第六節 地下四階
それからヨハン達一行は、クラウディアを回収して洞窟内で野営することになった。
休憩を終えたら一度撤退することも考えたのだが、クラウディアがそれでは納得せず、せめて地下三階だけは踏破しておこうともう少しだけ先に進むことになった。
今の時刻は夜。とはいえ暗い洞窟の中に入って随分と時間が経っているので、昼夜の感覚は大分麻痺しているが。
一つだけ持って来た簡易テントの中では、女性陣が三人休んでいる。戦いの怪我の治療も兼ねて、彼女達には優先して休息をとってもらう必要があった。
ヨハンはそこから少し離れたところで見張りをしている。一応魔物避けの結界を張ってはいるが、用心するに越したことはない。
ぱちぱちと爆ぜる焚火の炎を見つめながら、先程の少女の言葉を反芻する。
「意味などはないのだろうがな」
それでも、どうにも少女の言葉が気にかかった。
だからと言って、どうしようもない話ではあるのだが。
果たしてこのダンジョンの奥に行けば、何らかの答えがあるのだろうか。危険があるにも関わらず、クラウディアの我が儘を抑えきることができなかったのはヨハン自身にもその期待があるからだろう。
テントの入り口が開く音がして、そちらに顔を向ける。
寝巻代わりの簡素な衣服に身を包んだカナタが、顔を出し、こちらに向けて微笑みかけていた。
「どうした?」
返事をするよりも先に、テントから抜け出して傍に近付いてくる。
ヨハンが座っている平らな岩の横に、その小さな身体を滑り込ませるように座った。
岩は決して大きなものではなく、二人が座るのには手狭であったが不思議とどちらも避ける気にはなれなかった。
「クラウディアの寝相が酷くて……」
眉を顰めて一言。
「胸で窒息死しそうになったのは初めてだよ」
「貴重な経験ができて何よりだ」
適当に返しながら、ヨハンは鞄から干し肉と漬物、チーズとビスケットを取り出す。
「食うか? ……なんでそんな顔をしてる?」
「……むっつりスケベ」
「別にしたいとは言ってないだろうに」
「でもふわふわだったよ?」
「……この話を続けても、お互いに良い終わり方は迎えないと思うが?」
そう言うと、カナタは一瞬自分の胸の辺りを庇うように両腕を交差させてヨハンを睨んだ。
「食え」
「ん」
頷いて、干し肉をヨハンの手から直接齧る。
静寂に包まれた洞窟の中は、地底湖が流れる水音に交じって焚火が爆ぜる音がよく響く。
膝の上に乗せた食料を次々口に運びながら、カナタは姿勢を傾け、ヨハンの肩に頭を乗せるように体重を預けた。
彼女が何を言いたいのかを理解して、ヨハンはその頭に手を伸ばす。
どうやら川の浅瀬で軽く水浴びをしたようで、触れた髪は柔らかにい。
「……よく頑張ったな」
「うん。クラウディアのおかげかな。……本人には言わないけど」
「言わなくても感謝は伝わっているだろう。必要以上にな」
クラウディアの性格ならば、きっと胸を張ってそう思っているに違いない。
「ボクは、自分のために力を使ってもいい。それはハーフェンで判ってたんだけど、どうしても納得できなくて」
心優しい彼女は、自分が目を背けてしまったことに対して責任を持ってしまう。
いつかやってくる、助けられた命に手を差し伸べなかったことを後悔するだろう。
「でも、クラウディアに怒られて判った。うん、ボクはそんなに強くない」
「そうだな」
「しかも頭も悪いし」
「そうだな」
「そこは否定してよ」
ぽりっと、漬物を食べる音が静かな中に木霊する。
「比べちゃったんだ。あの人達と、ヨハンさん達と、どっちを失いたくないかって」
そんな選択は誰だってやっている。
この世界に生きる以上、常に人は天秤を持って、その両方に乗せられたものの重みを図りながら生きている。
それはヨハンも同様で、カナタよりもずっと多くのものを天秤に乗せてはその重みを比べてきた。
その結果の一つが、シュンがヨハンに抱いている憎悪のような感情だろう。
心優しい少女は、天秤に乗せることができないでいた。
そんなことをするぐらいならば、自分を犠牲にしてでも両方を救う道を選ぼうとしていた。
だが、それは選択ではない。
いつか来るその日を、選べなかったがために全てを失ってしまうであろう瞬間を待っているだけだった。
「クラウディアに怒られちゃった」
「前も喧嘩していたな」
「だってすぐ怒るんだもん。……それに、なんかクラウディアに言われるとつい言い返しちゃうんだよね、反射的に」
