第五節 海賊とボク

 階段を駆け上がり外に飛び出してきたカナタとベアトリスを出迎えたのは、傷ついた海賊達とそれを庇うように敵と対峙するジャック達。

 そして彼等と相対する、一匹の魔物の姿だった。

 その姿の異様さにカナタは一瞬、息を呑んだ。

 それは一言で言えば、足の生えた巨大な魚だった。

 白を基調として、所々に青いラインが入った流線型の身体に、各所から生えた刃のように鋭いヒレ。しかし、普通の魚と違う点は、その顔の先端には本来あるべき目と口がない。

 陶磁器のような肌に、のっぺりとしたその姿は魚を模して作られたロボットのようにも見える。

 その魚は無理矢理取りつけられたような足で持って地面を動き回り、鋸のようにギザギザした刃を持ったヒレで、周囲の物を斬りつけていた。

「なんだか妙な奴が出てきたね……!」

「船長! こいつ、剣も矢も効きやしねえ!」

 その証明に海賊の一人がボウガンで矢を放つが、その魚が展開する光の壁に突き刺さり、その身体には届かない。

 反撃とばかりに、その輝きは光線となって海賊達を薙ぎ払い、彼等は慌てて林の奥にまで撤退していく。

「あれ……!」

 カナタは一目見て理解した。

 その輝きに覚えがある。忘れるわけもない。

 カナタもその担い手であり、そしてその光を操る相手と戦ったこともあるのだから。

「セレスティアルだ……。でも!」

 カナタがベアトリスの横から飛び出していく。

 海賊達を追撃しようとする魚を、横合いからセレスティアルの剣で斬りつけた。

「カナタ!」

「光の壁はボクが何とかします!」

 カナタの極光は同じくその魚の極光に阻まれたものの、出力ではこちらが勝っていたようで、光の壁をじわじわと浸蝕し断裁する。

 かつて御使いと戦った時がそうであったように切り裂かれたセレスティアルは消滅し、ほんの僅かな時間の隙を作る。

「今なら!」

「任せときな!」

 カナタに向けて迫りくる刃のヒレを、ベアトリスが力任せのカトラスで弾く。

 相手の身体がよろめいた隙に、その頭部に銃口を突き付けて容赦なく発砲した。

 硝煙が上がり魚の身体がぐらつくが、それでもまだ動きを止めることはない。

 地面に踏ん張るように持ちなおし、カナタとベアトリスを吹き飛ばすように身を奮わせる。

 そして復活したセレスティアルを身体に纏うと、大地を蹴り上げて跳躍。そのまま二人に向けて躍りかかった。

「相殺できれば!」

 両手で剣を握る形を作り、そこにセレスティアルの大剣を生み出す。

 ラニーニャとの戦いで編み出したその新しい力で、上から迫りくるその魚に対して斬りつけた。

「重い……けど!」

 何かが砕ける音がして、魚の纏うセレスティアルが破壊される。

 そしてカナタの大剣はその魚の頭部に食い込んでいく。

 血は流れず、固い金属を断つような感触と共に刃がその白い身体を切り裂いていく。

 しかし、魚とてまだ力尽きてはいないようで、体重を掛けてカナタを地面に押し倒し、その手から離れたセレスティアルの剣が消滅した。

 それから頭部を勢いよく振り上げて、カナタに止めを刺すべく一気に振り下ろす。

「この化け物……! 舐めんじゃないよ!」

 そこに、横合いからベアトリスの蹴りが炸裂した。

 年老いたその身体の何処にそんな力が隠されているのだろうか、ベアトリスの蹴りは優に人間の二倍はある大きさの魚を地面へと転がす。

「行けるかい!」

 カナタは立ち上がり、剣を作る。

 ベアトリスも同時にカトラスを両手で握る。

 頭部と腹、その両方に二人は同時に剣を突き立てた。

 絶叫の声一つなく、その魚は身体を痙攣させ、地面をのたうつ。

 やがて力尽きたのか、少しずつ動きは鈍くなり、ついには完全に動かなくなった。

「……やったのかい?」

「……多分、ですけど」

