第四節 地下で待つもの
地下三階からのダンジョンは、これまでとは大分違った様子だった。
二階までは多少の罅こそあれど殆どそのままだった壁や床の多くが崩れ、元のアルゴータ渓谷の石壁や地面が露出している個所が多く目立つ。
元々この辺りには空洞があったのだろうか、途中で途切れた廊下が天然の洞窟と混じりあい、上の階とは比べ物にならないほどに広く複雑な迷路が出来上がっていた。
土が剥き出しになった地面を歩きながら、ヨハンの隣を歩くカナタが、ローブの裾をぎゅっと握る。
「魔物と遭遇したのはこの辺りか?」
「ううん。もうちょっと先。少し進むと川が見えてきて」
カナタの言った通り、少し先から水の音が聞こえてくる。
アルゴータ渓谷の地下を流れ、オルタリア全土に張り巡らされている地下水路の一部が、ダンジョンと一体化していた。
途中から水の流れに沿って、川の隣を歩いていると、カナタが一瞬立ち止まる。
「この先。地底湖になってるところでボク達は……」
カナタの声は小さく震えている。
魔物に襲われた時のことを思いだしているようだった。地下河川を流され、運が悪ければ死ぬところだったのだから、その時の恐怖が蘇って来たのだろう。
もし怖いのならばカナタだけでも戻ることを提案しようとしたが、どうやらそのつもりはないようだった。
「……気配がしませんか?」
と、ラニーニャが言う。
四人はそれぞれ耳を澄ませて辺りの様子を探ると、最初に声を発したのはクラウディアだった。
「人の声がするよ。先に入り込んだ冒険者だと思うけど」
「ちょうどいい。合流すれば、魔物に付いて何か判るかも知れん」
ヨハンは率先して歩き出す。
それから少し進んだところで、カナタが落ちた件の地底湖に辿り付いた。
広々とした空洞は崖状になっていて、その下に真っ暗な水が溜まっている。それらは支流を伝って川を作り、オルタリアの地下を流れフィノイ河まで通じているのだろう。
高台になっている足場は空洞全体の三分の一ほどだが、それでも相当な広さだった。どうやら道としてもここが正解のようで、先の方には崩れかけたダンジョンの壁が見える。
それだけでなく露出した壁面からは、ヨハン達の頭上の灯りを反射して淡く煌めく鉱石が覗き、ヨハンはそれの一つに手を振れる。
「ミスリルだ。これほどの純度の物は滅多に見れるものじゃない」
ミスリルは魔法金属と呼ばれる魔力を帯びた金属の一つで、魔法道具には欠かせない材料でもある。
オルタリアが誇るあの魔装兵や聖別騎士の鎧の材料にも高純度のミスリルが使われており、その需要は非常に高い。
「こんな穴場があったとはな。もう少し探れば、他にも色々出て来るかも知れん」
「よっちゃん。目の色変えてるところ悪いけどさ、アタシ達の目的忘れてないよね」
ヨハンには前科があることを知っているクラウディアは、脱線する前にその意識を元の目的へと引っ張っていく。
「……そうだったな」
ばつが悪そうに答えると、目を凝らして声の聞こえてきた方を見た。
冒険者であろう一団が、焚火を囲んで談笑している。どうやら、ここで休憩をとっているようだった。
彼等に近付いて声を掛けようとすると、それより先にその一団の中の一人がヨハン達に気付いて声を上げる。
そして焚火の中心にいた男が立ち上がり、ヨハンとその次に後ろにいる女性陣を見て苦い顔を見せた。
「誰かと思えば、エトランゼの裏切り者じゃないか」
「何の話だ?」
「あんた、あの時の……」
後ろでクラウディアが低い声で呟いた。
「ちゃんと名前を覚えておいて欲しかったな。俺の名前はシュン。よろしくね。カナタは俺のこと、よく知ってるよね?」
馴れ馴れしく伸ばされたシュンの手を、カナタはヨハンの背後に回って避ける。
