第六節 大海賊ベアトリス

 煉瓦造りの倉庫の中。船に乗せるための貨物や武器が所狭しと置かれた建物の中央にはテーブルが置かれ、今は臨時の会議室となっている。

 そこで「ふわぁぁぁー!」と歓声を上げたのはクラウディアだった。彼女の視線の先にはテーブルと、その上に置かれた一枚の図面。

「こ、これっ……。これすごっ! 凄い! これできるの!? よっちゃん、これ作れるの!?」

「材料さえあればな」

「あるよ! 材料ある! ラニーニャ、ここに書かれてあるもの、持って来て、早く!」

「あのー。作戦会議じゃなかったんですか?」

 喜びの叫びを上げるクラウディアに、ラニーニャはあくまでも冷静に対応する。

 彼女をここまで歓喜させたのは、銃の図面だった。海上で使える武器の話から、クラウディアが今の特注のマスケット銃に満足していないこと、自作の図面があるという話に転がり、ヨハンがそこに改良案を書き加えたことが全ての始まりだった。

「武器も立派な作戦だよ! そもそも作戦って言っても、突っ込むしかないじゃん」

「いや、それはわたし達のいつものことでしょう? 今日は名高きイシュトナルの頭脳様がいるのですから」

「いや、残念ながら俺も作戦を考えるのは得意ではないからな。できる限り装備を整えて、相手を手早く制圧するのが一番だ」

 先日、その辺りの関係でへまをやらかしたばかりだとは、流石に黙っておいたが。

 それに加えて海上での戦いとなれば、ヨハンに理は全くない。

「……あ、そうですか。それじゃあ指定されたものを持って来ますけど、全部はないですよ」

「どれならすぐに用意できる?」

 ラニーニャが書きだされた材料から、この倉庫にあるもの、街で買えるものを選び出す。

 足りない物を把握したヨハンは、隅っこの方で大人しくしているアーデルハイトを呼び出した。

「アデル。ちょっといいか」

「……どうしたの? カナタ一人連れ戻せない役立たずに、何か用事?」

 どうやら先の失敗に責任を感じているようで、クラウディアにメッセージを伝えに来た後すぐに自分にできることはないかとウロウロしていたのだが力仕事はできず、海にもそれほど詳しくはないのでやることがなくなって、拗ねていたようだった。