 カナタが言うのとほぼ同時に、魚の全身に罅が入る。

 ぼろぼろとその身体は崩れ、やがては砂になり、最初からそこには何もなかったかのように消滅してしまった。

「船長! ご無事ですか!?」

「なぁにがご無事ですかだ! お前等は遠くから見てただけの癖に。まったく情けないね!」

 ばつが悪そうに駆け寄ってきた海賊達の、ちょうど先頭を歩いていたジャックの頭を容赦なくしばくベアトリス。

「痛てぇ! だって仕方ねえじゃないかよ。俺達じゃ攻撃しても全く通じないんだから」

「そこはカナタがいてよかったよな。船長、この子やっぱりいい海賊になりますよ。あたいが保証しますって」

 女性の海賊がそんな調子のいいことを言って、カナタの肩に腕を回す。

「……ああ。だろうね」

「ほらー、カナタもあたい等と一緒に世界中を回ってみたいだろ? 海賊はいいよー、良い男と出会ってもすぐ別れなきゃならないのが欠点だけどさ」

「無駄話ばっかりしてないで船に戻るよ! またあの化け物が出てこないとも限らないんだ!」

 ベアトリスのその言葉を受けて、海賊達はすぐさま撤収の準備を整える。

 宝は一つも見つからなかったが、遺跡を発見し、そこで見たこともない怪物と戦ったという土産話を得た海賊達は、さして気落ちした様子もなかった。

 彼等が楽しそうに魚との立ち回りを振り返りながら歩いていくその最後尾で、カナタは一人考え事をしながら歩いていた。

 どうしてこんな気の良い人達が、海賊なんかをやっているのだろうか。

 もしも冒険者として一緒に戦えるのならば、きっと楽しい日々が待っているはずなのに。


 ▽


 それから数日後も、カナタは相変わらず海の上で海賊達と一緒に過ごしていた。

 彼等は周辺の孤島を見つけては上陸し、宝を探して歩き回る。そして成果が得られようと得られまいと、楽しそうに宴をやってその一日を水に流していた。

 ある意味ではその日暮らしの生活が、今のカナタの心には清涼剤となっていることを、認めざるを得ない。

 ヨハン達のいる場所には戻りたい。しかし、戻ったところで何をすればいいのか。

 少年を救えず自らの手で殺め、その上で英雄と呼ばれてしまったカナタが必要とされる場所など、もうないのではないかとすら思えてしまう。

 先輩海賊から貰ったバンダナを巻いて、水夫の格好に着替えたカナタは、甲板掃除のモップを持ったまま、船の縁から青い海を見つめる。

「水平線、綺麗だなぁ」

「なーに黄昏てんだい? そういうのが似合う女になるには、十年ばかり足りないね」

 ぽんと頭の上に手を乗せられて、隣に並んだのは歴戦の老兵であり女海賊。

 ベアトリスはカナタの心などとうに見透かしているかのように、同じようにして水平線の彼方を見つめた。

「こうしてれば、お前さんがサボってても誰も文句は言えないからね」

 この海賊船でのベアトリスの権限は絶対的なものだ。彼女が黒と言えば白も黒くなる。

「ベアトリスさんは、どうして海賊になったんですか?」

 その質問に何の意味があるだろうか。それはカナタ自身にも判らないが、もし彼女の話を聞いて何かの参考になればと思い、そう尋ねた。

「つまらん話さ。船乗りだった父親に憧れてたが、アタシの国じゃ女が船乗りになるなんて絶対に許されなくてね。海に出るには、海賊にでもなるしかなかった。たったそれだけの話さ」

「海が好きだから海賊に?」

「子供の頃から海に触れてりゃそうもなる。見ろよこの雄大な世界を。小さな悩みなんかどっか行っちまうだろう。何せ」

 二人の視線は、同じところを見ている。

 青く広がる海の向こう。

誰も知らない世界。

「これだけ世界が広がってるんだ。そこには色んな場所があって、色んな奴がいる。それを全部見るには人間の生きる時間ってのは短過ぎる。そのくせ大半の時間をくだらないことに使っちまうんだ。アタシがそうだったみたいにね」