シュンはそれに舌打ちをしてから、その矛先をヨハンへと向けた。
「噂は本当だったんだな」
「……だから、何の話だ?」
「あんたが小さな英雄カナタを騙して縛り付けてるって噂だよ。カナタはいい子だからね、昔世話になったあんたの言葉に騙されて、傍を離れることができないでいる。以前」
シュンの視線が、地底湖を見渡す。
「ここでカナタを説得したときもそうだった。エトランゼの未来のためにその力を使うべきだって言葉も受け入れられない。それは全部あんたがいる所為だ」
「それは違うよ!」
「いいんだ、カナタ。そんな奴を庇う必要はない。俺達は判ってるよ。だって同じエトランゼなんだからさ」
シュンはカナタの言葉を聞くつもりはないようだった。その目は最早何かに憑りつかれていると言っても過言ではない。少なくともヨハンには彼が正気には視えなかった。
「カナタは子供なんだ。自分で正常な判断もできない。そんな彼女を利用して、お前は恥ずかしくないのか!」
「……で、お前は何が言いたい?」
若干苛立った様子でヨハンが尋ね返す。シュンの最終的な目的が気になった。
「あんたもエトランゼだろ? だったら俺達につけ」
「つくもなにも、俺はお前達と敵対するつもりはない。そもそも存在すら、今日初めて知ったぐらいだ」
本当はカナタが行方不明になった際にある程度は把握したが、こんな男がリーダーをやっているとは思わなかった。
「してるだろう。あんたがやっていることはエトランゼに対する敵対であり、裏切りだ」
「なにがどうなってその結論に至ったのかは知らんが、どちらにしてもここで議論をするつもりはない。話がしたければ、イシュトナルで尋ねて来い」
「話すことなんてないさ。でも、カナタは俺達と一緒に来てもらう。それから、そっちのエトランゼもね。今なら前回のことは忘れてあげるよ」
シュンはラニーニャを指さすと、当人は呆れたように肩を竦めた。
「いや全く、意味不明もいいところですね。どうしてわたしが貴方と一緒に行かなければならないんです?」
「エトランゼだからだ。それが自然だろう? エトランゼはエトランゼ同士でつるむのが普通なのさ」
「あ、そうですか。ですが貴方の普通がわたしの普通とは限らないものでして」
「エトランゼの癖にこの国に尻尾を振るつもりか? そこの男のように!」
「お前、なんなんだよさっきから! 勝手にラニーニャとかカナタのことを所有物みたいに!」
怒鳴りながらクラウディアが前に踏み込む。もうそろそろ我慢の限界が来ているのだろう、背負っていたオールフィッシュを手に持っている。
「落ち着け、クラウディア」
その身体を抑え込み、自分の後ろに隠す。
「がるるるる!」
「犬か」
「随分と野蛮な現地人を連れてるんだな」
クラウディアの怒鳴り声に反応してか、周囲を囲んでいた連中が殺気立つ。
ここで無駄な争いをするわけにはいかないと、逆効果になるのを覚悟しつつもヨハンはラニーニャとクラウディアを下がらせる。
「俺はお前達と争うつもりはない。それに、ここにいるということは魔物を討伐しに来たんだろう?」
「ああ、そうだ。魔物の群れを突破した俺達は他のパーティと協力して魔物を探している。今も偵察隊が出ていったところだし、もうそろそろ……」
タイミングよく、地底湖から幾つも伸びた洞窟の奥から悲鳴のような声が響いてきた。
それを聞いてシュンは、唇を歪める。獲物が来たと、内心で喜んでいるようだった。
「来たな。戦闘準備! カナタとラニーニャは俺達に従うんだ!」
シュンの言葉に舌を出して答えるラニーニャ。カナタは完全にヨハンの後ろに隠れて、拒否の意志を示している。
