第十五節 光炎のアレクサ

 船体を揺らす振動に踏鞴を踏みながら彼は一瞬、呆然としていた。

「な、んだと……! 人間が、人間如きが俺のセレスティアルを撃ち抜き、あろうことか!」

 マーキス・フォルネウスに突き刺さった船を見やる。

 自らの放った陶磁器のような白い鳥に啄まれ、そこに生きている者の姿はない。

 だが、その先頭で息絶えている海賊が、こちらを笑っているような気がした。

「笑ったな……。この俺を、御使いである”光炎のアレクサ“を!」

 光炎のアレクサ。

 ウァラゼルの“悪性”と同じく銘を持つ神の僕は、怒りに目を見開き再びセレスティアルによる粛清を行うために力を集中させるが、少しばかり遅かった。

 もうその目の前に、一隻の船がある。

 名前など知らぬ。人間の付けたそれに興味はないが、アレクサの怒りを更に沸き立たせるには充分だ。

「ふざけるなよ、人間が!」

 激高し、両手に集めたセレスティアルを光線状にして放とうと掌を向ける。

 それよりも早く、船に乗り移る影があった。

 嫌な予感がして、アレクサはセレスティアルを防御に回す。

 掌に広げた盾で、襲撃者の一撃を受け止めた。

 全身に寒気が走った。海の上から飛び上がってきたこのエトランゼは、なんという武器を持っているのだ。

「黒曜石の剣だと……!」

 オブシディアンを削りだした、無骨な見た目の二振りのカトラス。

 それを振るうは水を操るエトランゼの少女ラニーニャ。

「舐めた真似を!」

「それはこちらの台詞です」

 無造作に振るった拳は、ラニーニャが一騎に腰を落としたことで空しく空を切った。

 また怖気が走り、全力で防御に回る。それが自身のセレスティアルの盾を突破することはないと判っていながらも、半ば本能的に恐れ防御に回ってしまうのだ。

「散々好き放題やってくれましたね。その間にハーフェンに出た損害が幾らになるかご存知ですか?」

「知ったことか!」

「でしたら!」

 ラニーニャの蹴りが腹に飛ぶ。

 防御もままならずそれを受けたアレクサは距離を離され、好都合とセレスティアルで薙ぎ払おうとするが、彼女の踏み込みはそれを遥かに凌駕する速度だった。

 二刀が、光の壁を打ち付ける。

「一度商売の勉強をお勧めしますよ」

「貴様達人間の営みなどに興味はない!」

「あら、奇遇ですね」

 真っ直ぐに突きが伸びる。

 光の壁が途中でそれを阻むが、漆黒の刀身が額のすぐ傍まで迫っていた。

「ラニーニャさんも貴方の都合など知ったことではありません。貴方が本当に神の使いかどうかなんてのもね。不愉快だから、ラニーニャさんを怒らせたから、それだけで充分に万死に値します」

「図に乗るなよ、来訪者が! くそっ、アルケー共は何をしている!」

 そう呼称されるのは、彼が呼び出し戦わせていた鳥や魚の形をしていた怪物のことだ。

 それらは今、空を飛ぶ魔法使いを追撃していたものは時間を掛けて一体残らず撃墜され、船を沈めた三匹の鳥達も、先頭の船にいる人間が持つ厄介な武器により一匹残らず殲滅させられていた。

 だが、これで負けたわけではない。

 御使いが生み出すアルケーは無限とは言わなくとも、ここにいる人間共を飲み込み蹂躙するには充分な数がある。

 それになにより、相手は死に体に過ぎない。動ける船は一隻。戦えるのは精々が五人。いや、あの魔法使いは息切れして船に戻っているから四人。もっとも彼女が健在だったところで御使いでるアレクサに傷を与えることなどできはしないが。

