間奏 ダンジョン攻略  第一節 カナタの憂鬱

 イシュトナルには冒険者ギルドと呼ばれる、市街に建てられた三階建ての大きな建物が存在し、冒険者となって日銭を稼ぐ者達に対しての仕事を斡旋している。

 二階が斡旋やその他の受付を済ませる窓口。一階は軽食を取りながら休憩や仲間探しなどができる食堂のような形をとっており、そのテーブル席の一角で一人の男を前にカナタは困り顔を浮かべていた。

 茶色がかった髪に、口と顎に髭を生やした中年の男もまた困り顔でカナタの前に立っている。

「どうにか前向きに考えては貰えないもんかねぇ?」

「そんなこと言われても……」

 カナタはお気に入りのハムと野菜のサンドイッチを握ったまま固まっている。

 今行われていることは一言で言ってしまえばスカウトだ。ある冒険者の一団が、カナタの実力を見込んで仲間に組み入れるために説得している。

 目の前にいる軽装鎧に身を包んだ中年の男は、彼等によって遣わされたスカウト役と言うことになる。

 以前は可能な限りそれを請け負っていたのだが、以前の一件もあり、加えてカナタ自身が限界を感じてきたために基本的には断る方針を取っているのだが。

「申し訳ないですけど」

「そっちの気持ちも判るぜ。以前の件もあったからよ」

 カナタとしてはできるだけ困っている人がいればできるだけ手を差し伸べてやりたい。

 しかし、だからと言って全てに協力するわけではない。カナタの身体は一つだし、何よりも手を貸してしまったことで与える影響についても少しは考えるようになって来たからだ。

 理由はもう一つある。

 カナタの視線は彼の手の中にある一枚の紙きれに注がれていた。

 ギルドの二階にある斡旋所で貰える紙には、緊急を要する仕事に対しての詳細が書かれていた。

「どっちにしてもボク一人じゃ無理だと思います」

 ウァラゼルを倒してイシュトナルの地を手に入れてから数日のこと。

 ここより南。バルハレイアと呼ばれる南方一帯を治める国との国境近くに、昔から彼等の侵攻を妨げているアルゴータ渓谷がある。

 多数の魔物が闊歩し気候も安定せず、時には呪いめいた現象まで起きるその場所があるおかげで南方に位置する国バルハレイアはオルタリアを攻めることができず、両国の間にはなし崩し的な平和があった。

 その地にて、ダンジョンと呼ばれる古代の地下迷宮が発見されたのはイシュトナルを手に入れて程なくしてのこと。

 強力な魔物があり、罠があり、幾多の危険が犇めきあうそこは、この世界に多数存在する古代遺跡のようなものだった。

 そこで手に入る財宝や魔物の素材は希少なため大きな収入となり、もし踏破できるものなら冒険者ならば一生遊んで暮らせるほどの報酬が手に入るかも知れない。

 そんな嘘か真かも知れない話に飛びつく冒険者や命知らずは後を絶たない。

 イシュトナルの首脳の一人であるヨハンは、ダンジョンの解明は確実な富と発展をもたらすと判断して、ギルドが創立されてからずっと支援を行ってきた。

 しかし、未だそれは達成されていない。

 そればかりか先日、あるパーティがそこに潜り返り討ちになった。

 カナタもそこに参加しており、それが彼女がハーフェンでヨハンと再会するきっかけともなっていた。

「正体不明の魔物に、ボクは一回負けてますし」

 揉め事の最中の奇襲だったとはいえ、敗北は敗北。あの時地底湖に落とされた苦しさを思えばカナタとしては軽い気持ちでそれを受けるわけにもいかない。

 そしてその一団とは他ならない、目の前の中年の男レジェスが所属するパーティだったのだから。

「お前さんの気持ちは判るし無理強いはしたくない。……ここだけの話、俺も前回のシュンのやり方はどうかと思ったしな」

男の口から出たその名前を聞いてカナタの身体がぴくりと反応する。

 レジェスはそのシュンと言う男が率いる一団の副官を務めていた。副官と言っても権限はそれほど強くはなく、彼等の抑え役と言ったところだった。

 だからこそカナタへの印象はそれほど悪くはない。交渉が決裂した際にもカナタのことを慮るようなことを言ってくれたのはレジェスだけだった――恐らくだからこそこの交渉役に選ばれたのだろう。