「ちっ。まあいい。どちらが正しいか、この戦いで証明してやる! お前等、陣形を整えろ!」
シュンの言葉を合図に、エトランゼの冒険者達が武器を持ちフォーメーションを組む。
シュンが前衛に立ち、その横に重武装の戦士が並び、後ろから遠距離武器を持った者達が援護態勢を取る。
「俺達もいつでも行けるように準備をするぞ」
「あいつらの背中撃ってもいい?」
「やめておけ。カナタ、行けるか?」
ヨハンのローブの裾を掴む手から、小さな震えが伝わってくる。
その正体が掴めなかったとはいえ、自分を殺しかけた相手と再び対峙するのだからそれも無理もない話だ。
「だ、大丈夫……。でも、なんか……嫌な気配がする」
「それはそうだろう? 正体不明の魔物なんだから」
「ううん。そうじゃなくて、ボクもなんて言っていいか判らないけど、魔物とは違う……もっと、怖いものに感じる」
今一つカナタの言葉は要領を得ないが、それを問いただしている時間もなかった。
穴倉の奥から数人の男女が飛び出してくる。
魔物を調査に行った一団だろう。うち一人は怪我をしているようで、飛び出すなり地面に倒れ込んだ。
そしてその後を追跡するように、ガチャガチャと、固い地面と金属がぶつかり合う音が洞窟の中に反響する。
「なにあれ、ゴーレム?」
そこから現れたその魔物を見て、クラウディアが呟く。
洞穴のような場所から姿を現したのは、四方向に足を伸ばした異形の魔物だった。
前後に伸びる四本の足を交互に動かしながら、地上を這うようにして移動している。
そしてその上には長方形の箱のようなものが乗っており、所々に入ったスリットといたる所に描かれた魔方陣から青色の光を放っていた。
「ゴーレム、なの?」
「……いや、違う」
カナタの疑問に、ヨハンは反射的に答えていた。
その黒光りする光沢を放つ身体は見覚えがある。
果たしてこれをゴーレムと呼んでいいのだろうか。漆黒の金属を纏ったそれは、敢えて呼ぶのならばロボットのようだ。
悲鳴を上げながら、冒険者達はそれを迎撃した。
ギフトによって生まれた炎や氷、雷の数々が直撃するが、それでもその魔物は止まらない。
「距離を詰めて一気に叩くぞ!」
シュンの身体が変化する。
筋肉が盛り上がり、上半身の服の一部が弾け飛び、体毛が全身を覆う。
顔の形は人のものから狼へと変わっていき、一秒もしないうちにそこには狼男が立っていた。
「魔物に変身するギフトなんて言うのもあるんですね」
ラニーニャが感心したように言う。
シュンの咆哮が洞窟の中に木霊する。
その気勢に勇気づけられた冒険者達は我先にと魔物へと立ち向かっていく。
剣が魔物の身体を斬りつけ、槍が突き刺し、斧がその固い身体を打ち据える
シュンは幅広の剣を振りかぶり、全力で叩きつける。
硬質な打撃音が響き渡り、シュンの持つ幅広の剣が折れそうなほどに撓るが、それでも構わずに攻撃を続ける。
「離れろ!」
シュンが叫び、驚異的な反射神経で魔物の傍から遠ざかる。
「うわっ!」
「なんだ、これ!」
四本足の下部から、弾性のある金属でできた触手が伸びてくる。
それは己に纏わりつく冒険者達を、まるで羽虫でも払うかの如く打ち払った。
そして倒れた者達を魔物が踏み潰さんとして四本足の内の二つが凶器となって振り上げられる。
「止めるぞ!」
もうこれ以上様子見をしているわけにはいかない。
ヨハンはヘヴィバレルに重力弾を装填し、魔物に向けて発射する。
魔物に直撃した個所から中心に、円状に重力場が広がり、地面を沈みこませていく。
その間にラニーニャは地底湖に身を躍らせ、そこの水を無造作に掴み取っては投げ槍のような形にして放つ。
「まずは周りにいる負傷した冒険者達の退避を援護するぞ!」
「判った!」
