨハンとベルセルラーデは向かい合ったまま、その騒ぎが収まるまで待っていた。別段、そこに意味はない、どちらともなくそうしていただけだ。

 この戦いを催しと呼んだベルセルラーデは、或いは観客の注目がこちらに集まるのを待っていたのかも知れない。

 やがて声が止み、辺りは静寂に包まれる。

 いつの間にかベルセルラーデは鋼の杖を振るい、ヴェスター達と戦わせていた鋼の兵士を全て消滅させていた。

「おい! てめぇ!」

 戦っていた相手が消えたヴェスターが勢いよくこちらに走って来て、ベルセルラーデに突っかかっていく。

「俺は散々あの鉄野郎を倒したじゃねえか! なんで俺の時だけ何度も何度も復活させてんだよ!」

 その言葉通り、ヴェスターはヨハン達が倒したタイミングに少し遅れて二体を倒すことに成功していた。

 しかし、ヴェスターが戦っていた鋼の兵隊は何故か戦いをやめず、何度も再生しては戦闘を続けていた。

 結局、アーデルハイトとトゥラベカが戦っている間も、ヴェスターは鋼の兵隊と戦い続けていた。

「なに。あの賢しき幼子とトゥラベカとの戦いが見事だったものでな。余計な邪魔を入れるわけにはいかぬと判断し、気を回しただけよ」

「あんな木偶の棒じゃ物足りねえんだよ!」

「ほう! 余の兵を持ってして木偶と言うか! なるほど確かに、貴様はその言葉に違わぬ強者のようだ」

「うるせえ! いいからさっさと……!」

 巨大な影が見えて、ヴェスターは急いでその場から飛び退いた。

 見上げればそこには、先程戦っていた鋼の兵達よりも遥かに巨大な、鉄巨人と呼ぶにふさわしい大剣を持った中身のない鎧が立ちはだかっている。

「フハハハハッ! ならば退けて見せよ、イシュトナルの戦士達よ! これは余の誇る天賦の力が一つである!」

 身体を掴もうとした腕を避けて、反撃を叩き込もうとするヴェスターに対して、鉄巨人は剣を地面に突き刺して大地を持ち上げるようにして投げつける。

 土埃が舞い上がり、ヴェスターの姿が一瞬誰の視界からも消えた。

「ヨハン! ボーッとしてねえで手伝え!」

「フハハッ! 二人で余の兵の相手をするというのか! これは先程までの小手調べとはわけが違うぞ!」

 土の山からヴェスターが飛び上がり、鉄巨人の頭部に魔剣を叩きつける。

 その一撃に鉄巨人は怯んで一歩後退り、しかしすぐに大剣を横薙ぎに払ってヴェスターを吹き飛ばす。

「では始めるとしようぞ、イシュトナルの魔導師よ! 貴様がエレオノーラの傍にあるに足るものか、その力を確かめさせてもらおう!」


 第六節 鋼の王ベルセルラーデ


「……それで、結局ベル兄様は何がしたいのですか?」

 既にエレオノーラの身体に拘束はなく、ベルセルラーデの傍に座らされたまま、隣に立つ王を見上げる。

 彼は満足そうにヨハン達の戦いを見守っていたが、その質問を受けてエレオノーラへと顔を向けた。

「暇潰しだ」

 それを聞いてがっくりと頭を下げる。

 この男は昔からそうだった。自分勝手で、人を振り回す。

「だがな、エレとそこな英雄よ」

 相変わらず縛られたままのカナタは自分を呼ばれてベルセルラーデの方を見た。

「エレに関しては幼き頃よりの縁もあるし、何よりもお前は余の親友であるゲオルクの妹だ。このような場所で苦労するよりは余の元に来た方がいいのは事実であろう」

「……だからそれは!」

「加えて貴様もだ、英雄。御使いを倒したというその噂は遠くバルハレイアまで伝わっている。そして同時に、英雄とは人の間に摩耗するものである。で、あればな」

 ベルセルラーデは一度言葉を切る。

 それを聞いてカナタが何を思ったのかはエレオノーラには判らない。

 ただその表情には、何か思い当たることがあるというのは伝わって来た。

 彼女は英雄だ、力を持っている。

 エレオノーラからすれば羨むほどのものだが、本人としてはどうなのだろうか?

