第四節 争奪戦
イシュトナルの街外れ、祭りの喧騒も遠ざかったその場所に、カナタとエレオノーラは縛られたまま連れて来られた。
今二人は草の上に転がされており、その前にはベルセルラーデが不敵な笑みを浮かべながら仁王立ちしている。
「ベル兄様! 幾ら何でも自分勝手が過ぎます!」
「そうだよ! みんなお祭りで楽しんでるんだからちょっとは考えてよ!」
喧々と二人の非難を受けても、ベルセルラーデは全く気にした風もなく、涼しい顔で二人の顔を見下ろしている。
「……ゲオルクはどうなった?」
「……え?」
その質問に問い返してしまった己の愚かさを、エレオノーラはすぐに悔いた。
ゲオルクとバルハレイアの二人は子供の頃より仲がよく、時には大人たちを欺いてまでオルタリアにやって来てはエレオノーラ達の長兄であるゲオルクと共に過ごすことを喜びとしていたのだった。
「風の噂にこの国の王権がヘルフリートに移ったとは聞いたが、ゲオルクがどうなったかについてはとんと話は聞こえてこない」
「……それは……」
ゲオルクは行方不明で、今も捜索は続けられている。と、表向きにはそうなっていた。
しかし、ヘルフリート政権下のオルタリアで満足な捜索が行われているとは考えにくい。むしろゲオルクが見つかれば、ヘルフリートは自らの王権を脅かすとして即刻処分することだろう。本来は王位を継ぐ権利に最も遠いエレオノーラにすら、過剰に怯えているのだから。
ベルセルラーデが一歩動いて、その足が草を踏みしめる。
「大変だったのであろう、エレよ」
屈みこみ、慈しむようにエレオノーラの頬に大きな手が触れる。
「……ベル兄様……」
「余は王だ。故に民や臣下の前で悲しむことはできぬ。ただ声を張り上げ先頭に立ち、進む道を照らし続ける。それがバルハレイアの王に必要な資質であるからして」
先程までとは打って変わった優しい声色が、草原を撫でる風に溶けて消えていく。
遠くの方ではエレオノーラを助け出そうと徒党を組んだ戦士達が、トゥラベカやベルセルラーデの生み出した鋼の兵士達と戦っている音が聞こえてくる。
「だが、王とて人であろう。共に死には悲しむべきだ。違うか?」
「……違いません」
「お前とて悲しむ余裕もなかったのだろう、エレ。昔から自分の想いを口にするのが下手な娘だったからな」
子供の頃を思い出す。
エトランゼとの混血。王が何の血統もない妾に産ませた偽りの姫。
王宮内でエレオノーラを呼ぶ声の大半は、突然王族に交じったエトランゼの血を疎むものだった。
ヘルフリートは言うまでもなく、ゲオルクは厳格で、幼いエレオノーラには怖い。
そんなある日急に目の前に現れて、エレオノーラを白い壁と扉の部屋から引っ張り出してくれたのは、他でもないベルセルラーデだった。
「しかし、そうか……。お前が語るのであれば間違いもないだろう。ゲオルクは、逝ったか。共にどちらが優れた王になろうかと競うまでもなくか。まったく」
腕を組み、オル・フェーズがある方をベルセルラーデは睨む。
それから気持ちを切り替えるように、大仰な仕草でエレオノーラ達に振り返った。
「ふむ。では決めたぞエレオノーラ。このまま誰もお前を奪還しに来れなかった場合、お前は余の妃となるがよい」
「はぁ!?」
突然の発言に、エレオノーラは大声で聞き返す。
「ベル兄様! いつも荒唐無稽な方ですが、それは脈絡がなさ過ぎでしょう!」
「む、そうであるか? お前は余の友であるゲオルクの妹であるし、オルタリアの王の血族ともなれば身分も釣り合う。そして何よりも見た目が美しくなかなかに余の好みだ。他の理由が必要か?」
「わ、妾の気持ちはどうなるのですか!」
「おお! そう言うことか。確かに余も考えが及ばなかったな、それは素直に謝ろう」
「判っていただければ……」
「偉大なる鋼の王である余とエトランゼの混血である自分では釣り合わぬというのだろう? その心配はないぞエレオノーラ。余はその者の生まれなど気にはしないし、何より余自身もエトランゼとの混血故にな」
「全然違います! 妾はそんなことが言いたいわけでは……ベル兄様がエトランゼとの混血!?」
最早突っ込みを入れるべきか、それとも驚くべきか判らなくなってくる。
一方のカナタは自分が全く相手にされていないことに不貞腐れながら、地面に転がされ続けていた。
「そうだとも。知らぬのか? エトランゼの血が交じればより強力な天賦を得る。その力は生まれついて発揮されるものではないが、一度目覚めればこのように」