「斬り込みます!」
カナタとラニーニャがコンビネーションで躍りかかる。
触手の群れを掻い潜って接近してきた二人に対応するために、その魔物は新たな動きを見せた。
四本足の上に置かれたコンテナのような部分が光を放ち、身体の一部に亀裂が入る。
長方形の両端が変形し砲身のような形となってカナタ達の方を向く。
そこから放たれたのは、ダーツのようなサイズの矢だった。それも単なる矢ではなく、青白い雷を纏っている。
「な、なにこれ!?」
「びっくり箱ですか!」
ラニーニャは身体を半回転させながら、得意の二刀流であっという間に斬り落とすが、カナタはそうはいかなかった。
咄嗟に判断が遅れ、ダーツこそ避けた物の、背後から接近してきた触手に片腕を囚われてしまう。
それをカナタの後ろから飛来した弾丸が撃ち抜いて、即座にその身体に自由を取り戻す。
オールフィッシュを構えたクラウディアが、そのまま突っ込めと顎で指し、カナタは頷き返してそのまま魔物の身体の表面を極光の剣で斬りつけた。
「触手が邪魔です!」
「ヨハンさん!」
「判ってる」
カナタが叫び、ヨハンは瓶を投げ込む。
上空でクラウディアに撃ち抜かれた瓶は、小さな蒼電を無数に放ちながら空気中に散布され、それによって触手の動きが鈍った。
「魔力で動いているのなら、ジャマーは効果的のはず……!」
「よっちゃん! この距離じゃ致命傷にならない! あのスライム貸して!」
答えるよりも早く、クラウディアはスライムを引ったくって前線に躍り出る。
一際よく目立つ金色を狙うためか、魔物はダーツの砲身をクラウディアに向けて、一斉掃射を開始する。
クラウディアは砲身の一つを射撃で破壊して、広がったスライムによってダーツを受け止めながら接近していく。
「一気に行くよ!」
二人が同時に斬りつけて、クラウディアが至近距離でオールフィッシュを乱射する。
魔物の装甲が削れ、金属音が辺りに響き渡る。
三人の猛攻に耐えられなくなったのか、魔物は新たな行動に出た。
コンテナが再び変形し、上部から空中に向かって小型の銃のような形をした何かが放出される。
合計四機のそれは空中で姿勢を変えて、自立して動き始める。
その砲身がカナタ達を向いて射撃を開始するよりも早く、ヨハンはヘヴィバレルから散弾を放ちそれらを撃ち落とす。
「これで……!」
動きが鈍ったその瞬間に、カナタは両手で持つほどの大きさのセレスティアルの剣を生み出す。
それを大きく振り上げて一撃を加えようとしたところで、予期せぬ事態が起こった。
「英雄に続け!」
「おれ達の力も見せつけろ!」
カナタ達の奮闘に勇気づけられた冒険者達は奮起し、自らも役に立とうと攻撃を開始する。
その先頭に立っていたのはやはりシュンだった。獣の姿となった彼は手に持ったその大剣で魔物に一撃を加えようと斬りかかる。
「馬鹿っ……!」
そう叫んだのはクラウディアだった。
予期せぬ位置からの攻撃に、カナタが動きを鈍らせた。
今斬りつければシュンを巻き添えにしてしまうかも知れないという葛藤が、必殺の一撃を台無しにする。
シュンの一撃では足りない。セレスティアルならば斬れたその身体は、単なる力に任せた一撃で与えられる傷では浅すぎる。
魔物の触手が変形し、回転する小さな刃が唸りを上げながらシュンへと襲い掛かる。
「危ない!」
「カナタ、何考えて……!」
セレスティアルも広げず、シュンの前に立つカナタ。
そしてそれを更に、咄嗟に飛び込んだクラウディアが庇った。
アルケミック・スライムが状況を感知して、小さな刃に絡み付こうとするが、容赦なく弾き飛ばされる。