「そんなに自分を責めるな。海賊船と早期に接触できたのも、カナタの無事を確認できたのもお前だったからだろう。他の奴はそうはいかん」

「……サアヤとかじゃ?」

「……まぁ、そうだな」

 当人の能力にしても、ギフトにしてもサアヤは有能だが、こういう場面で役に立つ人材ではない。適材適所と言うやつだ。

「ふふ」

 小さな笑みを零すアーデルハイト。

 この時、細かいことを気にしないクラウディアはともかくとして、ラニーニャの目には全力で振り回される犬の尻尾が見えていたのだと言う。

「で、すまないがお前にやってもらうことがある」

「うん。何でも言って」

「ここに書いてある物を、俺の工房から取って来てほしい。それからエレオノーラ様に報告の手紙をしたためるから、それも渡して来てくれ」

「うんうん。……え?」

「なんだ?」

「……わたしの仕事って……」

「陸路を使えば三日以上かかるが、お前が全力で飛べば一日で往復できるだろう」

「いや、それはそうだけど。ねぇ、ひょっとしてわたしを選んでくれたのって」

 ここに彼女がいるということが答えではあるが、サアヤとアーデルハイトの二択にヨハンが出した答えは、当然アーデルハイトだった。

「いざと言うときの連絡役には申し分ないからな。それに、俺がイシュトナルを離れるなら、サアヤの仕事は尚更増えることになるだろうし」

「あ、そう。うん、もうそれ以上は言わなくていいわ」

「……ん、そうか? ちょっと待ってくれ、必要なものがまだ出るか……つっ!」

「あっちで海でも見てるから、リストができたら届けて」

 ヨハンの脛に蹴りを入れて、アーデルハイトは倉庫を出ていった。

「あらら。怒らせてしまったようですね」

「何故だ?」

「さあ。ラニーニャさんには何とも」

 明らかに知っている様子のラニーニャだが、問い詰めたところで答えてくれる様子でもなさそうだ。

「それでですね、よっちゃんさん。本当にお作戦なしで突撃するつもりですか?」

「いや、流石にそれはな。だが、舞台が海とあってはそれほど有効な戦術も取れない。だから」

 ヨハンの目が、キャラベル船に向けられる。

 風を受けて進む帆船の速度は、決して早いものではない。そしてそれは、相手の海賊船にも言えること。

「古風な船ですよね。元の世界にいたころは見たこともありませんでしたけど」

「だろうな。俺達の世界の船は当然、エンジンを積んでいるものだったからな。だから、例え風向きがあっていなくても相当な速度が出た」

「……ああ。つまり、そう言うことですか」

 意を得たり。ヨハンの考えを理解したラニーニャは、楽しそうな笑みを浮かべるのだった。


 ▽


 魔法使いの少女に伝言を頼んでから三日後。

 熟練の船乗りでも全く予想できなかったほどの急な悪天候が、海域全体を包み込んでいた。

「大シケとは付いてないね。もっともそりゃアタシ達かそれともあいつらか」

 船室の窓に叩きつける雨は強く、強風は容赦なく波を巻き上げて甲板へと躍りかかる。

「準備に掛かる日数から考えて、今日辺りだと思ってたんだけどね」

「母ちゃん。あいつら多分来ませんぜ」

「母ちゃんはやめな、ジャック。それに、来るかどうかは判らんさ」

 船室の隅で、両手を縛られ座らされているカナタに、ベアトリスの視線が向けられる。

「あの子が大事ならね。好機や攻め時なんか関係ない。そう言うもんさ」

「……っすかね? だったら楽しみだ。クラーケンと戦った時以上ですよ!」

「かもね。あの嬢ちゃん達、まだまだ粗削りだが度胸も腕っぷしもある。立派な海の女になるよ」

「へぇー。ってことはあの美少女達も、将来母ちゃんみたいになるってことか……。くわばわくわばら……いてぇ!」

「余計な一言が多いんだよ! そんなだからクラーケンとやりあった時も無駄話して、左源にいいのを一発貰っちまったんだろうが! まだ修理が終わってないの判ってんのかい!」

