第四節 其の島にあるもの

 ハーフェンの沖に浮かぶ、名もなき孤島。

 島の大きさはそれほどでもなく、二日も掛ければ一周を回りきってしまえる程度しかない。

 誰も暮らしていないのか集落などがある気配もなく、島は小さいながらに動植物の楽園となっていた。

 その地が禁忌の地などと呼ばれていることは、余所者であるベアトリス達には知る由もない。オルタリアに住んでいながらエトランゼであるカナタにも。

 今彼女等は船を浜につけ、大きな焚火を囲んで大騒ぎをしていた。

 時刻は既に夜。地上を照らす満月は、エトランゼの来訪を示す赤ではない。

 月明かりに照らされながら、それが更なる興奮を呼び起こすように、海賊達の飲めや歌えやの宴は激しさを増していた。

「てめぇ、ふざけんじゃねえ! あいつは俺の親友だったんだぞ!」

「はっ! 面白い冗談いうじゃねえか、親友だから女房を貸してやったってのか? そりゃ立派な友情だな!」

「あることないこと言いやがって!」

 屈強な男達が片手に酒を飲み、カナタには意味の判らない理由で殴り合いを始める。

 慌ててそれを止めようとしたところを、カナタにとっての先輩に当たる女海賊に腕を首に巻き付けられて制止された。

「いいのいいの。馬鹿な男共は放っておきゃ、勝手に気絶するから。それより、あんたも賭けたらどうだい? どっちが勝つか、あたいの見立てじゃあっちのテグスが有利だね。なんたってあいつ、一人で海兵十人を打ち取った手練れだかんね」

