間奏 サアヤさん奮闘記 第一節 イシュトナルの苦労人
「以上がハーフェンで起こったこと、またそれにより今後イシュトナルに与えられると予想される影響となります」
イシュトナル要塞内部、会議室。
二十人は入るであろう広々とした部屋で、大きな円状のテーブルに腰かけたオルタリアからイシュトナルに逃れてきた有力貴族十五名。
彼等はその中心で言葉を終えたヨハンに対して各々反応を返す。
そのうちの二人はディッカーと、先日のオルタリアとの戦いで前線指揮官として活躍したクルト・バーナーである。
二人はヨハンの話を聞いてそれ以上意見もないようだが、他の貴族達の反応は様々だった。
素直に感心する者、興味なさげな者、そして面白くなさげに嘆息する者。
「それはいいのだがね、エトランゼ殿」
そう口火を切ったのは、イェルス・アスマン伯爵。イシュトナルに逃げてきた今では爵位にはあまり意味はないが、それでも以前は五大貴族に次ぐ家柄の持ち主として権威を振るっていた。
髭を生やし、肥えた身体のその男はヨハンに対する反感を隠そうともしない。
「君の勝手な行いのもう一つの影響については考えなかったのかね?」
「それは、オルタリアへの刺激という意味でしょうか?」
「そうだ」と、イェルスは深く頷く。さもそれが由々しき事態であると言わんばかりに。
「ハーフェンがこちらの傘下に入ったことは喜ばしい。しかし、それがオルタリアへの離反行為と受け取られれば、ヘルフリート陛下は軍を差し向けて来るかも知れぬ」
「それには異議があります、イェルス卿」
口を挟んだのはクルト・バーナーだった。彼は貴族と言う立場でありながら軍事の責任者として日夜エトランゼと関わっているため、ヨハンへの印象も悪くない。
「ヘルフリート陛下は遅かれ早かれ再びこちらを攻めるでしょう。その時のためにハーフェンの持つ経済力を手に入れておくのは、決して悪い手ではありますまい」
「そうは言うがね、バーナー卿。私はそもそもの話として、ヘルフリート陛下と事を構えるかどうかについて話をしているのだ」
「……向こうが攻めてくる以上、それは仕方のないことかと」
そうヨハンが答える。
「どうにか折り合いを付けることはできないのだろうかね? 例えば、エトランゼに対する対応をお互いの納得のいく形で取り決めるとか」
イェルスはそう提案するが、ヘルフリートやその周辺の貴族達が提案するのはエトランゼに対する隷属だろう。それを良しとしないエレオノーラの元に集まっておきながらそんな提案をすれば、本末転倒もいいところだ。
「ヘルフリートの目的は決してエトランゼの廃絶ではなく、エレオノーラ様そのものにあります。王位継承権を持つエレオノーラ様自体が、彼にとっては目障りなのです。エトランゼに対する排斥は五大貴族の背後にいる教会の戦力を取り込むための方法に過ぎません」
「考え過ぎではないのか? ゲオルク陛下がいない今、正当な王位はヘルフリート陛下の元にある。その状況でエレオノーラ様を無理に排する理由もないだろうに」
手を振ってヨハンの言葉を一笑に付すイェルス。その態度は完全に、このエトランゼの若者を侮っていた。
「そうそう。エトランゼ殿は口が巧いですからな。そうしてエレオノーラ様に取り入ったのではありませんか?」
言葉を発したのは、イェルスの傍に座る一人の貴族だ。一人では発言もままならない男だが、彼の後押しを受けてヨハンに対して嫌味な視線を送る。
「ことが起きてからでは遅いでしょう。それにどちらにせよ、ネフシルでの虐殺の件もあります。そのようなことを指示する指導者に恭順することは、イシュトナルの総意ではない」
「そうやって綺麗事を幾つも述べて、エレオノーラ様のお気に入りになったのですかな?」
「言葉が過ぎますぞ」
二人の間に入ったのは、静観を保っていたディッカーだった。