「くだらないことって何ですか?」

「さあねえ。取り敢えず、お前さんがうじうじしてるのも、そのくだらないことの一つってのは確かさ」

 それだけ言って、ベアトリスは船の縁から離れて歩いていく。

 彼女が離れていってしまうのが何故だか寂しくて、もう少し話を聞きたくてカナタは呼び止めようと口を開く。

 そこに、背後から声が駆けられた。

「探したわ、カナタ」

 箒に乗って、フード付きのローブを纏った金髪の少女、アーデルハイトがそこにいた。

 以前の物からヨハンによって新調されたローブは、彼の着ているものと色違いのデザインとなっており、クリーム色の記事に所々赤いラインが入っている。

 彼女はふよふよと箒に横座りしたまま船の上までやってくると、確かな足取りで甲板に足を降ろす。

「まさか本当に海賊をやっているとはね。なに、その恰好?」

「……あはは」

「誤魔化さないの。さ、帰りましょう?」

 手を差し伸べるアーデルハイト。

「あの人も待っているわ」

 その名前を聞いたときmカナタの身体に電気が走ったかのように動きが止まった。

「どうしたの?」

 本当にヨハンはカナタを待っているのだろうか。

 それが本当だとしても、単なる義務感から探しに来ているのではないだろうか。

 あの日。

 少年を救えなかった日からずっと胸の中にあったわだかまりが、カナタに小さな躊躇いを生んだ。

 小さな英雄と、そう呼ばれていながら。

 たった一人の少年を救えなかったカナタに、ヨハンは幻滅してしまったのではないかと。

 そんな考えがカナタの不安となって、重りのように圧し掛かる。

「ボク、本当にヨハンさんに会っていいのかな?」

「……当たり前でしょう。彼は貴方のことを心配しているし、わざわざこんなところまで探しに来たのだから」

 その上で迷惑を掛けてしまったという事実が、カナタにとっては何よりも辛い。

 そして、そんな彼女の心境を理解したわけではないだろうが。

「そのヨハンって男が、カナタの悩みの種ってわけかい。……気が変わった」

 踵を返して戻ってきたベアトリスが、そこに立っていた。

「……アランドラの大海賊。私掠船団の長であるマーム・ベアトリス。お会いできて光栄ね」

「くすぐったいねぇ。アタシは海賊で悪党だよ? 小奇麗な魔法使いさんにそう呼ばれるほどのもんじゃないさ」

「外の国に名前を響かせることができる人物なんてそうはいないわ。そこに敬意を表しているの。でも、人の友達を誑かしたのは看過できないわね」

 アーデルハイトの表情が険しいものに変わった。

 そして袖から以前の物とは違う魔法の杖を取り出すと、ベアトリスにその先端を向ける。

 杖とは言うが、その先端に取り付けられた水晶は鋭利に磨がれていて槍としての役割も充分に果たすことができるだろう。

「それで、気が変わったというのはどういうことかしら? 彼女を保護していてくれたというのならそこには感謝するし、相応の謝礼も出すつもりよ」

「ああ、そんなもんはいらんさ。その子は拾いもんだし、アタシも命を救われてる。代金に関してはそれで相殺と行こう。ただ――」

「は……」

