第二節 久しぶりの王女

 イシュトナル要塞、エレオノーラの執務室。

 ここに王族が勤めていると言われれば、大半の貴族は驚くであろう程に、その部屋は質素であった。

 元々は無骨な要塞であるところを必要最低限の改装しかしていないのだからそれは当然でもあるが、初めてこの部屋に踏み入れた者はそれでエレオノーラの性格と、ともすればイシュトナルの窮状を知ることになる。

 執務用の大きな机が一つと、部屋の左右に来客用の椅子が幾つか。足元は絨毯が敷いてあるが、それが家臣達が説得してエレオノーラが納得した数少ない調度品の内の一つだった。

 太陽の光が多量に差し込まれる大きな窓を背に、エレオノーラは今腹心であるディッカーからの報告を受けていた。

「今上がりました報告書が、西側の村落の意見を取りまとめさせたものです」

「うむ。……働き手が足りぬと?」

「はい。昨年は随分とこの辺りの治安も悪化していたようで、賊にかなりの数が」

「……そうか」

 痛ましい顔をしてエレオノーラは頭を抱える。

「これに付いての解決法はどうなっている?」

「東側の寄り合いからあぶれた人材を回すことで双方納得しそうです。逆に向こう側は食い扶持が増えたことで問題が生じていましたから」

「エトランゼ達には苦労を掛けるな。聞けばあちらの世界はここよりも遥かに文化的な生活を営んでいると言うではないか」

「はい。ですがこちらの世界に来てしまった以上、それが本人の総意でないとは言え、こちらのやり方に従っていただく他ありません」

「そうだな。それはヨハン殿もそう言っている。他には……」

 言いながら渡された報告書に目を通す。

「ハーフェンでの会合か。マルク・ユルゲンスと言ったか? 確か娘に土産を持たせて寄越したと聞くが」

「ああ、はい。ヨハン殿とは旧知らしく、そちらで挨拶を済ませたとか」

「ヨハン殿と?」

 些か奇妙な話ではあるが、別にマルク・ユルゲンスはエレオノーラに向けて娘を寄越したわけではないし、その贈り物とやらもイシュトナル全体にと言うことらしい。

 正直なところエレオノーラ個人に謁見を求めたうえで胡麻をすろうというわけではないその態度には好感が持てる。

 本人としては後日に会合を行うとして、こうしてその日どりを決めるために連絡を寄越しているわけであるのだから。

 とはいえ。

「……ヨハン殿と、娘か」

 その組み合わせに嫌な予感を覚えて、うむむと首を傾げるエレオノーラ。

「しかし妾に紹介しないというのも水くさいではないか」

「エレオノーラ様にしてもヨハン殿にしても多忙ですし、何かお考えがあってのことなのでしょう?

 娘とそのお付きの侍女はそれなりにヨハン殿に懐いている様子ではあるようですから、そちらの方が話し合いが円滑に進むと考えたのかも知れませんね」

「……娘とお付きの侍女?」

「おっと、これは失言でしたかな。うはは」

 わざとらしく、ディッカーはそう言って誤魔化す。その内心にヨハンに対する好意的な悪意があることは間違いない。

 本音を言ってしまえば、エレオノーラはもう随分とヨハンと会っていない。いや、要塞内で擦れ違うこともあるし、会議に同席することもあるが個人的な会話は一切交わされていない。