仮に、アーデルハイトに言われれば素直に従うだろう。特に理由があるわけではないが、彼女に言われっぱなしになるのは悔しいと、そんな気持ちがカナタの中にはあった。
「似た者同士に思えるがな、お前達二人は」
「かもね」
認めたくはないが、恐らくはそうなのだろう。
「くしゅん!」
会話が途切れるのと同時に、カナタが小さくくしゃみをする。
「アデルの風邪をうつされたか? 寒いならテントに入って寝ろ。クラウディアの寝相は諦めろ」
「眠くないよー。ねえ、なんか暖かい飲み物持ってないの?」
「……仕方のない奴だ」
「あ、その前に。ね、こっち降りて」
カナタが指さしたのは、ヨハンが座っている平らの岩の下、焚火の丁度正面に当たる場所だった。
「で、ここに背中を付けて」
言われるままに今まで座っていた岩に寄りかかるような形で座り込む。確かに焚火に近くなった分は温かいのだが。
「で、ボクはここ」
ヨハンの足の間、ちょうど背中から抱きしめられるような格好になる場所に、カナタはするりとその身体を滑り込ませる。
そして勝手にローブの前を掴んで自分の身体ごと包み込んでしまった。
「えへー。これで暖かいね」
「……まったく。とんだ甘えん坊だな」
言いながらも、別にそれを退かすようなことはしない。
鞄から保温効果のある水筒を取り出して、そこに入っている珈琲をカナタに差し出す。
「あー、これいいかも。今度アーデルハイトにも教えてあげよ。にがっ」
「一口だけだぞ。こっそり持って来たというのに」
ぶつぶつ言いながら、ヨハンはカナタから水筒を取り上げて中身を口に含む。
芳醇な珈琲の香りと苦味が口の中に流れ込む。
「地上に戻ったらさ、またたまにこうして甘えに来てもいい?」
「好きにしてくれ」
「うん。好きにする」
それから二人は、これまで一緒にいなかった時間を埋めるように、色々なことを話した。
それは決して建設的な話ではない。今するようなことでもない、単なる世間話。
ただ、それを話しているカナタの声がとても楽しそうだったので、ヨハンも止めどころを見つけられずついつい話し込んでしまう。
二人の会話は、眠くなったカナタはヨハンの胸に頭を預けて寝息を立てるまで続いた。
▽
翌朝、手早く夜営の後を片付けた一行は未だ誰も踏み入れていない洞窟の奥地へと向かって進んでいった。
ダンジョンが途切れた洞窟内部は入り組んでいて、あちこちに先の戦いでカナタとクラウディアが落ちたような横穴が空いているが、ヨハンの魔法道具のおかげで道に迷うことなく進むことができている。
真横を流れる地下河川を辿るように歩いていると、やがて半壊したダンジョンの廊下が見えてきた。
「こっからまたダンジョンみたいだね」
半ば土に埋まっているダンジョンに再び足を踏み入れると、そこから先は特に破壊された後もない、三階より上と同じような廊下がずっと続けている。
それから少しも歩かないうちに、更なる地下への階段が見えた。
「……まだ下があるのか」
「どうします? 並の魔物ならともかく、あれと同じ規模の敵が出て来たら今度こそお終いかも知れませんよ?」
ラニーニャが冷静な意見を口にする。
クラウディアの背中に背負われているオールフィッシュは、破損が酷く修理しなければ撃てるような状況ではない。
ヨハンのヘヴィバレルも弾薬こそ尽きていないが、強力なものはあらかた撃ち尽くした。
「でもさ、あいつが護ってたんだとしたらここから先にお宝があるってことでしょ?」
「可能性は高いな」
「それにさ、もしあいつが沢山いたとして、侵入者を排除するのに一人一人襲って来るかな?」
クラウディアの言い分には一理ある。
「……ボクも進みたい」
カナタがぽつりと呟く。
「あいつが護ってたもの、この先に何かがあるのなら……見てみたい」
「さっすがカナタ! 話判るじゃん!」
嬉しそうに言って、クラウディアがカナタに抱き付く。
「……どう思います、よっちゃんさん?」
「進もう。ある程度探索してこれまでの階層と変わり映えがなければ一度撤退する」
「仕方ありませんね。ですが確かに、あのガーディアンを倒してから魔物の襲撃が減ったのも事実ですし。そろそろ終わりも近いのかも知れませんね」
全員の了承が取れたところで、ヨハンは歩みを進めていく。
四人分の足音が広い空間に響き渡り、百段ほどを降りたところでその終わりがやって来た。
「……これは」
その最深部は、すぐにこれまで歩んできたダンジョンとは違うものだと判った。
階段の終わり、踊り場のようになっている空間には大きな扉がある。