 時折、エレオノーラは思う。

 自分が王族ではなく、普通の少女であったのならばと。

 なにも知らず、国のことになど関わらず――民やエトランゼのことも関係なく。

 自分の気持ちのままに振る舞えたらどれほど楽だろうかと。

 それは彼女、人で在りながらセレスティアルを操る少女にも言えることではないのだろうか。

「王の下にあれ。それが貴様の一番幸福な道であるぞ」

「やだよ」

 間髪入れず、はっきりと、カナタはそう口にした。

 その目はベルセルラーデから一切逸らされることなく、ほぼ反射的に応えたのだろうが、後悔もない。

 心から、そう思っているようであった。

「ふむ」

 ベルセルラーデは怒るわけでもなく、鋼の杖の切っ先をカナタに向ける。

 それでも彼女は微動だにしない。ベルセルラーデから殺気がないことを判っているのか、それとも単純に何も考えていないだけなのか。

 多分、後者であろう。

「ボクがいる場所、ボクのやることは自分で決めるよ。それは貴方が決めることじゃない」

「聞かせてみよ」

「あの人の傍がボクのいる場所だから」

「……果たしてそれだけの傑物か、あの男は? 見れば無様に転がり、一人では余の兵の相手にすら事足りぬ始末ではないか」

 その言葉通りヨハンとヴェスターは懸命に鉄巨人の相手をしているが、流石に分が悪い。ヴェスターはまだ元気だが、ヨハンは鉄巨人の攻撃を避けきれず、かと言って受けることもできずに何度も地面を転がっては立ち上がるを繰り返している。

「……まあ、お世辞にも格好いいとは言えないけど……。でも、ボクはヨハンさんと一緒にいるって決めたから、それは絶対に変えないよ。何があっても」

「ふんっ。理解できぬ」

 そう言ってカナタから視線を外して、今度はエレオノーラを見た。

「どうした、エレオノーラ? 何故泣く?」

「……えっ?」

 頬を伝う雫に、今初めて気が付いた。

 ゆっくりと顎を伝い、透明な涙は地面に落ちて見えなくなる。

 エレオノーラは自分の目尻に触れて、それを慌てて拭う。

「あー! 泣かした!」

 攻めるようにカナタが言った。

「余ではなかろう! なぁエレよ?」

「……ち、違います! ベル兄様ではなく、カナタの言葉を聞いていたら……」

「ほら! 貴様ではないか英雄よ!」

「ボ、ボク!? なんで!? なんか変なこと言いました!?」

「違う! 違うのだ! ……本当に、違うのだ」

 理由は自分でも判らない。

 いや。

 判ってはいるが、それを飲み込むまでには時間が掛かる。

 カナタの言葉が、真っ直ぐな彼女のヨハンへの想いが眩しくて、それに比べて王族と言う立場で彼を縛り付けようとする自分の、なんと醜いことかと。

 そう、思ってしまっただけのことだ。

 カナタは自分の意思でヨハンと共にいることを決めた。アーデルハイトもそうだろう。

 それに比べて自分はどうだ。

「カナタの所為ではない。自分の浅ましさに嫌気が差しただけだ。こうしてヨハン殿が必死になってくれているのは、妾の立場があってのものなのだと、自覚してしまったからな」

「いや、それはないです」

 と、またもカナタは軽々しくそれを否定する。ベルセルラーデの言葉を拒否したときと同じように。

「ヨハンさん、女の子なら誰でも助けに行きますよ? お金にもならないのにおっぱいが大きい金髪の子に押しつけられただけで、何でもほいほいやっちゃうんですから。武器もタダだし、甘やかすし、無茶なお願いされても嫌な顔一つしないし……」

「どうした、英雄よ?」

「おまけに婚約者とか勝手に決めるし、ちゃんと否定はしないし……。あれじゃアーデルハイトが可哀想だと思わないのかな。そもそもそう言うのはちゃんとボクの意見を聞いてから……」

 間違いなく一番甘やかされているのはカナタだし、ヨハンが何をして誰と仲良くなろうと勝手なのだが、残念ながらここにそれを指摘する者はいない。

「……フハハッ。いいではないか! 英雄色を好むもの。なるほど、それだけ聞けば確かに大した人物なのかも知れんな」

「とにかく。そう言う人なんです。そこに関しては本当に何も考えてません。目の前に困って人がいて、それが女の子なら助けちゃうんです。お姫様とか、そんなの関係なく」

 断言したそれが果たして本当かどうかはエレオノーラには判らないが。

 少なくとも気になることが二つできた。一つはその金髪の少女のこと、そしてもう一つは――。

「ここまでだ」

 いつの間にか、戦いの音は消えていた。

 ベルセルラーデもはっとして、声がした方を見る。ヨハンがショートバレルの銃口をベルセルラーデの頭に向けてそこに立っていた。

 見れば後ろの方では残骸になった鉄巨人と、草の上に大の字になって転がっているヴェスターが見える。相当な激戦があったのだろう、辺りの草は焼き払われて土が露出して、あちこちが隆起したり陥没したりしている。