「ヨハン殿がイシュトナルの、エレオノーラ様のために尽くしているのは事実。そのことに対して文句があるのならば、直接姫様に打診するがよろしかろう」
はっきりと述べられたその言葉に、イェルスの隣に座る貴族は黙り込んでしまう。
会議室の中に流れる嫌な空気を払拭したのは、また別の席から発された一声だった。
「今日のところはここいらで会議を切り上げてはどうでしょう? 諸侯が一番聞きたかった、ハーフェンでの件についての報告は終わったことですし。今後の事についてはヨハン様とその部下達で計画を練り、我々はそれに対して承認を降ろすという形でよろしいのでは?」
イェルスとは対照的な、細身の身体をした若い貴族だった。彼の名前はカール・クレンクと言って、貴族としての位こそ高くはないが穏やかな人柄で民達からよく慕われている。加えてエトランゼに対しても理解のある貴族でもあった。
「クレンク卿。それはどういう意味かな?」
「言葉通りの意味です。何しろこのイシュトナルは私達が過ごしてきたオルタリアと何もかもが勝手が違う。そこで安全を頼りに逃げてきた我々が威張り散らしても、お互いに足を引っ張り合うだけでしょう」
「威張り散らすとはなんだ! 私は純粋にオルタリアの今後のことを心配して……」
「ならばこそ、今はイシュトナルのやり方を見て学び、新しい常識を身に付けましょうぞ。ヘルフリート陛下を恐れ、逃亡した私達を迎え入れてくれたのは他ならるエレオノーラ様と、この地なのですから」
「……ぐぬぬぅ」
立ち上がりかけたイェルスだったが、そう論破されてはこれ以上何も言えぬと、椅子に深く腰掛けて深い息を吐く。
「……今日の会議はこれにて閉廷としよう。もし何か意見がある者がいれば、私に伝えてほしい」
そのディッカーの言葉を最後に、会議は終了した。
貴族達は三分の一がつまならさそうな顔。もう三分の一が興味なさげな顔をして部屋を後にする。
残りの三分の一が、ヨハン達だった。
「イェルス様にも困ったものだ」
思わずそう口にしてしまったのは、クルトだった。
「そう言ってくれるな、バーナー卿。アスマン家の財力や彼が連れて来た兵達はイシュトナルになくてはならない存在だ。それが自分を無視されてあちこちで事が起きては、面白くないという感情も理解できる」
ディッカーはそう、若い貴族を嗜める。それでもクルトからすれば前線にも出ないのにこういう場でだけは文句を付けてくる、厄介な男にしか思えない。
「アスマン卿は個人的に親しくしている商会がありますからね。今回の件でハーフェンが活性化すれば、利益が減ってしまうとお考えなのでしょう」
そう言ったのは、部屋から出ていかなかったうちの一人、カールだった。
ハーフェンを傘下に加えたことは、イシュトナルにとって大きな変化となった。
港町の商人達は今まで全く目を付けていなかったその地で新しい商売が始められることを知り、我先にとこぞってイシュトナルへとやってくる。
街道が整備され、イシュトナルに討ち捨てられていた村落を立て直して宿場町とすることで交通の便を整えると、あっという間に多くの人々が行き交うことになった。
今やこの地はソーズウェルに次ぐ新しい交易の拠点となることを期待され、その為の発展に対して投資をするものも現れ始めている。
「これは余計な提案からも知れませんが、しばらくイェルス様の動向には注意した方がいいかも知れませんね」
こちらで望むだけの利益を得られなければ、再びヘルフリートの側に付くかも知れないと、カールは言外に語っていた。
「かも知れませんね。まったく」
思わずヨハンは溜息をついてしまう。
状況は安定傾向にあるとはいえ、まだ決して油断を許す状況ではない。そんな折に身内の問題に悩まされることになろうとは。
「あまり悩み過ぎない方がいいですよ、ヨハン殿。イシュトナルの様子はもう見て回りましたか?」
「……軽く視察をした程度ですが」