その隙にクラウディアはオールフィッシュを放ち、その先端部分を撃ち落として破壊するが、それは囮に過ぎなかった。先程までよりの野太い触手が生えて、その身を撓らせてカナタ達を打ち据えた。
「嘘っ!」
そう叫んだのはクラウディアだ。
咄嗟にオールフィッシュを盾にすることで直撃こそ避けたが、触手はクラウディアとカナタの二人を同時に弾き飛ばして、洞窟に空いている横穴へと二人は転がり落ちていった。
「クラウディアさん! カナタさん!」
ラニーニャは叫んで手を伸ばすが、それは当然届くことはない。
魔物は以前健在。例え大規模な被害を与えたとしても、未だ何が狙いかも判らずこちらに襲い掛かるためにこの場に留まり続けている。
そして、二人が逸れたことでもう一つ厄介な事態が起こった。
今ここで撤退すれば、この魔物は間違いなく横穴に落ちたカナタ達を狙うだろう。
二人とも健在ならば逃げることぐらいは容易いだろうが、もし怪我をしていればその限りではない。
メンバーを二人欠いた状態でこいつを倒すしかない。
状況は悪い方向へと転がりはじめていた。
▽
彼女を始めてみたとき、カナタの中で電撃が走った。
別に一目惚れとか、そう言うのじゃない。そもそも同性だ。
ただ、教室に入って来て、教壇の前に立った彼女の瞳が何も写していなかったことが余りにも印象的だった。
春の風を取り入れるために開け放たれた窓。
そこから流れてくる心地よい風に揺れる金色の髪。
少し細身の、何処か儚げなその姿は何をしても絵になって、とてもではないが友好的に見えないその姿ですらも印象に強く残る。
教室全体を俯瞰するその翡翠色の瞳に、カナタの姿が映る。
別段、それに何か印象付けるような出来事があったわけではないだろう。
単なる偶然、約三十人いる生徒達の中でカナタの姿を最後に見ただけの話だ。
だから、彼女の視線が止まった時間が他の生徒達よりも一秒ほど長かった。
その偶然が、別段何をもたらしたわけでもないが。
これから先、彼女と過ごす時間を夢想したわけでもない。単なる思い付きの、小さな祈りのようなものだ。
彼女に向けて、誰にも見えないように手を振った。口元に笑顔を浮かべてみた。
この場所に、貴女の敵はいないと。
これから楽しい日々を過ごして行きましょうと、そう伝えたつもりだった。
勿論それは欠片も伝わることはなく。
彼女は即座に目を逸らして、何事もなかったかのように担任の先生がその名を読み上げる。
小さな口が開かれて、そこから声が聞こえてくる。
それはまるで清廉な水の流れのように心地よく、澄み渡る美しい声。
そうして紡がれた、忘れられない名前。
その名前が、カナタの耳に届いた。
「はじめまして。――です」
▽
「夢見てんじゃないよ、起きろー!」
「ふわぁ!」
襟首を掴まれて、ぐらぐらと頭を揺さぶられる。
その衝撃に無理矢理意識が引き上げられて、目の前にあったのは夢の中の彼女とは髪の色以外全く似ていない金髪少女の顔だった。
「クラウディア? ……ここ何処?」
「はぁ? 寝ぼけてるの? アタシ達あいつに吹っ飛ばされて、洞窟の奥に放り投げられたの。ほら、あれ」
クラウディアが指さした先は、急な勾配の逆だった。どうやら二人はそこを転がり落ちてきたらしい。
カナタ達がいる坂の底には小さな穴から地底湖の水が流れていて、少し深い水たまり程度の池になっている。二人ともそこに突っ込んだので、服も髪も濡れていた。
「ボク、気絶してたの? どのぐらい?」
「ちょっとだよ、ほんの少し。なんかいい夢でも見てたの? にやにやしてたけど」
「うぇ、ボクにやにやしてた?」
「うん。してた。判った、エッチな夢でしょ?」
「違うよ! ……昔の友達の夢だよ」
「友達、ね。どうでもいいけど、前も夢見てアタシに頭突きしたよね?」