「母ちゃん! その話は何度も謝ったじゃねえかよ! もう勘弁してくれよ!」

「あの」

 そんな二人のやり取りに割ってたカナタが口を開く。

「なんだい?」

「海賊……。やめない? やめて、ボク達と一緒に働こうよ」

 その言葉に、ベアトリスとジャックは一度お互いに顔を見合わせてから、

「だぁ~はっはっはっはっはっは! こいつは傑作だ! 聞いたか、ジャック!」

「ひ~っひっひひっひっひ! へ、へい! この嬢ちゃん、こともあろうに……。自分を攫った海賊に、改心しろって!」

 笑われてもカナタはめげない。

 彼女達がカナタを気に入ってくれたように、カナタとて彼女達に魅力を感じていたのだから。

 だからこんなところで争って、殺しあっていいわけがないのだ。

「だって、皆さんいい人達だから! 海賊とか言われてるけど、それって他の国の話だよね! ボク達と一緒に……」

「一緒に来て、何をするんだい?」

「冒険! ボク、ベアトリスさん達と冒険がしたい!」

 ジャックは未だ笑いが収まらないのか、床を叩いて転がりまわっている。

 ベアトリスはもう落ち着きを取り戻し、カナタの言葉に耳を傾ける。

 そしてその全てを、彼女の心を吐きださせてから、

「ふざけんじゃないよ、小娘」

 その全てを、しっかりと言葉で否定した。

「アタシは大海賊ベアトリス。なんで小娘の言うことを聞かなきゃならないのさ?」

「……それは……でも」

「逆に聞くがね。アタシが罪もない一般市民に略奪しようとしたり、そこの馬鹿がムラムラしてその辺りの女を襲ったりしたら、アンタは止めないのかい?」

「……止める」

「じゃあ無理だよ。アタシ達はそう言うことをする。だから海賊なんだ。そうじゃなかったらとっくに真っ当な仕事をやってるよ」

「……でも、ボクは……」

「あのなぁ、カナタ」

 ベアトリスは片手でカナタの胸倉を掴み、自分の方へと引き寄せる。

「立場が違うんだよ。お前さんはアタシの戦利品で、気まぐれで仲間に誘われてる。今は気紛れの猶予を与えてるだけだ。……アンタを餌にしてもっと利益を得るためにね」

「そうそう。武装商船の女船長、きっと高く売れるだろうからな」

「ジャック! アンタは見回り行って来な!」

「アイサー! って雨凄げぇ!」

 一瞬で全身をびしょぬれにしながら、ジャックは甲板へと出ていった。

「お前さん。アタシが負けるとでも?」

 カナタは目の前の、深い皺が刻まれたその顔を正面からしっかりと睨んだ。

 ベアトリスは強い。それでも。

「ヨハンさんは、勝つよ」

「ふんっ」

「うわぁ!」

 カナタの身体が無造作に床に放り投げられる。

 受け身すら取れずに全身を打ち、その痛みに悶えながらもカナタはベアトリスから視線を逸らさない。

「ヨハンさんは強くないけど、でも絶対に負けない」

「大した自信じゃないか。余程その男が好きなんだね」

「好っ……きかどうかは判らないけど……。でも、えっと、だから……!」

「アタシはね、アタシ達はそいつの代わりじゃないんだ。アンタを拾ったのは偶然で、よくしてやったのは使えるから。それだけだよ」

「……ベアトリス、さん?」

「そいつの代わりにはなってやれないよ。傍にいてほしいなら、自分で掴んで、放さなきゃいい。そんだけさ」

「……それは、できないよ。だってボクには傍にいる資格もないし……」

「人が人を殺す資格って、あるかい?」

 英雄としての期待に応えられなかったから。

 最上のギフトを持っていても、少年一人を救うことができなかったから。

 だから、あの時ヨハンは悲しそうな顔でカナタを見たのだろう。

「ない、けど」

「人の物を奪う資格は?」

「……ない」

「でもアタシは全部やる。悪党だからね」

「……それは……」

 説得しても意味はない。

 彼女はその生き方をもう何十年も続けてきたのだから。

 それでも、ベアトリスが伝えたいことを飲み込むために、言葉の続きを待った。

「アンタは悪党には向いてないね。……でも、ちょっとぐらいは我が儘になってもいいんじゃないか? そのぐらいは誰だってやってるさ」

「……みんなやってるに騙されるなって、学校で習いました」

「自分で考えて決めたならそれでいいだろ」

 先程までとは打って変わった優しげな笑顔で、ベアトリスはカナタの頭を乱暴に撫でまわす。

「母ちゃん! 敵襲だ!」

 そこに、扉を乱暴に開けたジャックが飛び込んでくる。

「船が一隻! 真っ直ぐにこっちに突っ込んでくる!」

「はぁ!? この嵐の中をかい?」

「風で逸れねぇんだよ! しかも速度が早すぎて避けれねぇ!」

「……そういや、オルタリアには魔操船って、魔力を動力源にして動く船があるって聞いたことあるね……。海ではまだ使えないって話だったが。まあいい、今は迎撃だ!」

「へい! お前等起きろ! 戦いだぁ!」

 甲板で一斉に歓声が上がる。

 海賊達は各々に武器を手にして、嵐に負けない勢いで声を上げて、それらはやがて自らを勇気付ける歌へと変わっていく。

「アタシ等の最期の戦かも知れないんだ。派手にやるよ!」

 ベアトリスも仲間達を鼓舞しながら、船室から飛び出していく。

 そして扉を閉める直前に、一度だけついさっき見せたのと同じ顔で、カナタを見た。

「お前さんの提案は馬鹿げていたが、アタシを気に入ってくれたことは、素直に嬉しく思うよ。……アタシもお前さんを気に入ったからね」

 だからこそ譲れない。

 この戦いに大義などはない。単なる海賊の、粗暴な戦いに過ぎない。