「いやいや、それだったらギルホも負けてないよ。知ってるだろ、ミルナ諸島での猛獣退治。そん時テグスは船の中で震えてただけじゃないか」

 また別の女海賊が現れてそんなことを言う。

 それに機嫌を悪くしたのは、カナタを拘束している女海賊だ。

「あん? あんた、テグスがギルホ程度に負けるってのかい?」

「唾飛ばしてる暇あったら喧嘩を見たらどうだい? すぐに答えは出るだろ?」

「それじゃあたいの気が収まらないね」

「だったらどうすんだい?」

「腕っぷしを比べるのは男共。だったらこっちはこれで決めようじゃないか!」

 そう言って取り出したのは、酒が一杯に入った樽だった。

 それを見て二人とも顔を綻ばせて、手に持ったコップに並々とそれを注いでは飲み始める。

 二人のそんな様子に気が付いた、殴り合いの喧嘩を囃していた海賊達の一部がこちらでも始まった戦いを煽ろうとやってくる。

「おぉー! 飲み比べとは景気がいいじゃないか!」

「負けたら脱いでくれよー!」

 下品なヤジを飛ばす海賊達の輪から、カナタはこっそりと抜け出していく。

「――で、俺はもう駄目かと思ったんだよ。あのやたら強い女二人に母ちゃんが囲まれてさ」

「あぁー、いい女だったなぁ」

「そうだな。いい女だったよな。で、俺の話聞いてるか?」

「柔らかそうなおっぱいしてたもんなぁ」

「……聞いてねぇな。母ちゃんもなんか言ってやってくれよ!」

「そうだね。まずあんたに言うことが一つ。母ちゃんはやめな!」

 ガツンと頭を叩かれたのは、ジャックと呼ばれていた海賊だ。

 その横では既に大分酒が進んでいるのか、夢見心地の海賊が独り言をぶつぶつと呟いている。

「おぉー、嬢ちゃんじゃないか! こっち来て一緒に呑もうや」

「いや、ボクお酒は……」

「いいからいいから、酌の一つでもしてくれよ。新入りさん」

 その大柄な身体からは想像できな程に人懐っこい笑顔で、ジャックがカナタを手招きで呼び寄せる。

 その後ろにはベアトリスが立っていて、上機嫌な顔で手に持った酒を呷りつつ、海賊達の宴を見続けていた。

 その呆れながらも、何処か優しげな表情は、ジャックではないがまるで子供達を見守る母親のようだと、カナタも思った。

「ジャック。あんたも子供に酌させてないであっちで交じって来な!」

 ドンと背中を蹴飛ばされて、ジャックは酔っぱらった足取りで騒ぎの中へと向かって行く。

「ありがとうね。助かったよ」

「……え?」

「昼間のことさ。昔だったらあんな小娘二人相手にするぐらいわけなかったんだけどねぇ。年は取りたくないもんさ」

 小さな悔しさと、あの二人組に対する大きな称賛を込めて、ベアトリスはそう言った。

「お前さんが居なけりゃアタシ達は危なかった。それは事実さ」

「……ボクは、無我夢中だったから。全然、褒められるようなことをしたわけじゃ」

「なに言ってんだい」

 ぽんと、カナタの頭に手が乗せられる。

 そのまま乱暴に髪を撫でつけられた。

「ふわ」

「褒められようと思って善行を積むなんざ、それこそ価値がない。下手すりゃアタシ達以上の悪党さ。……お前さんは違うだろ?」

「違う、けど。うん、多分」

「なぁ、本気でアタシらの仲間にならないかい? 度胸もあるし、腕っぷしもそれなり。結構いい海賊になると思うんだけどね」

 ベアトリスは当然、判っていた。

 この少女が本気で海賊になろうとしてないことぐらいは。

 それでも成り行きで乗った船で、脱出できるチャンスがあったにも関わらず何故か少女はベアトリスを助けた。

「ごめんなさい。海賊にはなれません」

「なんでだい?」

「……ボク、やるべきことがあるから」

「やるべきことねぇ。そりゃ、アタシ達と一緒に行く以上に大事なことかい?」

「……それは……」

 ベアトリスの言葉はある意味では確信をついている。

 誰かを助ける、人のためになることをする。

 カナタが自分自身に課したその目的に、本当に価値があるのかと問われれば、答えようもない。

 当然、それによって救われた人を見れば実感することもあるだろう。しかし、現実はそれよりも汚いものだ。

 最後の記憶にあるのは、カナタに対する不信の目。

 彼等はカナタが誰にでも分け隔てなく与えている力を、自分達エトランゼのためだけのものであると勘違いした。

「……判らないけど」