「ディッカーよ。この農家が通過する商人達に余剰な作物を売って金を稼いでいるということだが、冬に向けての備蓄は上手く行っているのか?」

「は、いえ……。どうでしょうか。すぐに調査させます」

「任せた。……兄上と再び争いになるかも知れんのだ。兵糧は多いに越したことはない」

 恭しくディッカーが頷く。

 予想では近いうちに戦いの時は来る。その前にできるだけ準備をしておく必要があった。

「……祭りも直前を迎えて、街は活気付いているな」

「そうですな。いや、懐かしいものです。私が妻を初めて逢瀬に誘ったのも、王都での祭りの時のことでしてな。もう二十年以上も前のことになりますが」

 過去を懐かしむように、ディッカーは柔らかな声色でそう言った。

「ほう! やはり祭りと言えば盛り上がるのか? その、男女の関係と言うか、そう言うやつが」

「はははっ。私は女心もろくに判らなかったので、その時は大したことも話せずに終わってしまいました。残念ながらヨハン殿も、似たようなものでしょうな」

「む、そうか……そうか」

 一瞬残念そうに肩を落としてから、エレオノーラは勢いよく顔を上げる。

「だ、誰がヨハン殿のことを言っているか! 妾は一般論としての話を聞いたのだぞ!」

 その言葉に、ディッカーは笑い声で答える。

「ですが明日は祭り。エレオノーラ様も午前中の公務を終えれば特に予定もありませんし、一緒に回ってみるのもいいのではないでしょうか?」

「……何を言っているディッカー。妾は午後からはイェルス卿達と共に会食の予定があるぞ? なんでも祭りを見ながら今後のイシュトナルのことについて話し合うのだとか」

「は、は、は。そのような些事はこのディッカーに任せておいて頂ければいいでしょう」

 実際のところ、それは会食とは名ばかりのエレオノーラい媚びを売るための食事会に過ぎない。

 彼等はイシュトナルの未来を憂いていると口では言うが、その実内心にあるのはこちらに置ける貴族の地位向上や権限の拡大だ。

 ディッカーとしては未だ年若い少女であるエレオノーラを、一年に一度の日にまでそんなくだらないことに縛り付けておくつもりはなかった。

「ヨハン殿も午後からはお暇のようですし、二人で市勢を見回るのも立派な仕事のうちでしょう」

「……うむ。そなたがそう言うのならば、妾もそれに従う他なかろう。なんといっても信頼できる家臣の言葉なのだから」

 口ではそう言うが、エレオノーラは自分の口元が緩むのを抑えられていなかった。


 ▽


 オルタリア収穫祈願祭と、かつてその祭りはそう呼ばれていたらしい。

 それも随分と昔の話で、そこに外部から流れた様々な文化や要素が足された結果、既にそれは元の形を失っていた。

 エイスナハルの介入もその一つで、元は土着の祭事であったこの祭りに神への感謝も組み込まれている。

 祭りなどと言うものは大抵の参加者にとっては騒いで日頃のガス抜きをするものであって、別段そこに込められた理由などは重要ではない。

 今でも地方や家柄によっては以前の形を保とうとしている者もいるようだがそれもごく一部のことだった。

 そんなわけで祭りの当日、イシュトナルはこれまでにないほどの人が集まりそれによって生まれた熱気に包まれていた。

 今日ばかりは冒険者達も大半が仕事を休み、この日を楽しんでいる。この祭りの影の主役は彼等でもあるのだから。

「ヨハン殿!」

 バンと、勢いよく扉が開かれて飛び込んできたのはエレオノーラ。

 ヨハンの執務室はいつもと変わらず、敢えて言うならば窓から見下ろす景色が普段の勤労的な慌ただしさではなく、そこに立つ兵士達も手には外から買ってきた食料を持って楽しそうに談笑をしていることぐらいか。

「エレオノーラ様。開会のお言葉はお見事でした」

「うむ!」

 褒められたことが嬉しいのか、エレオノーラはえへんと胸を張る。彼女が開会の挨拶をする際に来ていたドレスの胸元がたわわに弾んだ。

「さてヨハン殿。これにて妾の今日の公務は全て……」

 言いかけて、エレオノーラは当たりをきょろきょろと見回す。

「どうしました?」

「……うむ。サアヤや、そなたがオル・フェーズから連れて来た魔導師殿はどうした?」

「サアヤは友人の店の手伝い。アデルはカナタと一緒に祭りを回るそうですよ」

「ほう……。それは、うむ。なんというか、こんな出来過ぎていていいのかと不安になるな」

「……なんのことです?」

 慌ててエレオノーラは首を横に振って、「な、なんでもないぞ!」と誤魔化しにもなっていない誤魔化しをする。

「つ、つまりだ。そうなればヨハン殿は祭りを一緒に見て回る相手もいないのではないか? 普段から周囲に人の姿が絶えないヨハン殿らしくもなく。そこでだ、そこで妾としては第一の家臣であるヨハン殿にそんな寂しい思いをさせておくわけにはいかんと、この場に馳せ参じたのだが」