「う。ごめん」
しゅんと落ち込んだカナタを見て、それ以上クラウディアも余計なことを言うことはない。
上に戻るために立ち上がってから、水たまりの中に座り込んだままのクラウディアを見て、カナタはあることが一つ思い浮かんだ。
――金色の髪が、彼女を想起させたのかも知れない。
「なに? アタシの可愛さに見惚れた?」
「ううん。ボクの友達の方が綺麗だったし」
いや、やはり全然違う。髪の色以外では似ている点は一つもない。
――どちらかと言えば、彼女に似ているのは――。
そんな余計な考えを、頭を振って追いだす。今はそんなことしている場合ではない。
「急ごう」
そう言って、クラウディアに手を差し出す。
彼女も頷いてその手を取るが、立ち上がろうとして顔を顰めてまた水の中に尻餅を付いてしまう。
「いったー……」
「怪我してるの?」
「別に血とかは出てないんだけどね。いやー、やっぱりカナタを受け止めたのが不味かったかなー」
「え、受け止めたって……?」
「受け止めたってよりは、カナタがアタシの上に転がって来たんだけどね。下にほら、こいつ」
にゅっと、クラウディアの胸元からスライムが伸びて顔を出し、そのまま肩の上に収まった。
「こいつが一番下になってくれたから大丈夫かなって思ったんだけど、やっぱり結構痛いや」
たははと、後頭部を掻きながら笑う。
「……ごめん」
「それはいいよ、それはね。アタシも重かったからすぐに退かして水たまりに放り投げたし」
「謝って損した」
「でも、なんであいつを仕留めなかったの? いや、それは別にいいよ。急に飛び込んできたあの阿呆が悪いんだし」
クラウディアは傍に落ちていたオールフィッシュを掴み、杖のようにして地面に突き立てる。
そのまま立ち上がろうともがくが、痛みが邪魔をして上手く行かない様子だった。
「なんであんな奴を庇ったの? 下手したらアタシも、あんたも死んでたよ」
「……それは……」
「それは、なに?」
クラウディアの視線は鋭く、カナタにそこから逃れることを許さない。
どうにか頭の中で彼女が納得する結論を導きだそうとするが、その答えが出て来ることはなかった。
「だって、護ってあげないと……」
「はぁ。またそれか。別にいいじゃん、関係ない奴が死のうがどうしようがさ。そもそも、あいつはカナタを利用しようとしてるクズ野郎だよ?」
「ボクだって、気持ちが判るから」
「気持ちが? ……カナタ、ちょっと来て」
「なに?」
クラウディアの傍に屈みこむ。
「この、ばカナタ!」
頭の中で星が舞った。
彼女と額をぶつけるのはこれで二度目だなぁとか、そんなどうでもいいことを考えながら、カナタの身体はクラウディアの頭突きで吹き飛んで無様に水の中に尻餅をつく。
「なっ――!」
「そんな何でもかんでもできるわけないじゃん! カナタは人間なんだからさ。アタシと同じ!」
「それは……、そうかも知れないけど!」
水の中に手をついてクラウディアに近付いていく。
そして彼女を至近距離で睨みつけた。
「ボクはクラウディアみたいに強くないもん。……割り切れないよ」
「アタシが強い? そんなわけないじゃん。弱いから、何かを護るために何かを切り捨てるんだよ。ラニーニャを、カナタを、よっちゃんに死んでほしくないから。だから他の奴なんかどうでもいい、喧嘩を売って来たら容赦なくぶっ放すし、邪魔するなら纏めて撃つ。そうじゃないと、誰も護れない!」
クラウディアは再びカナタの胸倉を掴む。
その身体を持ち上げようとしたら、痛みで力が入らず、二人はバランスを崩して水の中に倒れ込んだ。
「カナタが護りたいものはなに? あいつらなの? カナタを利用するだけの連中を助けるために、力を使うの?」