「そうかい。だがま、何にせよお前の命を救ったのはアタシ達だ。その代金分ぐらいは働いてきな!」

 バンと、カナタの尻が叩かれる。

「いったぁ! ……もう充分働いたと思うんだけどなぁ」

「なに言ってんだよ。海賊ってのは元来強欲なもんだ。珍しいギフトを持ってるお前には、精々役に立ってもらうよ!」

「船長!」

 そうベアトリスを呼ぶ声が聞こえてきたのは、宴をしている方向ではなく、先遣隊が偵察に出ていた島の奥の方からだった。

 二人一組で島の中を探検していた海賊達の一グループが、その目を輝かせながら茂みの奥から飛び出してくる。

「あっちに古代の遺跡みたいなもんがありやしたぜ! 俺の見立てじゃ、相当なお宝が眠ってるに違いねぇ!」

「お前の勘が当たったことはないがね! でもよくやった! ほらお前達、宴はお終いだ! 明日は朝から、遺跡探索に向かうよ!」

 ベアトリスがそう叫ぶと、今まで酒を飲み、喧嘩をして、馬鹿騒ぎをしていた海賊達は一瞬、水を打ったように静まり返る。

 それからすぐに、島中を揺らすような大歓声が響き渡った。

「うおおおぉぉぉぉぉぉ! お宝だぁ!」

「一番乗りで見つけた奴にはどのぐらいの取り分ですか、船長!」

「この遺跡掘りのジャックの腕が鳴るぜ!」

「喧嘩よりもそっちの方が面白れえや!」

 口々に言うと、海賊達はベアトリスの言ったことなどまるで聞いていなかったかのように、篝火を囲んで前祝にと酒を飲み始めた。

「ったく。二日酔いでも容赦なくこき使うからね」

 そう一言注意して、ベアトリスは船の方へと歩いていく。

 カナタはただ黙って、海賊達が騒ぎ、酒を飲む姿を見つめ続けていた。

 その馬鹿騒ぎに、何処か眩しいものを見つけたのは、きっと気の所為ではないのだろう。


 ▽


 港町ハーフェン。

 オルタリアが誇る最大級の港町であり、海の向こうにある諸外国との防衛の拠点でもある。

 しかし、王都オル・フェーズからかなりの距離があるために、王家の支配が強く及んでいるとは言い難い。

 そのため、先日のイシュトナルとの戦いに関しても全くの無関心を貫ていていた。

 石造りの街並みはどんな時でも人々でごった返し、様々な人種が入り乱れている。

 彼等はオルタリアの長く伸びる街道を通り、ソーズウェルを経由し、オルタリアから諸外国へと貿易をする。

 それこそがクラウディアが長年見てきたハーフェンの姿なのだが。

「どいつもこいつも景気悪い顔しちゃってさぁ」

「仕方ありませんよ。今の国状ではね。先日も隣国であるオールゼス行きの荷馬車が、野盗にやられたようですし」

 クラウディアとラニーニャ。見た目麗しい二人の船乗りが今いるのは、ハーフェンの港へと続く一番通りに面したオープンテラスのレストランだった。

 二人は向かい合ってテーブルに座り、そこには魚料理を中心としたハーフェンの海の幸が所狭しと並べられている。

 貿易拠点であるだけあって、そこから見える道には大勢の人が行き交っているが、それでも全盛期に比べれば随分と減ったものだ。

「はん。ばっかじゃないの。前の王様もいるんだかいないんだか判らなかったけど、今のヘルフリートよりは百倍マシだね」

 クラウディアのその言葉に、他の客がぎょっとして彼女の方を見る。

 そんな言葉が関係者に聞かれれば侮辱罪で捕まり、最悪処刑すらもありえるからだ。

「クラウディアさん。口を慎みましょう」

「だーってさー。あいつが王様になってから何もいいことないじゃん。税金は上がるし、そのくせ治安は悪くなって、海にも陸にも賊は出るし」

「わたしとしては、そのお金が注ぎ込まれている先が気になりますがね」

 そう言って、白身魚のマリネにフォークを突き刺し、優雅な仕草で口に運ぶ。

 ラニーニャがもぐもぐと咀嚼している間に、クラウディアが全く反省した様子もなく喋り続ける。

「どーせあの妹姫の、えっと……なんだっけ?」

「イシュトナル?」

「そう。そこと戦うんでしょ? 前の開戦はこっぴどくやられたみたいだしね。いいザマ。そのまま国も乗っ取られちゃえばいいのに」

「言い過ぎですよ。同じ国に二つの政府があるのは確かに問題ですから。戦いの火種にしかなりませんし」

「アタシはイシュトナル派だけどねー。向こうから来た人の方が金の払いがいいし。この間パパから聞いたんだけどさー、ハーマンって商人さんがイシュトナルびいきで色々と高く買ってってくれてさー」

