第十六節 蒼に溶けて

 二つの光がぶつかる。

 撒き散らされた衝撃がマストを降り、船体を容赦なく打ち砕き、マーキス・フォルネウスの船体をばらばらに破壊していく。

 超高速で飛来した弾丸をどうにか受け止めたアレクサは、己の中にある全ての力を使ってそれを迎撃した。

 セレスティアルを浸蝕し溶かす魔性の鋼。神と呼ばれる絶対者に、ソレが生み出した御使い達に世界が対抗するために生み出した武器の一つ。

「うおおおおああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 光が逸れる。

 セレスティアルを犠牲にして、アレクサはそれを弾き返すことに成功した。

 アレクサを逸れた弾丸は、明後日の方向へと飛んでいく。

 波が晴れる。

 飲まれて消えた馬鹿な女に、満身創痍の船が一隻。

 アレクサは直ちにアルケーを二匹呼び出して、それに止めを刺すために命令を下そうとした。

「返せ……!」

 彼女がそこに迫っていることも、アレクサは判っていた。

 まさかここまで来て波に呑まれたまま消えるはずもないと、その程度の警戒を忘れるほど蒙昧ではない。

「ベアトリスさんの、ボク達の船を……返せええぇぇぇぇ!」

「いい加減にしつこいぞ、来訪者! 例え一瞬セレスティアルが封じられようともな!」

 馬鹿正直に突撃してくる少女に向けて、二匹のアルケーがその嘴を向ける。

 だが、それが動く前に何かが起こった。

 アルケー達が動きを止めたかと思うと、まるで内部から破壊されたかのように粉砕されたのだった。

「なにぃ!」

 船の縁に誰かが立っている。

 それはずっと姿を隠していた。アレクサにとっては存在すらも取るに足らんと、半ば忘れられていた。

 銃を構え、ローブを纏ったその男は。

「ヨハンさん、援護よろしく!」

「判ってる」

 肩に弾丸が突き刺さる。

 黒曜石を削りだされたその弾は、アレクサの身体を内部から溶かすように苦痛を与えてくる。

 まさか昇華した欠点をここで味わうことになろうとは!