「そういう話じゃありませんって。とにかく無理なものは無理です」

「……だよなぁ。俺もそう思うんだが。それじゃあうちのボスは納得しないんだよ。ほら、色々と面倒になるだろ?」

 別段レジェスはカナタを脅しているわけではない。ただ、事実としてカナタとシュンが揉め事を起こすことを望んでいなかった。

 そんな顔をするぐらいならばシュンを見限ればいいのに、とカナタの友人達ならば容易く言ってのけるだろう。

 とは言え事情として冒険者を続けるエトランゼ達は、ある程度自分達の身を護るための集団を形成する必要がある。そしてシュン達は強引な部分や問題行動はあるものの、集団としての力は非常に強い。

「別に力尽くでどうにかするつもりもないが、俺としては適当なところで折れてもらえると助かるんだがね。ほら、俺にも立場ってもんがあるだろ?」

「……それは、えっと」

 多分だが、カナタをスカウトできなければレジェスはシュンからの信頼を失うことになる。そうなればそのパーティ内での立場も危うくなるのかも知れない。

「いや、すまん。今の言い方はちょっと卑怯だったな。だがまぁ、お互いのためになると思ってるのは本当だぜ?」

 カナタが答えあぐねていると、レジェスの説得は一度そこで途切れる。

 ギルドの扉が開かれて、談笑しながら中に入って来た一団がカナタ達に気付いて歩み寄って来た。

 その中心にいる男の顔を見て、カナタは表情を硬くする。

 整った顔立ちに長身のその男は、以前パーティを共にしてダンジョンに向かったあるグループのリーダー。

 そしてダンジョン内でカナタをエトランゼの組織に誘い、断られるや激昂して罵声を浴びせた男だった。

「おう、シュン。早かったな」

 レジェスは表面上は軽く声を掛けたが、その表情は若干強張っている。と言っても恐怖の類ではなく、「面倒なことになったな」と言った感じの表情ではあるが。

「レジェス。お前、まだこんなところで油を売ってるのか?」

「おいおい。カナタを口説き落とすのが難しいのは判ってたはずだぜ? それにお前さんじゃ警戒されるからって俺が」

「ったく。使えないな。もう下がってろ、レジェス」

 あくまでも穏やかに話を進めようとするレジェスに対して、シュンは冷たくそう言い放つ。

 なおも何かを言いかけようとしたレジェスだが、シュンの取り巻き達が彼を取り囲んだのを見てそれを取りやめた。

 ここで仲間と揉めるわけにはいかないと、レジェスは肩を落としてギルドの外へと去っていく。

「久しぶりだね、カナタ。無事で嬉しいよ」

 当のシュン本人はまるであの出来事などなかったかのように振る舞い、握手を求めてきた。

「お、英雄ちゃんじゃん!」

「無事だったんだ、ラッキー!」

 そんなことを口々に言いながら、周囲に集まってくるシュンの仲間達。

 見た目の態度こそ柔らかいが、彼等はカナタが逃げられないように包囲を作っていた。

「俺達のスカウト担当が失礼したみたいだね。あいつにはちゃんと教育しとくから」

 自分にそれだけの力があると見せつけるように、わざわざ教育の部分を強調する。

「でも、カナタもよくないよね。俺達エトランゼはほら、助け合わないと。大変な仕事だってのも判ってるだろうし。なんたって、一回戦ってるんだから」