 クラウディアの父は街一番の豪商で、同時ハーフェンの顔役でもある。ほぼ町長のような役割で、街を治めていると言っても過言ではない。

 その理由は経済力だけではなく、温和な人柄から内外問わず多くの人に慕われているからなのだが。

「……どうしてあのお父様からクラウディアさんが生まれたんでしょう?」

「なんかよく判んないけど、馬鹿にした?」

「いいえ。滅相もない」

 冗談めかして首を横に振ると、クラウディアはその件に関してそれ以上の追及はなかった。

「それはまぁ、この間官吏としてやってきた貴族の方を考えると、オルタリアの人手不足もここに極まれり、と言ったところでしょうが」

「あー、その話はなしにしよ。今思い出してもイライラするからさ」

「はいはい」

 そうして二人はしばらくは無言で料理を口に運んでいく。

 大方を食べ終えて、顔見知りのウェイトレスがサービスに甘い果実酒を持って来てくれたところで、機嫌をよくしたクラウディアは今日の本題に入ることにした。

「でさ。ラニーニャ」

「はい」

「あの婆海賊団のことで話があるって、何さ?」

「マーキス・フォルネウスですよ。あのお婆さんはベアトリス、アランドラの海では知らぬ者がいないほどの大海賊です」

「へぇ」

 にやりとクラウディアは笑う。

「じゃあアタシ達はその大海賊相手に有利に戦ったってわけだ。うんうん、いいじゃんいいじゃん!」

「そこが妙なんですよ」

「なんでさ?」

「ベアトリス。彼女はアランドラでは海賊ですが、同時に私掠船団の頭領でもありました」

「ああ、あの政府公認の海賊ってやつ?」

 ぐいっと果実酒を飲み干したクラウディアの頬は、赤く染まっている。それを見てラニーニャは酒が出てくる前に話をすべきだったと後悔した。

「そうです。どうしてその彼女が、オルタリアの海域に、たった一隻の船でいるのでしょうか?」

「そっか。確かに不思議だね」

 言いながら、クラウディアはふにゃんとその頬をテーブルに乗せ始める。酒は好きだが恐ろしく弱いのだ、この娘は。

「ここ数日哨戒船の動きを強めていますが、付近に船影はないようですし」

「じゃあいいじゃん。次にこっちに来たときを狙って倒せばさ」

「いえ、だから……。そんな簡単な話では……」

「うん、知ってるよ。簡単な話じゃないって。でも難しいことはラニーニャがやってくれるし、アタシはただぶっ放せばいいんでしょ?」

「……少しはわたしの苦労も判って欲しいものですけどね」

「判ってるってさー。もー、ラニーニャ大好き!」

 がたんと椅子から立ち上がり、抱きついてくるクラウディア。

「ちょっと、クラウディアさん! まだ昼間ですよ!」

「なにー!? まるで夜ならいいみたいないい方じゃーん! うりうりー」

 言いながら胸を顔に押し付けてくるクラウディア。

 男なら嬉しさのあまり自然と顔が綻んでしまうところだが、生憎とラニーニャは女だし、それにほんの少し、本当に僅かだが、いや全く小指の先ほど程度の些事ではあるのだが、悔しい。

 マーキス・フォルネウス。

 その船長ベアトリス。

 何故彼女等がこの海域に現れたのか、その理由は全く判らない。

 それに何よりも。

 偉大なる海の女、大海賊ベアトリス。

 その生き様に、ラニーニャは強い興味をそそられていた。

 それはそうとして、クラウディアの身長に似合わぬ豊かな胸の感触は、例え女であろうと気持ちのいいものだった。


 ▽


「旦那。戻ったぜ」

 ノックもせずにヨハンの執務室に入ってきたのは、元アサシンであり今は彼の所属する組織、超銀河なんとか団からイシュトナルに出向しているゼクスだった。

 長身の偉丈夫は、いつもの飄々とした様子とは違い、珍しく息を弾ませている。

「あ、姫様もお出ででしたか。こいつは失礼」

「よい。聞けばお前は先日、ヨハン殿の命を救った功労者と聞くではないか。で、あれは妾にとっても恩人だ」

「はぁ」

 エレオノーラの語るところの意味が今一つ判らず、ゼクスは気のない返事をしてしまう。

 ヨハンの執務室には今、彼の仕事机と向かい合う位置にエレオノーラ。いつもの定位置である来客用テーブルにアーデルハイト。そして何故かお盆を持ったままのサアヤが、ヨハンの横に棒立ちしていた。