「だがなぁ! 俺だって御使い、お前達とは違うんだよ!」

 まだ手はある。

 もう千年も使っていなかったが、アレクサは久方ぶりに、その両手に魔力を収束させた。

 セレスティアルほどではないが、並の魔法使いを遥かに超える総量を誇るその魔法は、形を組みかえて整える必要もない。

 ただぶつけるだけで、少女のセレスティアルごと粉砕するに足る力であろう。

「やらせるか!」

 何かが爆ぜる。

 周囲に広がる粒子が、アレクサが集めた魔力を掻き消していった。

「貴様ぁ! 貴様、貴様、貴様!」

 銃身が、アレクサを向いている。

 そこに込められた弾丸が御使いの毒になることをヨハンは知っている。

「殺してやる……!」

 両の手に、魔力の刃が握られる。

 例え賢しい道具で魔力を一時的に消失させようと、消しきれないほどの大量の力を集めれば話は別だ。

 限界を超えて力を行使した代償に、全身に軋みが走る。

 これを続ければ御使いとしての在り方を失いこの世界から消滅しかねないほどに、魂が悲鳴を上げた。

 それでもここで逃げかえることも、おめおめと敗北することもできない。

 何故ならばアレクサは御使いなのだから。

 光炎のアレクサが人間に敗北することなど、絶対に在ってはならないのだから。

「もうその玩具は喰らわんぞ。そして貴様も」

 眼前にいるカナタに刃を振り下ろす。

 それを受け止めて、カナタは回り込むようにして斬撃を繰り返してくる。

 その動きは先程に比べて鈍い。無理もない、傷を負い疲れも相当に彼女の身体を蝕んでいる。

 だからこそ、アレクサにはまだ勝機があったと言えるだろう。

 断続的に飛んでくるオブシディアンの弾丸など、復活したセレスティアルで防御してしまえばいいだけの話だ。

「いい加減に、しつこいぞ!」

「負けない、負けてたまるか……! ボクはお前なんかよりも強い人を知ってるんだから!」

「あの海賊のことか? ならば今すぐに同じところに送ってやる!」

 セレスティアルと魔力光が弾きあい、二人の身体が離れる。

 沈みゆく船の上で睨み合ったままカナタはこの緊迫した現状に似つかわしくない、微妙な表情をしていた。

「いや、どちらかと言うとウァラゼルの方なんだけど。ほら、御使い繋がりで」

「別にそれを正直に言う必要はないだろうに」

 後ろからヨハンがそう言った。

 気の抜けたやり取りとは裏腹に、その言葉はアレクサを激高させるには充分だった。

「貴様! この俺がウァラゼルより劣っているだと? あんなイカれた小娘よりもこの俺が下だって言いたいのか!」

「なんでそんなに怒ってるのか知らないけど!」

 カナタの言葉通りアレクサがどれだけ刃を振り回しても、彼女を捉えることはできない。

 遠距離からの砲撃がなければ、全方位からセレスティアルを飛ばすことができたウァラゼルに比べて、その攻撃は読みやすい。

 だからと言ってカナタが決定打を与えることができるわけではないが。

 何度目かの打ち合いの後、カナタは態勢を崩す。

 力も、体力もアレクサが勝っている。それは当然のことだった。

「死ね……!?」

 彼女に振り下ろそうとした刃が止まる。

 ヨハンが放り投げた何かが風を受けて広がって、アレクサの視界を塞いだ。

 それは彼の着ていたローブだった。ギフトによって編まれた特別製のそのローブは、アレクサの刃を一瞬だけ鈍らせて留める。

 そしてそれが貫通したとき、そこにカナタの姿はなかった。

 アレクサの目の前には、誰もいない。そこにいたはずのカナタの姿が、綺麗にその場から消滅していた。

「また貴様の小細工か!」

 目標をヨハンに変更する。

 単なる人間如きがどれほど策を弄したところで御使いに敵うはずがない。無様に全てを打ち破って、この海の藻屑としてくれる。

 至近距離でヨハンの銃がアレクサを捉えるが、その弾丸は一閃。アレクサの剣によって切り捨てられる。

 肉薄したアレクサは、もう一刀でヨハンの首を狙う。

 ヨハンはそれに対して武器を捨てると、懐からある物を取り出して振り抜いた。

「な、」

 白い短剣。

 そこから伸びた薄い光の刃は、ほんの僅かな時間ではあるがアレクサの魔力の剣を受け止める。

「舐めた真似を! それは神に対する冒涜だ……!」

「知ったことか」

「そのたった一瞬が、何の役に立つ!」

 光の刃を打ち消す。セレスティアルがなくとも紛い物如きに負ける道理はない。

 そしてヨハンの白兵戦能力では、アレクサには及ぶべくもない。

 今度こそとどめを刺すために振るわれた刃は、その間に入り込んだカナタによって受け止められていた。

「貴様、何処に……!」

 見えない外套が破ける。

 ほんの小さな傷で、それは役目を果たすことができなくなってしまう代物だった。

 あの時ヨハンが放り投げたのはいつものローブだけではない。

 どうしてヨハンがマーキス・フォルネウスの内側にまで誰にも気付かれずに移動することができたのか。

 その理由は、纏えば『透明になる外套』にあった。

「これ、ヨハンさんの道具の中で数少ない素直に凄いって褒められるやつだよね?」

「……他に幾らでもあるぞ」