「いや、だからそれは……」

「そうそう! 今度は負けないって!」

「やっぱ助け合いだね!」

 横合いからそんな相の手が入り、カナタの言葉を掻き消した。

「大丈夫大丈夫、今度は俺達もちゃんとカナタを護ってあげるからさ。考え方の違いは、それからゆっくりと話しあって変えていけばいいんだし」

 そう言って、カナタに手を伸ばす。

 顔立ちは整っているのだが、以前ダンジョンの中での揉め事や、置き去りにされたこともあってか魅力的には感じない。

 むしろ薄ら寒いものを覚えて、半ば反射的にカナタはそれを避けていた。

「どうしたの? この間のことなら気にしなくていいよ。俺達も焦ってたしね。ほら、ゆっくりと仲を深めるのも、ありじゃん?」

「……考え方は、変わらないと思います」

「……へえ」

 シュンの貼り付けたような笑顔が曇る。

 カナタを見下ろす視線は先程までの生温かなものから、明らかな敵意を含んだものへと変化していった。

 脳裏の、あの時浴びせられた罵声が蘇り、カナタは無意識に身体を縮めていた。

「カナタ。あの時のことをまだ反省で来てないのかな?」

「……反省って」

 以前、カナタはシュン達とパーティを組んでダンジョン内部へと入り込み、冒険は順調に進み、これまで誰も到達したことのなかった深部へと足を踏み入れることにまで成功した。

 そこで、野営中にそれは起こった。

 シュンはオルタリアに点在する反オルタリアを掲げるエトランゼ同盟――かつては暁風と呼ばれていた者達の残党軍に所属しているらしい。

 目の前に立っている青年は、カナタにその組織に所属することを提案してきた。

「俺達新生暁風はさ、エトランゼのために戦ってるんだよ? この世界の連中を優先する腐った世の中を壊して、新しい秩序を築くためにさ」

 肩に手が置かれ、それに力が籠る。

 シュンだけでなく、この場で取り囲む誰もが暁風を名乗っている。彼等の目的はオルタリアを打倒すること――そこに、ヘルフリートもエレオノーラも関係ない。

「判るよね? カナタの力は君一人のものじゃない。俺達は助け合わなきゃいけないんだよ」

 ダンジョン内部でも同じやり取りをして、カナタはそれを断ったことが、全ての揉め事の始まりだった。

「俺が笑ってるうちにさ、意見を変えた方がいいと思うけど?」

 最早脅しと化した言葉に、周囲のエトランゼ達が同意の声を漏らす。

 数に任せた圧力でカナタを屈服させようというのだろう。

 ここで拒否すれば、きっとシュンは怒鳴り声を上げて無理矢理に意見を押し通そうとする。

 以前は彼がそうやって豹変している最中に魔物に襲われて、カナタは地底湖へと転落することになった。

 顔を上げて、シュンを睨むように見つめ返す。

「……やっぱり、ボクは無理です」

「いい加減にしろよ? あんまり俺を怒らせるな」

 普段こそ穏やかな態度で人と接する彼だが、一度気分を害せばすぐに攻撃的な態度へと変わっていく。

 彼等からすれば、エトランゼは皆で助け合わなければならないものだ。それを違えるなどあってはならない。周囲には、力づくでカナタを連れていこうというつもりなのか、武器に手を掛けている者すらいた。