左右対称の両開きの扉は、先程戦ったガーディアンのコンテナ部分と同じようなスリットが入っており、そこを青や緑の光が走っていた。
「ここが最奥ってことになるのでしょうか?」
「まだ判らん、が」
「これまでと違うことは確かだよね」
後ろで、クラウディアが息を呑む声が聞こえてくる。
お宝と騒ぐこともなく、ただ黙って扉を見つめる彼女にも伝わっているのだろう。
これから先目にするものは、下手をすれば宝物よりも何倍も価値があるかも知れないということが。
ヨハンが手を翳すと、扉に魔方陣が浮かび上がる。
何の道具を持ちいる必要もなく、空気が漏れるような音と共に扉は左右にスライドして開いていく。
その姿にクラウディアは何の疑問も覚えなかったが、ヨハン達三人は別だった。
「……どしたの?」
「いえ、スライド式の自動ドアがあることに驚いているんです」
「自動、ドア?」
「今みたいに勝手に開く扉のことです」
「へー、便利じゃん。ラニーニャ達の世界にはあったものなの?」
「はい。ですが、この世界で見るのは初めてですね」
既にヨハンの中で予想されていたことだった。
あのガーディアンを見れば、あれが魔物でないことは簡単に想像がつく。
中に人が入っていたことは驚きだったが、その身体は間違いなく機械のようなものでできていた。
ならばここから先に、元の世界と同等かそれ以上の科学文明があったとしても不思議ではない。
開いた扉の奥は、廊下が続いていてそれだけ見れば他の階層と何ら変わりはない。
ただ違うのは殆ど損傷がなく、天井には幾つもの電灯があり、弱々しい白い光が足元を照らしている。
廊下の左右には邪魔にならない程度の大きさのケースに入った観葉植物や、壁に埋め込まれたアクアリウムのような水槽が点在している。
「ねえ、ここってさ」
「恐らく、このダンジョン……いや、遺跡全体がかつて誰かが住んでいた居住区のようだな」
最早、これはダンジョンと呼べるものではない。
少し歩くと広場のような空間に出て、そこには高い天井に向かって伸びる柱のようなものが何本も立っていた。
そのうちの一本に近付き、貼り付けてある板をよく確認する。
空に浮かぶ魔法道具の灯りを近づけて見てみると、どうやらそれは見取り図のようだった。
その地図は一番判りやすい位置にB4と書かれていて、この階層が記されている。
「カナタ。地図を」
「うん」
これは間違いなく世紀の大発見だ。
この世界の古代に文明があった。それもエトランゼがいる今よりも遥かに先を行く技術を持って。
その事実は多くの学者を興奮させるに足るものだろうに、自然と誰もが同じような高揚感を得ることはない。
好奇心旺盛なカナタまでもが、口数少なくこれから先目にするものをまるで恐れるように待ち続けている。
照らし合わせてみた地上一階からこれまで歩んできた道程の地図は、思っていた通り多少の歪みこそあれど大方はあっている。
判ったのは恐らくはここがこのダンジョンの最下層であるということ。
「ねえ、これさ……。英語だよね?」
「……そうだな」
カナタが尋ね、ヨハンが答える。
「それってつまり」
ラニーニャも近付いて、その文字を凝視する。
何度見ても間違いない。この世界では殆ど見ることのない、懐かしい文字が羅列されていた。
「この場所に、遥か古代に……エトランゼがいた、と言うことですよね?」
「そう言うことになる」
理由は判らないが、この世界に来たエトランゼは元居た場所に関わらずこの世界の言葉を話せるようになるが、文字の読み書きはそうはいかない。
「多分だが、文字の読めないエトランゼのために一番普及しているであろう英語で地名が書かれているんだろう」
英語で何かが書かれているすぐ近くには、見覚えのない形の文字が書かれている。それをそのまま読むことはできないが、文字が今の形になる前の古代語のようなものなのだろう。
「あの、ちょっと情報を整理していいですか? 滅多なことでは動じないラニーニャさんですが、こればっかりはちょっと、混乱してしまいそうです」
傍にあったベンチのような横長の椅子に、たまらずラニーニャは座り込む。
クラウディアが心配そうにその横に寄り添う。彼女はここで発見されたことがどういった意味を持つのか、今一つ理解していない様子だった。
「ごめん、アタシにはちょっと判らないんだけど、これってそんなに凄い発見なの?」
「……正直なところ、今の段階では何とも言えん。重要なことと言えばその通りなのだが、果たしてそれを知ったからと言って俺達の生活が変わるわけではない」