 拗ねたような口調で、ヨハンは銃身をアレクサに突きつける。

 セレスティアルの防御ももう間に合わない。完全なゼロ距離。

「馬鹿な……!」

 発射音。

 オブシディアンの弾丸を至近距離で受けて、アレクサの身体が吹き飛ぶ。

「御使いが、人間に敗れるなど……!」

 大きな音が、その声を掻き消した。

 戦いの余波がマーキス・フォルネウスの船体を容赦なく破壊し、御使いの加護を失った船は今まさに――今度こそ海の中へと墜ちていこうとしていた。

 アレクサによってつけられた傷が再び広がり、船体は真っ二つになって折れていく。

 そしてアレクサ自身をその亀裂に飲み込み、海の底へと導いていった。


 ▽


 壊れて今にも沈みそうな船の上で、一先ずヨハンは息を吐いた。

 カナタは頭からヨハンのローブを被ったまま、もう役に立たなくなった透明になる外套を海へと放り投げる。

「おい、捨てるな。あれの材料費は高いんだ」

「え、いやだってもう壊れちゃってたし。ごめん」

「直せばまた使えるとは思わなかったのか。……まあいいか」

「……勝ったね」

「そうだな」

 船の揺れに抵抗することなく、カナタは背中をヨハンの胸に預けた。

「帰らないとね。疲れたからおんぶ」

「……新しい甘え方だな」

「ちょっと色々開拓してみようと思って」

「仕方ないな」

「えっ、いいの?」

 珍しく無事だったヘヴィバレルに、ローブを投げ捨てた際に零れ落ちた各種道具を拾い集めて、ヨハンはカナタを背負って歩きはじめる。

「えへへー」

 肩の上に顎を乗せて、ぶかぶかのヨハンのローブを被ったカナタはすっかり上機嫌だった。

 疲れてるのは本当だが、こうしてヨハンのぬくもりを感じて一緒にいることを自覚するだけで元気が出てくる。

「嬉しそうだな」

 道すがら、ヨハンはそんなことを尋ねた。

「ヨハンさんにくっつくのも久しぶりだしね」

「なにが楽しいんだか」

「んー……」

 照れくさいような、嬉しいような、なんだか申し訳ないような。

 何とも言いようもない感情だったが、一つだけ判ることは、決して嫌ではないと言うことだった。

「微妙」

 でも、恥ずかしいから誤魔化すことにした。

「だろう?」

「あ、ラニーニャさん!」

 折れかけたマストに身体を預けるラニーニャが、こちらに手を振っていた。

 その先に、甲板から必死の形相でロープを投げるクラウディアも。

 その後ろでは武装商船団の船員達が手を振って歓声を上げて、そして歌っていた。

 船乗り達の歌。数々の困難が襲い掛かる海の上で、自分達を勇気付けるために歌う頌歌。

 それは何処か、あの海の上で聞いた海賊達の歌にもよく似ていて。

 マーキス・フォルネウスに激突したまま、共に沈もうとしているその船を見て、カナタの目頭が一気に熱を帯びた。

 顔を伏せて、ヨハンの背に埋める。

 背中が濡れる感触で、ヨハンにはきっと全て伝わってしまっただろう。

「……帰るぞ。やることは沢山ある」

「……うん」

「それが終わったら、家に遊びに来い。アーデルハイトも喜ぶし、俺自身も色々と聞きたい話があるからな」

「お説教なら遠慮します」

「違う。大海賊の元で過ごした話とか、冒険者として何をしていたかとかでいい。何でもいいから楽しい話を聞かせてくれ」

 暗い話や、苦労したことなどはそのうちにでいい。

 今は彼女がどんな経験を積んで、何を学んで、如何に楽しいことがあったのか。

 それを聞かせてくれればいい。

「お前は無駄に前向きだからな。土産話には事欠かないだろう」

 以前からそうだった。

 エレオノーラ達に出会う前から、冒険者として決して楽な日々を過ごしているわけではないというのに、カナタが持ってくるのは明るい話ばかりだ。

「……へへっ。じゃあ、今度はヨハンさんの話も聞かせてよ」

「俺の話なんか聞いてもつまらんだろう」

「ううん。聞きたい」

「……まあ、別にいいか」

 穏やかにそんな話をしながら、二人は歩いていく。

 その後ろには、ゆっくりとではあるが確実に、彼等が愛した海へと還っていく海賊達の姿があった。


 ▽


 オルタリア首都、オル・フェーズ。

 その中心に聳える巨大な王宮の一室、ヘルフリートの自室として使っているその部屋には、家具やその他の調度品に至るまで名のある職人がこしらえた特注品が並んでいる。

 しかし、その主にその価値は理解できない。元より死んだ父から受け継いだもの。ヘルフリートにそれらを愛でる感性は備わっていなかった。

 そんな毒にも薬にもならないものに熱を上げるのならば、女の一人でも抱いた方がマシと言うもの。普段から彼はそう嘯いていた。

 その価値の判らぬ椅子に腰かけ、彼は今頭を抱えている。

 その原因の一つは、つい先日届いた知らせ。港町ハーフェンがオルタリアの支配を脱し、イシュトナルに付くと宣言したことだった。

 諸侯はそれに対して軍を起こして直ちに懲罰すべしと宣言する者もあったが、反面前王がそれほど注目もしていなかった土地。今更軍を動かしてまで奪い返す必要もないとの意見もあり、結局のところ結論は保留と言う形で流れた。