「……ボクは」
「だいたいさ、気持ち判るって……。そんなわけないよ。判るなら言ってみてよ、あいつらが何を考えてカナタとかラニーニャを良いように使おうとしてるのか? あのくそ男が二人を女だからって理由で下に見てる理由とか、なんでアタシのことをこの世界の人間だってだけで嫌うのかとかさ!」
「……全然、判んない」
「そうでしょ。カナタは自分が傷つきたくないから、悪者になりたくないからそう言ってるだけだよ。それが全部悪いとは言わないけど」
でもそればかりでは戦えない。
道を選ぶとは、何かを選択するとはそう言うことだ。
選ばれなかった、切り捨てられた誰かに恨み言を言われることもある。それが正当な理由であれ、単なる逆恨みであれ。
カナタはそれに怯えていた。恐れていた。
「全部を護るって、凄いことだと思う。でも、無理だよ。カナタがどんなに強くても」
そんなことは判っていた。
でも、認めたくなかった。切り捨てた人のことを考えたくなかった。
「だからせめて、カナタが本当に大切にしてあげたい人のことを大切しなよ」
これからはそう言うわけにはいかない。
名無しのエトランゼがそうしたように。
カナタもまた、自分で選ぶということをしなくてはならない。
「クラウディア」
「……なに?」
クラウディアはカナタの上から退いて、水の中にぺたりと座り込む。
自分でも恥ずかしいことを言ってしまった自覚があるのか、そっぽを向いていた。
「ごめん。ボク、クラウディアのことちょっと苦手だった」
「……ま、なんとなくそんな気はしてたけどね」
「でも、これからは友達になれる気がする」
「どーだかね。アタシにも選ぶ権利はあるし」
「選んでくれたからこんなに優しくしてくれたんじゃないの?」
「べ、別に優しくなんかしてない! ただ、うじうじされるのが鬱陶しかっただけだし、後は何よりも」
腕を組んで座ったまま、クラウディアは笑顔をカナタに向けた。
「アタシの旦那様の妹分でしょ? ってことはアタシの妹分でもあるわけなんだから」
「言っとくけど、それボクも認めてないからね」
「ふん。そのうちにアタシをお姉さまって慕う日が来るよ。まあ、それはそれとして」
クラウディアは、坂の上を指さす。
「言いたいことは言ったから。ほら、行って来な。ラニーニャとよっちゃんを殺させないでね」
「……クラウディアは?」
「アタシはここで待ってるから。あいつを片付けてから助けに来てよ。大丈夫、その間はこいつが護ってくれるし」
ぷるんと、スライムが震える。それから、彼女の足元にはヨハンが作った銀色の銃もあった。
「……うん、判った。さっさと倒して、迎えに来るからね」
「待ってるよ、カナタ」
ニッと笑うクラウディアに、カナタも同じように返す。
それから振り返り、カナタは軽い足取りで坂を駆け上っていく。
「ほんと、変な奴」
初めて会った時からそうだった。
強くて、それこそクラウディアより遥かに強いのに、何処か頓珍漢な言動と行動を繰り返している彼女。
その強さが、ギフトが羨ましくないと言えば嘘になるが、考えても栓無きことだ。
別に彼女を導くとか、そんな大層なことを考えているつもりはない。
ただ何となく、行くべき道は判っているのに、その道に入るまでが判らずにふらふらしている彼女を見ているとその背中を押したくなる。
そう。結局はカナタも、クラウディアも似た者同士なのだ。
カナタが見知らぬ王女を救ったように。
クラウディアは突然現れたエトランゼを助けた。
要は、どちらも余計なお節介が好きと、それだけの話だ。
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