「――ああ、それなら心配いりません」

 早口でまくしたてるようなエレオノーラの言葉は、ヨハンの一言で遮られる。

「心配ないとは? ヨハン殿、まさか妾に内緒でまた新しい婦女を騙しているとではないだろうな!」

「……エレオノーラ様の中での俺の評価がよく判りました」

 恨めし気に睨むが、ヨハンとて後ろ暗いところがあるのでそれ以上は何も言わない。

「残念ながら、俺の祭りはここで始まってここで終わります。先日、ヴェスターから報告がありまして、イシュトナルの内部に賊のような連中が現れたそうです」

「賊だと?」

「はい。そいつらが何でも、ヴェスターの実力を持ってしても取り押さえれないほどの腕前だったとかで。何かあった時のために詰めておく必要があると判断しました」

「……い、いや、しかしだなヨハン殿」

 どうにかヨハンを外に連れ出す言い訳を考えるエレオノーラだが、それが彼の仕事であり賊が現れたとあってはそれを覆す言葉など思いつくはずもない。

 そもそもヨハンにここまで仕事を偏重させたのはいったい誰の仕業かと怒りを覚えるが、その一端を確実に自分が担っていることに気付いて肩を落とす。

「……どうかしましたか?」

「何でもない。何でもないが……!」

「とにかく、ここは俺に任せて遊びに出てきてもいいでしょう。もしあれならお忍び用の衣装でも用意しますが?」

「……むー」

 唸り声を上げて睨んでみても、ヨハンは全くエレオノーラの真意に気付こうとはしない。

「そもそも、一人で回る祭りは楽しいのか?」

「つまらないということはないかと。俺は別に暇なら一人でも繰り出しますが」

「ほう。意外だな、そなたは仕事でもなければ外に出ることを嫌がる性質だと思っていたが?」

「偏見ですよ、それは。外に出るのが嫌いならあっちこっちに出向いたりはしないでしょう」

「……ふむ。それもそうか。しかし妾は一人では嫌だぞ」

「ではカナタでも呼び戻しますか? あいつなら」

「そうではない! ええい、とにかくここから出られぬのは仕方がない! 仕方がないが納得できんことがある。どうしてそなたは仕事をしながら話半分に妾と喋っているのだ!」

 椅子に座るヨハンに近付いて、腕を引っ張って無理矢理立たせる。

 困ったような、呆れたような顔をしながらもヨハンはそれには逆らわず、手に持っていた書類がひらりとテーブルの上に舞った。

「……はぁ。何がお望みで?」

「労いだ。お互いのな。こんな晴れやかな日なのだから、しかめっ面で仕事をすることもないだろう。妾とそなた、二人でこのイシュトナルのために普段は身を粉にして働いているのだから、今日ばかりはお互いの勤労を讃えたっても罰は当たるまい!」