「あー。報告なんですけど、初めていいですかね?」

 さり気にヨハンの顔を見て、表情でこれはここにいる面子に聞かれても大丈夫なのかを探る。

「頼む」

「嬢ちゃんの調査なんですけどね、旦那に言われた通りフィノイ河沿いの街を中心に聞き込みを続けた結果。なんと河の終着点であるハーフェンの街でそれっぽい足取りを掴めたってわけだ」

「それは本当か?」

「嘘は言わねえよ。……ただなぁ、実際のところは有力な情報っていうよりも、それぐらいしかまともな話が聞けなかったってのが正しい。実際のところこれから言う話も信憑性で言えば疑わしいもんだ」

「……続けてくれ」

「姫様なら知っていらっしゃると思われますけど、ハーフェン近くの海域には昔っから海賊が出没してるんだよ」

「うむ。昔から問題にはなっていたが……。父上も兄上も、海の向こうの国との取引にはあまり前向きではなかったからな」

「だからハーフェンの連中は海賊から身を護るために武装商船団を組織した。これはそこの連中から聞いた話なんだが」

 そう前置きをして、ゼクスは本題に入った。

「アランドラの大海賊、ベアトリスの船が現れたらしい」

「ベアトリス!?」

 驚きの声を上げたのは、エレオノーラとアーデルハイトだ。ヨハンとサアヤは不思議そうな顔で二人を見た。

「あー、二人が知らんのも無理はないさ。大海賊ベアトリスは、何十年間もアランドラ方面の海を荒らし回ってた奴だ。オルタリアも含めた諸国が海洋貿易に及び腰になってるのも、その女がいるからって言っても過言じゃない」

「……そうね。大海賊ベアトリス率いる海賊艦隊、マーキス・フォルネウスはこの辺りの海の覇者と言っても過言ではないわ」

「……海賊なんて、本当にいるもんなんですねぇ」

 と、何処か見当違いな感想を零すサアヤ。

「海賊は俺達の世界の近代にもいるぞ」

「で、ゼクスよ。そのベアトリスがカナタと何の関係がある?」

 エレオノーラが話を元の路線に戻すと、ゼクスは続きを語りだした。

「いや、それでな。ここからが問題なんだ。その武装商船団の水夫から話を聞いたところ、そのベアトリスの船に海賊っぽくない身なりの女の子が乗ってたんだと。んで、商船団の切り込み隊長と互角以上にやりあったらしい」