 しつこく纏わりつくエトランゼを打ち払い、その一瞬の隙を突いて距離を取る。

「俺は御使いだぞ。この世界の理に触れ、人の身を捨てて高次へと至った神の僕。貴様達に後れを取るか!」

 両翼に再び鳥を生み出す。

 一瞬の隙が稼げればいい。あの厄介なエトランゼを突き離せれば、そのまま距離を取って物量で押しつぶしてくれる。

「厄介な……!」

 歯噛みするエトランゼ。

 いい様だと、アレクサは心の底で人間を嘲笑う。

 例えお前達がどれほど足掻こうと敵わぬものがあるのだと、思い知らせてやろう。

 翼をはためかせたアルケーがエトランゼを襲い、その迎撃のためにアレクサへの狙いが外れた。

 その隙にアレクサは悠々と、掌をエトランゼに向けた。

「俺を手こずらせた罰だ。苦しんで死ぬがいい」

 ――その光がラニーニャを撃つ前に、それまでずっと静観を保って来た彼女がその場に舞い降りた。

 セレスティアルの光の剣を持ち、その背に広げた光の翼によって一気に加速を付けて、真っ直ぐにこちらに飛翔してくる。

 無鉄砲そのものの突撃。合理性も何もあったものではない、感情に任せたままの愚行。

 だがそれは、アレクサにとって予測不可能な一撃であり、今まさに刈り取られようとしていたラニーニャの命を救って見せた。


 ▽


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 カナタは吼えた。

 全身全霊を込めて、船の甲板から飛翔する。

 背には極光の翼、手には極光の剣を持ち一気に加速を付けて、目標地点へと弾丸のように飛んでいく。

 ラニーニャに襲い掛かるアルケーの一匹を斬って捨て、そしてそのまま剣を盾へと変貌させる。

 そこにアレクサが放った光線が着弾する。

「効かない……!」

 カナタの極光に阻まれて拡散し、アレクサの光線は霧散して消える。

「ラニーニャさん!」

「っ、判ってます!」

 咄嗟にラニーニャは態勢を立て直して、傾いた船に襲いくる波を掴むようにして操り、大量の水をアルケーに浴びせかける。

 ぐらりとその巨体が揺れたところで波の上を駆け、その背に飛び乗り黒曜石の剣を突き立てた。

「また来る!」

「防御はお任せします!」

 すぐ目の前に迫ったアレクサのセレスティアルの光を、カナタは受け止める。

 その隙にラニーニャは迫りくるアルケー達を同じような方法でもう二匹、仕留めた。

 沈みかけた船に浴びせられる高波は、ラニーニャにとってはこの上ない援護となる。

「無駄だ人間共よ。どうして俺に勝てると思う? 何故、脆弱な貴様達が御使いに立ち向かえると勘違いする?」

 既に空には、大量のアルケーが展開している。

 こちらは戦力の大半を失ったが、相手には何一つとして打撃を与えることはできなかったということだ。

 一瞬の動揺こそあったものの、アレクサは未だ健在で傷一つ与えられていない。

 状況を見れば、敗北は必至と言っても過言ではない。

「カナタさん。弱音を吐きたくはないですけど、これってなかなか絶望的な状況ですよね?」

 カナタは答えず、代わりに一瞬だけ視線がトルエノ・エスパーダの甲板へと向いた。

 そして次にアレクサを見るその目からは一切の闘志は消えず、むしろ勝利を諦めてはいない。

「……仕方ありませんね。もう一頑張りしますか」

「期待してるよ、ラニーニャさん」

「陸に戻ったら何か奢ってもらいます」

 迫りくるアルケーを、二人は迎え撃つ。

「右の二匹はわたしが」

「ならボクは左側の奴を」

 襲いくる嘴を、カナタの極光の剣が斬り落とす。

 そのまま身体を回転させるように、両手に極光の剣を持って翼を斬り落とす。

「二刀流……! 見様見真似だけど」

「また真似した……」

「これは前もやったもん!」

 そんなやり取りをしながら、ラニーニャは相手の動きを避け続ける。

「今!」

 そして波を読む。予想通りに甲板を包む高波に乗って、高所からの斬撃で二匹を仕留めた。

 敵の数は減らない。

 目の前には十匹以上のアルケーが、獲物を見定めるように旋回している。

 その守護に護られたアレクサは再びセレスティアルによる砲撃と、障壁の準備を進めていた。

「なにを悠長にやってるんですか。幾らラニーニャさんが優秀でもこれでは……!」