 アーデルハイトはその動きに、全く反応することができなかった。

 ベアトリスが目にも止まらぬ早業で放り投げたロープは、まるで生き物のようにカナタの腕を取り、彼女の足元へと引きずり倒した。

 そのままカナタの首筋に、カトラスを付きつける。

「カナタ!」

「うん。そうそう、これがいいね。最初はカナタを陸に届けようとも思ったんだが、やっぱり惜しい。お前さんはアタシ達と一緒に海賊になりな」

「このっ、海賊風情が……!」

「威勢がいいね、お嬢ちゃん。でもちょっとばかし甘かったねぇ」

「ベアトリスさん……。どうして……?」

「お生憎様、カナタ。海賊ってのは海の悪党なんだ。気分のままにやりたいことをやる。アタシは今、お前さんをクルーとして正式に迎えたくなった。それだけだよ」

 二人は睨み合うが、状況はベアトリスが圧倒的に有利だった。

 もし彼女がカナタを本気で殺すつもりなら、アーデルハイトが何か妙な素振りを見せた時点ですぐにその首を掻き切ることができる。

「さて。アタシの要求を伝えてもらうよ、魔法使いさん。この子を賭けて勝負しようじゃないか。そのヨハンさんってやらとね」


 ▽


「なるほど。それでは現状、ハーフェンはオルタリアに与しているわけではないと」

 ハーフェンの街にある海岸をずっと歩いていくと、次第に崖のようになっていく。

 その高いところに街を見下ろすような形で、ハーフェンの町長であるマルク・ユルゲンスの屋敷は建っていた。

 その来客用の応接室は、柔らかな日差しの差し込む天窓、貿易により手に入れたのだろう、オルタリアではあまり見られないインテリアが目立つ。

 中には掛け軸のようなものもあり、話によれば東方にある国からの船に乗せられていたものらしい。

 ヨハンは今ソファに腰かけ、テーブルを挟んで反対側にはこの部屋の主であるマルク・ユルゲンス本人と対面している。

 恰幅の良い優しげな顔立ちの中年男性は、少しばかり困ったような顔で、額に浮かんだ汗をハンカチで拭き取りながら喋っていた。

「ええ。オルタリアからは以前、官吏としてヘルフリート陛下の息のかかった貴族が派遣されてきたのですが……」

 マルクは周囲を見渡して、やや声を潜める。

「その振る舞いの悪さからちょっと揉め事を起こしまして……。今はお互いに不干渉と言う形になっております」

「それで、その官吏は今何処に?」

「街からうーんと離れたところの屋敷で、今日も引きこもってるんじゃない?」

 応接室の扉を、音を立てて開きながら入ってきた少女がそんなことを言った。

 金色の長い髪に小柄な体躯の少女はヨハンと言う来客があるにも関わらず、全く臆した様子もなくつかつかと部屋の中を歩いてくる。

「こら、クラウディア! 来客中だぞ」

「そのお客さんに用事があるから来たんだよ、アタシも。パパもさ、別に隠さなくていいよ、あのこと」

「あのこと?」

「ヘルフリートから派遣されてきたあのクズ貴族。アタシを厭らしい目で見るわ、ラニーニャの身体を触るわのクソすけべ野郎だったの。だからさ、夜中に話があるって呼び出して、小舟で沖に連れ出して海の底に叩きこんでやったんだ」