「……まさか」

 その場の四人、言うまでもなく嫌な予感が増大していく。

「エトランゼで、変幻自在の光を操るギフトを使ってたって話だ」

 最初からこの部屋にいた四人は、揃って言葉を失っていた。

 ヨハンはテーブルに肘をつき、頭を抱えてしまっている。

「で、でもカナタちゃんだって言う保証はないじゃないですか」

「そりゃまあな。それにダンジョンから地下河に落ちて、そこからフィノイ河を流れて海に行くなんて、ほぼありえない。余程運がよくない限りは……」

「でも」

 アーデルハイトが口火を切る。

 そしてその後に、示し合わせたかのようにヨハンが続けた。

「成り行きで海賊に協力してしまうなんて、如何にもカナタのやりそうなことだ」

 なんといっても成り行きで姫を助けてオルタリアを敵に回した前科がある。

「だが、これで方針が決まったな。場所がハーフェンであるというのもある意味では都合がいい」

「……それはまぁ、そうだな」

 腕を組んで、エレオノーラが同意する。

「ハーフェンが妾と兄上、どちらに付くのかもはっきりさせておきたい」

 地図の上で見て、ハーフェンは非常に微妙な位置にいる。

 フィノイ河の終わりにあるのだから当然だが、その街はフィノイ河に橋を掛けて横断するように広がっているのだ。

 そして今、オルタリアとイシュトナルはフィノイ河を中心に分かれている。

 果たしてハーフェンの立場はどうなるのか。それに対して彼等は奇妙なことに、どちらの味方に付くような素振りも見せていない。

「では急ぎハーフェンに使者を派遣し、噂の確認を急がせましょう。サアヤ、今手が空いている者は」

「ちょっと待って」

 アーデルハイトが口を挟んだ。

「あなたが行かなくていいの?」

 そう、ヨハンに尋ねる。

「……今はイシュトナルに給料を貰っている身だ。公私を混同するわけにはいかないだろう」

「ヨハン殿。それには及ばぬぞ!」

「エレオノーラ様?」

「ヨハン殿がいない間の執務は妾達に任せておくがいい。カナタのことを一番心配しているのはそなただろうからな」

「それはまぁ……。そうですが」

 エレオノーラは机の向こう側にいるヨハンを立たせると、無理矢理に手を取って自分の隣に引き寄せる。

 それを見た女性陣残り二人の眉根が歪むのをゼクスは見逃さなかったが、敢えて口にするような愚行はしない。

「心配するでない。後のことは妾が何とかしよう。何せ妾達はお互いを理解し合って、共に進む、とても深い仲なのだからな」

「エレオノーラ陛下の妄言はさておいて」

 水を流し込むような冷たい声が聞こえたのは、来客用テーブルからだった。

「一人と言うわけにはいかないでしょう? 護衛も兼ねて同行者が必要よね。具体的には優秀な魔法使いとか」

「でしたら回復も必要だと思います!」

 そう言ってサアヤが手を真っ直ぐに挙げた。

「……いや、俺はゼクスに頼もうとしたのだ…が……」

 ヨハンが顔を向ければゼクスはもうそこにはいない。

 仕事は終えた、後の厄介事は御免だと言わんばかりに、気配を殺して部屋から脱出していた。

「さあヨハンさん!」

「どっちを選ぶの?」


 ▽


 孤島の奥にひっそりと隠されるように、その遺跡は存在していた。

 遺跡と言っても主だった建物はとっくに風化してしまったのか、それとも何かしらの災害によって破壊されたのか、家屋のように中に入れるような原型を留めているものはなく、所々に点在する石の塊が、辛うじてそこに住居のようなものがあったことを示唆しているだけではあるが。