 その議長でもあり、全ての決定権を持つヘルフリートはそれどころではなかったのだ。

 がしゃがしゃと不躾な音が廊下を走ってくる。本来ならば決して許されぬその蛮行を止める者は誰もいない。

 いや、厳密には今この王宮に奴等を止められるものがいないというのが正しいか。

 ノックもせずに扉が開け放たれる。

 死罪に値するその行為をやってのけたのは、五大貴族のうちの一人、デニス・キストラー。

 真っ白な髪と髭の老年のその男は、皺だらけのその顔を真っ赤に染めて部屋に入るなりヘルフリートに怒鳴りつける。

「ヘルフリート陛下。此度の件、どのような説明をしてくれるのですかな?」

 彼に付き従うのは全身を鎧で武装した三人の聖別騎士。

 そしてつい先日までヘルフリートの側近として仕えていた一人の男だった。彼はもともとデニスから紹介され、双方の連絡役を担っていたので、この事態に対してあちら側に付くのは何も不思議なことではない。

「な、何のことかな?」

 上擦った声で尋ねると、更にデニスの皺が深くなった。

「禁忌の地に、ヘルフリート陛下が雇ったごろつきが上陸し、発掘作業を行ったとの報告があります。それにより目覚めた御使いを、イシュトナルの連中とハーフェンが協力し、不敬にも天に返したそうですな」

 半信半疑のだが、御使いが再び現れたことはオル・フェーズにも噂が流れていた。そしてそれを倒したのは、やはり『小さな英雄』と呼ばれた彼女達であることも。

 エイスナハルとしては、聖典に記された御使いにほいほいと地上に出てこられ、人間に討伐されたとあってはその宗教の根幹に関わる事態となる。

 そしてその原因となったのが、

「ヘルフリート陛下。約束をお忘れですかな?」

「……ぐぅ……」

 彼等とヘルフリートは、一つの契約を交わした。

 父王の命が後幾ばくも無いと知ったとき、このままでは王座は自動的に兄であるゲオルクのものになる。

 それでは面白くない。ヘルフリートには野心があった。ふ抜けた父王とその教えを受けた兄に変わってこの国を支配し、権力を振るうという夢が。

 そのために手を差し伸べたのが、五大貴族のうちの三家。エイスナハルを強く信奉する三つの家系だった。

「兄であるゲオルクの排斥に力を貸し、その条件としてこの国にエイスナハルをより広める。それが条件だったはずです」

「そ、そんなことは判っている。だからこそエトランゼを排し、貴様達の教えが伝わりやすい環境を作っているのだろう」

「果たしてそれはどうですかな? ヘルフリート陛下は自らエイスナハルの教えを広めるための政策を何一つ行っていない。そればかりか、今回の件によって更に教会の威信は地に落ちるばかり」

 何故、ヘルフリートが彼等の言うことを実行しなかったか、その理由はさほど難しいことではない。

 単純に、目先の利益にならないからだ。エイスナハルをどれだけ広めようと、民から集められる寄付金は全てその総本山である宗教国家、聖地エイス・ディオテミスへと行ってしまう。

 無論、だからこそゲオルクの排斥に力を借りて、その代金のようなものと認識していたのだが。

「それどころではないのだ。あの忌々しい愚妹があの地でくだらんことを続けている限り、俺の王位は盤石ではない。俺に王位を継がせる手伝いをしたのなら、エレオノーラの始末まで貴様達が行うのが道理だろう!」

 それは無茶にもほどがある言い分だ。事実デニスはそれに対して些かも考える様子もない。

「そんな理屈が通るとお思いですかな、ヘルフリート陛下? 何より陛下は禁忌の地に兵を派遣した。それが何を意味するかお判りでしょう?」

「し、知ったことか! 俺はあの地に力が、決して起こしてはならない古代の悪鬼が眠っていると聞いたからそれを手に入れるのが目的だったのだ。それが話を聞けばそこには何もなく、御使いがまた国土を荒らすために暴れ出したと聞く。むしろ裏切っているのは貴様達エイスナハルだろうに!」