 だが、彼等に悲壮はない。

 そのためにこの海に出たのだ。未知を知るために、仲間を集めるために、全てをやりきって、後悔のない旅にするために。

 果たして彼女等の航海はここで終わるのか、それともこれからも続いていくのか。

 それを決めるための戦いの幕が上がる。

 ベアトリスは雨に打たれ、強風に晒されながらも一切臆することなく、カトラスを振り上げる。

 振動が船全体に響き渡り、遂にその時がやってきた。

 小型のキャラベル船の先端部分が、こちらの側面に突き刺さっている。

 そしてそこから掛けられた橋を渡って、以前のように武装した船員達が乗り込んできた。

 真っ先に先陣を切るのは、あの金髪の小娘。それとその横を固める、水を操るエトランゼ。

「来たね、小娘」

 並の海賊達では歯が立たない。

 カナタだけでなく、彼女達も惜しい。

 もしここではない場所で出会っていたのなら、間違いなくこちらにスカウトしていただろう。

「居たぁ! 婆、覚悟しろ!」

 銃声が響き、咄嗟に反応してカトラスでそれを弾き飛ばす。

 そこから間髪入れずに次の弾が、ベアトリスの頬を掠めた。

 昨日までのマスケット銃ではない。撃ち出しているのは鉛の弾だが、次弾の装に隙がない。いつかは弾も尽きて込める必要があるだろうが、果たしてそれは何発後か。

「新しい玩具かい? 子供にはぴったりだ」

「格好いいでしょ! 婆の頭をぶち抜くには充分すぎる獲物かな!」

「ほざけ、小童!」

 ロープを放り投げて、先陣を切るクラウディアの片腕を捉える。

 そのままカナタにしたように、自分の足元に引きずるべくロープを引こうとしたが、間一髪のところでそれを横合いから伸びた水の刃が断ち切る。

「二人掛かりかい?」

「海賊が卑怯とは言わないでしょう?」

「ああ、上等だ!」

 甲板の木が砕ける勢いで足元を蹴って、二人の目の前まで躍りかかる。

 嵐により揺れている船の上にも関わらず、寸分と崩れないその動きに、二人は驚愕した。

 船の上で長く戦い、充分な経験を積んでいる二人ですらも、挙動には乱れが出るというのに。

 既に齢六十を越えた身でありながら、ベアトリスは全く動じた様子もない。

「海賊婆ぁ!」

「羽虫のように目障りだねぇ、小娘!」

 長い砲身のライフルが、引き金と共に弾丸を発射する。

 その弾の一撃はベアトリスの被っていた帽子を跳ね飛ばしたが、狙っていた彼女の頭部に突き刺さることはない。

「外した……!?」

「甘いね」

 至近距離で慌ててライフルを振り回し、その銃床で側頭部を狙うが、それも難なく回避される。

「婆の癖に……!」

「婆だから判るのさ。子供の狙いなんてすぐにね!」

 クラウディアの長い髪をひっつかみ、容赦なく甲板に顔面を叩きつける。

 彼女が起き上がるよりも早く、首の後ろを掴むとその身体を放り投げるべく、片腕で持ち上げた。

「クラウディアさん!」

「次はお前かい、エトランゼ!」

 片手にクラウディアを掴んだまま、ラニーニャに向かいナイフを二本投擲する。

 彼女はそれを水で作った剣で弾いて、ベアトリスの目の前に着地した。

 二つの水の剣が、雨の中でもはっきりと見て判るような軌跡を描いて舞い踊る。

 その交差する二つの剣閃を、ベアトリスは腰から引き抜いたカトラスの一振りで受け止めて見せた。

「大海賊の名は伊達ではないということですか」

「お前も大したものさ。どうだい、アタシの船で一緒にやってかないか?」

「魅力的なお誘いですが……!」

 姿勢を低くして、クラウディアは懐にまで飛び込む。

 そこから上手くクラウディアを避けるように、下から上に、水剣にも及ぶ勢いで蹴り上げを放った。

「っとぉ!」

 思わず手放したクラウディアの身体が、船の甲板に落ちる。

 そのままラニーニャは詰めた距離を離させることなく、再び手に握った水の剣を振るい、ベアトリスに斬りかかる。

「ラニーニャさんの船長は、彼女一人と決めているので!」

「そうかい!」

「なっ……!」

 剣を握る手首を掴み、捻り込む。

 痛みに耐えきれず片手の剣が消え、もう片方の剣でベアトリスを振り払うべく薙ぎ払うが、そんな見え見えの攻撃を喰らってやるほど甘くはない。

「つぅ……!」

 骨が砕ける音がして、ラニーニャの右手から完全に力が抜ける。

 彼女は慌てて左手に持った剣で自分の右手ごと切り離す勢いで、ベアトリスの握った手首を狙う。

 ベアトリスはすぐさまラニーニャの右手を自由にすると、その腹に向けて鋭い蹴りを放った。

 甲板から弾き出されながら、それでもラニーニャは諦めることなく水を練って鎖に変えて、ベアトリスに伸ばした。

 だが、それすらもこの大海賊は読み切っていた。

 放り投げたナイフは二つ。一つは水の鎖の先端を貫き、それを霧散させる。

 そのままもう一撃はラニーニャの太ももに突き刺さって、彼女を海の上に放り落とした。

「……やってくれましたね!」

「ラニーニャ!」

 突っ伏したままのクラウディアが叫ぶ。

 水上で態勢を立て直そうとした彼女の頭上に降り注いだのは、火薬が詰まった樽だ。小型だが内部で既に着火されていて、雨に消されることもない。

 それが、ラニーニャの目の前で炸裂する。

 小さいとはいえ人一人を吹き飛ばすには充分過ぎる火力が、彼女へと襲い掛かった。

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