それ自体が大発見だとしても、それを騒ぐ余裕があるのはある程度安定した日常が約束されている者達の間での話だ。
例え古代にエトランゼがいたとしても、今を生きる当の本人達にとっては「だからどうした?」と一言で済ませられてしまいかねない。
「……でも、でもですよ、よっちゃんさん。エトランゼって、実際この世界では何年前ぐらいから発見され始めたものなのですか?」
「俺が聞いたり調べたりした話では十数年ぐらいの話のようだな。エレオノーラ様の母親のことを考えると、二十年前後と考えるのが妥当だと思うが」
「うん。多分、パパもそんなこと言ってたよ。アタシが聞いた話だとそれよりずーっと昔からいたってわけじゃないみたい」
ヨハンの知識を、クラウディアが補足する。
仮に百年以上に渡ってエトランゼが現れ続けていたとしても、数が増え始めたのは近年と言うことになる。
「ですがこの遺跡を、この表記を見るとエトランゼはずっと昔からいたということですよね? にも関わらずここを見つけるまでその痕跡が発見できなかった。つまり」
ラニーニャはそこで一度言葉を切って、深呼吸する。
「ここに住んでいたエトランゼは、何らかの方法で元の世界に帰還したとも考えられませんか?」
「……帰還」
カナタが呟く。
それは多くのエトランゼの目的で、今でもそれを目指す者達は大勢いる。
「希望を壊すようで申し訳ないが、そう結論付けるのは早計だ。
この遺跡が千年ほど前のものだったとして、千年前のエトランゼはどういう人々だと思う?」
「……確かに、それは失念していました。大昔の人々がこの世界に来てそしてわたし達の世界に戻って来たのだとしたら、そんな話が伝わっていなければおかしいですね」
「そこに関しては常々疑問に思ってはいたことなんだがな。相当な数のエトランゼがこの世界には来ているが、最近こっちに来た奴に話を聞いても、行方不明事件が頻発しているなんて話はないらしい」
「……そう言えばそうですね」
元の世界で何らかの方法で隠蔽されているのか、それともこちらに来た人のことは記憶から消えてしまうのか。
疑問には思ったが調べようもないし、判ったところでどうにもならないのは事実なので今まではあまりその疑問を口にすることもしなかった。
「実際ここが何年前のものかも判らないが、相当に昔の遺跡なのは確かだ。何せこれだけの技術があったというのに、今の時代には一切伝わっていないのだからな」
或いは、魔法技術の中にはこの事態の元を源流としたものがあったのかも知れないが、ヨハンが知っている限りではそれをしっかりと記した書物などは存在していない。あったとしても当時の文明に付いて詳しく書かれているものは知らなかった。
「何らかの影響で滅びた……。もしくは滅びかけて殆ど生き残りはいないと考えるのは妥当だろう」
少なくともギフトやエトランゼと言うものは一度途絶えている。それはほぼ確実な事実だった。
「……そうですか」
少しだけ残念そうに、溜息と共にラニーニャはその言葉を吐きだした。
「ラニーニャ……」
心配そうに自分を見つめるクラウディアを見て、ラニーニャはすぐに笑顔を作って彼女の頭を撫でる。
「大丈夫です。それにラニーニャさんはこちらの暮らしはそれなりに気に入っていますから。もし帰れたとしても残る可能性までありますよ」
「……とにかく、もう少し探ってみないことには何も判らんな」
辺りを見渡すと、天井や壁に備えられた蛍光灯から放たれる白い光が、遺跡内部を絶えず照らしている。
静寂が立ち込めたその遺跡内に、ヨハン達の他に何かが生きている気配は感じられなかった。
「二手に分かれませんか? これだけの広さを全員で纏まって探すのは、少々時間的に厳しいかと」
「そうだな。見たところ危険はないようだし。一応、何かあったらすぐに知らせてくれ。小一時間ほど探索したらこの場所でもう一度合流だ」
「はい。……大丈夫ですか、クラウディアさん?」
「うん。アタシはみんなに従うよ。なんか、お宝とか言ってる場合じゃなさそうだしね」
その言葉に、ラニーニャはくすりと小さく笑う。
「金目のものがあったら容赦なくいただいていきましょう」
「程々にしておけよ」
そう、特に意味を成さないであろう釘を刺して、ヨハンはカナタと連れだって薄い闇が立ち込める遺跡の奥へと歩き出す。
少し歩いてから振り返っても、ラニーニャとクラウディアがその場から動く様子はなかった。
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