 その周囲には人の手は全くと言っていいほど入っておらず、ただひたすらに木々が生い茂る林が広がっている。

「宝物があるって感じじゃなさそうだが。さてどうかね」

 ベアトリスがそう呟いた。

 既に彼女旗下の海賊達はあちこちに散って、何か金目のものでもないかと探索を続けている。

 ここに来ているのはだいたい十人程度の人数で、それ以外のメンバーは食料の調達に出ていた。

「カナタ。何ぼーっとしてんだい?」

 石の梁が柱を繋ぎ、円を形作っている。

 ストーンサークルと呼ばれる形の中心部に何か違和感を覚えて、カナタはその方向をじっと見つめていた。

「何か」

 悪寒、と呼ぶほどのものでもないが。

 ここにいると、不思議と気温が下がったように全身に寒気が走るのだ。

「寒くない、ここ?」

「そんなことはないと思うがね。海に潜った所為で風邪でも引いたんじゃないか?」

 ベアトリスの手がカナタの額に当てられるが、熱がある様子はない。

「船長! こっちに空洞がありますぜ!」

「ジャック、あんたの勘もたまには役に立つね!」

 ジャックが声を上げたところは、神殿の中心部に近い場所だった。

「でもこれ、誰かが掘った後がありますぜ」

 ベアトリスと、その後ろに付いていったカナタが覗き込んでみれば、確かに古くはない傷跡が周りには刻まれている。

 明らかに、ピッケルか何かで周囲を掘り返した後があった。

「ちぇ、先越されちまったってことか」

「そうでもないんじゃないかい? この穴じゃ人は通れないだろ。何か理由があって途中で諦めたように見えるね」

「そりゃ甘いですぜ、船長。小人を覚えてるでしょ? ナーグルア諸島にいた、あの小さい種族……」

「そいつらがここにいるわけないだろ! いいから掘りな!」

「いったぁ!」

 容赦なくベアトリスがジャックの頭をどつく。

 ジャックは渋々担いできたピッケルを持ちなおして、その穴を広げるために何度も叩きつけていく。

 その様子を見ていたカナタは、周囲に転がっている何かに気付いて、「あ、」と声を上げた。

 その視線の先をベアトリスが追うと、そこにはンタンが転がっていた。

「ランタン? ……ふーん」

 それもまだ真新しい。中にはまだ燃料も入っており、振れば水音が聞こえてくる。

「ってことは、数日のうちにここを掘り返しに来た奴がいる」

「でも、この穴を見つけたのにどうしていなくなっちゃったのかな?」

「ランタンを灯してたってことは夜に作業してたってことだ。もしかしたら気付かずに別のところに行ったって可能性もあるが……」

 だとしたらランタンが転がっているのはおかしい。暗闇の中でそれを落とせば、間違いなく拾いなおすだろう。

 であれば、可能性として有力なのはランタンを拾う余裕がなかった、と言うことになる。

「面白くなりそうじゃないか」

「母ちゃん! やっぱり奥に続く道があったぜ!」

「母ちゃんはやめな!」

 再びジャックの頭を小突いて、ベアトリスが洞穴のように広がったそこを覗き込む。

「カナタ。ちょいとこっちに来な」

 言われて傍に近寄ると、首根っこを掴まれた。

「アタシとこいつの二人で行く。ジャック、あんたらは外で見張りだ」

「えー、そりゃないよ船長……。お宝に一番乗りしたいぜ」

「別にいいけどね。ただし、中に魔物がいたら真っ先にお前が戦うんだよ?」

「行ってらっしゃい、母ちゃん!」

 無言でベアトリスがジャックの頭を引っ叩く。

「……なんでボクなの?」

「そりゃお前がこの中で一番腕が立つからさ。アタシの次だけどね」

「いや、そんな……」

「謙遜すんじゃないよ。なあジャック? お前、こいつに勝てるかい?」

「寝てるところを襲えばイチコロだな」

「だってよ。それにお前はちっこいからね。もし奥に魔物がいても動きまわって戦えるだろ。図体ばっかり無駄に育った連中じゃそうはいかない」

「……複雑」

「褒めてんだよ。喜びな」

 気合いを込めるために背中を叩き、ベアトリスはカナタを連れて洞窟の奥へと入り込んでいく。

 中には階段状になっており、ベアトリスはああ言ったが広さは二人並んで歩くのが精一杯で、魔物に襲われては戦うことなどできはしないだろう。

 曲線を描くように下に伸びる階段を降りていくと、次第に外からの光も届かなくなってくる。

「ほら。出番だよ」

「へ?」

「ギフトだよ、ギフト。あれで足元を照らしな」

 言われるままにセレスティアルを掌に生み出して、灯りにする。

 それを頼りに二人は更に奥へと歩みを進めていった。

「それにしても、一杯食わされたね。最初にそのギフトを見せたとき、本当の力を隠してたってことだろ?」

「それは……。うん、ごめんなさい」

「別にいいさ、怒っちゃいない。むしろ海賊を目の前に手のうちを全部晒す奴は大馬鹿だね。そう言うところも気に入ったんだよ」

「……あはは」

 昨日、本格的な勧誘を断っただけあって、複雑な笑いで誤魔化すことしかできない。

 二人分の足音が響くなか、ベアトリスはカナタが怯えないように気遣っているのか、事ある毎に話しかけてくれた。

「上の馬鹿共は気付いちゃいないが、財宝って感じではなさそうだね」

「そうなんですか?」

「多分だがここはあれだろ? この辺りで信仰されてる神様を奉った神殿みたいじゃないか。そう言うところに財宝隠す奴はなかなかいないね。金銀財宝っていう判りやすく価値のある物をしまい込むのは聖職者じゃなくって、自分が手に入れたものを自慢したくてしたくて仕方がない馬鹿な連中さ」