鋼の杖が地面を突く。
そこから見えない力が伝番し、遠くで戦っている兵達から剥がれた武具がベルセルラーデの元に集まって来た。
それは溶けあうように一つになって、緩やかに形を整えていく。
「……魔装兵?」
カナタの呟きに、ベルセルラーデは勢いよく答える。
「ほう。これに見覚えがあるか。模倣品ではあるが、余の目が届くところでの戦いならば本物以上の力を発揮するだろうよ」
人間大の大きさの鋼の兵士は草を蹴り上げて、離れた戦場へと走り去っていく。
それを見送ってから、ベルセルラーデは自らの力を見せつけるように鋼の杖を大きく振るった。
「そう言うことだ。つまり生まれを気にせずともよい、同じ王族、そして余である。何を気にする必要がある?」
「わ、妾には共に歩むと決めた家臣がいます。それを裏切って妾だけがベル兄様の元に行けば、その者に対する裏切りとなりましょう」
「……家臣が王の成すことを裏切りと? それは違うであろうエレオノーラ。王であるお前が道を選んだのならばそれを助けるのが忠臣の役目と言うもの」
「そう言う問題ではないのです!」
「ふむ。……お前の言うことはよく判らぬな。わざわざ家臣のことを考え遠慮するなど」
「いえ、ですから……。その家臣と言うのは単なる側近の一人ではなくてですね。……心まで通じ合った仲と言うか、これから通じ合うというか……」
しどろもどろに言い訳をするも、本人ですらどう言っていいか判らないというのに目の前の男が理解できるはずもない。
「ふむ、判らぬ! では貴様はどうか、小さな英雄」
「え、ボク!?」
急に蚊帳の外だったのに、突然話題を振られたことでカナタは驚きながら顔を上げる。あまりにも暇すぎて目の前を通り過ぎる蟻の観察をしていたところだった。
「貴様、確かに身体は貧相で余の好みからは外れるがそれも年月が解決するであろうこと。余に立ち向かい、力の差を見せつけられてもまだ跪かぬその勇気、英雄と呼ばれるに足るだけの力。余のものとなるに相応しい」
「……はぁ?」
「余の側室として傍に置いてやろう。ありがたく思うがいい」
「そ、側室? ……なにそれ?」
首を傾げるカナタに、エレオノーラが傍で耳打ちする。
「妻以外の相手。……愛人のことだ」
「愛人! やだよ!」
「フハハハッ! どちらにしても貴様は余に敗北したのだ! このまま誰も助けに来れなければ、戦利品を頂いていくことに異を唱える者などいるまい?」
「助けに来てくれるよ!」
自信満々に言い放つカナタに、ベルセルラーデは興味を惹かれる。
「はっきりと言ってのける。果たして何者が、貴様を助けに来ると?」
「ヨハンさん! エレオノーラさんのことも一緒に助けてくれるから、貴方の思い通りにはならないよ!」
「ヨハン? ……ああ、先程の冴えない男か。フハハッ、では見せてもらうとしようか。そのヨハンとやらが余の守りである鋼の兵と、そしてトゥラベカを如何にして乗り越えてこの場に至るのかを!」
自信満々に、自らの一片の敗北の可能性など考えもせずに、ベルセルラーデは草原から先を見渡す。
その目は未だイシュトナルで行われている祭りの喧騒、その奥にいる一人の男へと期待を寄せていた。
▽
大勢の人が不安そうに街外れの草原を見渡すなか、その中心でヨハンは腕を組んで彼等と同じ方向を眺めていた。
ベルセルラーデがエレオノーラ達を拉致してから既に一時間。最初の方こそ多くの兵隊やイベントと勘違いした冒険者達がこぞって参加したものの、誰も彼の元に辿り付けてはいなかった。
開始直後は祭りの延長線上にあった享楽ムードは次第に落ち着いて、今ここには仮に二人を助けられなかったらどうなってしまうのだろうかと言う不安が立ち込め始めていた。
「随分と面倒な催しになったものね」
ヨハンの横でアーデルハイトが誰に言うわけでもなく呟いた。
先程までの軽装とは打って変わって、普段通りのヨハンとお揃いのローブ姿に、後ろ手には箒を握っている。
ヨハンも同じように愛用のショートバレルを持ち、持って来れるだけの武装を抱えている。
「ここで治めれば多少不備があったぐらいのイベントで片が付く」
「できるの? 相手は相当な手練れよ。あの最前線の女の人は只物ではないし、王様自身もカナタを倒しているわ」
セレスティアルを操るカナタを倒すのは並大抵のことではない。事実、ヨハンが正面からそれをやれと言われれば不可能と答える。