 来客用の、半ばアーデルハイトの定位置となっているソファまでヨハンを引っ張って行き、隣に座らせる。

 エレオノーラは切り替えも素早く、祭りにこそ出られはしないものの、ヨハンと一緒にこうして二人で過ごせるのならばこれはこれでと考え始めていた。


 ▽


 ところ変わってイシュトナルの街中。

 要塞を中心に少しずつ建物が増えていき、今や脅威の速度で発展を続けていたその街は、これまでにないほどの活気に包まれていた。

 立ち並ぶ建物の間には所狭しと露店が並び、客引きの景気の良い声が響き渡る。

 普段は野菜や日用品を売っている店ですらも今日ばかりは気合いを入れた逸品を店先に並べて、祭りの熱に浮かされて財布の紐が緩くなった旅人や観光客に狙いを定めていた。

 それらを見て回る人の数も普段の倍以上にのぼり、いつもならば決して満たされることのない中央通りは人波でごった返して通り抜けるのにも時間を要するような状態だった。

 客引きの声、子供の歓声、騒ぐ酔っ払いの喧騒の間を、カナタはアーデルハイトを連れて揚々と歩いていく。

「すっごい人だねー。急にお祭りやるなんて言うから何事かと思ったけど、こんなに集まるんだ」

「エトランゼが多い街だから、違う世界の催しを楽しみにわざわざ来る人もいるみたいよ。実際」

 アーデルハイトの視線が、ある屋台へと向けられる。

「お祭りの日なんて言うのは外に出て食事をしたり、お酒を飲んだりするぐらいで、特別な物を売ったり屋台を出すなんて言うことは……」

「あ、ハンバーガー! アーデルハイト、あれ食べようよ!」

 アーデルハイトの話を半ば無視して、カナタはその屋台へと飛んでいく。

 鉄板の下に火を起こし、挽肉の塊を焼いていた中年の店主は、目の前に現れたカナタに対して愛想よく笑いかける。

「おう、元気なお嬢ちゃんだな! あんたもエトランゼかい?」

「そうです! 二つお願いします!」

「ちょっと待ってな! 今日のためにずっとメニューを考えておいたとっておきだからな。少しでも元の世界の味を思い出して欲しくてよ」

 言いながら、よく焼けた挽肉と野菜をパンに挟んでいく。祭りだからか、二つのパンの間で食み出んばかりに主張する具と、濃厚なソースの香りが食欲をそそる。

 それを紙に包んで二つ受け取ると、その片方を追いついてきたアーデルハイトに手渡した。

「はい、これ。ボクの世界の食べ物」

「……誰も食べるとは言ってないのだけど」

「食べないの?」

「食べないとも言っていないわ」

 言いながら、異世界の食べ物に対しての興味を隠せないのか、ハンバーガーを受け取ったアーデルハイトは早速それを小さく齧った。

「……ん」

 彼女が小さな口で咀嚼するのを見ながら、カナタも大きくかぶり付く。

 口の中でゆっくりと味わって、飲み込んでから一言。

「……うん。なんか違う」

「それは言わんでくれよ。材料を調達するのだって一苦労なんだからよ」

「でも、これはこれで美味しいですよ。ね、アーデルハイト?」

「……そうね」

 いつの通りの冷静な口調で呟きながら、アーデルハイトは次を口にする。

「うん」

 一人で頷いて、もう一口。

「……そうね」

 また一口。あっという間に半分が彼女の口の中に納められた。

「気に入ったの?」

「……なんと言うかこの……えぇっと、言葉は悪いのだけど、身体に悪そうな濃い味が癖になるというか」

「本物はもっと味濃いけどね」

 香辛料や調味料の関係だろう、ハンバーガーに限った話ではないが、元の世界で食べたものよりも薄味になる。もっとも野菜はこちらの方が美味しいし、健康のためにはそちらの方がいいのではあろうが。

 屋台から離れ、二人でハンバーガーを食べながら歩いていると、先に食べ終えたアーデルハイトが手巾を取り出してそれをカナタの頬へと伸ばす。

「ほら、付いてるわよ」

「んぐ。ありがと」

 呆れ半分、微笑ましさ半分と言った表情でカナタの頬に付いたハンバーガーのソースを優しく拭き取る。

「……やっぱりお母さん?」

「次それ言ったら痺れさせるわよ」

「クラゲみたいに?」

「そう。クラゲみたいに」

 ばちっと、アーデルハイトの人差し指と親指の間で青白い火花が散るのを見て、カナタはそれ以上何かを言うのをやめた。

 そうしてしばらく二人は熱気に浮かされるままに、人混みの中を歩き続ける。

「さあさあ今日だけの特別な品だ! なんとあのアランドラから仕入れた珍しいアクセサリーの数々だよ!」

「ちょっとお客さん! あんな詐欺に騙されちゃいけない! こっちは王都オル・フェーズで流行ってる最新のファッションアイテムだ! 向こうじゃこれを付けてない人はいないって代物だよ!」

「そこのエトランゼの人、故郷の味に興味はないかい! 焼きそばにたこ焼きもあるよ!」

 見れば、客引きをしている屋台の中にはお面やくじなどカナタの知っている祭りでお馴染みのものを売っているものもある。

 こちらの世界の住民と、エトランゼ。彼等の文化が混じりあい、混沌とした様子を見せているが、それがまたイシュトナルらしいと、外から来た人々には好評のようだ。

「あーいうくじって全然当たらないんだよね」

 宝石や見たこともない綺麗なガラスなどの景気のいい品々が店先に並べられたくじ屋を横目に、カナタは小声で言う。

「……ああいった手合いのお店は、売る側が儲かるようにできているんでしょう?」

 アーデルハイトの意見は冷静だった。

 火花を散らす熱の入った客引きも、祭りの空気の中ならば不思議と許される気がしてくる。彼等も本気で争っているわけでもなく、お互いに顔には笑みを浮かべていた。

 そんな空気に浮かされるままにふらふらと歩いていると、人混みがちょうど途切れたところで見知った顔を見かけた。

 冒険者や軍人達の憩いの場として人気のある酒場は、今日は建物内だけでなくその敷地内一杯にテーブルと椅子を並べて、大勢のウェイトレスが忙しなく歩き回るビアガーデンのようになっている。