 言ってから、ベアトリスは「アタシ等みたいな、ね」と付け加える。

「じゃあ、どうして奥に来たんですか?」

「全く何もないってわけじゃないだろうからね。金貨の一枚でもひろえりゃ充分なお宝さ。それが第一。

 第二に、アタシ達は冒険がしたいのさ。知らない国の、古代の神殿の奥で何かに出会う。充分、胸が躍るってもんさ」

「……冒険?」

「そうだよ。アンタはしたことないのかい?」

「なくはないですけど」

 カナタは肩書は冒険者だ。

 それはその名の通り、冒険を生業とする仕事だが、ベアトリスの言うそれとはまた違う気がした。

 冒険者はその日の糧を得るために仕事を受ける。遠くに出かけることもあるが、それらは全て、結局のところお金のためでしかない。

 ここ数日のダンジョン探索もカナタにとってはできるだけ犠牲を出さないようにする綱渡りであり、冒険ではなかった。そこに未知なる出会いとの喜びなどはなかったのだから。

「なさそうだね、その顔を見ると。勿体ないんだよ、アンタ達エトランゼは」

「勿体ない?」

「知らない世界に来たんだろ? それをもっと楽しまなきゃ」

 その言葉は人によっては怒りを駆り立てられるものだっただろう。

 見知らぬ世界に来て、昨日まで持っていた全てを捨てる羽目になって、そんな楽観することができるものかと。

 しかし、カナタに怒りはない。

 そう語るベアトリスの横顔が、皺が刻まれた、彼女が生きてきた時間を雄弁に語るその表情に、全くの悪意がなかったから。

 きっと彼女は、多くのエトランゼと同じ状況になっても同じことをするのだろう。その世界を楽しんで、冒険する。

 カナタにはそれが、その心が羨ましく思えた。

「そろそろ到着だね」

 気付けば階段は終わり、細長い道が奥へと続いている。

 もう既に外からの光は全く届くことはなく、カナタのセレスティアルの灯りだけが頼りだった。

 二人は並んでその道を進み、横に立つベアトリスはいつでも戦えるようにカトラスの柄に手を掛けている。

 少し歩いたところで道が終わり、開けた空間に出た。

 入り口と同様狭苦しい小部屋で、青白い色に輝く魔法の灯篭が四角形に配置され、その中央には棺のようなものが置かれている。

「棺桶? 中身は空みたいだけど」

 人間よりも僅かに大きな棺はその中に何も収められてはおらず、内部は空洞となっていた。

「収穫は何もなしか。この棺桶も特別金目のもんってわけじゃなさそうだしね」

 ベアトリスは拳を作って棺桶の表面を何度か叩く。ただの石ではないのだろうが、それほど価値のあるようなものでもなさそうだった。

「隠し通路もありそうにはないし……。どうやら当てが外れたねぇ」

 さしてがっかりした様子もなく、ベアトリスは部屋の中を見渡している。

 一方のカナタは、この遺跡に立ち入ったときと同じ悪寒が再び蘇り、その棺桶を見つめたまま立ち尽くしていた。

「せめてこの灯篭でも貰ってくとするかい。カナタ、アンタはそっちの二つを取り外しな」

 ベアトリスがそう言って灯篭の一つに手を賭けたところで、外から悲鳴のような声が聞こえてくる。

 洞穴の中を反響してここまで届いたその声は、野太い男の――ジャックの必死の叫びだった。

「母ちゃん! カナタ! 敵襲だ! 速く戻って来てくれ!」

 その声の必死さから、外で何か尋常でないことが起こっていることが如実に伝わってくる。

「聞こえたね。カナタ、お前さんは戦えるかい?」

 質問に対して、頷きで答える。

 カナタの中にある誰かを護りたいという心が、小さな英雄と言う言葉で紡がれた『呪い』が、感じていた悪寒や違和感を全て拭い去っていく。

「いい顔だ。行くよ!」

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