「それは報いでしょう! 神の教えに背きしとき、御使いは罰を与えるために降臨するのです! そして御使いが罰を与えぬのならば」

 金属が擦れる鈍い音が、部屋の中に響く。

 デニスの後ろに控える聖別騎士達が、一斉にその剣を抜刀した。

 並の人間では束になっても敵わないそれらに囲まれて、ヘルフリートは椅子から立ち上がって後退る。

「き、貴様正気か! 俺を、この国の王であるヘルフリートに何たる不敬を!」

「こちらは神の意志で動いているのです。その僕たる王に、何の価値があるか!」

「狂信者め! 足りぬと言うか! 貴様達の飼い主である教皇はディオテミスにぬくぬくと蹲り、教えによって生まれた寄付と言う名の利益を貪る豚ではないか!」

 苦し紛れのその一言が更にデニスを激高させる。

 ヘルフリートにこのような状況を丸く収めるだけの能力は持っていない。むしろ余計な言葉を放ち、相手の怒りに更なる燃料を投下することになった。

「神の教えを説いているのです、教皇は。血塗れの国の血生臭い王座に座り、そしてなおも流血を望む陛下には理解できないでしょうがな」

「……貴様もその国で生まれた貴族の末裔だろうに……!」

「だからこそ変えるのです。一度は単なる偶然、兵達が見た幻覚とも言えた御使いの降臨。それが現実のものになった今、この国にはさしたる価値もない」

 ヘルフリートは今になって、自分の浅はかさを呪った。

 見たことはないが急に現れたあれらを、何故御使いと呼ばせてしまったのか。

 適当な魔物にでもでっち上げてしまえばよかったのだ。一度ならばそれも叶っただろうが、二度目はもうない。

 エイスナハルは神を手に入れようとしている。そう、それは彼等にとって王座よりもずっと価値のあるものだ。

 だとすれば、いずれヘルフリートが用済みになるのは自明。

 もっともそれはお互い様でもあるが。

「だが御使いは倒されたぞ? 忌々しきエトランゼ共によって」

「そんなものは陛下を排し、この国を聖なる地としてからどうとでも変えていけばいいだけの話」

「戦争をするつもりか? ディオテミスとオルタリアで」

「我々が何のためにこの男をそちらに忍ばせておいたのか、国王は未だに理解していないと見えますな」

 法衣を来た若い男が歩みでる。

 白い髪に白い法衣。寒気がするほどに美しい容姿をしたその青年は、ゆっくりと顔を上げてヘルフリートを見る。

 目は閉じられたままだが不思議と心まで見透かされているような、そんな悪寒が走った。

「……リーヴラ」

「リーヴラを連絡役と、そして側近として陛下の傍に置いておいたのは、これまでに行われてきた圧政の証拠を集めるため。この男は陛下の傍に在り、ゲオルクの排斥を初めとした陛下の悪事を全て知っている」

 それを一切合切ぶちまけて、ヘルフリートの王権を失わせようという考えなのだろう。然る後に、このデニスを初めとする五大貴族のうちの三人を占めるエイスナハルの信望者達が内側から王宮を支配する。