 上機嫌に語るクラウディアだが、マルクは手で目を覆いヨハンは絶句していた。

「それからどうなった?」

「なんか岸には上がってきたみたいだけどね。それからはこっちには何にも干渉して来なくなって、清々してるよ。ね、パパ?」

「いや、お前……それは……」

 マルクは言い淀んでいるが、クラウディアの言うことは大方事実のようだった。

 だとすれば、ハーフェンはオルタリアとの関係が上手く行っていないことになる。

 そんなヨハンの考えを見透かしたのか、クラウディアは正面に立ってこちらを見つめてくる。

「アンタがイシュトナルから派遣されてきた使者の人?」

「クラウディア! 今はお前が出る幕ではない。少し大人しくていてくれ」

 悲鳴のようなマルクの声も何処吹く風と、クラウディアは我が物顔で振る舞い続ける。

「そう言うわけにはいかないの! で、どうなの?」

「如何にもその通りだが」

「名前はヨハン?」

「ああ、そうだ」

「はい。お手紙。海賊から」

「……なんだと?」

 クラウディアが懐から取り出した手紙と言うよりは単なる紙切れを手に取り、そこに書かれていた文字を読む。

「……カナタが捕まっている?」

 そこには綺麗な文字で、カナタを捕まえたこと。取り戻したかったら指定の海域にまでやってくることとだけ書かれていた。

「判ってると思うけど、悪戯じゃないからね。アンタの連れて来た子が伝令役になってるんだから」

 どうやら屋敷の玄関でアーデルハイトを捕まえて、この手紙をぶんどって届けに来たようだった。

「……まったく」

 呆れながら、ヨハンは手紙をローブの懐にしまい込む。

 そして改めてマルクの顔を真っ直ぐに見て、告げる。

「申し訳ありませんが、用事ができてしまったもので。話の続きはまた後日に」

「い、いや君、それは……。いいのか、一応は君も使者としてここに来ている身だろう?」

「はい。ですが、あいつの命はそれよりも重要な案件になりますから。主もそれは理解してくれるでしょう」

「クラウディア! お前はあまり危険なことは……」

「もう遅いって! 海賊達はアタシ達の武装商船団にも挑戦状を出してるんだ。このまま退いたら舐められるよ」

「いや、私は別にそんなことは気にしないが……。それよりもお前の無事の方が」

「アタシは海の女。海で死ねるなら本望さ。さ、行こうよよっちゃん。まずは作戦会議だね。船のことなら心配しなくていいよ、アタシが出してあげるから」

 そう言って、手を取ってクラウディアはヨハンを引っ張っていって出ていってしまったのだった。


 ▽


 部屋を出て階段を降りて、エントランスを通って庭へと出る。

 その辺りでようやく、ヨハンは口を開いた。

「いいのか?」

「なにが?」

 クラウディアは今気づいて、握っていたヨハンの手を放す。

「船を出してくれると言う話だ」

「ああ。そんなこと」

 前を歩いていたクラウディアはくるりと振り返り、悪戯っぽい笑顔でヨハンを上目遣いに見上げた。

「やっぱ嘘って言ったら、どうする?」

「……どうもこうも」

 以前の自分ならどうしていただろうか?

 波風を立てず失った力を認められず、管理するような有り様で。きっと利口そうな言葉を選んで、無駄な遠回りをしようとしていたことだろう。

 だけど、今は違う。

「頼みこむだけだ。船を出せるのがお前達しかいないのなら」

「それでも駄目なら?」

「無理矢理にでも一隻奪って行く」

「……ふーん」

 それを聞いて何か満足したのか、クラウディアは背を向けて歩きはじめる。

 彼女が向かった先には、恐らくここに来るのに使ったであろう馬車が一台。幌が取りつけられた座席部分からは片目を覆う、蒼銀色の髪をした少女がクラウディアを見つけて手を振っていた。

 クラウディアを先頭に馬車を乗り込むと、行く先を告げる間もなく走り出す。

 クラウディアともう一人の少女が隣同士に座り、向かい合わせになる形でヨハンが座る。

「はじめまして。わたしはクラウディアさんの武装商船団の副官で、ラニーニャと申します。こう見えてもエトランゼなんですよ」

 すらりとした体系の少女は、そう言って自分の胸に優雅な仕草で掌を当てた。

「ヨハンだ。一応は、イシュトナルでエレオノーラ姫の副官のような仕事をしている」

「ええ、存じていますよ。エレオノーラ王女と共にイシュトナルを奪取し、そこに自治区を築いて辣腕を振るっているらしいですね。他にも突然目覚めた御使いとの戦いでも最大限の功労を収めたとか」