「たのもー!」

 カナタがどうにかこの場を切り抜けようと必死で考えを巡らせていると、その場の空気を全く読まない能天気な声が、軽やかに一触即発の空気を切り裂いた。

「ちょっと道が聞きたいんですけどー……って、なにこれ?」

 金髪を揺らす小柄な少女は、その背に布に包まれた長い棒を背負っている。

 その隣には水浅葱色の、こめかみの辺りから垂らした前髪が特徴的な細身の少女が、肩から鞄をぶら下げて立っている。

 クラウディアとラニーニャ。

 先日のハーフェンの件でカナタやアーデルハイトと共に戦った少女達が、何故かここに現れた。

「なんかお取込み中? イシュトナル要塞の場所を教えてほしいんだけど……」

「ここ、噂の冒険者ギルドってやつじゃありませんか? 旅行代理店って感じではなさそうですけど」

「あー、みたいだね。うわー、色んな人がいっぱいいるよ」

「あら。あらら。見てくださいクラウディアさん。あそこで人垣に囲まれている、一際小さな人影、何処かで見覚えありません?」

「おー! カナ助じゃん!」

「カナ助ってなに!?」

 カナタの突っ込みなど無視し、シュン達のことも意に介さず、クラウディアは不躾に人垣を割って傍に近付いてくる。

「ちょうどいいや。暇ならイシュトナル要塞にまで案内してよ。お礼に生魚あげるからさー」

「生魚!?」

「あ、あの。君達? 悪いけどカナタはちょっと忙しいんだ」

 そう言って肩に伸ばされた手を、背負っていた布に包まれた長い棒で受け止め、自分の身体には触れさせない。

「気安く触んないでね」

 にっこり笑顔とは裏腹に、辛辣な言葉を吐く。

 それによって一時は取り繕ったシュンの顔色が変わる。

 それは彼だけではなく、周囲の仲間達も同様だった。いきなり入り込んできた部外者に良いようにされては矜持に関わる。

「ちょっと、揉め事は……!」

「そうです! 静まってください!」

 外側からラニーニャの鋭い声が飛び、一同はそれで武器に掛けた手を止めて、彼女の方へと注目する。

「クラウディアさん。わたし達の目的を忘れたわけではないでしょう。この人達にも力を貸してもらう必要があるかも知れませんし」

 一度言葉を切って、ラニーニャはその場の全員を眺めた。

「そっちの子は物分かりがいいみたいだね」

 シュンがそう言って場を取り繕う。まともに話ができそうな、それもエトランゼと思しき人物に彼の中ではまた身勝手な希望が芽を出しつつあった。

「お尋ねします。この中に、スシショクニンはいらっしゃいますか?」

 聞きなれない、または長く耳にしていなかったその言葉にその場の全員が一斉に沈黙する。

 頭の中でその意味するところを必死で考えても、今この場で出てくるに相応しいものとは思えない。

「……なに職人?」

 沈黙の中、カナタが聞き返す。

「スシショクニンです。わたし達の世界のニッポン、そこに伝わる伝統料理スシを食べるためにわたし達はハーフェンから遥々やって来ました」

 何を言っているんだこいつはと。

 その場の全員が言外に語っている。

 それを一頻り眺めて、ラニーニャはその中に寿司職人がいないことを理解したのか、落胆の溜息をつく。

「では仕方ありません。潔くイシュトナル要塞に向かうとしましょう。カナタさん、道案内をお願いします」

「き、君ねえ……。俺達は冒険者で、寿司職人じゃないよ。それにさっきも言ったけどカナタは俺達と一緒に行くから……」

「一緒に行く、と無理矢理連れていくは違いますよ。大の大人がこんな小さな子を囲んで、とても納得しているようには見えませんでしたけどね」

「外から見ればそうかも知れないけどね。俺達は俺達で話が付いてるんだから、悪いけどここは邪魔しないでもらえると……」

「貴方顔はいいけどお馬鹿ですね。頭の中に脳みそではなくてウニでも入っているのですか? わたしはカナタさんにお願いしたのです。別にそこに貴方の許可は必要ありませんよね? 何をするかは……ああ、いえ」

 ぱっと目にも止まらぬ早業で、ラニーニャがシュンの仲間の一人が持っていた討伐依頼の紙きれを奪い取り、軽く目を通す。

 にやりと、唇が歪む。

「こーんな小さな女の子に手を借りなければ魔物一匹も倒せないほどにへっぽこさんでしたか。それは失礼しました。見た目は強そうなのに中身は伴わないとか、ちょっと同情の余地ありですね」

 指を頬に当てて心底馬鹿にした表情で、ラニーニャはその場の全員に流し目を送る。

 状況が状況なら魅力的な仕草だが、今行われているのは間違いなくただの挑発。

 そこでシュンは我慢の限界が来た。

 脅しつけて退散させてやろうと、剣に手を伸ばす。

 しかし、ラニーニャの動きはそれよりも遥かに素早い。

 足を払いシュンの態勢を崩させると、その胸倉を掴んでテーブルに押し付ける。衝撃で倒れたコップから零れた水を、ちょうどいいやとギフトで掴みあげる。

 透明の短剣を首に押し付けて、ラニーニャは天使のように笑いかける。

「はい。一丁上がりです。でも貴方はスシネタにはなりそうにありませんね」

「はーいはい。動かないでね、エトランゼさん達。こんな至近距離でこいつを受けたら、スシネタどころか挽肉料理になっちゃうよ」

「……ハンバーグ?」

「そうそれ」

 白銀長砲身の銃、オールフィッシュを構えてクラウディアがウィンクを返す。

 そこでようやく、二階から騒ぎを聞きつけたギルドの職人達が降りてきた。

 これで何とか事態は収束するかとカナタが息を吐いたのも束の間、あれよあれよと言う間にカナタ達は拘束されて連れていかれてしまったのだった。

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