「見事だ、と。一先ずは褒めておこう」

 満足そうに頷いて、ベルセルラーデは身体の向きを変えて正面からヨハンを見た。動けば撃つとは言われていないが、この状況で何の臆した様子もなくそれができる度胸は大したものだ。

「ヨハンと言ったか? 英雄と、エレから貴様の話を聞いていた。なんでも胸の大きな女が好きとか?」

「……なんの話をすればそうなるんだ? いいからさっさと二人を返してもらう。こっちも体力の限界だ」

「重要な案件である! 答えよ!」

「……何をだ?」

「胸の大きい女と、小さい女と、どちらが好みなのだ!」

「大きいに越したことはないだろう」

「なるほど。なるほどな」

 ベルセルラーデは腕を組み、深く二度ほど頷いた。

 カナタのヨハンを見る目が凄いことになっているが、今は誰もそれに気が付いていない。

「よかろう。貴様を同志と認める」

「……会話の脈絡が全く掴めんのだが」

「フハハハッ! 気にするでない。王の深慮を理解しろと言う方が無茶と言うもの。そのぐらいは余とて心得ている。貴様は仲間を連れ、余の下した試練を見事乗り越えてエレの元に辿り付いた。それだけで充分であろう」

 エレオノーラの肩にベルセルラーデは手を掛けて立たせる。

 それからその身体を優しくヨハンに向けて押し出した。

「ベル兄様……!」

「エレよ。幼少の頃にそなたが好きだった歌劇を覚えているか? 何の捻りもない、騎士が攫われた姫を助けるという陳腐な物語だが、そなたはそれを何度も見に行こうとしては止められていただろう」

 幼少の頃の思い出だ。

 広くオルタリアで親しまれているその劇を、エレオノーラは大好きだった。

 エトランゼとの混血として窮屈な日々を過ごすエレオノーラは、いつか自分にも同じように騎士が現れて連れ出してくれると、子供の頃は本気で信じていたのだ。

 だが、エレオノーラは滅多なことでは城から出ることはできない。面倒な立場の姫が厄介事を起こさないようにと、いつでも見張られていた。

「余とゲオルクがお忍びて連れ出してやったな。毎回のようにその後は余達が怒られ、何故かそなたが泣くのだ。先程の涙でそれを思い出したぞ。……演じてみた気分はどうだ?」

「ベル兄様……まさか!」

「勘違いするな。そやつが来なければ余はそなたを連れ帰るつもりでいた。だがまぁ、祭りも含めて催しとしてはなかなかに楽しめた!」

 両手を広げて、ベルセルラーデは観客の元へと歩み出る。

 彼の一挙一動に注目しながら、イシュトナルの民達はこの戦いの最後がどのようなものになるのかを見届けようとしていた。

「斯くしてあの男、あの冴えない騎士は見事に姫を救いだした。これにてこの余興は終わりとする。些か陳腐な物語ではあったが、余と言う役者が加わることでそれも壮大な叙事詩となっただろう! 民達よ、貴様等を束ねる美しき姫と、忠実なる家臣達! そしてこの偉大なる王ベルセルラーデ・ネフェルタリア・ソム・バルハレイアに盛大な喝采を送るがいい!」

 その天まで届くような大声に、観客達は一斉に沸き立った。

「楽しかったぞー!」

「凄い戦いだった!」

「魔剣士様ー! こっち向いてー!」

「姫様! 次回からこのようなことを行う時は予め一言お願いします!」

「魔導師は爆発しろ!」

 鋼の王の声に誘われて、彼等は熱狂する。この一連の戦いは、それに参加した本人達以外には祭りのための壮大な催し物として受け止められたようだった。

「では余はもう少し祭りを楽しみ、それからここを去るとしよう! トゥラベカ!」

 長身の女戦士は、黙ってベルセルラーデの横に立つ。

「さあ道を開けよ民達よ! 鋼の王の帰還である!」

 言われるままに人々は左右に分かれ、ベルセルラーデが進む道を作っていく。

 彼は上機嫌にその間を通りながら、また彼が描いたこの劇を楽しんで観衆達は口々にお礼や祝福の言葉を口にしてそれを見送っていく。

 その後ろ姿が遠くなり消えるまで、そのざわめきが消えることはなかった。

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