それはアーデルハイトも同様で、不意打ちなどの卑怯な手段を用いればともかく、直接相対してカナタを倒すのは彼女にとっても簡単ではない。
「だから宛てにしている」
アーデルハイトの頭の上に掌を乗せる。
彼女は小さく身動ぎして、上機嫌そうに頷いた。
「いい気分よ。久しぶりにあなたに力を貸せる」
「……ハーフェンでも協力してもらったと思うが?」
「あのことは忘れないと、脛を蹴るわ」
「……判った」
果たして何が面白くなかったのか、それがヨハンには判らない。
しかし、折角上機嫌な彼女の気分を害してはならないと、それ以上何も言わないことにした。
「よぉー、お二人さん! 何やら楽しそうなことしてんじゃねえか!」
景気のいい声と共に人垣を割るようにヴェスターが現れる。その後ろにはトウヤと、彼の部下である兵士数名が続いていた。
この時間、本来ならばヴェスターは祭り会場の警備、それもこことは真逆のエリアを任せておいたはずだったのだが。
「ヴェスター。仕事はどうした?」
「固いこと言うなよ。非常事態だって言うから手伝いに来てやったってのによ」
言いながら、片手に持った酒瓶を呷る。
「飲むか?」
「要らん。勤務中だぞ」
言っても無駄だが、立場上黙っておくわけにもいかない。
呆れ顔でトウヤに視線を向けると、彼も同じ気持ちらしく首を横に振る。
「こいつがカナタを助けたいって聴かなくてよ。健気な男心、判ってやってくれよ」
「はぁ! 俺は別に……!」
「あら、そうなの? カナタも意外とやるわね」
意外なところから出てきた色事に、アーデルハイトが反応する。
「まあ、そうだな。戦力は多い方がいいか」
「そうそう。それによ、俺もデートの相手が待ってるみたいなんでね」
ヴェスターが睨む先にいるのは果たして何者か、それをヨハンが知る由もない。
ただ、彼の血を滾らせるほどの相手がいるということなのだろう。
「さあ突撃だ! 腕自慢は武器を取れ、そうじゃない奴は楽しんで見ていきな! こんなイベントは今日でもなきゃ見れるもんじゃねえぞ!」
ヴェスターの叫び声に、辺りから歓声が上がる。
気が付けば兵士達以外にも我こそはと腕に自信のある者達が集まりつつあった。
そしてそれを遠巻きに見つめるのは祭りの熱に浮かされた内外の民達。
ベルセルラーデの言っていた通り、王族を巻き込んだ最大の催しが始まろうとしていた。
▽
草原に立つは鋼の兵士。ベルセルラーデの力で生み出されたその数はたったの五体だが、その個々の力は凄まじい。
ギフトを持った冒険者、訓練を重ねた兵士達、それを十人単位で相手にして尽くを打ち破っている。それも相手を決して殺すことなく無力化して。
それだけの繊細な動きをしながらも強靭なそれは、あのダンジョンで戦ったガーディアンを思い起こされる。
「まるでゴーレムのようね。試しにこっちも……」
アーデルハイトが地面に両手を付いて、持ち上げるような仕草をする。
魔方陣が広がり、地面が抉り取れるように盛り上がった。
たちまちに土塊は巨人となり、最も手近にいた鋼の兵士に襲い掛かる。
「おお! 凄いじゃねえかちっさいの!」
「後ろからの攻撃には注意することね」
無神経なその呼び名に、アーデルハイトがヴェスターを睨む。
土塊の巨人、ゴーレムは鋼の兵士に組み付き、そのまま拳や身体をぶつけあうが、程なくして相手側が手に持っていた剣で胴体を一閃されて制御を失い土へと還っていった。
「やっぱり駄目か。苦手分野とはいえ、あんなに容易く倒されるとは思わなかったわ」
「一体一体が相当な力を持っているようだな。どうしたものか」
「わたしとあなたで二体。それからその他大勢で残りの三体を」
「へぇ。できんのかよ?」
ヴェスターが挑発的な視線をアーデルハイトに向けると、それに対して全く臆することなく睨み返す。
「本来ならわたしが二体やってもいいのだけど、それではこの人の役割がなくなってしまうでしょう?」
「旦那を立てるってか? よくできた嫁だな」
「別に嫁ではないが」
ヨハンの横槍は無視された。
「そう言うこと。わたし達は先に行くから、後からのんびりと来なさい。魔剣士さん?」
「ハッ! ちっさいのが一人で二体やるなら俺もは三体……いや、俺も一応隊長だから部下を立てるとして、二体と後半分は俺がやる! トウヤ、いい感じに残しとけよ!」
「そんな器用な戦いができるか! それよりいつまで話してんだよ、さっさと行かないと!」
「やる気満々だな! だったら先行けよ、後からでも追いついてやるから!」