 酒の飲めないカナタはその店には行ったことはないが、冒険者達の間では評判の店だ。

 そこの一角に、サアヤの姿を見つけた。

 今日は友人の仕事の手伝いをすると聞いていたが、どうやらそれがこの酒場のようだった。

「あ、サアヤさん!」

 手を振って近づこうとするカナタだったが、その襟首をアーデルハイトが掴んで止める。

「なにするの!」

「何か様子がおかしくない?」

 言われた通り、見てみればサアヤとその友人の女性の周りには妙に剣呑な空気が漂っている。

 そこだけ祭りの楽しげな雰囲気とは切り離されて、大半の客が単なる喧嘩だろうと流しているが、その傍にいる人々は只事ではないその空気に巻き込まれないように距離を取り始めていた。

 カナタとアーデルハイトの二人は柵で囲まれた敷地内に、入り口となっている個所から入り込み、昼間っから酒を飲んでいる酔っ払いたちの間を通り抜けてサアヤ達がいるテーブルへと向かって行く。

 フリルの付いたエプロンを来たサアヤが、一人の男に何かを懇願している。

 褐色の肌に首もとで纏めた黒の長髪。筋肉質な上半身を晒したその男は目の前にいる尻餅をついている男を冷たい目で見下ろして、手に持った鋼の杖の先端を突き付けている。

「あの、わたしは大丈夫ですから!」

 サアヤはそう言って男を抑えるが、相手側は全くそんなことは意に介していない。

「状況を見るに、サアヤに絡んだ酔っ払いをあの男が撃退したと言ったところかしら?」

 アーデルハイトの呟きが耳に入ったのか、男は首を回してカナタの方を見る。それによってサアヤも、カナタ達が傍にいることに気が付いたようだった。

「カナタちゃん!」

「そうだとも、小さな見た目に似合わずなかなかの洞察力ではないか。褒めてやろう」

「小さいは余計よ。それから、貴方に褒められても嬉しくないわ」

「フハハッ、そう邪険にするな。余の正体を知れば今の言葉を後悔し、撤回することとなるだろうからな! まあそれはそれとしてだ。この男は祭りの熱に浮かされたとはいえ、この可憐な花を無理矢理に自分のものにしようとしたのだ! そこで貴様に問うぞ、賢しき子供。それは罪ではないか?」

「あ、あの! お酒に酔ってたみたいですし、別にわたしはそんなに迷惑はしてませんから」

「気にするでない可憐な女よ。誰とて羽目を外すこともある。しかし、この場合は問題がある。さあ答えてみよ賢しき幼子!」

「……別に、特に問題があるとは思えないのだけれど? 敢えて言うなら、貴方が気に入らなかったとか?」

「その通り!」

 朗々と、周囲の喧騒を全て吹き飛ばしてしまうほどの大声を男は放った。

「余の面前で、余が手を伸ばそうとした花に向かってこともあろうにそれを下品な手段で手折ろうとするとは万死に値する! そう思わんか!?」

「……つまり、ナンパをしようとして先を越されたから苛立ったと?」

 視線を向ければ、哀れエトランゼと思しきその男は恐怖のあまり尻餅をついたまま動けないでいる。

「俗な言い方はよせ。庶民の言葉で言えばそうもなろうが、余がそれをすれば美しき花を愛でる行為となる。違うか?」

「わ、わたしに聞かれても……」

 自分勝手すぎるその言い分にはサアヤも困り顔をするしかない。

「と、とにかくわたしは大丈夫ですから。助けてもらってありがとうございます。だから……」

「うむ! 皆まで言うな可憐な花よ。余と共に行きたいのであろう。ふむ……確かに余は享楽でここに来てはいるが、一輪の花に時間を割いてやれるほどに余裕があるわけではない。どうであろう、後程落ち合って共に一夜を過ごすというのは……」

「いえ、あの。わたし、そう言うのはお断りします」

「なんと! 余の誘いを断るというのか!」

「あのさ」

 指先で隣に立つアーデルハイトをつつき、呆気に取られていたカナタはようやく小声で喋りはじめる。

「あの人、すっごい変?」

「うん」

 こくりと頷くアーデルハイト。

 そこでいい加減に騒ぎを治めるために、酒場の主人と給仕として働いているサアヤの友人が現れた。

「ちょっとあんたね! いい加減に騒ぐのはやめてもらえるかい! 迷惑なんだよ、出てってくれ!」

 中年の店主は勢いに任せて男を怒鳴りつけるが、当の本人は何処吹く風で、全く臆した様子もない。

「奇妙なことを言うな、主人。余はまだ酒の一杯も飲んでいないのだぞ。だがちょうどいい、席と酒の用意をせよ。この店で一番質がいいものを持て」

「騒ぎを起こす馬鹿に飲ませる酒なんか一滴もないよ! サアヤちゃんは今日はうちの従業員なんだから、連れてかれちゃ困るんだよ! あんたもほら、立ち上がってどっか行きな!」