「辣腕かはどうかは判らないがな。やれることをやっているだけだ」

「御使いの件に関しては?」

「俺は大したことをしていない」

「ふーん。……では、一体誰がそれだけ強大な力を持つ存在を倒すことができたのでしょうね? まさか、みんなの協力が成せた技、とは言えないでしょう?」

 先回りで言葉を封じられて、ヨハンは一度押し黙った。

 ラニーニャの表情は笑顔だが、その裏にどのような考えがあるのかを読み取ることはできそうにない。

「小さな英雄、カナタちゃんは光の剣を振るらしいですね」

「……そうだな。で、それがどうかしたか?」

「いいえ。どうしてそんな少女が海賊に協力し、今は捕まっているのか心当たりがないのかと思いまして」

「あいつが何を考えているかまでは俺は理解できないさ。それについ最近まで行方不明になっていたんだぞ」

「管理不行き届き、だったのでは? それだけの力を持つ少女を手元に置かない理由が何か?」

「……今会ったばかりの奴に答える必要はないと思うが」

「ちなみに噂によると、ヨハンさん随分と女性関係にだらしないみたいですし。その辺りで何か……怒っちゃいました?」

 ヨハンの表情が変わったのを目ざとく察して、ラニーニャは追及を一度取りやめる。

 一方のヨハンは、傍から見ている分には判らないが、別段彼女に対して怒りを抱いたわけではない。

「いや。以前もそんな話をされたからな。少し自分の生活を改める必要があると思ったんだ」

「あらら。意外とメンタルよわよわですね」

「女性関係とは無縁だったからな。いきなりそんな噂を立てられて戸惑っている」

「嫌ではないと?」

「モテるという話が広まっているなら、光栄なことだ。……現実とのギャップを考えれば寂しいものがあるが」

「なるほどなるほど。クラウディアさん。この人、結構当たりです。三割ぐらいは信用できますよ」

「ふぇ?」

 話に入れないことで退屈して、窓から外を眺めていたクラウディアは、突然話を振られて間抜けな声でこちらに顔を向ける。

「そうなの? アタシとしてはもう充分だったんだけど」

「クラウディアさんは警戒心がなさ過ぎです。そんなんだから……」

「お説教はなしで行こうよ。だってよっちゃんは自分の仕事よりも女の子を優先してるんでしょ? アタシ的にはその辺り、気に入ったよ」

「いや、それは幾ら何でも警戒心低すぎでしょう」

「前に海に分投げた官吏は何かというと貴族だとか、ヘルフリートがどうとか言ってたしさー。そう言うのがないのも、うん、好感触だね」

「ハードル低すぎませんか?」

「いいのいいの。それにこれから一緒に海に出る仲間なんだしさ。……気に入らなかったらそこで放り捨てればいいだけだし」

 と、最後にきちんと小声で怖いことを付け加えるあたり、彼女も相当なものだ。

「……信用してもらえたようで何よりだ。それで、そろそろ作戦を考えるためにこちらの戦力を知りたいんだが」

「ちょっと待ってね。ほら」

 クラウディアが指を伸ばして窓の外を指し示すと、いつの間にか馬車は街中を通り抜けて、港へとやって来ていた。

 倉庫が立ち並ぶ港の一区画。そこにあったのは波止場に繋がれた一台の帆船。

 三本のマストが立ったキャラベル船は、そこに輝かしい一つの旗を風に靡かせながら、威風堂々と浮かんでいた。

「出せる船はこの一隻。アタシの船さ」

「その名はトルエノ・エスパーダ。このラニーニャさんが名付けたのです! 格好いいでしょう!」

「いや、まぁ……。一隻だけか?」

「武装商船団って言ってもやっぱり他の船を出すにはパパの許可とか、船員に払う給料とかの相談が必要になるしね。ましてやアタシ達の個人的な事情だし……」

 出てきた時の雰囲気から言って、今から戻ってそんな話をできる雰囲気ではないだろう。それに未だにオルタリアかイシュトナルかで悩んでいるマルクが、私財と人員を導入してヨハンのために海賊と戦ってくれる理由はない。

「おやおやクラウディアさん。こちらの殿方は、ハーフェンで最も海賊を打ち取ったトルエノ・エスパーダとその乗組員、そしてその船の船長と副船長であり、海の女神もかくやと言わんばかりの美貌を持つ二人を持ってしても不満と申していますよ」

「誰も不満とは言っていないが」

「もう。ノリが悪いですね。作戦会議をするのならば、まずはお互いの戦力を把握してからでしょう。お食事でもして、軽く自己紹介をしてからと参りましょう」

 ラニーニャの言葉に誤りはない。焦っても事を仕損じるだけだ。

 そう考えたヨハンは、特に反論もせずに停止した馬車から降りていく。

「ラニーニャ、なんか元気だね?」

「……なんか、わくわくしませんか?」

「わくわく?」

 先を歩くヨハンの背中越しに、広い海が見える。

 これまで幾度も船を出し、時には戦って傷つき、時にはその恵みを享受した偉大なる青い世界。

「海賊と、イシュトナルからの使者と……。あの女の子。何かが変わるような、そんな予感がするんです」

「予感かぁ……。うん、アタシもちょっとだけ、判るかも」

「でしょう?」

 大海賊ベアトリスとの戦い。

 それは船乗り達にとっては恐怖以外の何でもないはずなのに、この勇敢な女船乗り二人はそれ以外の高揚を感じていた。

 それだけの女が、大海賊が自分達を名指しで指定した。

 その事実だけが、今は彼女達を海へ駆り立てる。海賊であろうとそうでなくても関係ない。

 未知へと、雄大なものへの挑戦は、海で生きる者達の魂を躍らせる。そう言うものだ。

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