「広場は大勢の人が行き来し、第二市街では本格的に商売を始める者達も現れました。それに旅芸人なども来ているようですから、一度ちゃんと見て回るといいでしょう」
笑顔でカールはそう提案してくれる。
「確かに、室内に籠ってばかりでは気も重くなるばかりと言うものですからな。今日のところは仕事は切り上げて、羽を伸ばすのもいいでしょう」
ディッカーも後押しをし、クルトも無言で頷いている。
「……しかし」
「これは行けませんな……」
「ヨハン殿がここまでの堅物とは」
ディッカーとクルトが互いに顔を見合わせる。
別に堅物であるつもりなど微塵もないのだが、彼等にはそう映るようだ。確かにエトランゼに比べてこちらの世界の貴族達は、仕事においては程々に手を抜くことを上手にやっている。それは目の前にいる真面目代表であるこの二人も例外ではない。
「何にせよ、やることは多い。気が向いたら視察に出ることにします」
そう言ってヨハンは会議室を後にする。
残された貴族達は、どうしたものかと互いに顔を見合わせては溜息をついた。
▽
執務室の扉が勢いよく相手、サアヤが飛び込んでくる。真面目な彼女にしては珍しく、ノックもなしに。
部屋の中に入って周囲を見渡す。今日はアーデルハイトはカナタと一緒に出掛けているため留守だ。
ぽかんとしてこちらを見つめているヨハンに、サアヤは勢いよく口を開いた。
「ヨハンさん! お出かけしましょう!」
「……あ、あぁ?」
「よいお返事をありがとうございます! これで言質は取りました、さあ参りましょう!」
彼の机に近付いて、手を取ると無理矢理に立ち上がらせる。そのまま後ろに回ってその背中を押していく。
普段のサアヤらしくない態度だが、こういうのは勢いが大事なのだ。何せこれは公務なのだから、何一つ憚る必要もない。
「サアヤ。どうしたんだ急に? そもそも今は仕事中……」
「有給休暇です!」
こちらに来る前は大学生だったサアヤは有給など取ったこともないが、適当に言っておく。
「いや、有給にしても事前にちゃんと申請をしてくれないと」
そもそもここイシュトナルに有給があったことが初耳だったが、今はそんなことはお構いない。
時を遡ること数分前、今日も今日とて書類やらなんやらを持って要塞内を右へ左へと忙しなく歩いていたサアヤは、ディッカーとクルトと擦れ違った。
貴族ではあるが礼節を忘れない彼等へのサアヤの覚えはいい。その二人に頼まれて、ヨハンを外に連れ出すことになったのだった。
サアヤとしては願ったりの出来事。
何やら抜け駆けのようで少しばかりバツが悪いが、今はそんなことを気にしている場合ではない。数少ないチャンス、しっかりとものにせねば。
「ディッカーさん達にお願いされたんです。ヨハンさんを外に連れ出してほしいって」
「ディッカー卿に?」
「はい! それにわたしもそう思いますよ。籠ってばっかりじゃ仕事の能率も下がっちゃいます。ただでさえ、ヨハンさんは仕事が沢山あるんですから」
「いや、これでも以前に比べれば大分減ったんだが……」
問答無用。いつの間にかヨハンの身体は部屋の扉から外に押し出され、今や自宅と同じぐらい慣れ親しんだその部屋の戸は固く閉ざされて、鍵まで掛けられていた。いや、ヨハン自身で鍵は持っているから、開けるのは簡単なのだが。
「合鍵を持っていたとは知らなかったな」
「こう見えても、イシュトナル要塞のことには詳しいんですよ。毎日勤めてるんですから」
ふんすと胸を張るサアヤ。
確かにヨハンもそうだが、サアヤも大概休みを取っていない。この地にエレオノーラと根を張りだしてから、ほぼ毎日のように働いてくれている。
そんな彼女の労いにでもなるのならと、ヨハンはいい加減に観念することにした。
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