 筋書きは既に書かれ、全てのそのように話は進んでいたということだ。

 そうならなければそれが一番であったのは間違いない。しかし、事実ヘルフリートは禁忌の地に手を出してしまった。

「急がねばならんな、リーヴラ。禁忌の地より出でたる災いが地を覆う前に」

「そんなものは迷信だ! あの地には何もなかったではないか!」

「見苦しいぞ。やれ!」

 聖別騎士が三人、ヘルフリートを逃すまいと包囲を縮めていく。

 巨大な鎧三つに囲まれた恐怖でヘルフリートは腰を抜かし、無様に尻餅をついたまま寝台の方へと後退っていった。

「ま、待て! 考え直せ! 判った、直ちにエトランゼ共を全て排し、この国にエイスナハルの教えを広めると誓う!」

「裏切りを許すのは神のみに与えられた特権。その僕たる我等は、人の心にあるその泥をただ拭うのみ」

「そ、そんな……!」

 ヘルフリートの目尻に涙が浮かぶが、神によって力を与えられ、人によって呪いを受けた騎士達はそんなことを全く気にした様子もなく、剣を振り上げる。

 そしてそれが振り下ろされる寸前、一騎の聖別騎士の動きが急に止まった。

 鎧の内側からくぐもった悲鳴が聞こえ、兜の隙間から鮮血を拭きだしてその巨体が床に横たわる。

 何事かと混乱する残りの聖別騎士達も、急に動きを止めて次々と倒れていった。

「……な、」

「何が起こった、のだ?」

 ヘルフリートとデニスが図らずして同じタイミングで疑問を口にする。

 それに答えたのは、今まで無言で立っていたリーヴラだった。

「デニス閣下」

「リ、リーヴラ……」

「今日まで下賤の身であるこのわたくしを取り立てていただけたこと、感謝の極みにございます」

 言いながらゆっくりと聖別騎士達の死体を乗り越えて、ヘルフリートの横に並ぶ。

 そして倒れた騎士の手から剣を拾い上げて、デニスへと向けた。

「その後恩をこうして仇で返すことも、神はお許しになるでしょう。神は、裏切りすらも愛おしいのですから」

「何のつもりだ! リーヴラ、貴様……! この私を、そして教皇すらも裏切ると言うのか!」

「感謝はしています。ですが、わたくしにも征くべき道があり、それはデニス閣下とは異なるのです。そう。神の教えが幾重にも別れ解釈されるように」

「そんな馬鹿な……! そんな馬鹿なことがあるか! 貴様は、貴様は……!」

 顔面を蒼白にして、今度はデニスが後退っていく。

 リーヴラは盲目とは思えない動きでその距離を詰めると、その胸に向かって剣を突き立てる。

 長い悲鳴が場内に響き、心臓から溢れだした血飛沫がリーヴラの身体を赤く染め上げる。

 ゆっくりと剣を抜いてデニスの身体を丁寧に床に横たえてから、リーヴラは剣を捨ててヘルフリートの元へと歩み寄った。

「ヘルフリート陛下」

 そして、そのまま跪く。

「リ、リーヴラ……? 貴様は、貴様は俺の味方、なのか?」

「はい。僭越ながらこのリーヴラ。陛下の目指す先に興味があるのです。ヘルフリート陛下にしか辿り付くことのできない、一つの頂に」

「貴様もエイスナハルの信者であろう?」

「それは変えられない事実。ですが、時代と共に神の教えは変わっていくもの。そしてそれすらも、神は愛するでしょう。デニス閣下が行ったのは、神の名を借りた利益の追及に過ぎません」

「そ、そうか……。そうであろうな! 神の名を騙り国を手に入れようなどと、不遜にもほどがある!」

「はい」

 ようやく立ち上がったヘルフリートは、未だ震える身体を叱咤して、ようやく自分の寝台へと腰かけた。

 そして深呼吸して落ち着いてから、改めて今後の展望を望むべくリーヴラに視線を向ける。

 それだけでリーヴラは全てを察して、その顔に優しげな笑みを浮かべた語りはじめた。

「デニス閣下の死に関してはわたくしが陛下の無罪を証言しましょう」

「だが、これからはどうする?」

「ディオテミスと教皇が陛下を支援するように働きかけましょう。勿論、兵力の方も」

「なんだと?」

 それの意味するところは、ヘルフリートとはいえすぐに理解できた。

 ディオテミスの軍が力を貸してくれる。それはつまり今度こそ、あの忌まわしいエレオノーラに対して一泡吹かせられるということだ。

「ですが何に付けても形式は必要です。エレオノーラ様が刃を向ける足る相手であることを証明する必要もあるでしょう」

「う、うむ?」

「そう。例えば――彼等は大勢のエトランゼや無神論者を囲い込み、エイスナハルの教えを妨げている、とか」

「……そうか。そう言うことか」

 抑えきれない感情が溢れ、ヘルフリートの顔が笑みを形作る。

 以前の比ではない。今度こそ、あの忌まわしい妹を葬る時がやって来たのだ。

「やはり天は俺に味方をしている。このヘルフリートこそが、この国を支配する相応しいとな! ハハハハハハハッ!」

 権力と力に憑りつかれた哀れな男。

 その狂笑はいつまでも王宮の中に響き渡っていた。

 そこに跪く男、リーヴラの見据える先を知る者は、その当人を除いて他には誰もいなかった。


 第四章 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る