「……くそ!」
トウヤはヨハン達に背を向けて、兵達を引き連れて鋼の兵士に向かって行く。
「あまりトウヤをからかいすぎるな」
「可愛がってんだよ。俺なりに考えがあってな。じゃ、そろそろ行くかね」
鞘から抜いた魔剣を肩に担ぎ、ヴェスターは猛然と駆けだしていく。
残されたヨハンとアーデルハイトは自分達が担当するであろう正面の二体の鋼の兵士を見据える。
「もういい時間ね」
「時間?」
アーデルハイトの視線が太陽の方を向いた。
「わたしはね。友達とお祭りを回っていたの。言いたくないけど初めてのことよ。毎年のこの日が楽しく感じたのは初めてのことよ」
「……お前、友達いないのか?」
本気で心配になる。
「今はその話はいいから! ……この催しも楽しいけれど、時間をあまり奪われるのは面白くないわ。手早く行きましょう」
箒に乗って飛び上がるアーデルハイト。
彼女に習うようにヨハンが前に踏み出すと、二体の鋼の兵士が一斉にヨハンの方へとその顔を向ける。
まるで中身のない全身鎧のような鋼の兵士が剣を振りかぶり、ヨハンへと躍りかかる。
両側から剣を振りかぶる二体を一瞥し、冷静に懐から道具を取り出す。
「ショートテレポート」
ダーツを少し離れたところに放り投げ、それが地面に刺さるとヨハンの姿はその場から消失し、ダーツが刺さった場所へと移動していた。
行き場を失った二つの剣は本来は仲間同士である互いの腹を斬りつける。
それでも動きは止まらず、まるで人間のような俊敏さで鋼の兵士はヨハンへとその身体を向けた。
ショートバレルから放たれた徹甲榴弾がその身体にめり込み、内部で炸裂する。
生き物でない鋼の兵士はそれで動きが止まることはない。千切れかけた胴体を無視して、そのまま前進。
そこに、天空から蒼雷が降り注いだ。
雷は二体の鋼の兵士を真っ直ぐに貫き、その動きを鈍らせる。
「へぇ。まだ止まらないの?」
アーデルハイトが高度を下げて、その正面を箒で通過する。
剣を振りかぶった腕の下を全く臆することもなく通り抜け、すれ違いざまに小さな宝石を放り投げる。
口の中で呪文を唱えると、青白い光を放ってその宝石が炸裂する。
その勢いに鋼の兵士の一体は、たまらず仰向けに倒れた。
「これで一つ。……っ!」
もう一体の手に持っていた剣が形を変え、金属の鞭のように変化してアーデルハイトに襲い掛かる。
蛇のように撓る鞭は完全にアーデルハイトを捉えていたが、彼女にぶつかる前に見えない力によって地面へと押し付けられるように落ちていった。
見れば、本体がヨハンの放った重力弾によって地面に縫い付けられるように倒れている。
絶妙な援護に小さく微笑んで、アーデルハイトは手の中に持っていた短剣を投擲する。
三本の短剣は空中で加速して、まるで一閃の光のような速度で鋼の兵士の胴体と首を貫通して、首が千切れた鋼の兵士はそのまま崩れ落ちるように倒れた。
「こんなもの?」
ヨハンの横にアーデルハイトが降り立つ。
「いや、どうやらそうでもない」
どろりと、倒れたままの鋼の兵士が溶けていく。
そして二つは混じりあい、再び分かれ、傷一つない姿で再生して見せた。
「困ったわね」
「片方が時間を稼ぐか?」
「それも一つの方法だけど……って」
鋼の兵士が首を垂れて、腰を折る。
その腕が指し示す先は、草原の先、ベルセルラーデがいる場所。
「これで勝ちと言うこと?」
「その通りだ、賢しき幼子よ! 貴様等は見事余の兵を打ち倒した。つまりそれは余とその側近に挑戦する資格を得たということ。進がよい! それから!」
再生した鎧たちはヨハンとアーデルハイトを通り抜け、その後ろに恐る恐る付いて来ていた、戦うわけではない観衆へと近寄っていく。
「なにをするつもりだ!」
ヨハンがショートバレルを向けるが、引き金を引くよりも早く鋼の兵士は観衆達の中から子供を探しだし、二人をその両肩へと担ぎ出す。
「観戦するならばもっと堂々とせよ! 戦いの場にさえ立ち入らねば余から手を出すことはない! これより行われる決戦に際しても存分に見るがいい!」
戦場となっている個所の外側を案内するように、子供を肩に乗せたまま歩いていく。
その後を観客達も続き、いつの間にかそこにはギャラリー用の観客席が出来上がっていた。
「……なんか、調子狂う」
「本当にただのイベントをやっているのか」
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