 店主に言われて、ようやくそれまで存在を忘れられていたナンパ男は立ち上がって、這う這うの体でその場から立ち去っていく。

「余の獲物をまさか目の前で解放するとはな。なかなかの度胸だが、それは蛮勇と言うものだぞ、来訪者よ。余は寛大なつもりではいるがその実は苛烈なる鋼の王でもある。いつ鋼の切っ先が貴様の首を掻き切るか、恐怖しておくに越したことはないぞ」

 そう言って鋼の杖を手の中で回して、その先端を店主に向ける。

「な、なんだ! やるってのか! クレア、警備隊を呼んできな!」

 ブロンドにショートヘアの、スタイルのいいサアヤの友人は、慌ててその場から立ち去ろうとして、様子を伺っているカナタに気が付いて声を上げた。

「あれ、あんた小さな英雄ちゃんじゃん! サアヤの友達なんだし、何とかしてよ!」

 悪意のないその言葉で、成り行きを見守っていた他の客達の視線もカナタへと集中する。

 エトランゼの味方、小さな英雄。

 そう呼ばれた彼女なら、このややこしい事態も丸く収めてくれるのではないかと言う期待が目に見えるほどに膨らんでいく。

 事実店主も何も言わないが、視線はカナタにこの場を治めてくれるように訴えていた。

「……貴方達」

「いいよ、アーデルハイト」

 何かを言おうとしたアーデルハイトをカナタは制する。

 もう英雄をするつもりはないが、この事態を何とかしないといけないことに変わりはない。サアヤは友人だし、勝手に連れていってもらっては困る。

 そう言って顔を上げたカナタの目の前に、影を作るようにその男は立ち塞がっていた。

「うわ、近い!」

「ほう! ほうほう! 貴様か、貴様が噂に名高き来訪者の英雄か! その威明は余の元にも届いているぞ。しかしてふむ……」

 顎に手を当てて、腰を折って目線を合わせながら男はじろじろとカナタを観察する。

「いや、うむ。余としたことが見た目で判断してしまうところであった。確かに小さな英雄の名に恥じぬ小ささである。しかしてその小ささで御使いを討伐して見せたその手腕が本当ならば、実に栄誉である!」

「小さくて悪かったね!」

「気にするな! それは時が解決することであろう!」

 ぽんと、頭の上に手が乗せられる。

 まるで子供扱いされているその仕草が気に入らず、カナタは勢いよくそれを跳ねのけた。

「とにかく! これ以上お店に迷惑を掛けるならボクが相手になるから!」

「……ほう」

 男の目が細まる。

 強く鋼の杖が地面を叩いた。

「面白い! 余も小さな英雄の実力を見てみたかったところだ!」

 言いながら、男はゆっくりと地面に円を描きながら歩きだす。

 そしてアーデルハイトも、サアヤも、クレアも、店主もその円の外へと押しやられていった。

「民を巻き込み、折角の祭りに水を差すわけにはいかんだろう。そこでだ、これを余興の一つとする。余とお前の一騎打ち、観客は酒に酔い、望む方へと声援を浴びせ、我等が戦いを見て心躍らせるがよいだろう」

「え、なに?」

「これは久方ぶりに昂るぞ。共に御使いを屠った天を裂く剣の二振り、そのぶつかり合いは千金の価値があろう!」

「御使いを屠ったって……!」

 アーデルハイトが驚愕の声を出す。

 だが、最早当の本人は外野の声は聞こえていない様子だった。勝手に一人で盛り上がっている。

「……変な人だけど、懲らしめれば大人しく帰ってくれるってこと?」

「それが望みならばな! では名乗るがよい、小さな英雄よ!」

「な、名乗るって……?」

「名前を言えってことよ。一騎打ちの前に、お互いに自己紹介をするの」

 カナタの背後に回ったアーデルハイトがそう耳打ちする。

「わ、判った。ボクの名前はカナタ! ……です」

「良き名だ! 余はベルセルラーデ・ネフェルタリア・ソム・バルハレイア! 偉大なる神の血を引く鋼の王である!」

「ベルセルラーデ!?」

 カナタの後ろでアーデルハイトが驚きの声を上げる。

「え、なに!? 有名人!?」

 カナタがそれを確かめる間もなく、二人の戦いが始まった。

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