 今一度トルエノ・エスパーダを見て、あることに気が付く。

 そしてそこにいる『彼女』の狙いも、もう全て伝わっていた。

「……前言撤回します。ラニーニャさんともあろうものが、まさか己の本分を見失うとは。カナタさん!」

「はい!」

「……いいお返事ですこと。提案があります」

 背中合わせに、二人はちょうどよく甲板に足を付けた。

「奇遇だね。ボクも提案しようとしてたところなんだけど」

「突撃しましょう」

「……うん。でも、大丈夫? その、疲れとか、怪我とか」

「クラウディアさんほどではないですけど、そう言う態度が過ぎると、ラニーニャさんも怒りますよ。心配ご無用。むしろそちらの準備こそ大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない? 多分」

「……不安になりますね」

「あはは。ボクもいつもそうだよ。でもね、大丈夫、絶対に裏切らないから。あの人は」

「なるほど。それではいきましょうか」

 その一言で確信した。

 それは、ラニーニャがクラウディアに寄せるものと同じだ。

 だから、問題ない。心配するだけ無駄と言うものだ。

 甲板を勢いよく蹴り、目の前に立ち塞がるアルケーを二刺しに仕留める。そしてその背を蹴って、ラニーニャは跳躍した。

 同時にカナタもセレスティアルによる加速を付けて、アレクサへと接近する。

「愚か者共が!」

 だが、その距離は遠い。

 セレスティアルの障壁、そして何よりも大量のアルケー達がその行く手を阻むからだ。

 セレスティアルの砲撃が来る。レーザーのような光が、味方のアルケーごとこちらを薙ぎ払わんと牙を剥いた。

 そこに同時に、大波が来た。万全のタイミング。ラニーニャはほくそ笑む。

 その波に乗り、苦し紛れに持っていた黒曜石の剣はアレクサに放り投げてやる。

 眉一つ動かさずそれは弾かれたが、そんなことは問題ではない。

 両手で波に触れ、掴むようにして一気に引き上げる。

 全身が燃えるように熱く、同時に魂は驚くほど冷たく冷え込んでいく。

 それ以上踏み込むなと、何かが告げていた。例えるならば、魂が悲鳴を上げるとでも言えばいいだろうか。

「大技です……!」

 波が広がる、海ごと持ち上げられたかとでも言わんばかりの巨大な波が、アルケー達を巻き込んでアレクサへと襲い掛かった。

「舐めるなよ! この程度の子供騙しでセレスティアルが打ち破れるものか!」

「そんなの」

「判ってるよ!」

 左手で抑えた右腕を突きだしたカナタが、アレクサの砲撃を防御する。

「ぐうううぅぅぅぅぅ!」

 衝撃の全てを殺せるわけではない。両足を広げてその場に踏みとどまらなければ、あっという間にに壁ごと貫かれて海へと落とされてしまう。

 加えて背後からは、ラニーニャが広げた大波が全てのみ込まんと迫って来ていた。

 やがて全身が波に呑まれる。

 カナタの小さな身体一切が、その場の誰の視界からも消えた。

 それはカナタだけでなく、その一瞬広がった大波は壊れかけのマーキス・フォルネウス全てを飲み込んでいた。

 そして、その波が全ての視界を奪ったその瞬間。

 声が聞こえたような気がした。

 大海賊の、しわがれた声。

 何と言ったのかは誰にも聞き取ることはできなかったが。

 トルエノ・エスパーダの船上。

 襲い掛かるアルケー達の迎撃を仲間に任せて、彼女はずっとその瞬間を待っていた。

 金色の髪を揺らし、その顔に凶悪な笑みを浮かべて。

「余計なお世話だよ、婆」

 クラウディアはそう呟く。

 今や自分の命など知ったことではない。それは船員達に全て預けてある。彼等が力尽きたときが自分の死ぬ時だと、もう諦めている。

「でもお前は倒す。いっけえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 彼女の身体には不釣り合いなほどに巨大なその砲身。

 先程彼が、渾身の一撃を叩き込んだ強力無比な必殺の兵器。

 リニアライフルから放たれた超高速のエレクトラムの弾丸は、アルケー達を纏めて吹き飛ばし、波を撃ち抜き、真っ直ぐに飛んでいく。

 御使い、光炎のアレクサへと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る